序曲
『先日、旭公園にて、殺人事件が発生しました。殺されたのは……』
朝だというのにテレビでは重々しいニュースが流れている。
最近はそういう事件を聞いても右の耳から入って左の耳に抜けてしまうほど多くて慣れてしまった。
「夕姫!そろそろ行かないと遅刻よ。」
家のソファーでテレビをぼけっと見ていた時任夕姫はその母の声を聞いてもしばらくそこを動く気にはなれなかった。
そんな夕姫を見かねたのか夕姫の近くまで来た。
しかし、彼女は夕姫と同じようにテレビを見てしばらくぼうっとしてしまった。
―ザザザザ
『…今犯人が!犯人が姿を現しました!これは生中継です。』
アナウンサーとカメラが警察に捕まえられた犯人に近づいていく。
『どいて!』
警察が沢山の報道陣の中を押しのけて護送車から犯人を警察署内にいれようと必死になっている。
『…容疑者が今、警察署内に連行されていきます!!』
アナウンサーは興奮してそれを告げるだけだった。
その瞬間一瞬カメラが乱れたと思うと、すぐにそれが直って見えたのは人の顔のアップだった。
どうやら犯人が暴れて、カメラをわしづかみにしたらしい。
『あぁぁ!!死だぁ!死しかない!…やめろぉ…助けてくれぇ!いやだぁ!あぁぁぁぁ!』
―ザザザ…ピー…
その犯人を警察が取り押さえようとしたあたりで映像はまた乱れて、一瞬ホワイトノイズのような高いの音が聞こえるとすぐに映像はスタジオに戻った。
『…失礼いたしました。
今犯人が取り押さえられ、警察署内に入っていった模様です。
…さて、今回のこの連続殺人事件なのですが旭公園の4件目の直後の犯人逮捕で……。』
テレビではそれ以上は生中継に戻ることはなかった。
スタジオには解説員として心理学だか精神医学だかの教授が来ていて、アナウンサーがその教授のおじさんに話を聞いていた。
「やだ…県内じゃない…。夕姫も気をつけてね。
最近は物騒になってきたから…。」
そう言うと母はリモコンでテレビを消して、夕姫に笑いかけた。
夕姫はその様子を見て、苦笑いをして、立ち上がり、学校に行く準備をした。
「行ってきます。」
夕姫はあまり元気とはいえない声で母にそう言うとすぐに玄関を出て、学校に向かった。
夕姫は地元の北中学の二年生でその15分ほどの道程を重い足取りで向かった。
彼女にとって学校は地獄だと言える場所だった。
夕姫が学校に着くと前から女生徒達が来て、夕姫に話しかけた。
彼女は嫌味な顔で迫ってくる。
「おはよう、時任さん。」
なぜかその少しの言葉に棘を感じた夕姫は彼女達が去っていく背中を見るとすぐに、自分の下駄箱に行って、上履きを覗いた。
その上履きには自分には記憶のない泥がついていた。
まるで雨の日に上履きで外に出たようだ。
しかも持ってみると水がしたたっていた。
夕姫はそれを見ても無言で靴を下駄箱の中にいれて靴下のまま廊下を歩きだした。
その靴下で歩く様子に気がついた生徒はそれでも誰も声を書けずに自分の教室に入っていく。
『おはよう!今朝のニュース見た?』
『見た!見た!あの犯人の顔、こわーい。』
夕姫の通りかかった一年の教室から楽しそうに今朝のテレビの様子を話している声が聞こえた。
夕姫は横目でそれを見てすぐにその場から去って自分の教室に入っていった。
―ガラガラ…
夕姫がその教室のドアを開けるとざわついていた部屋がシーンとなった。
生徒達の顔がこっちを見ている。
夕姫はその顔を見て、少し寒気がした。
「おはよ~!!」
その時、夕姫の後ろから誰かが夕姫の肩を掴んで教室に押し込みながら入ってきた。
「やだぁ、夕姫。元気ないよ!おはよう!」
いかにも元気っ子といった感じのその子は夕姫に満面の笑みを投げかけてきた。
「お、おはよう。今日も元気ね。梨奈…。」
梨奈と呼ばれた女の子はそういわれるとにっこりと笑って夕姫にVサインをして自分の席についた。
風見梨奈は夕姫にとって学校で唯一の友達だった。
そのころにはもうクラスはざわついていて、すぐに担任が来たが、静かにはならなかった。
「じゃぁ、お願いねぇ。」
「そうそう、それと帰る前に大山公園に来てねぇ…。
来なかったら…わかってるよねぇ?」
夕姫は教室の後ろの戸の近くで三人の女生徒に囲まれて箒を持たされると睨まれたかえるのようにすくんで動けなくなった。
夕姫は一つ小さく頷くとそのまま下を向いてしまった。
それを見た女生徒達は目配せをするとすぐに教室から出て行った。
もう一日の授業時間が終って、皆が教室の掃除をするために部屋の机は後ろに運ばれていた。
そこに残っている数人はそれを見てみぬ振りをしてすでに掃除をはじめていた。
他の人は赤の他人だといわんばかりにさっさと帰るか部活に向かっていくなど、その場から離れたがった。
しばらく女生徒達の去っていった方向を見つめていると、その逆の方向から誰かが肩をつかんだ。
突然のことでびっくりして夕姫は一瞬跳び上がりそうになった。
「大丈夫?何か言われたの?」
それは梨奈だった。
心配した顔で夕姫を見ていた。
「…うん。大丈夫。…あ…掃除しなきゃ。先に帰ってて。」
夕姫はそそくさと掃除を始めると梨奈は不信がって、夕姫の腕を掴んだ。
「夕姫、先週も先々週も掃除していたじゃない…。」
その言葉を聞くや夕姫は梨奈を振り返って苦笑いをした。
「そうだっけ?あのね。阿部さん達用があるって言うから、代わってあげたの…。
先に帰って。お願い。」
夕姫のその笑顔が梨奈には痛くて仕方がなかった。
その言葉を聞いた梨奈は曇った表情のまま一生懸命掃除をしている夕姫の様子を見ながら教室をあとにした。
しかし、梨奈は夕姫の様子が気になって、校門のところで夕姫の掃除が終るのを待つことにした。
「遅いなぁ…。もう終っているよなぁ…。」
梨奈は校門のところでなかなか来ない夕姫を待って一人ごとをつぶやいた。
おそらくもう30分は待っていた。
梨奈は痺れを切らして、その場から走って教室に向かった。
―ガラガラ
「ねぇ、夕姫しらない?」
教室に入った梨奈は残って話をしていた男子生徒二人に開口一番にそれを言い放った。
「…時任?…時任ならとっくに帰ったよ。」
「え?!…校門、通らなかった…。」
梨奈は一気に不安に駆られた。
その様子を見た男子生徒二人は顔を見合わせて一人が何かを言いかけてそれを飲み込んだのを梨奈は見た。
「何?…何か知ってるの?」
男子生徒の一人が一つため息をつくとその重い口を開いた。
「風見、もう時任と付き合うの、止めた方がいいよ。
女ってマジこえーし…。
いつだったかあいつ、外で安部達にスナにされているのを見たぜ…。」
男子生徒は小声でそれを言うと身震いをして、立ち尽くす梨奈を横目に去っていった。
「夕姫…。」
梨奈は青ざめた顔で夕日の教室に立ちすくんで考え込んだ。
「正門から出なかったとしたら、北門…北門ってことは夕姫の家の方向じゃない…。」
梨奈はその考えをめぐらせて何かに気がつくとすぐに走り出して、廊下を全速力で走った。
偶然にもその途中で先生に見つかることはなかったが、梨奈はいけないことをしているようで少し罪悪感を感じた。
しかし、夕姫は何よりも大切な友達だった。
夕姫と梨奈は中学1年のときに知り合った友達だった。
夕姫はずっとその地域に住んでいたが、梨奈は親が転勤が多いので、それについて回っていたが、その地域に住み始めた中学一年のころから、父が転勤のあまりない課に配属になり、もう一年半ほど経つ。
その一年のころ転向してきたクラスで少し美人で、暗いので浮いている夕姫に出逢って興味を持って、話かけたのがきっかけだった。
夕姫の性格は非常に自分を追い込むものでネガティブだけど、他人にすごく優しくて、梨奈はその静かで暖かい心に魅かれて、一緒にいたいと思うようになった。
しかし、二年になったころから、夕姫はその暗くて嫌といえない性格のうえに美人であったせいか出る杭は打たれるといわんばかりに、安部という女生徒のグループに執拗にイジメられるようになった。
その様子を見ていたクラスメイトは見て見ぬふりをしていた。
梨奈はそれに割って入って軽く口で言い負かせて、夕姫を守っているつもりでいた。
しかし、夕姫はどうやら梨奈のいない場所で彼女達のストレス解消の被害者になっていたようだ。
梨奈は心臓が弾けないかというばかりに走って、その夕姫と安部といういやな女を捜して学校の北門を駆け抜けた。
「あんた、本当にむかつくねぇ!」
安部という女生徒はそういうと夕姫の腹を一発殴った。
女とは思えないほど、思いっきり豪快に殴った。
夕姫はその勢いに地面に膝をついて倒れた。
「うぅ…。」
その倒れた夕姫に他の女生徒がここぞとばかりに蹴りつけた。
「大体、あの女も気に食わないし…頭いいからっていい気になって…。
本当はただの偽善者なんじゃない?
一発殴ってみたら、泣いて謝るかもねぇ。
あはははは!」
安部は高笑いをした。
「やめて!」
「あ?」
そこにいた女生徒達が怪訝な顔で夕姫を見下ろした。
「梨奈ちゃんはそんな人じゃないんだから!」
夕姫は痛そうな顔のまま彼女達を見上げて睨んだ。
その顔を見た、彼女達は一瞬怯んだが、すぐに、夕姫の身体に襲い掛かった。
「あぁ!」
夕姫はされるがままで、体中に痛みが走っていく。
「あはは!あんたがそんな口聞くなんてね!
風見をやったときのあんたの悔しそうな顔が目に浮かぶよ!あはははは!」
安部はさらに高笑いをした。
「梨奈ちゃん…うぅ…梨奈ちゃんにはぁ!」
―ドカドカドカ!…ドフ!
「うわぁ!」
夕姫を蹴っていた一人がマヌケな声を上げて転んだ。
どうやら夕姫に足をとられて転んだらしい。
それを見ていたほかの女生徒はその一人を助けようとするので、夕姫は攻撃を受けなくなった。
夕姫はゆらりと立ち上がった。
まるでゾンビのように手をぶらんとさせていて、乱れた髪で表情が見えない。
「何すんだよ!?このぉ!?」
その転んだ一人が立ち上がると逆上して夕姫に飛び掛ってきた。
そしてそれは不意に起こった。