四十五話 社会不適合者
「もう止めて下さい!」
悲鳴を上げたカー子の瞳からは、再び涙が零れ落ちている。
「ならば、私の隷属魔法を受け入れなさい。さもなくば……」
レーカスが俺の腹に突き立てられたナイフに手を添えて見せる。
「分かりました。分かりましたから……もう……」
嗚呼、全く――精霊様の癖に、どこまで馬鹿なんだろうかコイツは――
俺を殺してしまえば人質としての価値が無くなってしまうという事くらい、少し考えれば分かるだろうに……
そしてきっと彼女は今、こう考えているのだろう。
既にキキーリアとゴーグレの住民は助かった。後は自分さえ犠牲になればタカシは助かり、レーカスに対しても贖罪が出来る――と。
仮にカー子がその身を犠牲にしたところで、レーカスの理論が、異世界転移魔法が確実に成功するとは限らない。
そうすればこの男はまた平気な顔をして、この世界の人々の命を、与えられた燃料を消費する程度の感覚で無益に奪っていくだろう。
その場合、再び邪魔になるであろう俺の事を生かしておくとは思えないし、そこに彼女が居なければ決して未来は救われない。
いや……結局のところ、そんな簡単な事に気付けない程彼女を追い詰めてしまった俺のほうこそ、正真正銘の馬鹿野郎なのかもしれない。
そんな事を考えながら、俺は目の前カー子を泣かせている人物を視界に捉える。
ただし……一番の馬鹿野郎はてめぇだ、レーカス――!
彼の理由を聞いてしまったから、どこか心の底で同情してしまったのかもしれない。
本当は心のどこかに良心が残っているのでは無いかと、期待してしまったのかもしれない。
計画を止めて野望さえ打ち砕けば、全て諦め許しを乞うて反省してくれるかも知れないと希望を抱いてしまったのかもしれない。
だからずっと使わないでいた――
最後の最後、カー子が全ての計画を打ち砕くその瞬間まで我慢していた――
だけど……彼は最後まで変わる事は無かった――
異世界に落ちたからとか、精霊が現れなかったからとか、そんな問題じゃあない――
コイツはもっとただ純粋に――どこまでも救いようの無い“社会不適合者”だったのだ――――
「なあ、レーカスさん……最後に、いいか……?」
死にぞこないの言葉に反応して、レーカスがこちらを向く。
「どうしたのですか? 急にあらたまり敬称までしてみせて……まさか命乞いのつもりですか? ああ、よろしいですよ? ただし命乞いでした私で無くそちらの精霊さんに対してお願いしますね。どうか僕の為にレーカスさんの奴隷になってください、と……そうすれば貴方も現実世界に連れていって差し上げるかもしれませんよ?」
目の前のレーカスの面が醜悪に歪む。
本当に、どこまでも救えない奴だな。やはりこんな奴に同情して、最後まで救えるのでは無いかと思っていた俺のほうが、一番の馬鹿野郎だったのかも知れない。
「ああ、違うんだよ……一応雇い主だったからな……社会人として最後くらい……ちゃんと、挨拶しないと……今日限りで、辞めさせてもらいます……例え帰れるとしても……お前と一緒になんて、死んでも御免だ……行くなら一人で地獄にでもいけよ……クソジジイ」
ここに来て予想外の退社宣言に加えて唐突の悪態。
負け犬の遠吠えと受け取ったのか、鼻で笑うレーカスだったのだが次の瞬間――
俺は最後の力を振り絞ると、自らの腹に刺さったナイフを抜き去って、レーカスの目ヘ向かって突き立てた。
「うぎゃあぁぁあああああああああ!!」
レーカスの絶叫が響き渡る。
「上等だ! 貴様のような社会不適合者、頼まれなくてもこちらからクビにしてやる! 覚悟しろ! 文字通り切り落として首にしてやるぞ……!」
次の瞬間、レーカスの表情が驚愕と恐怖に染まっていた。
「何だこれは、一体なんなのだこれはぁ!?」
今、彼の目の前には、巨大な針が無数に空中に浮いて今にも襲いかかろうとしていた。
「これが俺の加護……【誓約の魔眼】だよ……」
最早立ち上がる力も残されていない俺は、何とか上体だけ起こして地べたに座ったまま、眼鏡を外してレーカスを見据えた。
誓約の執行に伴い、瞳には金色の蛇が浮かび上がっているのを感じる。
「貴様……魔眼保持者だったのか……しかし【誓約の魔眼】……誓約など一体どこで? それに魔眼は能力を行使する際に瞳が変化する筈! 私が貴様のその眼を見たのは今が初めての筈だ!」
流石はレーカス商会、魔眼の情報も完璧だ。
レーカスの怒涛の捲し立てに、俺はポケットから使う事は無いと思っていた最後の秘密兵器を取り出して見せてやる。
「そ、それは……コンタクトレンズ……?」
「ああ……カラコンは、ご存知ないか? 一応二十年前には……存在して筈なんだが……」
俺の母親はハーフだ。そんな母の子である俺は、日本人のクォーターとしては本当に珍しいらしいが母親の瞳受け継いで青み掛かったグレーの眼をしていた。
当然それを理由に虐めを受ける事もあれば、大人になって就職活動の際に毎回聞かれるのも面倒だった為、俺の鞄の中にはいつもカラコンが常備されていた。
初めてカー子と森で出会った時に、彼女が気付かずに俺の【誓約の魔眼】に掛かってしまった理由というのも、種を明かしてみればどうという事はない。
あの日はたまたま就活中で、面接の帰り道だったから、面接用の黒のカラコンをつけっぱなしにしていたせいで、カー子は俺の瞳の色の変化に気付けなかったのだ。
こちらの世界に来てからは寧ろ黒い瞳の方が珍しかったせいで、たった一回しか使う機会には恵まれなかったのだが……
そしてレーカスも全く同じである。
あの夜キキーリアは、俺の自室から購入したばかり家庭用通信魔法具を使って、《魔力創造構築》と隠蔽魔法でキキーリアの姿に化けた俺がマフラーの下に隠していた超小型通信魔法具越しにレーカスと会話していたのだ。
マフラーで口元を隠していた俺は、キキーリアがレーカスの名前を呼んだタイミングから、打ち合わせ通りの約束を取り付ける言葉を、一言一句違わずにキキーリアの声の裏に隠して、小声でレーカスとの会話を成立させていたのだ。
レーカスが日常的に魔力適性を抑える抑制魔法具を着けていた事と、キキーリアの瞳の色が偶然にも珍しい黒色だった事が偶然重なり可能となった裏技。
実際に喋っている人間と、相手が喋っていると認識している人間を誤認させる、云わば詐欺の手口のようなものだ。
そして――
「覚えてないかい……? 『指切りげんまん……嘘ついたら、針千本のーます。指切った』ってな……」
カラコンを見せびらかしながら、レーカスの記憶を呼び起こしてやると、彼の恐怖に染まった顔は、更に絶望的ものへと変わっていく。
「そんな……それでは私は、あの時にはもう……初めから、敗北が決まっていたというのか……」
「本当は、最後には……更生してくれるって……信じたかったんだけどな……」
文字通り千本の巨大な針の群れは、レーカスに向けてゆっくりと、そして死刑宣告を言い渡すかの様に、徐々にその速度を上げながら向かっていく。
俺は涙を流すカー子、そしてキキーリアをもう一度見てレーカスに向き直った。
「なあ、レーカスさん……アンタ母親から習わなかったのか?」
絶望の底へと叩き落とされたレーカスは、迫り来る千本の針から逃げようともせずに俺へと手を伸ばしてくる。
「キッサマァアアッ! この……この”社会不適合者”がぁあああああッッ!!」
「男の子は女の子を守ってあげなくちゃいけないんだ。女の子を泣かす男は最低なんだぜ?」
レーカスの断末魔と共に、千本の針達は彼の体内へと飲み込まれていく。
悲鳴とも罵声とも分からぬ叫び声を上げながら、【誓約の魔眼】による秩序の執行は、無慈悲なまでに完璧に彼を裁ききる。
あとには貫かれ、引き裂かれたかつてレーカスだった物体が地面へと散乱するのみだった。
その凄惨な死に様もさる事ながら、俺の中で最も印象的だったのは彼の最後。
最後に俺に向かいながら見せた絶望の顔、あれはきっと己の死を悟り恐怖してのものじゃない。もう二度と家族に会えない事を、あの瞬間理解してしまった故の顔だったのだろう。
そんな事を考えながら仰向けに寝そべったまま空を見つめていると、俺の顔をひょっこりと覗き込む、涙に目を腫らした美少女の顔が二つ――
「その……生きていますか?」
「タカシさん……えっぐ……うぐっ……死なないでぇ……」
カー子と開放されたキキーリアが俺の元まで駆け寄ってきてくれた。
嗚呼、ちゃんと俺は救えたんだ、キキーリアとしたもう一つの約束、これで守れただろうか。
思えば俺もレーカスと全く同じリスクを背負って彼女と約束していたのだ。
あの凄惨な死に様を見てしまうと、正直同じ死に方だけはしたくないと死に方について考えさせられてしまうのだが、俺の顔に涙を落とす少女を見ていると、まだここで死ぬ訳にはいかないな、と強く生きる意志を持たされる。
しかし有ろう事か感極まったキキーリアが、俺の胸元へと覆いかぶさるように抱きついてきた。
「ごめ……キキー……リア……それ、本当に……死んじゃ……うっ……」
「きゃー! すみません……えっ……? タカシさん?」
「タカシ? タカシ!? 返事をしてください! タカシ――?」
こうして俺達の長く果てしなかった誕生日前夜は終りを迎えて――
――新しい朝がやってくるのだった――――




