三十五話 誕生日前夜
時はキキーリアの誕生日前日――俺は仕事上がりに単身、キキーリアの部屋まで遊びに寄っていた。
いよいよ誕生日を前日に迎えて、不安がっているだろうと思いカー子も誘ったのだが、用事があるので一人で行ってあげてください、と言われてしまった。薄情な奴である。
ノックをして部屋へ入ると、キキーリアが出迎えてくれた。
彼女は先日プレゼントしたマフラーを今も大事そうに、首に巻いていた。
「あれ……? カー子さんは……?」
「ああ、あいつなら用事があるから一人で行けって言い残して行っちまったよ。薄情なやつだろ?」
「ふふっ……ありがとうございます……」
カー子の文句を言っただけなのだが、何故かお礼を言われてしまった。
それはさておき、部屋に入ると俺は勧められるままに椅子へと座ってキキーリアと向かい合う。
「いよいよ明日だが、怖くないか?」
何を馬鹿な質問をしているのだろうか。怖くないわけが無いのだ。
しかしキキーリアは再度ふふっと笑うと俺の目を見つめて言った。
「大丈夫ですよ。私には……凄い魔法使いさんがついていますから」
その真剣な目線と表情に、俺は顔が熱くなってしまっている事を自覚してしまい、ブンブンと左右に首を振ってみせる。
イカン、イカン……不覚にも見入ってしまった。確かにキキーリアは美少女だが、まだ十四歳になろうという女の子なのだ。俺とは一回り近く年の差がある。
俺は断じてロリコンでは無い、彼女は妹。そう頭の中で復唱して雑念を消し去ると、再びキキーリアと向かい合う。
よく見れば、笑いながら俺を信じると言ってくれた彼女の手は微かに震えていた。
俺はその手を取ると、彼女を引き寄せた。
「タ、タカシさん……!?」
「大丈夫、約束は必ず守るから……必ず……」
「は、はい……」
ふと背後からガチャリと音が鳴った。キキーリアの部屋の扉が開かれる音だ。
「タカシ……貴方……」
聞き覚えのある声に振り向いてみれば、そこにはこめかみに青筋を浮かべたカー子が、仁王の形相で立っていた。
「カ、カー子……? お前なんで? 用事があるんじゃ?」
「気を利かせて暫く時間を空けて来てみれば……一体何をしているのですか」
俺はカー子に指摘されて改めて部屋の中を見渡す。
ここはキキーリアの部屋。
二人きりの空間で椅子から立ち上がった俺。
俺に引き寄せられて胸の中でテンパっているキキーリア
あ、これアカン奴や……
先日の泣きながらの感動シーンとは違い、シラフの状態で俺に抱き寄せられて、完全に泡を食っているキキーリア。
今もカー子が現れたと言うのに、俺の胸元から離れようとせずにぐるぐると目を回している。
「それで? タカシ……何か言い残す事は?」
「ちょ、チョット待ってくれ。キキーリア、そうだキキーリア。カー子に説明してやってくれ」
俺は慌ててキキーリアに助け舟を求める。しかし俺は忘れていた。キキーリアは今、完全にテンパっているという事を。
「は、はい。その……や、優しく……優しくして下さいッ!」
キキーリアの誤爆にも程がある発言によって部屋の空気が硬直する。
俺は背後から迫る気配――そう、あの時親研究施設で感じた殺気と同等の圧迫感を感じて、咄嗟にキキーリアを離して振り返る。
そして殺気は、暴力という名の形を伴ってすぐ目の前まで迫っていた。
「成敗ッ――!!」
「たわば!!」
◇
「それじゃあキキーリアちゃん。おやすみなさいね。また明日」
「は、はい……おやすみなさい、カー子さん……その……タカシさんも……」
「ふ、ふぁい……おやずみ……なざい……」
顔を腫らしたタカシさんが、カー子さんに引きずられて部屋を出ていく。
あの二人の一体どういう関係なのでしょうか。カー子さんの正体が精霊様だと聞いた後日、一緒にいるタカシさんは騎士様か賢者様なのかと聞いてみたのですが、タカシさんは笑いながらそれは無いと否定していました。
それでは恋人なのでしょうかとも聞いてみましたが、タカシさんは笑いながら、カー子さんは怒りながら否定していました。
タカシさんは本当に何とも思っていなそうだったけど、カー子さんは本当のところどうなのでしょうか。
もしかしたらカー子さんは私のライバルなのかも知れません。そしてタカシさんは――
先程タカシさんの胸に抱き寄せられた事を思い出すと、思わず赤面してしまいます。
タカシさん、急に抱き寄せるものだから……私もビックリして変な事口走っちゃいました。
ベッドの上に転がりながら足をバタバタと弾ませていると、ふと、先程までタカシさんが座っていた椅子の隣、机の上に見慣れない物が置かれている事に気が付きました。
私はベッドから起き上がり机の元まで向かうと、どうやらそれはお財布のようでした。
「タカシさんの……忘れ物、でしょうか……」
申し訳ないと思いながらも中身を確認してみると、タカシさんの冒険者カードまで入っていました。
カードにはCランク冒険者、タカシ=ナイトウと書かれているので、やはりこの財布はタカシさんの物で間違いないようです。
冒険者カードは身分証明証の変わりにもなる、とても大切な物だと聞いています。
これはタカシさんの部屋まで届けるべきでしょうか。
それとも、もう夜も遅いですし、迷惑になってもいけないので、明日改めて手渡せば大丈夫でしょうか。
そんな事を考えていると、部屋の扉がコンコンとノックされました。
タカシさんが気付いて取りに来てくれたんだ。
そう思い、私は一度お財布を机の上に置くと、慌てて扉を開きに駆け寄りました。
「こんばんは……タカシさ――――」
◇
「あれ? 財布が無い!?」
カー子に引きずられてキキーリアの部屋を出た後、仕事上がりという事もあって俺達は風呂と食事を済ませて俺の部屋へと集合していた。
そこで気が付いたのだが、俺の財布が見当たらないのだ。
「しまったなぁ。キキーリアの部屋に忘れて来たか」
「何をやっているのですか。検査の日は明日に差し迫っているのですよ?」
俺をタコ殴りにして引きずって出てきた奴が何を言うんだ、などとはとてもじゃないが言えないのだが、そう、カー子の言う通り、明日全てが明らかになるのだ。
明日、俺達は検査にやってきた偽魔法医の一団を締め上げて企みを白状させる。
そして、そのまま偽魔法医の一団に、例の地下研究施設を案内させて確固たる証拠を得て、レーカスさんとレーカス商会の企みを白日の元に晒す予定だ。
単に地下研究施設を強襲したのでは、確実に証拠を得られずに逃走、もしくは証拠の隠滅を図られる可能性がある。
その場合最悪犯罪者は俺達の方になってしまう。そうすれば全てが水の泡だ。
明日、一団が確実にこの屋敷に現れるタイミングで彼等を確保して、証人と証拠を迅速かつ同時に確保するのが俺達の作戦だ。
「万全の状態で明日を迎える為にも、キキーリアちゃんの部屋に取りに行ってきたらいいのでないですか?」
「いいのか? 俺一人で行っても」
つい先程、背後からカー子が現れて殴られた記憶が蘇る。
「直ぐに戻ってくれば問題ありません! ついでにさっきの事も謝ってくればいいでしょう」
「だからあれは誤解だって……」
そこまで言ったところで、カー子に思いっきり睨まれる。
御託はいいからさっさと行け、という事だろう。
はいはい、と手を振りながら、俺は一人部屋を出るのだった。
コンコン――ノックをしてみたのだが、中から返事は無い。
まだ日付が変わる前とはいえ、キキーリアはまだ子供だ。もしかしたらもう寝てしまったのだろうかと思いながらも、ゆっくりとドアノブを回してみる。
カチャリ――と、ゆっくりと扉の開く音がした。
キキーリアは寝る前には、必ず部屋の鍵を閉めて寝る習慣がついていた筈だ。
俺は不審に思い、そっと部屋の扉を空けて中の様子を伺いながら彼女の名前を呼んだ。
「おーいキキーリア? 居ないのか?」
そこには、部屋の主の姿は見る影も無く、灯りが点けられたまま放置された物言わぬ部屋の中で、机の上にポツンと置かれた財布だけが寂しく自己主張をしているだけだった。




