誇りーアメリカに住む日本人として
日本は今、平和な国だ。戦争中の国もある中で、経済は安定しているし、食料も豊富である。毎日爆弾に怯えて生活する、なんてもってのほかだ。しかし、そんな日本にも残酷な時代があった。過去から目をそらしていたら、今を理解することはできない。本当の意味での「日本人」として、世界を見つめたいと思う。
1941年、12月17日。この日、今の日本の姿を決めたと言っても過言ではない出来事が起きた。
真珠湾攻撃。それは、日本がアメリカの真珠湾を奇襲攻撃した出来事である。この攻撃によって太平洋戦争、第二次世界大戦と、次々に新たな戦争が始まる。そして結果的に日本はアメリカに降伏し、平和主義の国となる。それまでの日本は、他国を敵と見なし、次々と攻撃していた。当時の日本にとって、アメリカは大きな敵であった。そしてアメリカにとっても、日本は敵だった。そのため、真珠湾攻撃を受けたアメリカのルーズベルト大統領は、アメリカに住んでいる日本人を追い出すという行動に出た。十二万人の日本人は、1942年から1944年6月までに10ヶ所の収容所に移動させられた。全ての収容所は人里離れた内陸部。そしてその多くは砂漠地帯に設けられていたという。そのため食料は乏しく、衛生管理も不十分であった。そんな生活環境の中で、高齢者をはじめとする多くの人々が亡くなっていったという。
なぜ、アメリカに住んでいる日本人が収容所に入れられなければならなかったのか。私は、その問題についてJSCL(日系人市民連盟)の方に教えて頂いた。彼らは、「人種差別」が原因だと言った。理由は「日本人だから」。ただそれだけだった。
現在、アメリカには様々な人種の人々が住んでいる。そして、全ての人々が平等に扱われるような社会ができている。しかし、差別がない社会かと言われれば、そうとは言えないと思う。私たちも「人種」が違うという、ただそれだけの理由で差別されてしまうかもしれない。今も差別されている人がいるかもしれない。
これはアメリカだけでなく、日本や他の国にも同じことが言えると思った。この世界から差別をなくすことは簡単なことではない。過去にあった国同士の争いや思い込み、自分とは違う人だ、といった考えが差別の原因なのかもしれない。
私は、自分とは違うからこそ認め合えるのではないかと思う。例えば、私の学校のクラスには、メキシコ、中国、ベトナム、ブラジル、韓国、ベネズエラなど、いろいろな国から来た友達がいる。私は、彼らの話を聞くことが好きだ。新年は二月に始まること、国歌が五分間もあってそれを毎朝歌っていたこと、日本語と韓国語で共通の言葉があること、朝ごはんはいつも屋台で食べていたこと、庭でバナナを育てていること。皆、国ごとに違う色々な文化や習慣を持っている。こんなバラバラな生活を送っていた私たちが、それぞれを認め合い、このアメリカで一緒に学んでいる。彼らの話を聞いたことで、私の世界は一気に広がった。異なるものを持っているからこそ、分かち合えるのだ。
当時の人々は分かち合おうとしなかった。そして、自国が一番優れていると思い、他国を認めようとしなかった。だから、真珠湾攻撃や第二次世界大戦が起こってしまったのだと思う。自国を最優先するのは仕方のない事だったのかもしれない。でも、攻撃し奪い合うよりも、分け合い分かち合うことがどんなに良いことか今は皆知っているはずだ。
過去に起こってしまったことはもう変えられない。しかし、これからの未来を変えることは出来る。日本が平和主義になったことで、今の私たちの生活は当時と比べて確かに変わっている。未来を変えられるのはその時代を生きている人達だけだ。
例え言葉が通じなくても、文化が違っても、時差があっても、分かち合うことや伝えられることは必ずある。今の私たちに出来ることは小さいことかもしれない。でも、アメリカに住んでいる日本人として胸を張っていられるようになりたいと思う。
生意気なことを、と思う方もおられたかもしれません。けれど、意見を発することは、この世界の現状にとって何よりも大事なのではないでしょうか。過去から目をそらし、自分たちに都合の悪いことからも目をそらす。綺麗事を褒めたたえ、良いニュースばかりを報道する。大変なこと、面倒なこと、残酷なことを避けるのは簡単です。私も今までそうしてきました。日本の過去の行いや、戦争の事など、作り話のように感じながら歴史を学んできました。しかし、本当にそれでいいのでしょうか。歴史は、作り話ではなく、現実であり、過去なのです。その過去があったからこそ、私たちは今生きているのです。その過去の中で、人々が未来に懸けた想いを消してはなりません。これからの未来を変えられるのは、今を生きる私たちだけなのですから。