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その1

 幼い頃から、私――逢坂(おうさか)(こずえ)は、なぜか猫に好かれていた。

 親曰く、ことの発端は、2歳になった私の遅めの公園デビューだとか。



 ある日、砂場で遊んでいた私の傍に、一匹の野良の黒猫がやってきた。

 私が猫を怖がる様子がなかったので、一緒にいた母親は少し離れた場所で様子を見守っていたらしい。

 すると、その黒い猫は、私に体を擦り付けながら、仰向けになってゴロゴロにゃーにゃー言いだし――その声を聞きつけた近所の野良猫たちが一斉に公園に現れて、私の傍へと群がったそうだ。

 それは、異様な光景だったとか。

 怖くなった母親は、私を抱き上げてすぐに公園を後にした。


 猫を引き寄せる性質が治らないままに、私はすくすくと成長した。

 その後も、外に出るたびに猫に付きまとわれている。

 犬とは違い、猫は町中を自由に徘徊しているので、日常生活の中で避けることが難しいのだ。

 何もしていないのに、近所の人に「猫に餌をやるな」と怒られたこともある。

 猫が勝手に寄ってくるだけなのに……非常に理不尽だ。


 ――そして、高校生になって彼氏ができた私は……

 デート先でも、相変わらず猫に付き纏われて困っている。


「うわぁ、キモい! なんだよ、その大量の猫。お前、猫に呪われてるんじゃねえの?」


 隣で、顔をしかめている大柄な男性は、私の彼氏だ。

 彼は私よりも三つ年上の大学生なのだが、ちょっと俺様気味な性格である。

 この日は、二人で山に夜景を見に来ていた。

 私の彼氏はデートに金をかけない主義で、彼氏が運転してくれる代わりに、私はガソリン代と食べ物や飲み物代を全額払う。ちなみに、車は彼氏が友人から借りたものだった。

 でも、生まれて初めてできた彼氏だし、私はそんな彼に惚れている。

 ごくたまにだけど、とても優しい時もあるのだ。


 誰もいない静かな山からは、街が宝石の欠片ようにキラキラと輝いて見えた。

 普通なら、とてもロマンチックな雰囲気になるけれど……


『にゃー、にゃー』


 私の足元に群がる猫たちが、それを台無しにする。

 やはり、山はまずかったようだ。

 そんな様子を目の当たりにした彼氏は、急激に不機嫌になった。


「キモイな。オラ、クソ猫、どけよ!」


 彼氏が、私にまとわりついた猫のうちの一匹を蹴り上げた。


『にぎゃっ!』


 蹴られた猫は、一メートルほど吹っ飛ばされ、背中から地面に着地する。

 すぐにささっと立ち上がり、逃げていったところを見ると怪我はなさそうだ――よかった。


「ちょっと、いくらなんでも、蹴るのはかわいそうだよ!」

「うるせーな。お前、俺に意見するのか? 俺は、猫に囲まれて困っていたお前を助けてやったのに?」


 私の言葉に、彼氏の目がきつく吊り上がる。

 やばい、私は彼の怒りスイッチを押してしまったようだ!

 彼氏は怒りの沸点が低く、ちょっとしたことでも、すぐに機嫌を損ねてしまうのである。


「……ご、ごめんなさい!」

「黙れよ。ここに連れて来てやった恩を忘れて、生意気なこと言いやがって……何様のつもりだ?」


 そう言うと、彼氏は一人で車に向かってズンズンと突き進む。


「ま、待って。さっきは、私が悪かったから。ごめんなさい!」


 私は謝りながら彼氏を追うが、彼氏は一度もこちらを振り返らなかった。私を待たずに無言で車に乗り込み、ドアを閉める。


「待って……」


 しかし、私が車に追いつく間もなく、エンジンがかかった。

 急いで車のドアを開けようとするが、固くロックされていて開くことができない。


「ごめんなさい! お願いだから開けて!」


 ドアにすがりつく私を無視して、ゆっくりと車が発車する。


「ねえ、嘘でしょう? 冗談だよね?」


 謝ればきっと許してくれる……

 そんな私の判断は甘かったようだ。

 車は私を振り切るように、徐々にスピードを上げていった。

 私も必死に走って車に追いすがるが、人間の足では限界がある。

 車は、私を山の中に残したまま、街の方角へと去っていった。


「……冗談、だと言って?」


 そうだ。彼氏はきっと、私がまだ反省していないと思っているんだ。

 これは、彼なりのお仕置きで、しばらくしたら迎えに来てくれるはずである。

 けれど、何もない真っ暗な山道に一人で残されるのは辛かった。

 周囲は闇に包まれており、街灯もなく、月明かりだけが頼りだ。


「熊や猪が出たらどうしよう……変態が出たらどうしよう」


 私は、彼氏に置き去りにされた場所にしゃがみこんだ。

 他に道を通る車は一台もない。

 この場所は、山道の中でも比較的ひらけた場所にあるが、こんな状況下では眼下で美しく煌めく夜景も恨めしく思えた。

 鞄からスマホを取り出して彼氏に連絡しようとしたが、電波がないらしくメールも電話もできない。


『にゃあ!』


 困った私がしゃがんだままでいると、ふと足元に暖かいものが触れた。


『にゃあ、にゃあ!』


 驚いてそちらを見ると、私の周囲をたくさんの猫が取り囲んでいる。

 猫たちは、先ほどいた場所から私を追いかけてきたらしい。その数、全部で二十匹ほどだ。

 私は、近くにいた縞模様の猫の背中をゆっくりと撫でる。

 この子は、さっき彼氏に蹴られていた子だ……怪我をしていないみたいで本当に良かった。

 縞模様の猫を膝に抱きあげた私は、その子を優しく抱きしめた。


『にゃー!』


 途端に、他の猫たちが我先にと私の腕の中へと潜り込む。

 あまりの猫の数の多さに、私は後ろ向きにひっくり返ってしまい――転んだはずみで、近くにあったガードレールに頭をぶつけてしまった。

 まったく、なんてツイていない日なんだ!

 暗澹たる気持ちで、私は星空を眺める――今が冬ではなくてよかった……

 冬にこんな場所に置き去りにされたら、寒さで凍え死んでしまいそうだ。


「いつまでも、じっとしていたらダメだよね」


 ヒリヒリ痛む頭をさすりながら、ゆっくりと起き上がると、私は真っ暗な下り坂を睨む。

 ここを降りれば、山の麓に出るはずなので、そこで誰かに声をかけて助けてもらおう……途中で彼氏に出会えるかもしれないし。

 懐中電灯もないし暗闇は怖いが、こんな場所でじっと夜を過ごすのも耐えられない。

 私は、真っ暗な山を車道に沿って歩き始める。

 明日は日曜日で学校の心配はなく、母親は遠方へ旅行に出ていた。ちなみに、父は母と離婚して別居中だ。


『にゃー、にゃー』


 歩き出す私の後ろから、猫たちもゾロゾロとついてきた。


「一人になるよりは、心強いかも」


 猫を引き連れて、先ほどよりもさらに真っ暗な道を進む。

 夜道でも比較的見えやすい真っ白なガードレールと白線だけが頼りだった。

 他に道標はない。

 永遠とも思える暗闇を歩き続けた私の足取りは、だんだんと重くなっていく。

 スマホを見ると、すでに夜の三時だった。

 麓に着く頃には、きっと朝日が昇っているだろう。


「はぁ、足が痛い」


 久しぶりの外デートだと張り切った私は、気合を入れて買ったばかりのピンヒールの靴を履いてきてしまったのだ。

 ヒールの高い靴を履くのは足が痛いが、かといって裸足で歩くのも痛い。

 ここの山道はあまり舗装がされていないのか、アスファルトがデコボコに崩れていた。

 表面の滑らかさが失われ、鋭い小石がむき出しになっている。


『ぶにゃあう!』


 不意に、一匹の猫が私を励ますような鳴き声をあげた。


「そうだよね、こんな場所でじっとしてなんかいられないね」


 誰も、私を助けになんか来てくれないのだ。

 物語の中のように、都合良く正義の味方や王子様が現れるなんてありえない。

 残りの力を振り絞って、私は足を前へ前へと運ぶ。

 麓に近づくにつれ、猫は一匹また一匹と山の中へ姿を消していった。

 まるで、自分の役目は終わったとでも言うように。


 この日、約五時間かけて私は夜の山を下りきった。

 近くにある駐車場を見回したが、彼氏の車はない。

 彼は、私を置いて先に家へ帰ってしまったようだった。

 徐々に明るくなっていく空を見上げながら、私は山の麓の道路を歩く。

 ここから家までは、車で三十分ほどかかるのだが……人の気配はない。

 駅もなく、タクシーやバスも見当たらない。

 一度、通りかかったトラックを止めようと手を振ったが、無視された。

 それ以来、車も通らない。


 山道でずっと張り詰めていた気持ちが折れ、私はその場に崩れ落ちた。

 アスファルトの道路や、古びた看板、コンクリートで出来た無人の建物。

 人工物がたくさんあるのに、人が一人もいない。


「疲れた、眠い」


 再び立ち上がり、とぼとぼと歩く私の前に、朽ちたバス停が見えた。

 ボロボロの屋根の下に、劣化したプラスチック製のベンチがある。

 水色に塗られていたであろうそれは、雨風にさらされて、塗料が白く剥げていた。


「バス、乗ろう……」


 まだ、スマホの電波は立たないので、とにかく人のいそうな場所へ行こうと思う。

 そこでタクシーを呼べば、なんとかなるはずだ。

 バスの時刻表を見ると、朝一番のバスが来るまで三時間以上もかかる。

 しかし、私の足はもう限界だった。皮がズルズルに剥けてしまって、血が出ている。

 私はベンチに腰掛けてハイヒールを脱いだ。

 途端に、猛烈な睡魔が襲ってくる。


「夜通し歩いたものね。少しだったら、大丈夫だよね」


 鞄をお腹に抱えた私は、ベンチに座ったままそっと目を閉じた。



 なんだろう、あったかい。日が昇りきったのかなあ……

 バス停で眠った私は、なぜか自分の体が優しいぬくもりに包まれている夢を見ていた。

 霧が晴れるように、昨夜の嫌な記憶が薄れていく。


「ん……?」


 ゆっくりと意識が覚醒していき――私は、穏やかな気持ちで目を覚ました。

 しかし、起きると同時に、自分の体に奇妙な違和感を感じる――体の左側がやけに重い。

 不思議に思って、そちらを見た私は、喉から出かかった悲鳴をかろうじて飲み込んだ。


「だ、誰……!?」


 そこには、見知らぬ黒髪の男の人が座っていて……彼は、私に凭れかかるようにして眠っていた。

 瞼を閉じてはいるが、その顔はとても整っている。

 歳は、少し上くらいだろうか?


「むにゃ、やっぱり……いい匂い」


 男の人は、平和そうに眠りながら時おり寝言を口にしている。


「そうだ! バス!」


 こんなことをしている場合ではない。

 バスが既に出てしまっていたら大変なので、私は慌てて携帯の時計表示に目をやった。

 予定では、三時間後に来るはずのバスだが、寝ている間に通過してしまったなんてことは……


「ああっ! そんなっ……!!」


 恐れていた通り、バスは十分も前に出発してしまっていた……

 次のバスが来るのは、三時間後である。


「こんなことなら、アラームをセットしておくんだった」


 どうやら、私は、思った以上に疲れきっていたようだ。

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