3、目覚めと告白と
3、目覚めと告白と
私の「黒の魔王」としての最後の記憶は、青い空の下で白の騎士に殺される場面だった。
そして「森の魔女」としての最初の記憶は、暗い闇の中から始まった。
――目を開けて、まず見えたのは薄い闇だった。
だが、目が慣れてくると、うっすらと自分の見ているものの形がわかってくる。
最初はすぐにわからなかったが、それが小屋組である事になんとか理解が辿りついた。
木造の家屋は、天井を作らない事がある。その時、屋根を内側から見ると、それを支えている小屋組が見えるのだ。
幼少の頃、まだ王宮に召される前に住んでいた家が同じ造りだった。
暗いという事は、恐らく夜なのだろう。もやがかかったようにハッキリしない脳で、そんな事を思考する。
体に力を入れて起き上がろうとしたら、上手くいかなかった。なにやら全身がひどく重い。
首だけならば何とか動かせたので、周りを見てみると、自分はどうやら寝床に寝かされているらしい。
暗いので確かではないが、少なくとも見知った家ではない。辺りに人の気配はなかったが、なんとなくこの家が誰にも使われていないという事はなさそうだった。
その根拠は恐らく「匂い」だろう。兄王子に命を狙われていた頃、打ち捨てられた家屋に身を潜めたことがある。手入れのされていない家屋からは、埃っぽい臭いと底冷えするような寒々しさを感じた。
だが、ここからは食べ物の匂いや、花の香りなどをかすかに嗅ぎ取れる。別に嗅覚が特別に優れているわけではないはずだったが、今はそれをハッキリと感じられた。
そして、昔の記憶が頭をよぎったとき、それに引っ張られるように脳が覚醒していくのを感じた。今までの記憶が蘇っていく。
幼少の頃に過ごした母と妹との思い出。
まだ小さかった頃、初めてシロ――今の白の騎士と出会った時の事。
私とシロと妹の三人で遊んだ記憶。
王家の人間が現れて、それら全ての日常から引き離された事。
後継者として召された王宮の中、様々な思惑で近づいてくる王侯貴族たち。
彼らの手にかかって命を落とした母と、病を背負ってしまった妹。
私のために剣を磨いて近衛騎士に任じられたシロとの再会。
そして、あの「黒の魔女」との出会い……。
濁流のように押し寄せる記憶の中、私の人生を変えた魔女の顔が、はっきりと蘇る。
銀色の髪に赤い瞳、その目はいつも遠いどこかを見ているようだった。だが、今のその目はハッキリとこちらを見ている。
「目が覚めたか」
いつの間にか、私の顔を覗き込むような姿勢で、黒の魔女が傍らに座り込んでいた。
部屋の中も明るくなっている。どうやら少しの間、眠ってしまっていたようだ。
「……ぁ……っ……」
何かを言おうとしたが、声が出なかった。舌がうまく動かせない。
「声が出ないのか?」
そう言って彼女は私の唇に指を当てて、そっと口を開かせる。
「口内に異常はないが、少し乾いているな」
彼女は傍らにおいてあった水差しの中身を口に含むと、その口を突然こちらへと近づけてきた。
「……っ!?」
あまりにも自然な動作で行われたその行為に、私はただ驚くことしかできなかった。
重ねられた唇の感触と、そこから流し込まれる冷たい水の心地よさに、一瞬芽生えかけた抵抗の気力を奪われる。
だが、そこから更に口内へ侵入してきた異物には、さすがに反射で反応してしまった。
「っ!」
咄嗟に黒の魔女の体を手で突き飛ばす。
彼女は驚いたような目でこちらを見ている。その口から垂れる透明な糸が、艶かしく光っていた。
おかしい。彼女はこんな事をするような人間じゃない。それは私が一番知っている。
体を起こすと、すんなりと起き上がることができた。記憶が蘇っている間に、体の調子も戻ったようだった。
「黒の魔女よ! いきなり何を、するっ……ん……だ……?」
自分の口から問いかけの声が出た。驚きで上ずっていて、平時の自分の声とは似ても似つかない声が出たので、言葉も勢いを失ってしまった。
いや、違う。一瞬はそう思ったが、この声は、根本的な部分で自分の声とは違っている。この声は。
「女の声、だと……?」
高く通る自分の声が、その声で発した言葉に明確な答えを返していた。
(って事は、まさか……)
自分の視線を下へとずらす。
簡素なシーツに包まれた細い足、シンプルな寝巻きに包まれている見覚えのない二つのふくらみ。無意識で、その大きすぎず、小さすぎないふくらみに手を伸ばした。
柔らかな感触が触れた手に、手の触れた感触が胸に、それぞれ伝えられる。
(!?)
「いきなり人を突き飛ばしたかと思えば、自分の体をまさぐって……お前は何がしたいんだ?」
呆れたような声でそう言いながら、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら、黒の魔女がこちらへ近寄ってくる。
その様子は、まるで肉食の獣がエモノを前にして舌なめずりしているようで、こちらの危機感を大いに煽ってくる。
「待て。待ってくれ。状況の把握をさせてくれないか」
黒の魔女は、女性として非常に魅力的だった。だが、彼女についての浮いた話は聞いた事がなく、また私に対しても最初にハッキリと宣言していたのだ。
『私とお前は協力関係にしかなり得ない。それ以上にも、それ以下にも、決してなりはしない。くれぐれも無駄な期待はするな』
そう言っていた彼女が、こんな態度を取るはずがない。誰かに操られているのか、それとも何かの理由で演技をしているのか。
「お前とも長い付き合いだ。何を考えているのかは大体分かるから言うが、どれもハズレだ」
いつも通りの尊大な口調で私の考えを読み、ばっさりと否定する。そんな口調だが、潤んだ目と光る唇の艶かしさで、とてつもない色気を放っている。
「簡単な答えを教えてやろう」
知らずに後ずさっていた私の体が、壁にぶつかって止まる。右も壁だ。左には、彼女が立ちはだかっている。
「私は、女が好きなのだ」
彼女はそう言って、私に襲いかかった。