2、森の魔女はかく語りき
2、森の魔女はかく語りき
今日も私ーー森の魔女は語る。
「これは今から三年前の話だ」
話に耳を傾けているのは、私の住む森の近くに住んでいる村人たちだ。
森に迷い込んだ子供を助けた時、言い聞かせてやった話が彼らに伝わり、こうして定期的に話をするようになったのだ。
森の中の開けた場所に、20人くらいの人々が集まって、私の方を見ている。
「この世界は一人の男によって支配されていた」
両手で大きな円を描いて世界を表現する。こんな風に身振りや手振りを加えて話をするのは、できるだけ子供を飽きさせないようにするためだ。
「男は自らを黒の魔王と名乗り、当時の黒の国に存在していた国王や王族、それらに近しかった貴族たちを皆殺しにして、圧政に苦しんでいた黒の国の民たちの英雄として崇められ、王に即位した。
……だが、その大粛清の後、黒の魔王はその名の通り、魔に落ちた」
私の声がかすかに揺れる。ここからの話を語るのは、私に取ってあまり良い気分ではなかった。
「黒の国を手中に収めた魔王は、他の国々へ向けて使者を送った。その使者がもたらした内容は、黒の国に属するか、はたまた敵となるか、という選択を迫るものだった。
王侯貴族の大粛清を行った直後、まだ国の基盤も整わぬうちに諸外国へ強硬な姿勢を見せた黒の国は、瞬く間に他国を敵に回した。
そして……隣国であった赤の国が、黒の国の領土へと踏み入った」
当時、赤の国と黒の国は停戦状態だった。黒の国の宣戦布告とも取れる動きを、赤の国が見逃すはずもなかった。
「黒の国の暴挙という免罪符を手にした赤の国は、密に国境へ召集していた戦力を進軍させた。赤の国は元より、王の首がすげ変わった直後のこの好機を逃すつもりがなかったのだ」
最近になって使うようになった話を説明をするために使うボードと、そこに張り出した当時の黒の国の周辺地図を使って、私は赤の国の進軍ルートを指で示す。
「赤の軍の数はおよそ二千。それに対して出てきた黒の軍勢はおよそ三百だったと言われている。明らかに数で優っていた赤の軍は、勝利を確信した。だが、この侵攻は失敗に終わる。それも誰一人として兵が帰らないという凄惨な結果だった」
話を聞いている何人かが息を飲む。戦争などとは縁遠い彼らにも、その結果は驚くべきものだったのだろう。だが、本当に恐ろしいのはそこではない。
「誰一人として……そう、黒の軍も、誰一人として生き残りはいなかったのだ。故にこの戦いは<虚無の戦役>と呼ばれる事となる。全てを無にした戦いだ。
だが、黒の王だけは何が起こったのかを知っていた。魔道に落ちた彼の王は、その身に超常の力を宿していた。彼が兵たちに死ぬまで戦えと命じれば、彼らは死ぬまで戦い続けたし、必ず敵を殺せと命じれば、必ず敵を殺した。至り得ぬ結果さえも引き寄せる、絶対的な命令の力を黒の魔王は持っていた。
故に、兵たちは必ず自分が死ぬまで戦い、必ず敵を殺したのだ」
誰かが短い悲鳴を上げた。動く亡者のように敵兵へと向かっていく存在を想像してしまったのかもしれない。
私は自分の声がやや熱を帯びている事に気が付き、少し気を緩めた。
(それに……これではまるで、実際にそれを目の当たりにしてきたかのようじゃないか)
「と、まあ、そんなひどい王様がいた、という事さ」
私はかぶっていたフードをめくり、自分の顔を露にする。恐ろしげに話をするのはここまで、という合図だ。
フードに収めていた銀色の長い髪を背中に流し、気分を改める。
村人の中には、私の顔を初めて見た人もいたらしく、そういう人たちは物珍しそうに私を見ていた。
銀髪に紅目、魔女として生まれた者の特徴は、あまり見かけられるものでもない。だが、何度か見ているはずの者も、じろじろと私を見ている。その目に宿っている熱に、少しだけ戸惑いを覚えたが、さすがに慣れてきた。
私は村人達を改めて見回して、語りを再開する。
「黒の魔王は、その力と兵士を使って、他国を次々に侵略していった。服従を選んだ国は無事だったけれど、反抗した国はほとんどが滅んでしまった。そして最終的には、この世界全ての国が、黒の国、いや、黒の魔王のものになってしまった。
当初、ほとんどの国は立場を決めかねていたが、赤の国を筆頭に、次々と国が滅ぼされるのを見て、多くの国が服従する道を選んだ。
「……そうして世界を支配した黒の魔王だったが、当たり前の事として、全人類から恨まれ、憎しみを受けた。
敵は殺すし、味方も使い潰す。そんな存在が許されるわけがない。そんな時、黒の魔王の腹心だった黒の騎士が王を裏切った」
黒の騎士の名前が出てきて、村人たちの何人かが表情を変えた。その顔には憧れの色が濃く表れている。その様子を見て私は笑みを浮かべる。
「そうだ。君たちもよく知っている白の騎士の誕生だ。黒の騎士は魔王の呪いを打ち破り、白の国へと辿りつく。そこに奉じられていた伝説の白き鎧と聖剣を持って、魔王の討伐へ向かった」
黒の魔王の話は知らずとも、白の騎士の話は知っている。そんな人間は意外と多く、目を輝かせている彼らもそうだったのだろう。
(少し情けない姿を見せていたが、ちゃんと英雄視されてるじゃないか)
私は彼らの様子に少しだけ誇らしい気持ちになりつつ、話を続ける。
「そうして白の騎士が黒の魔王を倒して、世界に平和が訪れた。黒の国は名前を灰の国に変えて、白の国の庇護下で復興の道を歩んでいる。
その復興に尽力しているのは白の騎士と、黒の魔王の妹である黒の王女だ。二人は黒の魔王の呪縛に打ち勝ち、彼の王に反旗を翻した勇者として、今も懸命に復興の旗印として働いていますとさ、めでたし、めでたし」
最後にそう言って、私は話を締めくくった。