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エメラルド・タブレット  作者: 小春日和
20/20

〜ラナセスのモルモット〜

 声が、聞こえる。


 苛烈に……激しく……寂しげに……頼りなげに……


 泣いている、声────


 あれ、は……




*****




 氷の様に冷えきった、冷たい風が身体に吹き付けた。寒さに身を震わせ、空はぼんやりしながらうっすらと目を開く。

 いつの間にかウトウトとしていた様だ。ゆっくり覚醒して来た意識を何とか手繰り寄せ現実に戻ると、自分が今どの様な状況に置かれているのか思い出した。


 (私……そうだ、ラナセスの球体に乗ってこの塔に辿り着いて……そしたら……あの……生き物、が……)


 そこまで思い出し、空は慌てて身を起こす。

 真っ赤な鱗に、剣の様に鋭く尖った牙、その牙から滴る涎に、相手を射殺せるのでは無いだろうかと言う位鋭利な黄色い瞳、油断したらすぐさま人でも猛獣でも切り捨てるのであろう長い爪────球体から降りた空は、着くや否や塔から躍り出て来た、この世の物とも思えない、禍々しい龍を目の当たりにした所で意識が途切れていた。

 どうやら、立て続けに起こる恐怖に耐え切れず、自分の意志よりも身体の方が先に意識を手放す事を選んだ様だった。

 既に紙の様に白くなっていたおもてを、更にこれ以上は無いと言う位血の気を無くして、空は辺りを伺う。

 意識がはっきりするにつれ、認識せざるを得なかったのだが、辺りは腐臭と妙に生々しい鉄の臭いに包まれ、鼻を覆いたくなる様な悪臭で囲まれていた。空は無意識に鼻に皺を寄せる。

 誰に聞かずとも、この臭いが何なのか、流石の空でも予想が付いた。

 カルロスがラナセスの塔を攻撃した際、塔は広いが大半が崩れ落ち、住人は捕らえられるか、もしくはその場で絶命するかのどちらかだった、と以前教えて貰った。

 塔が落とされたのが一ヶ月前と言う事は、丁度良い塩梅に腐敗が進んでいると言う事でもあるのだろう。

 周囲は薄暗く、はっきりは見えないが、その方がかえって好都合かもしれない。

 横たわっていた場所は硬く、冷たく、龍を目の当たりにして倒れた塔の外から、中に移された事が分かった。

 こうしている間にもぐんぐんと体温が奪われ、石造りと言う事が寝間着越しに伝わって来る。

 自分がいる所からは確認出来ないが、風もひっきりなしに吹いており、窓や扉と言うものが、機能していない事が分かる。


 (あぁぁぁぁぁ……間近に死体は無いみたいだけど、願わくは、あの虫が周囲にいません様に……)


 空は以前観た、空襲を受けた人の身体に、うじが湧いている描写が生々しく描かれた戦争アニメの映像をチラと思い出す……

 あの映画を観たときは衝撃が大き過ぎて、一回観ただけで二度と観ないと誓った程だった。


 (────って! ここで何故それを思い出す、私!)


 自分は日本に住む、女子高生なんかでは無かったではないか……あの広場での衝撃を思い出し、知らず両腕をかき抱く。

 自分は日本に住んではいなかったと自覚すると共に、混乱して自分の名前すら何だったのか思い出せなくなったりするのに、かたや、いざ違うのだと認め始めると、その考えを打ち消す様に今度は日本での記憶が蘇る。

 思考が行ったり来たりして、自分がどのようにしていれば良いのか、あり方が全く分からなくなってくる。

 膝を抱えその上に頭を乗せると、空はずっと堪えていた物をポロポロとこぼし始めた。

 

 (何で? 何でこうなっちゃったの? 私、嘘をつくつもりも、皆を困らせるつもりも無かったのに……)


 カルロスやエドワルドに話した事は、嘘偽りは無い筈だった。本心だった。

 実際、この塔にいたと言う記憶など、微塵も思い出せない。

 自分はこの塔で、どのような部屋に住み、どの様な食事をし、どの様な生活を送っていたのか……何一つ記憶に引っかかる物が無いのである。

 それでも────自分はこの世界に生きる存在で、日本の高尾空と言う少女とは別の存在と言う事がはっきりと感じられるのだ。


 (あ……れ……?)


 そこで、空は何かに思い至った。自分は、今何を思った?何か肝心な事を思わなかったか……

 引っかかりを感じ、改めて意識深く探ろうとしたその時、足音が近づいてくる事に気がついた。

 足音が大きくなるにつれ、松明を持っているのか徐々に辺りも照らし出され始める。


 (何か、一ヶ月前の再現みたい)


 場所も違えば、相手も違うが、囚われの身で横たえられ、薄暗い中で戦々恐々と相手が訪れる事を待っている状況は、非常に似通っていることを自覚した。

 ご丁寧に、足音の反響と言う演出まで僅かながら感じられる。

 誰が来るのか予想は付いていたので、咄嗟に目元を拭い、付け入られまいと足音の方向を睨み付ける。


 「お目覚めかな? お姫様」


 相変わらず、人を食った様な、にやにやした笑顔を貼付けた気持ちの悪い男が話しかけて来た。


 「君が気を失ってから半日程が経過したよ、今はもう真夜中だ。気分はどうだい?」


 手にしていたのは松明では無く、ラナセス愛用の杖の先が炎の様に明るく輝き、ラナセスの顔を照らし出していた。

 どうやら魔法が掛けられて光っているようなのだが、浮き出ている顔がかなり不気味だ。


 (うぅぅ、やっぱりこいつ嫌い)


 広場では恐怖が勝ってしまい、よく観察する事が出来ないまま球体に飛び込んでしまったのだが、球体の中で居合わせ、相手と話を交わし気付いた。

 一般的には渋い中年ともてはやされる見た目の持ち主なのかもしれないが、この男はどうしても受け付けないのである。

 口では穏やかに優しい事を言っていてもそれが本心とどうしても思えない。

 相手を上手く言いくるめ、懐柔した所でパクリと捕らえ、自分の手足の様に思い通りにしようとしているのが見え見えなのだ。

 人を自分の玩具の様に支配して、ただただ自分の欲を満たす事しか念頭に無い人種────空は、背筋がぞわぞわと泡立ち、拒絶反応が湧きあっがて来るのを感じた。更にはつられて視線を外しそうになる。と、いうか、むしろ外したい。


 (────でも)


 空は決意を固めると、表情を引き締め相手の顔に視線を向ける。

 自分は、親切にしてくれたカルロスやエドワルド、グランヴェルグの人々に嘘を付く形になってしまったかもしれない。

 だが、それは決して相手を裏切ったり、おとしめたりしたかった訳では無いのだ。

 意を決すると、空はラナセスに向かって口を開いた。


 「わたくしが人体実験を受ける事は構いません。ですが、代わりに少し教えて頂きたいことがございます────お父様」




*****




 「あ〜ぁ、何やってるのさ。ばっかだねぇ」


 言葉とは裏腹に、楽しそうな顔と声のバロンに顔を向けると、空はムッとした表情で反論する。


 「うるっさいわねっ。私が出来る事なんてこれくらいなんだから、ちょっとは役に立たなくちゃって、そう思ったのよ」


 気取られない様にと思っていたのに、相手がエドワルドの弟妹だからか、つい気が緩んで本心が出てしまう。


 「それが結局ラナセス様の怒りを買ってこんな所に監禁……ほんと鈍臭いわね」


 シャロンも容赦無く空を切って捨てる……


 先程、空はラナセスの気持ち悪さを我慢し、グランヴェルグに優位な話を聞き出そうとしていた。

 ラナセスが指名手配の様な存在なら、遅かれ早かれ必ず攻め入られるだろう。

 せめてその時には、伝えられるだけの情報を伝えられる様に、自分に出来る事をしよう。

 そう考え、自分の名前は何と言うのか、この塔でどんな生活を送っていたのか、母は何をしているのか、自分は何者なのか、人体実験とはどのような事をするのか、あの龍は何なのか、そして、ラナセス自身は何を目的としているのかと問いかけた。

 そもそも空は、危険だからと守られたてはいたが、この塔であった事や行われていた事を殆ど知らされずにこの一ヶ月を過ごして来た。

 ラナセスが危険な人物で、グランヴェルグどころか、この世界にとっても危険な思想の持ち主なのは分かるものの、具体的にどのような事を行っているのか、目的としているのかはさっぱり知らない。

 ラナセスの娘で、これからこの塔で生活して行くと言うのなら、人体実験を受けるのなら、せめてそれくらいは知っておいても良い筈だ。

 そのように訴え、話を聞き出そうとしたのだが、ラナセスはのらりくらりとかわしてしまい、聞きたい事を何一つ教えてくれなかった。

 それどころか、ちょうど帰って来た双子からの報告で、カルロスとエドワルドが空の救出に向かっている事を聞くと、これ幸いとばかりに二人の目の前で人体実験を披露してやる事にしようと、まるで名案を思い付いたかの様に嬉々として言ってのけた。

 これには空も苛立が募り、それまでの努力も忘れて叫んでいた。


 「いい加減にしなさいよ、このくそじじい! あの二人に何かしたら許さないから!!!」


 はっと気がついた時には既に遅く、額に青筋をピクピクと浮き上がらせたラナセスは双子に空の監禁を命じると、自身は空が歯向かう事の無い様にと、あの龍を監視役にする為に呼びに行ってしまった。

 これから、あのそら恐ろしい龍が連れられてくるのかと思うと、いても立ってもいられなくなる。


 「ま、そんなに怖がる事も無いと思うけどね」


 そんな空の様子を見ていたバロンは、おもむろに服の中から何かを取り出した。


 「これな〜んだ?」


 細長い透明な容器に液体の入った物で、片方は銀色の細長い針が取り付けられ、もう片方は中に入った液体を針側に押し出せる様に容器より一回り小さな、はめ込み式の棒の様な形状になっている、何処かで見た事のある形だ。

 決して、気持ちの良い代物ではない、好きな人などそうそうにはいない、使い方は一つしか無い、あの独特の形状……

 人に質問しておきながら、バロンは自身で無邪気に答えを喋り始める。


 「僕、注射って人に打つの初めて」


 「バロンったらずるい! 私だって打ってみたかったのに」


 「だってラナセス様、僕がお兄ちゃんだから打って良いって言ってくれたんだもん」


 「次は絶対私だからね!」


 「良いよ〜、完全に意識が飛んじゃわない位の量だから、ちょくちょく打つ必要があるってラナセス様言ってたし」


 会話をしながら、双子は楽しそうに空に向かって腕を伸ばし、抗えない様な力で押さえ付ける。

 とても10歳の子供とは思えない力が、空の頭に、腕に圧し掛かり、床に押し倒される格好となる。

 二人に全力で覆いかぶさられ、ジャラリと手首にはめられた鎖が、近い筈なのに、遠くから聞こえた気がした。


 (……嘘、でしょ?)


 何が起こり始めたのか、理解するのに一瞬、時間が掛かった。が、次の瞬間には針が押さえつけられた腕に伸ばされているのが確認出来た。


 「────!!! い、嫌! やだ!!! 止めて、お願い!!!」

 

 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 怖い、助けて!!!


 「バロン! シャロン! お願い! 止めて!!!」


 自分がどのような状態になるのか理解した空は、全力で抗い懇願する。

 こんな所で、何も出来ない傀儡の様になるなど、そうなった上での人体実験など屈辱以外の何ものでもない。何とか振りほどこうと身をよじる。

 だが、力の差は歴然としており、双子の力から逃れる事はおろか、腕一本開放される事は無かった。

 それどころか、双子の、空を押さえつける力が更に強くなる。


 「うるさいなぁ、さっさと静かになってくれよ」


 一度、腕から注射器を遠ざけると、今度は空の目の前にかざす。


 「!!!」


 空の反応を見たバロンは面白そうにニヤリと笑い


 「お前自分から人体実験受けに来たんだろ? だったらごちゃごちゃ騒いでないで、大人しく実験されろよ」


 冷酷にそう言い放つと、再び注射器を腕に向け始める。

 ツキリ────

 間も無く腕に痛みが刺し、次いでその部分が痺れ始め、何かが注入されていることが感じ取れた。

 空の細い腕をしっかり押さえ針を突き刺したバロンは、何の躊躇も無く中身を体内に注ぎ始めていた。


 「いやあああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 嗄れんばかりの声を挙げるが、全力で抗うが、それでも腕は放されない。

 ゆっくりと、だが確実に注射の中の液体が少なくなって行く。

 そして、身体はその注がれた液体を取り込むと、意に反して全身に巡らせ始める。

 押さえ込まれたまま、それでも全力でもがき、抗い、泣き、喚き、叫ぶ……だが、程なくして、空は脱力し、意識が無くなった様にぐったりとし始めた。


 「ふぅ、こいつうるさかったなぁ」


 「ほんと、ラナセス様のモルモットなんだから、こんな事位で怖がらないで欲しいわ」


 「終わったかね?」


 巨大な龍────ウロボロスを従えて戻って来たラナセスはクツクツと笑いながら二人に話しかける。

 どうやら、ウロボロスはとっくに引き連れて来ていた様で、様子を伺いながら一部始終を見ていた様だった。双子の出来映えに、満足そうに頷く。


 「はい、ラナセス様。これでこいつが自分の意志で行動をすると言う事は起きない筈です」


 「今まで、ずっとこうやって色々な生き物の研究をされて来たんでしょ? 名前とか生活なんて必要無いんだからある訳無いのに、質問するなんて馬鹿よね」


 バロンとシャロンは軽蔑する様に床に横たわっている空に視線を投げた。

 空は気を失ってしまったのか、目を瞑り脱力した様に横たわっていた。


 「全くだ、私が自分の娘をどのように扱おうと、口出しされる筋合いは無いのだが────あの忌々しいグランヴェルグの住人達は物事の通りが通じなくて困る。よし、それではあの二人を迎え撃つ準備をしようかね……勿論、君たちも手伝ってくれるね?」


 「は〜い」


 「喜んで」


 正体を無くした空と、禍々しい監視役のウロボロスをその場に残すと、三人は襲撃に備えるべく、階下へと移って行った。



 

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