〜空の秘密〜
空気が唸り、びゅうびゅうと風が吹き荒れている。
全身に痛みを感じながら空は状態を起こすと、地面が凹み中空に舞った土がバラバラと降り注いでいる所だった。
いつの間にか地面に倒れた様で、どうやら先程の衝撃で吹き飛ばされたのだと言う事が理解出来た。
もうもうと砂塵が舞い上がる中、何が起こったのかと暫し呆然としていると急に腕を掴まれビクリと身体を震わせる。
「大丈夫か? 咄嗟だったからつい強力になっちまった……悪かったな」
視線を巡らせると、そこには済まなそうな表情をしながら空の顔を覗き込む、見慣れた存在の姿があった。
「う……」
「まぁ、間に合って良かった……お前本当に危なっかしいからな。誰かが見ててやらなきゃ、絶対問題起こすだろ」
それでも間に合った事にホッとしたのか、いつもの厳しい表情とは違い、自然な優しい顔を空に向ける。
尖った耳に、深い深海の様な青い瞳、そして……人ごみでも必ず見つけられるであろう、目にも鮮やかな赤い髪。
「エ……ド……」
空はブラウンの瞳をこれ以上は開けないと言う位見開き、信じられないものでも見る様な表情で、エドワルドを凝視する。
「おう。……何だよ、お前今俺に助け求めてただろ。俺じゃ不満か?」
そう言いながら、長身のハーフエルフは空の身を助け起こすと、顔、頭、肩……と、順に付いた砂埃をはらい始める。
「そ、う……だけど……」
頬の泥を拭われ、若干うっとうしそうにしながら辿々しく返事をする。
咄嗟に出て来たのは、確かにいつも優しいカルロスでもなければ、大好きな父でもなかった。
それどころか、いつも自分に意地悪で、憎たらしい存在が思い浮かぶなんて今の今まで露程も思いもしなかったし、あの場で本当に来てくれるとは思っていなかった。
ただ、自然と口をついて出ただけだったのだ。
「どうした? まさか打ち所が悪くてネジが飛んだとか勘弁してく……って、おいっっっっっ!」
咄嗟にエドワルドに抱きつくと、空はそのまましゃくり上げながら訴え始める。
「こ、怖かった……バロンもシャロンも豹変しちゃって……どう、なるかと思って……」
城を飛び出し、知らない所に一人で来てしまった事は自分の過失だ。
元々周囲から気をつけろ、一人でいない様にしろ、と散々言われていたのにも関わらず、バロンの姿につられてついこんな所まで来てしまった。
が、それにしたって知っている人物がまるで別人の様に豹変したり、見知らぬ球体の中に連れ込まれそうになるなど、誰が想像するだろう……自分が住んでいた世界では考えられない様な体験だ。
「あ〜〜〜………………あぁ、そりゃ怖かったよな」
空の様子に若干の戸惑いを見せるも、エドワルドは濃いめのブラウン頭に手を伸ばすとポンポンと撫で、空を落ち着ける様に声を掛ける。
────と、
「やれやれ、慇懃無礼なハーフエルフは全く持って成長と言うものを知らない様だね」
背後から剣呑な声がした。
押さえてはいるが、かなり怒りを孕んでいる様で、声が上擦っているのが感じられる。
見ると、ラナセスは血管が浮き出そうな表情で空とエドワルドを睨みつけていた。
いつの間にか、バロンとシャロンも背後に控え、鋭い目つきで見据えて来ている。
「よお、久しぶりだな。余りに顔を見せないから忘れる所だったぜ。俺が付けた傷がそんなに致命傷だったか?」
エドワルドは空を自分の後ろに下がらせると、ラナセスに向き直り、得意の挑発を始める。
「うちの弟妹も随分世話になってるみたいだが、そろそろ返して貰おうか? オールで過ごしていいのは収穫祭だけと決まってるんでね……バロン、シャロン、いつまでも遊んでないで帰るぞ」
「馬鹿な事言わないで、私とバロンはこれから人体実験を見せて貰うんだから」
「そうだ。禁忌禁忌でいつまでも見れない実験でも、ラナセス様なら見せてくれるんだ」
エドワルドの言葉を聞くと、双子の弟妹は不吉な魔性の者の様な雰囲気を漂わせ、兄に牙を剥き始める。
余りの変貌ぶりに流石のエドワルドも目を見張る。これでは空が怖がるのも無理は無いだろう。
「遠慮する必要はない。この子達は私の為に本当に良く動いてくれる……そうそう、君の生い立ちに付いても快く教えてくれたよ。随分訳ありな様じゃないか」
「なっ!」
我が意を得たり……と言わんばかりの表情で、ラナセスはにやりと笑みを作る。
急な攻撃で一瞬同様したものの、直ぐにいつもの冷静さを取り戻した様だった。
「まあ、私にはどうでも良い事だがね……それよりも、この二人に帰って来いと言うのならば、そちらが先ずその娘を私に返すべきだろう。その娘は私の物だ」
「私の物って、ふざけるなよ。大方どこぞから連れ攫って来ただけだろう。それを我が物顔ででかい顔なんかしやがって」
心底反吐が出る、とでも言いたげにエドワルドは鼻に皺を寄せると噛み付かんばかりの表情を作る。
引いているのはエルフの血の筈なのに、こういう所はまるで野生の狼の様だ。
「おや、これは心外だ……これでも君の頭の回転の速さと飲み込みの良さには一目置いていたのだが……私がそれなりに一般常識を重んじると思ってくれていないとは残念だ。その娘は、まぎれも無く血を分けた私の娘だよ」
「────なん、だと?」
予想外過ぎるラナセスの発言に、エドワルドは弾かれた様に後ろを振り返る。
驚愕に見開かれた深海の瞳は、そのまま真っすぐ空に向けられていた。
視線が注がれた空も息を飲み、信じられない様な表情をして固まっていた。
が、直ぐに首を横に振り、反論し始める。
「ち……違う……そんなの嘘! こんな人、私のパパじゃない!!!」
嘘! 嘘! こんな奴知らない!
私のパパはもっと優しくて! 穏やかで! それに!!!
────それ、に?
そこまで思って、空は気がついた。
確かに17年間一緒に過ごしていた筈の、優しかった父の面影が、やけに朧げになっている。
ついさっきまで、覚えていた筈なのに。
話方は?
癖は?
仕草は?
性格は?
父に関する事が、何も思い出せない。
父だけではない、母も、愛犬のヴィヴィも友人の亜由美も……
学校は何処にあった?
自分の自宅は?
亜由美以外の友人は?
制服はどんな形だった?
つい最近まで当たり前の様に覚えていた筈の事が、思い出せなくなっている……
────あ、れ?
急に、記憶喪失にでもなった様に、何も思い出せない。
私……何て名前だったっけ?
急に怖くなり、視線を巡らせエドワルドを見る。
が、そのエドワルドですら、戸惑いの表情を浮かべて空を見ていた。
嫌、だ……怖い……
恐怖に絡めとられ、再び身体を震わせながら、今度はラナセスに目を向ける。
ラナセスは隠そうともせずに、嬉しそうににやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべながら空を見ていた。
「くくく……そうだ、そろそろ思い出して来た様だね……さぁ、共に戻るのだ、我が娘よ」
ラナセスが片手を挙げると、双子が構え、攻撃の体をとり始める。
う、そ……本当、に?
私、こいつの娘なの?
自分の両腕をかき抱きながら、空は今にも崩折れそうになるのを、何とか必死に堪える。
嫌だ……
嫌だ、嫌だよ……
空はずるずると引き摺る様に足を引くと、エドワルドから離れ始めた。
「……ソラ?」
怪訝な表情をしながらエドワルドは空に話しかけるが、耳に届いていないのか首をフルフルと振るばかりで答えようとはしなかった。
そのままラナセスが作り出した球体に向かって駆け出し始める。
「おいっソラっっっ!」
手を伸ばし空を引き戻そうとするエドワルドは、けれどもギリギリの所で空を掴むだけの格好となった。
そのエドワルド腕を今度は別の何かが掴む……
「や〜だな〜、お家に帰りたいって言ってるんだから帰らせてあげなよ」
「フラれたのに、追いかけるなんて未練がましいわよ? お兄様」
双子が、エドワルドに纏い付き、行く手を拒んでいた。
「最近ずっとつれなかったんだから、たまには僕たちと遊んでよ」
「内緒にしていたけど、私たちお母様に指導して貰って、だいぶ強くなったのよ」
そう言うと、何処から取り出したのか、各々刃物を持ちうっそりと目を細め始める。
「君達、家族水入らずでゆっくり過ごすと良い。先に塔に行っているよ」
そう言うと、ラナセスは空の後を追い球体の中に入って行った。
「おいっ! 待てよ!!!」
エドワルドは双子に構わず二人を追いかけようとする……が、双子の弟妹がそれを許さない。
「僕たちを無視ってひっどくな〜い?」
「お兄様を取られるなんて、私嫌だわ」
発している言葉とは裏腹に、酷く楽しげに、愉快そうに双子はクスクス笑い始める。
勘に触る、酷く深いな笑い方だ。
「お前達、そんな挑発の仕方誰から教えられた……」
不機嫌そうに低い声音でそう呟くと、太刀を引き抜き応戦の構えを取り始める。
「あら嬉しい。やっと遊んでくれるのね」
「僕たちまだ10歳だから、二人同時に切り掛かっても怒らないでね」
バロンが言い終わるのと同時に、空とラナセスを乗せた球体はゆっくりと浮き上がり始める。
「無論。その代わり、俺が勝ったらお前達は大人しく家に帰るんだぞ……」
一つ、そう告げるとエドワルドはその場を跳躍した。