〜空の行方〜
時は遡り、空がバロンを見つけてアルメール城を飛び出してから少し経った頃。
双子の弟妹、バロンとシャロンを見つけるべく、グランヴェルグ一帯を探しまわっていたエドワルドとカルロスは、城の馬を調達する為にアルメール城に一度帰って来ていた。
グランヴェルグ内で双子の消息は結局掴めず、途中で合流した捜索隊の面々と話し合い、グランヴェルグから離れ更に足を伸ばす事になった為だ。
一晩中動き回っていた為に若干疲労が感じられるが、今はそんな事は言っていられない。
エドワルドはうっすらかすみを感じる視界を、ぎゅっと閉じると目頭にあるツボを指でぐっと押さえ、次いで疲れを追いやるかの様に首を回して肩甲骨を動かす様に腕を一振りし気合いを入れる。
必ず連れ戻しに狙いを定めて来るだろうと思い、ずっと護衛をしていた空に奇襲が掛けられるのではなく、自分の弟妹に狙いが定められた事は全くの誤算だった。
敵はいつ何時、どんな手を使って来るか分からないのが常だ。それを前提にグランヴェルグ国内の兵や、周辺の守りはいつにも増して強化していた。
アルフレド王やエリザベス王妃からなる王室に関する面々は特に護衛を増やしたし、母であるシェルフィリアの右に出るものなどそうそうにいない為、付け入られる隙は守り固めたと油断してしまった。
ラナセス本人がどういった経緯から双子を狙うことにしたのか、実際の思惑は分からないが、思い当たる節はある……
ラナセスがウロボロスに乗り、逃亡しようとした際に放った攻撃魔法が直撃し重傷を負わせた事に腹を立て、エドワルドへの報復を考えると言う可能性だ。
あのプライドの高いラナセスの性格だ。何かをされたらその本人に倍以上にして返さなければ気が済まないだろう。
そこに思い至らなかったのは自分の過失だ。
(あいつ……やっと出て来たかと思ったら舐めた真似しやがって)
自分が相手の性格を掌握し、どう出て来るのか、もっとしっかり分析しなくてはならなかったのは確かだ。
だが、プライドが高いのはエドワルドも同じ……高いからこそ、踏みつけられる様な真似をされると更に相手を叩き潰したくなるのだ。
(上等だ……空高く伸び切ったその鼻っ柱、この手でへし折ってやる!)
声には出さず、だが眉間にしっかり皺を寄せ、心の内で物騒な誓いを立てているとアンジェリカが凄い勢いで掛け込んで来た。
「エド! エド大変! ソラがいないの!!!」
品の良い巻き毛をクルンと赤いリボンで結び、白いドレスに身を包んだ可愛らしい少女は、しかしいつもの気丈さが欠片も見られず、不安に怯え切った表情でエドワルドの腕に飛び込んで来た。
「なっ……いないって、どういう事だ?」
アンジェリカの肩に手を置きながら問い返す。小さな身体が震え、今にもくずおれそうな様相が掌越しに伝わってくる。
「昨夜、私の部屋で過ごしたのだけど、先程目を覚ましたら何処にも見当たらなくて……ご自分のお部屋に戻られたのかと思って、身支度を整えて朝食にお誘いしようとソラのお部屋に伺ったらそこにもいらっしゃらなくて……そしたら、シェルフィリア様がソラにお貸ししてたショールがお庭に……」
辿々しく、だがそれでも相手に伝わる様に説明すると、掴んでいたショールをエドワルドに見せる。
「それで、ソラの行方を探したのだけど、今朝は皆ゆっくりだったでしょう? 誰もソラの事を見てなくて……」
「分かった、お前は城から出るな。陛下に事情を話して、城の警護を強化して貰え。あと、カルにも伝えろ……出来るな?」
膝を折りアンジェリカの目線にあわせると、エドワルドは落ち着かせる様にアンジェリカの頭をポンと撫で、瞳をしっかり見据えて問いかける。
珍しく取り乱し正体を失いかけていた少女は、エドワルドの声に安心したのか、そこまで聞くと肩の力を抜き、素直に頷いた。
カルロスやエドワルドが、この一ヶ月の間空の護衛に勤しんでいた様に、アンジェリカはアンジェリカなりに、空を守ろうと気を張っていたのかもしれない。
蒼白になっていた愛らしい顔にやっと赤みが差して来た。
「よし、じゃあ俺は先に行くから後の事は頼んだ。カルにさっさとしろって伝えておいてくれ」
エドワルドは身を翻すと、厩舎に向かって掛け始めた。
*****
新年の輝かしい朝日が煌煌と降り注ぐ、爽やかな筈の空き地で、空は身を硬くして震える身体を押さえようと必死に努力していた。
先程から動機が静まらず、手も汗ばんで落ち着こうと努力するのに身体は意に反した様に警戒を訴えて来る。
(落ち着いて……落ち着きなさい! 自分のパパじゃない! 何が怖いの!?)
怖がる必要など、何処にあるのだろうか?
目の前にいるのは生まれてから17年、ずっと一緒に暮らして来た正真正銘自分の父親だ。
西洋人の祖母の見た目を譲り受け、すっとした目鼻立ちの、母譲りの空とは違い、明らかに日本人離れした、友人達にカッコいいパパでいいなぁ……などと、羨ましがられる自慢の父親だ。
いつも母が空に対して厳しいのに対して、にこにこと何でも受け入れてくれる優しい父親だ。
その筈なのに……
空はじっと自身の父親を見据えた。
何故だろうか?
見た目も、
声も、
喋り方も、
仕草も、
自分の父親そのものなのに……
────何故だかパパに思えない……
その事実に行き当たった。
まるで誰かが成り済ましている様に、何か別の存在が父親の皮を被っている様に、全く違う人物に思える……
「あ、貴方……誰? パパ、じゃない……!」
一度気付いてしまったら、解こうとしていた警戒心は更に強固な物に一変した。
危険だ、気を許すな、と身体の内側が訴えて来る。この本能には抗えない……警戒心を剥き出しにして、空は男を睨みつける。
見た目は父親にそっくりだが────この男が、ラナセスと言う人物だろうか?
「私に、何の用? バロンとシャロンに何かしたでしょう! 二人をどうするつもりなの!? 」
だが、目の前にいる男は空の問いかけには答えず、予想に反して以外な事を口にした……
「ふうむ……確かに、私はお前の父だが────」
「────!!!」
「だが、パパと呼ばれるにはいささか違和感があるね。────どうやら、記憶が混乱している様だ。二人とも、お姉ちゃんを連れて行くのに協力してくれないかな?」
「うん! 良いよ!」
「わぁ! クロイドの森の塔の中に入れて貰えるのね!」
そう言うと、バロンとシャロンは嬉しそうに身を躍らせ、空に歩み寄り始める。
「あぁ、そうだよ。クロイドの森の塔に、お姉ちゃんと一緒に二人を招待しよう」
「やったぁ!」
声を挙げて双子は喜び、じりじりと空に迫り始める。
「お姉ちゃん、何で逃げるの? 鬼ごっこしてるの?」
「私たち二人が鬼じゃ逃げ切れないわよ? 半分とは言え私たちエルフだもん」
「逃げちゃだ〜め、早くクロイドの塔に行こうよ」
「ね〜、私たち実験してる所見せて貰うんだから」
「ね……ねぇ、二人とも、帰ろうよ……エドもカルロスも心配してるよ。アンジェリカだって、ずっと待ってるよ」
にじり寄る二人から後ずさりながらも、空は懸命に訴える。
今此処で逃げ出した所で、きっと自分は捕まえられてしまうだろう。目の前にいるフードの男に勝てる筈も無い。
だが、だからと言って“はい分かりました”と付いて行ける訳も無かった。
「駄目だよ────僕たち、お姉ちゃんの実験を見せて貰うんだから」
虚ろに見開かれた瞳を空に向けて、バロンとシャロンは嬉しそうに空に近づく……
緊張が襲い、震えが止まらず上手く身体が動かせない。バロンは今、何と言っただろうか?自分の聞き間違えか……
口をハクハクと動かして、問いかけようとするが、意に反して喉に貼り付いた様に声が出て来ない。
「僕たち、お姉ちゃんが実験されてる所を、ラナセス様に見せて貰う約束なんだ……だから────」
空の言わんとしている事が分かったのか、もう一度そう言うと、二人は豹変したかの様に急に跳躍し、空に踊り掛かった。
「つ〜かま〜えた〜」
空の腕を背後から掴み、いつでもへし折れる様に首に手を据えながらにっこりと笑い、歌う様にバロンが言う。
「ゲーム終了。ラナセス様、早く行きましょう」
シャロンが淡々と、だが嬉々としてラナセスに向かって訴える。
(────え?)
気がついた時には、がっちりと掴まれ逃げられない様にされていた。何が起こったのか、一切分からない位の俊敏な動きだった。
「あぁ、良い子達だね。最高の特等席で実験を見せてあげよう」
にこにこと父親と全く同じ優しげな表情を作り、ラナセスは三人に近づいて来る。
「やったぁ! 僕、人体実験って初めてだ」
「バロンったら、人体実験は禁止されてるんだから大抵の人は見た事無いわよ」
目の前まで近づいたラナセスは空に向き直ると、一つじっくりと眺め回した。
「何、気にする事は無い……君は今まで通り、また元に戻るだけだ」
恐怖に竦み、声すら出せないでいる空を尻目に、今度は空き地の空間に向かって呪文を唱え始める。
(な、に? 元に戻るだけ────って……)
ラナセスは慣れた様に、歌う様に呪文を唱え、かざした掌の先には透明な球体が浮かび上がっていた。
球体は、やがて人よりも大きく、大人五人は入れるだろうかと言う大きさにまで膨れ上がった所で、呪文が止められた。
「さあ、この中に入るんだ。クロイドの塔に向かおう」
「はぁい」
「ソラ、早く行きましょ」
双子が答え、球体に向かって歩き出そうとする……が、身体が強張り、思考もすっかり停止していた空は漸く、我に返った。
「い……嫌、だ……」
擦れた声で、けれども、しっかりとした意思で言葉を紡ぐ……
「……ソラ?」
「何言ってるの? 鬼ごっこで掴まったんだから、言う事聞くのよ」
「嫌、だ! ────嫌! 放して!!!」
抗ってどうにかなる訳でも無かったが、堪えられなかった。必死に身をよじり精一杯の抵抗をする。
今まで、エドワルドやカルロスが自分を守ってくれたのは、何の為だったか……今此処で自分が大人しく掴まってしまったら、自分に良くしてくれた人達の行動は意味が無くなってしまう……
それ以上に、自分自身が掴まって彼らに連れて行かれる事が嫌だった。人体実験など冗談ではない。
(嫌だ! 行きたく無い!!!)
掴まれている腕に力が籠り、髪を掴まれ後ろに引き倒されそうになる。
「馬鹿な事言うな! さっさと来いよ!」
「抵抗したって無駄よ。ソラがラナセス様に敵うものですか」
双子は最早、可愛らしいハーフエルフの少年少女ではなく、小柄な悪鬼の様に眼光を光らせた危険な存在へと変貌していた。
ともすると、喉を引きちぎられるのではないかと思わせる獰猛な獣の様に、敵意を隠しもしないで空に叩き付けて来る。
とても10歳の子供とは思えない程の強い力でずるずると引き摺り、球体の中に押し込めようとする。
(ど……どうしよう。何とか、しなきゃ……)
球体が目の前に迫る。この中に入ってしまったら全てが終わる。
周囲には誰もいない。
逃げられる場所も、術も何も無い。
直ぐ側ではラナセスが愉快そうな笑みを浮かべて、バロンとシャロンが空を球体の中に押し込めようとしている様を眺めている。
それでも────
「たす、けて……!」
諦めたく無い……
空は、いつでも側にいて、自分を見ていてくれた存在の名前を無意識に叫んでいた。
「エド! 助けて────!!!」
────刹那、空気が弾け飛び、もの凄い衝撃が空を襲った。