〜夢の記憶〜
騒がしかった収穫祭の熱気もすっかり冷め、外気が冷え込み身体の体温がみるみる奪われて行く。
エドワルドが双子の弟妹、バロンとシャロンを探す為に一行と別れてから三時間程が経とうとしていた。
空はエドワルドと入れ替わりに護衛に回ってくれたカルロスに連れられて、アンジェリカ共々早々にアルメール城に帰り、今は強固な守りに固められた城の一室のテラスにいた。
(二人は、まだ見つからないのかな……)
夜もだいぶ更け、そろそろ深夜に近い時刻に達する頃だ。
最初はシェルフィリアやアンジェリカに宥められ、室内で大人しくしていた空だったが、一時間経ち、二時間経ち、その内にいても立ってもいられなくなり、テラスに出て皆の帰りを待つ形となった。
外に出たからと言って、何が変わる訳でも無いのだが、どうしてもこんな時にヌクヌクと待っている気にはなれなかった。
今日は新月だ。
月の光が一切届かないこの地上は、収穫祭で燭台を掲げていたドルイド達が作り出していた神秘的で厳かだった先程の光景から一変して、今では何処か不気味で薄ら寒い夜の帳を作り出している。
白い息を吐き出しながら、空は“だいぶ冷えて来たから”とシェルフィリアが持って来て肩に掛けてくれた不思議な文様の柄のショールを両手で引き寄せ、身震いする。
カルロスは空とアンジェリカを城に届けると、シェルフィリアに城の警護を頼み、自身も双子の捜索に向かって行った。
「シェルフィリアは誰よりも強いエルフの戦士だったから城の事は心配ないよ。双子だって、エドが危険な目になんて遭わせる訳が無い。とても大切にしているんだから、どんな事があったって必ず守るよ。だから、安心して待ってて」
不安そうにしている空の肩に両手を置いて言い聞かせる様に、落ち着かせる様に、いつもの様に優しい表情でカルロスはそう言ってくれた。
シェルフィリアは頼もしいし、こんな時でなければエルフの戦士としての力量をぜひ見せて欲しいとお願いだってするだろう。
それに、エドワルドの事もカルロスの事も、勿論とても信頼している。
だが、先程からそれだけでは安心出来ない、どうしても落ち着かない不安に苛まれ、いても立ってもいられない何かに絡めとられていた。
単なる杞憂で済めば良いのだが……
(どうか、無事でいて……お願い)
冷たい風が吹き付けるテラスで、空はカタカタと震える両手を力なく絡ませ、口元に持って行く……
「ソラ、温かい紅茶が入りましたわ。ティータイムにしませんこと?」
空同様に決して血色が良いとは言えない顔を、それでもほんのり笑みの形にして、部屋の中からアンジェリカが呼びかけた。
カルロスによく似た顔立ちの美しいこの少女は、あの二人より二つばかり年上だが両親の仲が良いため幼少の頃から兄弟姉妹の様に仲良くしていた、言わば幼なじみだ。
空なんかよりももっとずっと、計り知れない位心配だろう。
それでも、この幼い姫君は周囲を慮って笑顔を絶やさない強さを秘めている。
空は白い息を一度大きく吐き切ると、今度は大きく吸い込んだ。
「ありがとう……そうね、戴くわ」
自分よりも幼いアンジェリカが気丈にしているのだ。自分が不安に飲み込まれてしまってどうする。
クっと拳に力を入れると、空はアンジェリカ同様に笑顔を形作り、外の寒さなど微塵も感じさせない位暖められた部屋の中に足を踏み入れた。
*****
一つの波紋も無く鏡の様に静まり返っていた泉が、突如としてゴボゴボと沸き上がり始めたかと思うとみるみるうちに波打ち始め嵐の様に激しく打ち上がる。
轟々と音を立てて周囲を飲み込む水しぶきが激しく暴れ回り、辺りを一面覆い尽くす。
唸る様にグルグルと渦を巻き、その渦が一点に集中したかと思うと、今度は作られた凹みが出来た部分に何かの形が作られた。
その形はよく見ると、先程洞窟内の泉に身を投じたフードを目深に被った男だった。
全身を水に滴らせながら男は荒れ狂う泉の中から事も無げに這い上がると、一連の出来事を見ていたのであろう黒い影の前に進み出た。
辺りは先程の洞窟とは違い、完全にこの世ならざる世界だった。
邪悪な瘴気に満ち、湿気を含んだ重たい空気が頬をなぞる。
ゾワリと肌が泡立ち、その風の一吹き一吹きが身体全身から生命力を奪って行くのが感じられる……
生身の人間ならば然程長くこの世界に存在することは出来ないだろう。
だが、フードの男は軽く眉をひそめただけで然程気に留める事も無く、高圧的な態度を崩す事も無かった。
「お前が欲していた物を約束通り持って来た」
フードの男はそう言うと、待ち切れない様に、手にしていた何かを黒い影に向かって掲げ見せる。
何かはうごうごと蠢き、それが生きている事を証明していた。
「これでいいだろう。次はこの私の番だ」
黒い影は満足そうに目を細めうっそりと笑い始める。
「────良かろう、準備は整っているのであろうな? お前の望みを叶えてやる」
黒い影は腕を掲げ、蠢いている何かに向けて暗い暗い真っ暗な邪念を放ち始めた。
何かが、苦しそうにもがいている様に見えるのは、果たして気のせいか……
「後悔はするなよ」
黒い影が念を押す様にフードの男に声を掛ける。
「誰が後悔などするか……」
男はぎらつかせた瞳を暗い暗い邪念が注がれている何かに向けると、これ以上は無いと言わんばかりの狂喜に満ちた笑いを辺りに響かせ始めた。
「あと、少しなのだ……私の計画は誰にも邪魔させん! くくく、ははははは!!!」
*****
ピ、ピ、チチチ……
眩しい光が燦然と頭上に降り注ぎ、大地のエネルギーが惜しげ無く溢れている事を感じさせる様な力強さが感じられる。
陽の光に照らされて、耐え切れず空は目を覚ましモゾモゾと身を起こした。
いつもの部屋とは違う場所で一夜を過ごしたのだが、どうやらアンジェリカの部屋は朝日が入りやすい場所にあるらしい。
昨夜は心配の余り自室に戻る事が出来ず、結局アンジェリカの部屋で夜が更けるまで皆の帰りを待っていた。
夕方までゆっくり過ごしていた為か殆ど寝付けなかったのだが、明け方頃からいつの間にかウトウトしてしまっていたようだ。
時計を見ると、針は七時を指していた。
いつもなら城の中も慌ただしく動き出している時間なのだが、今日は日本で言う所の新年に当たるらしく、城も街も、島中が誰も仕事をしないお休みの日になるらしい。
一つ伸びをして、まだぐっすりと寝ているアンジェリカを起こさない様にそっと寝具から身を引き抜くと、シェルフィリアが貸してくれたくれたショールを羽織り、着替えと湯浴みをする為に自室に向かい始めた。
昨日は結局、エドワルドもカルロスも戻って来なかった……バロンとシャロンはどうなったのだろう?
何か進展はあったのだろうか?
外は新年に相応しく燦々と光が降り注ぎ、本格的な冬が来る前の、静かで美しい一時を作り出しているが、とても清々しく過ごす気分にはなれなかった。
(バロンとシャロンの事につられて、変な夢を見たみたい……)
あまりよくは覚えていないのだが、フードを目深に被った男にとても怖い場所に連れて行かれるのだ。
嫌で嫌で、何とか抗おうとするのだが、空は無力で何一つ太刀打ち出来ず結局相手の意のままになるしか無い……
苦しくて悔しくて必死にもがくが、声すら封じられてしまい、異を発する事すら出来ない……
男は終始嬉しそうに空を眺めていた。
笑い声を押さえようともせず愉快そうに笑っていた深いな男……
そのフードを目深に被った男は────
庭に面した広々とした回廊をぼんやりしながら歩いていた空の視界に、その時何かが過った。
直ぐ正面にある作り込まれた庭園の花々や樹々とは違い、温かさを持った、自身の意思で動く事が出来る生き物の存在だ。
はっとして視界を巡らせる……
「バロン! シャロンは!? 一晩中、何処に行ってたの? 皆心配したのよ?」
そう言うと、空は咄嗟に庭に躍り出る。
庭にいたのは、まだやっと10代になったばかりの探していたハーフエルフの双子の兄だった。
バロンは一人でいる様で、いつも一緒のシャロンは見当たらない。
鳶色のクリクリとした大きな瞳を空に向け、にっこりと可愛らしい笑顔を向けている。
「良かった、エドとカルロスには会えた? 二人とも、心配して探しに行ったのよ」
そう言いながらホッとしてバロンに近づく……
と、バロンは空から離れる様に遠ざかり始める。
「……? バロン?」
「駄目だよ、シャロンがあっちにいるんだ」
そう口を開くと、バロンはパっと走り始める。
「えっ? バロン? シャロンがそっちにいるの?」
つられて空もバロンの後を追いかけ、走り始める。
「バロン、待って!」
だが、バロンは凄い早さでどんどん辺りを駆け抜けて行く。
相手は子供のハーフエルフとは言え脅威の身体能力を持っている。
生身の人間の空には付いて行くのもやっとだ。ともすると置いて行かれそうになってしまう……
だが、その度にバロンは足を止め、空が追いかけて来ている事を確かめる様に後ろを確認する。
庭園を抜け、城の門をくぐり、坂道を下り、街を抜け、何れだけ走っただろうか……
「も、もう無理」
ぜいぜいと息を上げ、膝に手を置きもう動けないと言わんばかりの体で足を止める。
バロンが見つかった事にホッとしたのと、シャロンが他の場所にいると聞かされた事で思わず追いかけて来てしまったが、良かったのだろうか?
よくよく思い返してみたら、自分もまた護衛される身では無かったか……そもそも此処は何処だ?
もしかしたら自分が危険な事に身を置いているかもしれない────と言う事に漸く思い至った時
「お姉ちゃん」
自分を呼ぶ声がした。
声のする方に顔を向けると、道に面した広い空き地の様な場所が目に付いた。
フードを目深に被った男に抱きかかえられたシャロンがこちらに顔を向け、バロンとよく似た可愛らしい笑顔を向けていた。
だが、空の視線は顔を向けた瞬間シャロンを抱き上げているフードを目深に被った男に注がれた。
ギクリ────と、全身が強張り冷や汗が頬を伝う。
夢の中に出て来た男は、正しくこの様な風体では無かったか……
口の中がカラカラに乾き、ワンワンと耳鳴りがし始める。
危険、危険、と身体の内側から警鐘が鳴り始め、全身が引き返せと訴えて来る。
だが、意に反して足が動かず、恐怖に絡めとられてガタガタと全身が震え始める。
(駄目だ────この男の正体を知ってはいけない)
そう思うのに、動けない。根が生えた様に、一歩も。
目を向ければ、近くにはバロンも男の側に佇みにこやかに空に向かって笑顔を向けている。
「ねぇ、お姉ちゃん、シャロンが怪我をして動けなくなってしまった所を、このおじちゃんが助けてくれたんだよ」
「そうなの、私足を痛めちゃって動けなくなっちゃって。それでね、怪我を治してもらってる間色んなお話したの。お姉ちゃんのお話をしたらぜひ会わせて欲しいってお願いされたの」
二人は無邪気に、フードの男に微塵の疑いも持っていない素振りで代わる代わる空に話しかける。
だが、よく観察すれば、いつもはキラキラと輝いている二人の瞳は虚ろに見開かれ、言葉も抑揚に掛けている事が分かった。
「お姉ちゃん、ママやパパの代わりに、お礼をしてくれないかなぁ?」
バロンが男の横から訴える。
「誰かに何かをして貰ったら、ちゃんとお返しをしなさいってパパが言ってたの。お願い」
シャロンが男の腕から懇願する。
辺りは暖かな日差しに包まれ、本来だったらとても気持ちの良い新年を迎える事が出来るであろう陽気の筈なのに、空の周りはやけに寒々しく、いつもだったら聞こえてくる爽やかな風の音や、歌う様な鳥のさえずり、楽しげな樹々が揺れる音などがいつの間にか聞こえなくなっていた。
まるで、そこだけが異空間とでも言う様に……
「こらこら、二人とも、お姉ちゃんを困らせてはいけないよ」
フードの男は二人に教え諭す様にそう言うと、シャロンを地面におろした。
空に向かって一歩踏み出し、被っていたフードを後ろに引いて隠していた頭部を露にする。
「……一ヶ月ぶりだね。私を覚えているかな?」
穏やかに空に話しかける。
にこやかなその優しい風貌は、記憶の中にあるその人物と寸分違わず、懐かしさが込み上げて来る。
(う……そ……)
目を見開き、空は男を凝視する。
自分はまだ目が覚めておらず、夢を見ているのだろうか?
それとも、先程見ていた夢が何かの拍子に現実になってしまったのだろうか?
だって此処は魔法と錬金術の国だ……それ位、おかしい事が起こることだってあり得ないとは言い切れないではないか……
この、危険と感じる人物が、本当に危険と感じる事が有っていい筈が無い……
そんな事が有る筈が無い……だって、この、人物は……
懐かしい、この、大好きな存在は……
「パ、パ……」
擦れる様な声音で、空は自分でも無意識のうちに、知らず自身の父に呼びかけていた。




