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エメラルド・タブレット  作者: 小春日和
10/20

~和解?~

 足元も目の前にかざした掌も、自分の鼻先すら確認することが出来ない真っ暗闇の中、フードを目深に被った男は長い長い洞窟内を突き進み、遂に目的の泉に辿り着いた。


 「……此処だ」


 白い息を吐きながら男は呟いた。

 この場所は、既に外の世界とは完全な別空間になっていた。

 一切の温かみも、生命の存在も見られず、その場にいるだけでどんどん生気を奪われている様にすら感じられる。

 男に纏い付く様に並走していた幽鬼も、今では何処かに消えてしまったのか、何処にも見えない。

 泉は一切の揺らめきも立てず、静かに、鏡面の様に硬質で、真っ暗な洞窟内を反射していた。

 ずっと眺めていると、まるで自分自身が真っ黒な墨の中に身を置いているかの様な錯覚を覚えてくる。

 不気味なほど静まり返ったその泉の中に、男は躊躇無く身を投じた。


 ――――ゴポリ


 まるで澱みの集まりの様な泉は、男と、男が手にしている何かをまとわりつく様に飲み込んだかと思うと、それまで静まっていたことが嘘の様に膨れ上がり、ゴウゴウと唸りを上げながら飛沫を上げ始めた。

 ゴボゴボと激しく、洞窟内を埋め尽くす様に吹き上がり、辺り一面を真っ黒な水が覆い尽くす。

 何れ位そうしていただろうか……

 やがて泉は落ち着きを取り戻し、何事も無かったかの様に、元の鏡面の様な、硬質で静かな水面を取り戻した。





*****





 秋もだいぶ深まり、夏の暑さを忘れ去ったひんやりとした、冬の寒さを思い出させる風が吹く様になって来たある日、空はグランヴェルグ城の庭園の一角、芝が綺麗に刈り込まれた広場で悪戦苦闘していた。


 「も……もう、無理! 疲れた!!!」


 そう言うと、手を地面に付きながら、もつれる様にその場にしゃがみ込む。


 「何だよ、もうギブアップか。だらしねぇなぁ……」


 空の相手をしていたエドワルドは、これだからひ弱っ子は……と言わんばかりの視線を投じながら、空の頭に乾いたタオルを投げかける。


 「……だって、こんなの経験無いもの」


 頭に乗せられたタオルを手に取り、後から後から浮き上がって来る珠の様な汗を拭う。

 我ながら凄い汗だとビックリした。真夏の暑い時期の体育の授業ですら、こんなに汗をかいた事など無いのでは無いか……

 あまりの運動量に、ヘトヘトになりながらも何とか言い返す。


 空は今、収穫祭で踊られるダンスの練習をしていた。

 ……と言うのも、空がグランヴェルグ城で暮らす様になったある日、いつもと違ってあまり乗り気のしない面持ちで空の元にやって来たカルロスが、薄々感づいていた事を口にしたからだ。


 ────父上とお祖父様がソラに会ってみたいって言うんだけど、いいかな……?


 ……うわぁ、やっぱり来た!!!


 普段、次期国王のカルロスとやり取りしているとは言え、カルロスを通してお世話になっている事に対する感謝を伝えているとは言え、この城の主はアルフレドだし、重鎮はバータルガーだ。

 乗り気はしないものの、一度カルロス本人に、住まわせて貰っている感謝を直接伝えた方が良いのではないか?と聞いた事もあったが、そんな事は必要無いと言ってくれたのでホッとしていたのだ。

 が、いつか本人達から申し出が来るのではないか……そんな予感はしていた。


 そ、そうだよね……お、王様って、流石に怖そうだけど……お邪魔しているのだから、挨拶くらい、しないと駄目……よね。


 マグダや、今では顔なじみになった城使えの年の近い侍女の話から、アルフレドやバータルガーはかなり大柄で、髭を生やした厳つい風体の見るからに国王様と言う雰囲気が醸し出された方々、と言うのを聞いていた為、正直腰が引けていた。

 面倒を見ている娘があまりに庶民的で、理想からかけ離れているとがっかりされたりしないか、緊張して口を滑らせて怒らせたりしないか、ヘマをして機嫌を損ねてしまわないか、もし失敗してしまったらどうなるのか────と、想像するだに恐ろしい。

 カルロスみたいに優しい人の親族なのだから、そんなに怖い人達の訳は無い……と思おうとするのだが、一度付いてしまったイメージを脳内から払拭するのは中々に至難の技だった。

 決心が付かず口をぱくぱくしていると、


 「じゃあさ、収穫祭に顔を会わせる段取りにして、それまでは宮廷の作法とか一通り勉強してみる? 予め予習しておけば心配は減るんじゃないかな?」


 そんなカルロスの申し出に、渡りに船とばかりに飛びついたのだが、テーブルマナーに会話術、歩き方に社交ダンス……と、課題が多く、アルフレドとバータルガーに事情を説明し、待って貰う形となったのだが、実はハードルを上げる結果になってしまったのでは無いか……と最近では思えてくる。

 それに加えて今は社交ダンスではなく、収穫祭に踊られる、古くから伝わるセットダンスを練習しているのだが、これがまた特徴的で、踵を鳴らす様に足を細かく動かすステップに加え、カップルで踊るので息もぴったり併せながら、相手の手を取りテンポ良くクルクルと回らなくてはいけない。当日はこれに軽快な音楽も加わるのだから、最早頭の中は混乱の極みである。


 「大体、何で練習相手がエドなのよう……カルロスの方が教え方優しいのにっっっ」


 プクリとすねた様に桜色の頬を膨らませ、エドワルドに悪態を付く。


 「ほおぉぉぉ? ほぉほぉ? お前は陛下の御前で無様な醜態を晒すつもりか? そんなへっぴり腰で甘甘のカルに教わりたいだと? 寝言は寝てから言えっっっ!」


 「痛っっっ!」


 額を指で弾き飛ばされた……幾ら爪を切っているとは言え、190センチはあろうかと言う体躯の指先は流石に凶器である。涙目になりながら額を押さえる。


 「ひっどい! か弱い乙女にそう言う事する!? しんっじらんない!!!」


 「誰がか弱い乙女だよ。寝言は寝てから言えと言ってるだろう。でっかい腹出しながら大イビキかいて風邪一つ引かない図太い神経の癖に」


 「何それ!? 嘘よ! そんなの知らないもの!」


 エドワルドの唐突な発言にビックリし、次いで、そんな醜態を見られたのかと両手を頬に当て赤面し始める。


 「してたさ、この前そこのベンチで寝っ転がってたの見てたぞ」


 「あ れ は ひ な た ぼ っ こ し て た の ! ! !」


 因みにお腹にはカルロスの妹姫が可愛がっている、以前見かけた白い子猫のキティが乗っかり、一緒にひなたぼっこを楽しんでいたのであって、お腹を出していたのでは決して決して無い。


 尾ひれってこういう事から付き始めるんじゃないの!?


 これが尾ひれが付いて噂が広がる事の絡繰りかと一人納得しながらも、宮廷作法の練習でクタクタになり、昼下がりに部屋で一人爆睡している所を見られたのではないとわかり、胸を撫で下ろす。


 ────見た目はカッコいいのに、本当に超超性格悪い!!!


 カルロスが以前言っていた、極悪だけど本当は良い奴と言う言葉を思い出す……


 心細さはまだまだぬぐい去れないものの、王城での生活がスタートし、不慣れながらも何とかこの世界に馴染める様に頑張り始めてから数日経ったある日、マグダが扉を叩いたかと思うと何かを引きずりながらのしのしと勢い良く入って来た。

 その隣にはマグダに引きずられる格好となったエドワルドが、今にも倒れんばかりの体勢で控えており、以前マグダが謝りに来させると言っていた事を思い出した。

 

 「さ、エドワルド様、ちゃんとお謝り下さいね! 後でお嬢様にちゃんと確認致しますから、ごまかしは利きませんよ!」


 ふくよかな人差し指を突きつけながらエドワルドにそう捲し立てると、マグダはさっさと出て行ってしまい、後には空とエドワルドが残された。

 ビックリして一連の流れを呆気に取られながら見ていると、エドワルドが空に視線を向ける。


 「あ〜〜〜……その、この前は悪かったな。まぁ……なんだ、元気そうで何よりだ」


 気まずそうに赤髪の頭を掻きながら、


 「身体は、もう良いのか? この前は凄い熱にうなされてたけど」


 と以前と同じ、落ち着いた声音で聞いて来る。


 「え? う、うん、お陰様で────ありがとう、あなたが気がついて此処に運んでくれたって、カルロスから聞いたわ。それに、私は関係ないって、無実を証明してくれたって」


 カルロスに教えて貰い、自分の為に動いてくれたエドワルドの意外な一面にびっくりしたが、それで自分は助かったのだと言う事がわかり、ちゃんと礼を述べようと予め心に決めていた。素直に感謝を述べる事が出来、空自身ホッとする。


 「いや、俺はカルの側近として必要な事をしただけだ。そもそも、もっとちゃんと冷静でいたら未然に防げた事だしな。────許してくれるかどうかはわからないが、もし良かったらエドと呼んでくれ」


 そう言いながら右手を差し出す。

 エドワルドは何処からか帰って来たばかりなのか砂埃にまみれ、若干疲れている様にも見えたのだが、陽の当たる明るい部屋で見る彼は、牢屋で会った時よりも刺々しさが消え、穏やかそうにすら感じられた。

 大勢の人が行き交う街の中でも、きっと目を引いて、見つけるのに困らないであろう鮮やかな赤い髪に、紺碧とも言うべき、深い深い深海の様な海色の瞳、日本人にはなかなかいない位の高い身長に長い手足、カルロスよりも年長の精悍な顔つきに、深い落ち着いた声音、そして……

 空は両手を伸ばし、差し出された手を取ろうとする────が、その手はエドワルドの手をすり抜け、思わず釘付けになっていた物へ掴み掛かった。


 ────むぎゅっっっっっ!!!


 「ふぉっっっ!!?」


 何が起こったのか理解が出来ない体で、エドワルドが不思議な呻きを上げる。


 「うわっっっ本当に尖ってる! 本当にエルフだ!!!」


 「こらっ馬鹿っ! 止めろっっっ!!!」


 辛抱堪らず、エドワルドの耳を掴み弄り始める。

 何せ、ハーフとは言え夢にまで見た念願のエルフの耳だ。此処で逃す訳には行かない。

 握手などすっかり忘れ、耳を引っ張ったり、硬さを調べたり、長さを測ったりと、嬉々として耳を弄り続ける。

 その間、カルロスからエドワルドがハーフエルフである事、自分は昔からエルフに憧れていたこと、最初は怖かったけど、ハーフエルフと教えて貰ってから、仲良くしたいと思い始めた事等を伝えた。

 最初は大人しくして空の話に相づちを打っていたエドワルドであったが、その話を聞き続けるうちにどんどんと無口になり、不機嫌になり、仕舞いには今日の様に空の額を指で弾き飛ばし大人しくさせたかと思うと、そのまま急いで逃げる様に部屋から退出してしまった。


 その後、ちょくちょく顔を会わせる機会が増え、誤解が解消された事により話す事も多くなり、思ったよりも優しく、人に対する気遣いや礼節も備えていることがわかった。

 耳を触り過ぎた事で怒らせたのかとも思ったが、何事も無かったかの様に話しかけてくるし、言葉はぶっきらぼうだが、知り合いの少ない空自身の事も気に掛けてくれる様になった。

 実際、今日のダンスの練習も自主的に名乗りを挙げてくれたのだ。しかも、教え方も上手く、どんどん上達している事は否めない。面倒見が良いと言うのも頷ける。


 はぁ……これで普通に優しくて接してくれたらなぁ。


 ずきずき痛む額を押さえながらそんな思いに耽る。

 最近わかった事なのだが、カルロスとエドワルドは兎に角モテるのだ。

 これだけカッコ良いのだから当然なのだが、気が付くとグランヴェルグ城に出入りしている女性に取り囲まれており、そんな時に話しかけようものなら取り巻きの女性達にもの凄い眼光で睨まれ、ともすると食い殺されそうな勢いになる。


 ────まぁ、成り行きとは言えあんな田舎娘の相手をしなくてはならないなんて、カルロス様もエドワルド様もお気の毒に


 あんな庶民の娘の相手をお二人が本気でする訳ないですわ。お二人ともお優しくていらっしゃるから、あの娘が勘違いしてるのよ


 時には、そんな言葉すら聞こえてくる始末だった。

 だが、そんな取り巻きの女性達にカルロスは勿論、エドワルドも空にするのとは違い、とても親切で優しい対応を事欠かない。

 カルロスもエドワルドもそんな女性達を取りなし、帰らせた後に必ず気にする事は無い、と声を掛けて気遣ってくれるのだが、エドワルドの取り巻きの女性に対する態度と、空に対する態度には雲泥の差があった。

 いまいち納得が行かないとともに、もう少しその優しさを自分にも向けてくれても良いのではなかろうか……と思ってしまう。


 ────実際関わってみて、良い奴なのもわからなくは無い……んだけど。


 それでも、年頃の少女にする対応としては若干引っかかるものがある……

 そもそも女の子にデコピンする男って……デコピンって……と難しい顔をしてぶつぶつ唸っている空に


 「おい、そろそろ良いだろ、時間が無いんだからさっさと次ぎのパートに移るぞ」


 またもや冷たく言い放つ。


 「けちっ! ちょっと位休ませてくれたって良いじゃない!」


 「お前は休み過ぎなんだよ。食っちゃ寝してると太るぞ……今度からミニブタって呼んでやろうか?」


  ────!!! 前言撤回! やっぱりこいつは極悪非道極まり無い!!!


 眉を吊り上げ、エドワルドを射殺すかの様な冷たい眼光を向けた空は躊躇無く足を思い切り振り上げる。


 「私はごくごく標準体型よっっっ!!!」


 バシリ! と、冷たい秋の風が吹き抜ける午後の庭園に、エドワルドを容赦なく蹴り飛ばす音が盛大に響き渡った。




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