間抜けなロージー
ロージーこと、アリシング伯爵家長女、ローズマリー・アリシングは目の前にいる双子の妹、マーガレットに失望の眼差しを送っていた。
「あなたはなぜこんな事も出来ないの?
呆れ果てて何も言えないわ」
黙ったままでいるマーガレットは先ほど家に帰って来たばかり。
金色の髪は纏められ飾り気のない帽子で隠されている。
ドレスは伯爵家令嬢とは思えぬ動きやすい簡素な物。
お忍びで遊びに行ってきましたと言わんばかりの格好だ。
今日は父から来客があるから対応するように言われていた。
母は亡くなっている為、自分達が女性客の対応をする。
今日の来客は父の従兄弟夫婦。
妻の方は噂好きで話が途切れる事がなく、内容はゴシップと自慢話ばかりで聞いていて疲れる。
けれども付き合いというのは大事で、淑女として、微笑みを浮かべて話を聞き、受け入れられない話は躱し、有益な情報は心に留めておく。
そんな事すら、妹は出来ない。
いや、する気がないのだ。
ローズマリーとマーガレットは双子だが、あまり似ていない。
金髪で愛らしい顔立ち、甘え上手なマーガレット。
対してローズマリーは髪色こそ同じだが、つり目でキツイ顔立ち。
性格はお世辞にも可愛いとは言えない。
常に自分を律し、それを人にも求める。
ローズマリーとマーガレットはとにかく仲が悪かった。
いつも正論で責め立てるローズマリーをマーガレットは鬱陶しく思っていた。
礼儀作法に厳しく成績も優秀な姉。
誰もが自分と同じように出来ると思い、それを強要する。
人には向き不向きという物があるのに、それを全く理解しない。
いつも自分が正しいと思っている。
そんな姉にいつか思い知らせてやろうと思っていたマーガレットは、その機会が来た時、可愛らしい顔を歪めて笑った。
ある夜、ローズマリーは女友達から手紙を貰った。
寝る前にベットで本を読んでいた時に届けられた手紙。
そんな時間に届けられた手紙の内容は、すぐに会って話をしたいというもの。
普通ならそんな不躾な誘いには応じないが、手紙からは必死さが伝わり、行かなかったら、友人が死を選ぶのではないかと不安になった。
友人は屋敷の少し先に馬車を止めて待っているらしい。
ローズマリーは着替えると、そっと部屋を抜け出した。
「ロージー!」
馬車の中には泣きはらした顔の友人がいた。
「私、もう駄目! 生きていけないわ!」
友人はローズマリーを見るや抱きついて泣き出したので、どんなに大変な事があったのかと思えば、恋人が他の女性と親しくしていたのを見て、捨てられるのかもと不安になったらしい。
「そんな事で呼び出さないでちょうだい!」
「そんな事ってひどいわ、ロージー。
私、本当にどうしていいか分からなくて。
彼が私を捨てるなんて思わないけれど、もし、もし、そうなったらって思ったら居ても立ってもいられなくて。
ロージー、どうしよう、彼に捨てられたら生きていけないっ!」
友人は大粒の涙を流して喚く。
ローズマリーはまず、こんな時間に人を呼び出すという事がいかに非常識で、人に見られたらどんな噂を立てらるか分からない、という事を諭した後、彼女の話を聞いてやった。
彼女は話しているうちに自分の中で気持ちの整理が付いたのか、恋人と話してみると言い、帰って行った。
ロージーは友人の馬車から降りると、深く溜め息をついた。
夜中に屋敷を抜け出して馬車で話をしているなんて、自分らしくない。
誰にも見つからないうちに、と足早に部屋に帰った。
夜中に屋敷を抜け出した数日後、ローズマリーはマーガレットと対峙していた。
マーガレットの手には一枚の紙。
その紙には、ローズマリーが夜中に屋敷を抜け出して、馬車で誰かと逢引きをしていた事が書かれていた。
マーガレットはその手紙をローズマリーとマーガレットが通う学園の学園長に送ると言う。
「逢引きだなんて馬鹿な事を言わないで!
私はエミリーと会っていたのよ、相談を受けただけだわ」
「あら、そう。
でも夜中に屋敷を出て行ったのは事実でしょ。
どんな理由があれ、淑女として有り得ない行為よね」
「あなたに言われたくないわ!
いつも家を抜け出して、私に迷惑をかけているのはあなたでしょ!」
「いくら私でも、夜中に屋敷を出て誰かに会いに行くなんて事はしないわ。
伯爵家の娘として、そんなはしたない事は出来ないもの」
その言葉に、ローズマリーの頭に血が上った。
いつも、大事な事があるたびにいなくなるマーガレットのフォローをしていた。
体調が悪くて、と嘘をつき、勘ぐる相手を誤魔化した。
それは真面目なローズマリーには酷く気分の悪くなる事で。
それでも妹の名誉の為にと我慢していたのに。
かっとなったローズマリーはマーガレットから紙を奪い取ると、ビリビリと破いた。
それを見ていたマーガレットは声を上げて笑い出した。
「あーあ、やっちゃった。
馬鹿なロージー。よく見なさいよ、その紙を。
それには魔女の呪いがかけられているの。
その紙を粗末に扱った人に呪いがかかるようにね」
マーガレットの言葉を証明するように紙から黒い靄が上がり、ローズマリーを包み込んだ。
「いやっ!」
振り払ったが、それは手をすり抜け、ローズマリーの体に染み込むように消えた。
呆然とするローズマリーは愉快そうに笑うマーガレットを見る。
「どうして・・」
魔女の呪いは軽いものではない。
悪戯では済まないのだ。
マーガレットはローズマリーを見てその可愛らしい顔を醜く歪める。
「どうして? どうして私がそこまでしたのかって事?
あなたが憎いからよ、ロージー」
「!」
妹の言葉に衝撃を受ける。
「あなたは私を馬鹿にしているでしょう。
何をやらせても自分に敵わない。何をやらせても駄目だって」
「それは、あなたが真面目にやらないからよ。
いつも途中で投げ出してしまって」
「あなたはいつもそう言うわ。
真面目にやりなさい。頑張りが足りないって。
やって出来ない私の気持ちなんて、考えない!」
叫ぶようにマーガレットは言った。今までの思いを吐き出すように。
「頑張っても、私はあなたと同じように出来ないわ。
あなたのようにはなれないのよ!
周りからもこう言われるのよ。
双子なのに、あの二人は随分違う。
姉は優秀なのに、妹は・・って!」
「それは、でも」
「うるさい!
あなたの言葉なんて聞かないわ。
いつも比べられて、あなたに馬鹿にされて。
もうウンザリ! ロージーなんか、大嫌いよ!」
ローズマリーがどんなに注意しても、いつも気に留めずに自由奔放に振る舞う妹が、そんな事を思っているなんて思わなかった。
妹は顔も性格も可愛くて、周囲から可愛がられている。
失敗しても出来なくても、仕方ないなあと許される。
妹はそれに甘えて何もしないのだと思っていたのに、こんな葛藤を抱えていたなんて。
マーガレットは息を整えるとまた笑みを向けた。
「あなたには魔女の呪いがかかったわ。
自分で魔女の紙を破いてしまったのだもの、仕方ないわよね」
「・・・・」
「安心して?
実の姉に死ぬ様な酷い呪いはかけないわ。
私が願ったのは些細な事よ。
あなたに私の思いが分かる様に」
「どういう呪いなの?」
「ほんのちょっとそそっかしくなるだけ。
いつもすましているあなただもの。その方が可愛げがあるんじゃないかしら?」
それからのローズマリーは何も無いところで躓き、転ぶ様になった。
忘れ物をする様になった。
道に迷う様になった。
その辺に服を引っ掛けて破いてしまう事もあった。
はじめは珍しいと目を丸くしていた周囲だが、その内に変化が起きた。
友人が離れていった。
学園内で優秀と言われる人達。
将来国を背負って立ち、人々のお手本となる立派な人達。
今のローズマリーは立ち振る舞いも立派とは言えず、忘れ物をするなど、信用に足る人間ではない。
見限られるのも当然だとローズマリーは思った。
教師からの信用も失った。
会議に遅刻し、大切な書類を無くしたのだ。
これも当然だと思った。
今まで生活態度を注意してきた人達からは、面と向かって色々言われた。
転べば笑われ、忘れ物をすれば囃したてられ、服を破いてしまった時は卑猥な言葉を投げつけられた。
品行方正、優秀で皆の羨望を集めていたローズマリーはいつしか、
『間抜けなロージー』
と、呼ばれる様になった。
ある日、部屋で勉強をしていた時にローズマリーは父に呼ばれた。
最近のローズマリーは、授業が終わればすぐに家に帰り、休日も部屋に籠りきり。
ローズマリーと、前と変わらずに友人でいてくれる心優しい人達が、気分転換にとお茶や買い物に誘ってくれるが、ローズマリーはそれに応える余裕はない。
勉学に励み、落ちた評判を取り戻さねばならない。
何をするにもいつも以上に気を張って、失敗しない様にしなければならない。
そんな風に気を張り詰めていたローズマリーに、父が突きつけたのはローズマリーの縁談だった。
ローズマリーは長女で、この家には男子がいないので、ローズマリーが婿を取ってこの家を継ぐのだと思っていた。
それなのにローズマリーを嫁に出すらしい。
父にも見限られたか。
そう思ったローズマリーは一晩中泣いた。
もう何もする気が起きなかった。
ローズマリーの相手は、母方の従兄妹で子爵家嫡男のルーベンスだ。
同じ年のルーベンス。昔はたまに会っていたが、ここ五年ほど会っていない。
ルーベンスは子供の頃はひ弱で体も小さく、まるで女の子のようだった。
親戚で集まると男の子達に構われ、よく泣いていた。
そんなルーベンスにローズマリーがどう対応していたかというと。
「男だったら泣くものではないわ。みっともない。
そんな女々しいからいじめられるのよ」
と、今思えば、更に傷を抉るような事を言っていた。
その時のルーベンスがどんな顔をしたが覚えていないが、いい気持ちではなかっただろう。
他にも色々言ったと思う。
覚えていないが、多分ルーベンスが嫌がる事を。
この縁談は父がルーベンスの父に無理を言ったのだろう。
親戚ならローズマリーの粗相も多少は目をつむってくれると思った親心かもしれない。
そう思い、ローズマリーは気力を振り絞って、屋敷を訪れたルーベンスに会った。
ルーベンスは逞しい青年へと成長していた。
長身で引き締まった体。
女の子の様に可愛かった顔は凛々しく整い、優しい笑みを浮かべている。
つい見惚れていたローズマリーは父の咳払いにハッと意識を戻し、慌ててルーベンスに礼を取ろうとした。
だが慌てたローズマリーの足はかくりと力を失い、床に座り込んでしまう。
ローズマリーはあまりの恥ずかしさに顔を上げられなかった。
すると、ルーベンスはローズマリーの前に片膝をついて、手を差し出した。
『大丈夫ですか? 美しいお嬢さん』
ルーベンスは宮廷語と言われる隣国の言葉でローズマリーに話しかけた。
隣国に留学をしていたルーベンスは発音がとても綺麗だった。
隣国語はとても発音が難しく、それを綺麗に発音するのが一種のステータスだ。
ルーベンスのその言葉は自分がいかに優秀であるのかを誇示しているようだった。
そして、その優秀な自分にあなたは釣り合うのかと言われたようだった。
ルーベンスの家は子爵家ながら、貿易で富を築いている。
社交界でも中心におり、その上、ルーベンスは凛々しく美しい青年に成長した。
人々の注目を集める自分の横に立つ資格があなたにあるのか。
ローズマリーの目から涙が溢れた。
自分は彼の隣には立てない。
昔の自分なら?
昔の自分はもっと駄目だ。
人の気持ちを考えてなかった。
出来ないのは努力しないのが悪い。言い訳なんか聞きたくない。
そう言って、突っぱねてきた。
その人をきちんと見ていなかった。
今やっと分かった。
私はもう昔みたいには出来ない。
ならば、今の自分に出来る事をしよう。
まずは私を心配してくれている友人に謝ろう。
「構わないで、そんな暇はない」と苛立ちまぎれの言葉を吐いてしまった事、今までの態度全てを。
私は目の前で困った顔をするルーベンスの手を取り立ち上がった。
ハンカチで涙を拭い、ルーベンスに頭を下げる。
「ルーベンス様、本日は遠い所をお越しいただき、ありがとうございました。
けれど、申し訳ございません。私はあなたと結婚できません。
大変光栄なお話ですが、お断りさせて下さい」
顔を上げると、ルーベンスは目を見開き唖然としていた。
何も言わないルーベンスに礼をして、父の前に行く。
父は困惑したような、怒っているような、しかし喜んでいるような複雑な顔をしていた。
「申し訳ございません、お父様」
謝るが父からの反応はない。
もう一度、深々と頭を下げ、部屋を後にした。
ローズマリーは部屋を辞するとすぐに家を出た。
友人の家へ向かう。
今までの事を謝り、これからも仲良くしてくれるようお願いをしに。
ローズマリーの顔はとても穏やかで、今までの自分と決別する様に笑顔を浮かべていた。
一方、部屋に残されたルーベンスとローズマリーの父は。
ルーベンスは幼い頃から好きだった人に振られて、がっくりと肩を落とし項垂れ。
父は、今にもローズマリーを連れ去りそうだったルーベンスをローズマリーが振ってくれた事に、少し安堵していた。
大切な妻が残してくれた娘達。
マーガレットも今は姉に呪いをかけた事を悔いている。
ローズマリーがどんなにマーガレットを心配して、フォローしてきたかを話して聞かせたのだ。
今はまだ謝れていないが、いつか二人が和解してくれると信じている。
それにはまだ時間が必要だ。
子供の頃、ルーベンスは自分がローズマリーに認められるぐらいに立派な男になったらローズマリーを下さいと言っていた。
幼いルーベンスの目に本気を見た父は約束し、今がその約束の時かと、しぶしぶ縁談を進めたのだが、娘の目にはルーベンスはまだまだだったらしい。
父は考える。
娘達は自分の殻を破り、まだまだ成長する。
その成長を、身近で見ていられる。
自分は幸せだ、と。
跪き頭を垂れる、いつか自分から娘を奪っていくかもしれない男を横目に見ながら。
お読みいただきありがとうございます。
『間抜けなロージー』から『幸せなロージー』へ
という、続きの話があります。
よろしければ、どうぞ。