最終夢
それからというもの、僕に『底辺の出来事』が起こることが皆無となった。
我が身に降り掛かる危険は全て、“穴の夢”が伝えてくれる。その穴を避けるだけで、不運は誰かにしわ寄せしてくれる。
人生とは不思議なもので、『底辺』がなくなると『絶頂』がその代わりになる。
つまり、僕の人生は上がりっぱなしである。
まるで、世界が自分の思い通りに動いてくれるようにいいこと尽くめの生活を送っていた。
僕の人生は怖いものないしだ。そう、自分は特別な人間。凡人とは違う。
臆病だった僕の性格も、そのうち気が大きくなっていくのが解った。
けれど、これは前兆だったんだ。何で気付かなかったんだろう、破滅が足音をたてて近づいていることに……。
毎度のように“穴の夢”を見た。
普段どおり目を開けると、永遠に辿り着けない道の前に僕は立って……いなかった。
そこは異常な光景が広がっていた。
いつもなら前面に、限りなく延びている道のりが、一生かけても到着できないような道が、目の前で途切れている。
いや、正確に言うならば道は途切れていない。視線の数メートル先に、まだ道程は続いている。
ただ、僕のいるポジションを中心として『落とし穴』に囲まれているだけだった。
それは、初めての経験だった。どんなに多くても、一度に出現する穴は二つか三つだ。なのに、今回はどうだ、自分を追い詰めるように数多の穴が僕を囲っている。
それだけなのにとても恐ろしかった。僕は知っている、この穴は人生の『底辺』の穴。落ちれば我が身に不幸が訪れる。
今まで、起きたことのない凄まじい光景。背筋が凍る感覚がする。
だけど、神はまだ僕を見捨ててはいない。
確かに全方位穴に囲まれているが、幸運なことに自位置と向こうとの距離は一メートル強。飛び越えられない幅ではない。
ここを乗り切れば、この異常事態も終了だ。相も変わらない『絶頂の人生』を過ごせる。
数歩下がり、助走をつける。穴の縁ギリギリの地点で踏み込み、飛び越えた。
スタッ、どうやらうまく着地できたようだ。そのことに安堵しながら前を見据える。
そこにはいつもと変わらない永い道路が続いていた。
さらに、もう一安心したその刹那の出来事だった。
何もない白い空間に、突如として十数の底深い穴が同時に開いた。
さらに、穴口は増殖し続ける。しかも、普段では考えられない尋常じゃない速度で……。
数十秒で白い空間は、まるで、アニメなどに出てくる穴だらけのチーズみたいに穴ぼこだらけになってしまった。
これは、どういうことだッ。これまでの間にこんなこと起きなかったじゃないか。何故だ、如何してだ。
憤怒に似た声で辺りに喚き散らすが、夢の中に誰かいる訳がない。返ってくるのは空しい静寂だった。
そうしているうちに、目の前は純白から漆黒に染まっていた。それだけでは飽き足らず、僕の陣地も次第に喰いつき始まる。
やめろ、やめてくれ…… 早く目を覚ませ! 起きろ!
ついに、身動き出来ない程の足場しかなくなり、その場でへたり込む。
この悪夢から目を覚ますために、何度も握り拳で頬を打ち続ける。なのに、いつまで経っても痛みの反応がやってこない。
目の前に怪物の口が迫っている、さっきのような逃げ場は無い、もう逃げられない。
「やめとけよ、いい加減諦めな。」
耳元で何かが囁いた。
「お前は人間の摂理を超えた。出すぎた杭なんだよ」
穏やかな声なのに寒気を感じる、男か女か区別できない声。
「出る杭打たれる、当然のことだろう?」
それは、死神の囁きだった。
トンッ、と死神は僕の魂を軽く押した。不幸の口に向けて。
穴に吸い込まれるように、体が前のめりになる。
穴に落ちる一瞬前、千里眼のように瞬時に穴の底の様子が僕の脳裏に映し出された。
それは人の骨、白骨死体。骨格からすれば、ちょうど僕と同じくらいのサイズの……。
そこで、目を覚ました。まさに寸止めの夢だった。
もしも、もう一回寝てしまったら、きっと夢の続きが再開されるだろう。
破滅の夢がリスタートしてしまう。
以降、僕は夢を見ることができなくなった。
END




