三夢目
あの事件からちょうど一週間が経過した日の晩のことだ。
実に七日ぶりに“あの穴の夢”を見た。
味気のない白い空間に、例によって恒久的に続くようなコースを前に、自分が立っている。
人間、三度目になると慣れを覚えるらしい、馴れっこな風に地道に歩みを重ねていく。
一時間、二時間と着実に先を進んでいく。それでも、一本道の終点は現れない。それは、一生かかってもたどり着かないような途方もない道のりだ。
一生……、その単語は僕の頭で反芻された。そういえば前に、この夢の暗示について考えていたけど、もしこの長い道が、何かを比喩しているとしたら。
そう、例えば人の一生、この場合夢を見ている自分の一生が、この先の見えない道だとするならば。
咄嗟に思いついた仮定は、根拠も証明もない。だけど、筋は通っていると僕は考えた。
そして、あの深い落とし穴。もし、この夢路が僕の人生とすると、あれは何を表しているんだ。
すると、噂をすればなんとやら、突発的に目の前にぽっかりと開いたホールが出現した。
大きさとすれば初めてみたものと大して変わらない程度の大きさだ。人工的に刳り貫かれたような、一ミリの狂いもない円形。底があるかどうかも確かめられない程の深度。
前回同様、穴に落ちないように、慎重に迂回してその場をやり過ごす。
そうして、何事もなかったように落とし穴は閉じてしまう。
これが一体何を示しているのか。
長考の末、あることに気付いた。
この夢を見てから目を覚ますと何かしら事件が起きている。
一回目は、隣町の火災。二回目は、隣人が通り魔に襲われた。
二つとも僕の近辺で起きている事件だ。それも夢を見た後の出来事だ。逆を言えば、そのとき意外目立った事故や事件は起きていない。これは偶然だろうか、はたまた何かの啓示だろうか。
そういえば、何かの小説でこんな言葉を見たことがある。
『人の生涯は浮き沈みを繰り返す。底辺と絶頂を行き来する』と。
そこで、頭の中の全てのピースがはまった感覚がした。
この穴は、僕の不幸、底辺を暗示しているのではないか。
つまり、この“穴の夢”は、『自分の人生の中で、底辺の出来事を知らせる』夢なのではないか。そして、その出来事は必ず起きる。穴に落ちれば、それが降り掛かり、うまく避ければ周りが肩代わりしてくれる。
この解釈はあくまで仮定だ。本当はただの変な夢でしかなく、自分の思い違いかもしれない。
だけど、僕の中ではどことなく溢れる自信があった。
もしも僕が穴に落ちていたら、家が火災にあったり、通り魔に襲われていたかもしれない。そう考えればゾッとする。
だが、考え方を変えれば、『人生の底辺の出来事』の穴を全て避けてしまえば、僕には、二度と不幸は訪れない。生きている限り、永遠に最悪の事態がやってこない。
なんて、素晴らしい事だ。
いつの間にか、夢の時間は終わっていた。
ベッドの寝そべった体を起こしあげる。
心なしか、気分がいい。何か成し遂げた、達成感がある。
薄暗い部屋のカーテンを開く。澄み渡る青空、小鳥たちも気持ちよさそうにチュンチュンと囀っている。
しかし、人間たちはそうもいかないみたいだ。
朝っぱらから、パトカーのサイレンと野次馬のざわめきが鳴り響いている。自宅の前に。
あとから母に聞いた話によると、どうやら向かいの家で、真夜中に強盗殺人が起きたらしい。
「最近多いわよね、こうゆうの。他人事のようにはできないわ」
母は心配そうに話していたが、僕はずっと笑っていた。
僕の仮定は間違っていなかった、アクシデントのない安全な世界の完成だ。
今日は、僕が生まれた日で一番充実した日となった。




