女性と台車の組みあわせは危険
朝の通勤は、電車徒歩のみ、送迎バス有、会社は様々なルールを与えている。中にはそれをしらりと破り大型バイクで通勤何てツワモノのもいるが、新入社員はそんなこと出来るはずもない。先輩の顔色を伺い仲良くなった頃に「え、前から僕バイクでしたよ?」とさりげなく溶け込み本来望んだ通勤手段を手に入れるのだ。この世界は年功序列、先輩、後輩を重んじるのである。先走りは許されない。
遠方以外で電車通勤を望まないのは朝のラッシュがしんどい、直行直帰がやりやすい、荷物がかさばらないし楽、などと言ったところだろうか。ここまでは普通の会社のお話。恋丸コーポレーションの通勤手段は度肝を抜かれた。
駅は何処駅でもいい、改札の人に恋丸コーポレーションの名札を見せると恋丸コーポレーション社員専用のホームへと案内される。ここにいるのは皆恋丸の社員である。
そして何故かベストタイミングで到着する電車に乗り込み暫く揺られていると恋丸コーポレーション前駅へたどり着く。どの駅でも言う事、 ベストタイミングで到着することに一瞬不可解な疑問が過るが隣のモブ同士のガヤが気になったので耳を傾ける内に不可解な疑問はすっかり脳裏の奥底のシュレッダー箱に入れられ削除されてしまった。何でも駅の名前が長いのに輪を掛けて略名が酷いと言う話で盛り上がっているらしい。たまたま横に乗り合わせたモブの女性に聞いてみる。誰が広めたかは知らないが、通称恋目前駅だとのこと。恋と前で恋は目前。どうやら余り良い趣味はしていないらしい。適当にモブ子と相槌を繰り返しお互い話すことが無くなればうとうと眠ったフリをした。眠ったフリは昔から得意なんだ。
〜次は恋丸コーポレーション。今日は入社式。皆様良い一日を〜
電車の車掌の声の後一歩遅れて扉が開いた。
改札を出てすぐ横にはコンビニ。すぐ隣はショッピングモールがあり色々アフターではお世話になりそうだ。直ぐ前方に見える自然に囲まれた長い橋を歩いて徒歩5分。橋の下は道路で車がたまに行き来を繰り返す。こんな都心部にまだ落ち着いた場所があるとは……場所は何処なのだろうか。好奇心で携帯電話のナビシステムを起動させる。今の現在地…
特定不能
俺はそっとナビシステムを切って携帯をポケットにねじ込んだ。そろそろ携帯も替え時か…
ディスプレイ画面から目を離し橋の先へと視線を向けた。視界に広がる大きなビルはマルコイ本社であろう。周りを見ると、緊張気味にきょろきょろと辺りを地図と見比べながら歩く人が横切った。着慣れていないスーツに逆に着られ滑稽に見える新入社員。勿論俺もその中の一人だ。大きなビルに歩み寄り玄関先で迷惑にならない隅へ避けて一度立ち止まる。
深く深呼吸。
「よし、日比谷和哉行きま」
「ふぁああああああ!?退いてよぉおおお」
「!?」
後ろから聞こえる台車の車輪の全速力で滑る音が次第に大きくなる。想像以上の速度で台車がこちらへ向かって思わず避けようとした俺の背中の脊髄にまで響く衝撃を身体に与え吹っ飛ばされる。
「あぁっぅううう。ごめんなさいい」
どこの世界にこんなベタなドジっ子がいるだろうか。台車は無事だったらしく荷台のない台車をゴロゴロと引いて此方へ向かって来た。何故か不用意な方向転換を決められ避けかけた足を強打、悶絶する俺の横にカートをそのまま前進させ最後まできっちり俺の上を転がすと踏んだことに今更気付いたのかごめんなさいとゴロゴロと後ろへ下げられ、ナチュラルな二度引きされるという事態まで発生させる。散らばったダンボールにおろろろメソメソとなく少女に近い風貌の人間に手を貸すものは倒れたまま目を動かしていても誰もいない。日本は温情の国ではなかったのだろうか。痛む身体を起こしながらダンボールを台車へとつみ直していく。少女をちらりと目視する。年は不明だが全体的にあどけない幼さが見える、それは赤色の大きな丸いプラスチックのボンボンの髪留めのせいで更に拍車がかかっていた。ピンク色を基調にした事務員の服はアンバランスに感じる。まだメソメソと泣く女性事務員に手を差し伸べた。
「あの…」
「…何でお前なんだ、このゴミカスが」
フリーズ。動物は自分より強い相手に睨みつけられると余りのオーラから逃げることもせず固まってしまうそうだ。今まさにその状態である。そんな中脳内にゴミカスというワードが頭に響く、ゴミとは不要なもの。その上にカスがつくとなれば大変不要なものということになる。
確かにこの女性から聞こえた筈。しかしにわかに信じがたい。そんな脳内議論を続けている内にすっかり起き上がって服を調えた事務員に声をかけられた。
「あの、助けてくれてありがとうございました」
「へ?あ、あぁ大丈夫でしたか?」
「えぇ、貴方が身を挺して台車を受け止め尚且つ目標を誤った苛立ちから咄嗟に二度引きを行いましたが、それもしっかりばっちり受け止めてくださいましたので!」
余計な一言とは言わず二言も三言も聞こえた気がするがうる若き女性の体を守れたのでひとまず安心することにした。
「あれ、もしかしてマルコイの新入社員さんで?」
「え、あ…」
一瞬言葉を詰まらせると、事務員の顔が至近距離に近づく。特にそういったフラグが立った訳ではないが、どうも事務員視点からはそれなりに俺は緩んだ顔をしていたらしく耳元でボソリと「変なことしたらお前が大事にしている物全部ぶっ壊す」と不要な釘を刺してきた。無論今の俺にそんな下心は一切ない。
「ほら、これ社章。これすぐ壊れちゃうんです。あっ、社章の購入が支出としてかなりの割合を締めてるんです。もしやとは思いますが新入社員が早々壊すことのないようお願いしますね」
二度目の不要な釘を刺された後女性事務員はニッコリと事務的な笑顔を残し台車をカラカラと引いて向こうへ行ってしまった。思わず自分の社章を眺める。社章の購入が支出の割合を締めているなんてどう考えてもおかしい。あの女性事務員は気付いていないのだろうか、不正な金銭が動いているに違いない。眺めた社章を一撫でし、どうか経理には配属されないよう心から祈ることにした。