入社日。最後の昼食と妹と
ー三ヶ月前。4月1日入社日当日の朝ー
日比谷家の寝室
「国民の安全を守ることが一国のリーダーである私の責任であり…」
テレビから流れる政治家がいかにも自分の演技に酔いしれた耳障りな声で目が覚める。自室の布団で眠っていたが横向きに寝ていると微かに下の階の物音が響いてくる。未だ続くいまいちピンとこない謎の決意表明をぼんやりとした耳で聞き取り脳へと情報を送った。
結果。日本は平和である。と脳が答えを下した。
脳内会議するまでもない、突然頭上からミサイルが降ってくることも、テロに巻き込まれることも何もない。凶悪犯罪などとテレビで大騒ぎを繰り返すが所詮は遠い向こうの話。自分に降りかかるなど思いはしない。
しかし、妹に関してはまた少し話が変わってくる。
「起っきろーーーー!」
耳に入る政治家の声はかき消え、変わりにハイトーンボイスの怒号に近い腹からの叫びと、駆け上がる階段の音、無防備な腹部への容赦ない蹴りの痛みが柔らかな肌から脊髄を通り脳へと信号として叩き込まれた。威力は格ゲーで言えば通常攻撃のコンボ三番目位の攻撃だろう。この起こし方はあんまりではないかと思う。しかし、このような起こし方になる原因を作ったのは俺。とまではいかないが多少は関与している。字数稼ぎに、この場を借りて何ページにも渡って厨二病に犯された横文字で目が泳ぐこと請け合いの少し暗い過去を話してもいいが、そんなものを読んで影響された人間が人生をクランクアップさせると、後々困ることになる。なのでここは甘んじて反撃することも出来ず不意打ちのような痛みに呻き声を上げながらごろごろと転がることにした。痛いものは痛いのだ。暴力、駄目、絶対。
すらりとしたスレンダーなボディ、活発そうなキラキラとした瞳、長く伸びた甘いキャラメル色の髪と、ふわりと揺れるポニーテールは少し子供っぽさを残している。実の妹なのでそういった、けしからん感情は全くもって生まれないが容姿はこの兄にして妹、とは中々に恵まれた幸運であると思う。先祖に美形がいて覚醒遺伝を起こしたか第三者によって遺伝子組み換えを行ったのだろう。かくゆう俺は不可もなく可もなく、どちらかと言えば不可よりの中間の微妙なアニメでいうモブ、という風に考えて貰えると想像に容易い。
そんな俺の妹は、腹部の柔らかな部分を存分にごく一般の全国の妹の体重を足して人数で割った重さでめり込ませ優雅に着地。(攻撃のダメージで目視での確認はできていないがきっとそうに違いない)ここからは推測になるが(妹平均体重の蹴りによる人為的腹痛の為床に沈んでいるので)妹はきっと後ろになびく髪を整えるように一度撫でると腰に手を当てて仁王立ちで俺を見下ろしていることだろう。
「愚鈍な兄上よ。今日は出陣の日であろう。そのような日にたるみきった顔で寝るとは何たることか。私、日比谷恵美が鍛え直してやろう!」
妹である日比谷恵美が厳かな声で発する。
「妹よ…ついに禁断の歴史ジャンルにまで手を出したか…」
容姿は申し分ないが腐っても俺の妹である。深夜アニメ、ゲーム、バーチャルボイス。俺の影響か、世の中のせいか、時代の流れから、悪しき交友関係かしっかりとオタク文化に影響され胸部以外は立派にすくすくと育っていった。様々なジャンルに手をだす雑食系女子だが今は根っから歴史に嵌っているらしい。このような性格であっても容姿と持ち前の明るさで、学校ではそれなりに青春を謳歌している。本人は否定しているが…リア充というやつだ。
「かずのしんよ。」
恵美が作り声の低い声で静かに口を開いた。
「誰がかずのしんだ。」
「下に朝食は用意しておる。おぬしの大好きなハムエッグとトーストでござる!これで鋭気を養い出陣に備えよ!」
勇ましく出て行く少女の姿を見送り小さくポツリと言葉を吐き出した。
「妹よ…戦国時代にハムエッグなんて言葉はないぞ」
少し早めに朝食を食べ終えせめてものマナーで流し台へと食器を置いて水を張る。その手で自室へと戻り壁の窪みに引っ掛けていた真新しい紺のストライプスーツに身を纏い無難に合わせた濃い青のネクタイを結ぶ。洗面所で久しぶりの慣れないワックスで髪をセットしてフレッシュさを前面に出すように身だしなみを整える。冴えない顔だが今日は心なしか凛々しく見えた。逸る気持ちで時間に少し余裕が出来たので出発の時間までテレビを見ることにした。
そこには、総理大臣である佐野礼次郎が熱弁をふるっていた。伊達に年は取っていないらしい。先程の綺麗な言葉だけを並べていた政治家とは違うオーラ。鋭い眼光と国民の心を強く引き寄せられる話術に人気はそれなりに高いらしい。あくまで周りやメディアでの評価であり、この人物がどのようなことを行い活動しているのか俺は全く知らない。日本とはそういう国だ。政治なんて遥か雲の上の話なんて興味はないのだ。そんなテレビに映る佐野総理の姿に同じく兄の支度を終え一息ついたのか少し冷めたハムエッグに噛り付く妹がポツリと呟いた。
「知ってるか?この総理大臣実は影武者らしいぜ」
「妹よ言葉遣いに気をつけなさい」
「で、さっきの総理大臣の話」
お小言には関心がないようだ。頬杖をついてトーストを齧る姿は行儀がいいとはいえないが注意しても無視されるだろう。話を総理大臣の話へと戻した。
「あぁ、ネットか何かの都市伝説だろ?そんなもん信じてるのか?」
「いや、そんな眉唾な話今時幼稚園児でも信じないでしょ」
むむ…言い出したのは其方なのに会話のキャッチボールを放棄するつもりか妹よ。遠くに転がった会話ボールを取りにいき今度は緩やかに投げる。
「だろうなぁ…しっかしそんな都市伝説で盛り上がるなんて平和だよな」
「そうだね」
ボールは妹がキャッチしてそのままボールを倉庫へ仕舞う姿が脳裏に浮かんだ。
会話終了。
全く持ってその通りだ。この平和な日本で影武者が必要な訳がない。大きな陰謀が渦巻いているやら、やれ秘密の埋蔵金やら宇宙人やらそんな物に思いを馳せたのは中学生時代の黒歴史時代な訳で、その頃は本気で信じていたが今や戯言にしか聞こえない。あれこれ昔の黒歴史を掘り起こす中、妹は急にキャッチボールを再開した。
「今日から晴れて和哉にぃは、マルコイ社員かー。いいなー。勝ち組、勝ち組―。……ー養ってよ」
テレビから目を外し妹と目を合わせた
妹の目はなごやに笑ってはいたが目の奥底に微かに円マークがちらついた。慌てて話題に軌道修正。
「あのなぁ…就職は入ってからが勝負なんだぞ。不景気なことに変わりはないんだ。お荷物社員を雇う気力なんてないんだ。俺が入れたこと事態が奇跡に近いんだ」
「だよねぇ…まさか和哉兄ちゃんが大手企業に内定、だなんて宝くじ当たったもんだもんねぇ。」
「…そこは妹らしく否定しろ」
玄関の先の鏡の前でもう一度身だしなみのチェック。妹に自作であろう応援歌(なぜか法螺貝まで鳴らされた)を耳元で囀られの出陣となった。
外に出る。春の日差しが眩しい。元引きこもり属性である俺にも光は眩しい。でもその眩しさが自身に春がきたこと、祝福を浴びたように感じる。軽く伸びをして初出勤となるマルコイへ軽い足取りで進めた。