僕のもの。
「ああ、愛しているよ」
真っ白で滑らかな肌に唇を落とし、その漆黒の髪を撫でる。
嬉しそうな顔をして笑う彼女に笑い返して、名残惜しげに手を離した。
「少し出掛けてくるよ。大丈夫、すぐに帰ってくるから…そんなに寂しそうにしないで」
離したはずの手が、吸い寄せられるように彼女の頬に触れた。
その紅く映える唇にそっと触れて、頬に添えた手はそのままに一歩下がる。
「行ってくるね」
彼女から手を離して部屋のドアを開けると、僕は一度振り返った。
彼女は笑ったままだ。
ああ、きっと寂しいのに耐えているのだろう。
心配をさせないように。
僕を煩わせないために。
ああ…彼女のためなら、そんな労力も厭わないと言うのに――。
(可愛い、かわいい、僕の×××××)
「ただいま。ごめんね、少し遅くなってしまったね…ああ、泣かないで。笑って。笑う君が一番美しいよ」
そう諭すと、少し垂れた目元を柔らかく緩ませて、彼女は笑った。
「ご飯はいるかい?うん?ああ、先に食べたのか。…あれ?これは…もしかして、僕の分も作ってくれたのかい?」
見覚えのある皿にラップが掛けられていたのを見て、中身までは見えなくとも彼女が作ってくれたのだと知る。
照れたようにはにかむ彼女に、抑えようもない愛おしさがこみ上げる。
「ありがとう。それじゃあ遠慮なく頂くけど、君も傍にいてくれるかい?」
ああ、彼女が僕のために料理を作ってくれる。
何度体験しても、堪え難いほどに幸せだ。
「じゃあ、冷たいままじゃ体に悪いからね。温めるとしよう」
彼女を片手で抱き寄せると、彼女は照れたのか僕の肩に顔を埋めた。
それを微笑ましく思いながら数秒眺めて、疑問に思われる前に動き出す。
片手で彼女の腰を引き寄せながら歩いて、もう片方の手で皿を持ち、レンジの前まで行くと皿を加熱する。
「肉じゃがかぁ…今日も美味しそうだ。嬉しいなぁ…僕のために作ってくれて、本当にありがとう」
そんな感じの事を、作ってもらうたびに僕は言っている。
彼女もこの言葉にいつも頬を赤く染め、嬉しそうに笑ってくれる。
チンッと音が鳴り、加熱し終えた皿をレンジから取り出してテーブルの上に乗せる。
サラダと肉じゃがが置いてあるのを確認して、一度彼女を椅子に座らせたら、炊飯器を開けて少なめのご飯を皿に盛る。
そうしてその皿もテーブルに置いてみると、全体的に量の少ないディナーとなった。
肉じゃがもそこまで量がない。
僕がいつも夜は小食なのを理解してくれている。
僕のことをわかってくれている…そう思うと、震えるほどに嬉しくて仕方がない。
「頂きます。ああ、とても美味しそうだ」
そう言って、チラリと彼女を横目で見やる。
頬を紅潮させて下を向いている。
照れているのだろうか。
緊張しているのだろうか。
きっと、不味かったらどうしようと、要らぬ心配で不安になっているのだろう。
彼女の作るご飯、増してや僕のために作ってくれたものが美味しくないはずがないと言うのに。
早く食べて美味しいよと言って、安心させたいと思う気持ちもあれば、どうしてかな?少しその様子を眺めて、反応を見ていたい気にもなる。
ああ、ごめんね、意地悪だよね。
でもどうか、こんな僕を嫌わないでくれないか。
こんなこと、情けなくて言えやしないけれど。
「ご馳走様。本当に美味しかったよ。作ってくれてありがとうね。また、作ってくれると嬉しいな」
彼女の頬に手を添えて、綺麗な黒曜石の瞳を見ながらそう言えば、彼女は笑っていた。
(ああ、ああ、可愛い)
「さあ、お風呂に入ろうか。あれ?どうしたの?まだ恥ずかしいの?大丈夫だよ、ちゃんと綺麗にしてあげるから」
笑いながらそう言って、彼女を抱き上げる。
彼女は僕の首元に顔を埋めて、自分の顔を隠した。
少し見たかった気もするけれど、嫌われたくはない。
無理やり顔を見るのはやめにした。
そのまま歩を進めて、一度服を取りに行く。
片手で彼女を抱き上げ、もう片手で服を持つ。
両手が塞がってしまったけれど、ドアはなんとか肘で開けた。
そうして風呂場に着くと、早速片手に持った服を置いて、彼女の服を脱がした。
彼女の顔は敢えて見ないようにした。
そうして脱がせた服を洗濯機に入れ、手早く脱いだ自分の服を洗濯機に放り込む。
背を向けていた彼女を後ろから抱き上げて、風呂場に入る。
お風呂にお湯を溜めていたからか、湯気で煙ってよく見えない。
それに少し安心したのか、彼女の体を下ろしてから、僕が彼女の目の前に移動しても、背を向けられることはなかった。
「それじゃあ、綺麗にしちゃおうか」
ボディーソープを手で泡立て、彼女の体を丁寧に洗い、髪もシャンプーとコンディショナー、トリートメントを使ってしっかり洗う。
それに比べたら、自分の体はあまりしっかり洗っていないが、それでも嫌われない程度には綺麗にしているつもりだ。
「さて、それじゃあ僕は少し湯船に浸かるとするよ。君はもう出るんだよね」
僕にとっては本当に残念極まりないのだが、彼女は湯船が苦手なのだ。
だから、いつも彼女の方が先に上がる。
でも彼女はそそっかしい。本当に危なっかしい。少しドジなのだ。そこも可愛いんだけど。
だから、僕も一度風呂場を出て、彼女の真っ白な体や綺麗な漆黒の髪を拭いてあげている。
服を着せる時に濡らしてしまっては意味がないから、自分の体も軽く拭いてから彼女に服を着せてあげる。
「それじゃあ、また後でね」
そんな決まり文句を言って、僕は風呂場に戻る。
その際に一度振り向いて、彼女の頬に口づけるのも忘れない。
そうして一人湯船に浸かると、自分の気分が落ちてしまっていることに気が付いてしまう。
お湯がとても温かい。丁度良い湯加減だ。
そう、確かに温かいし、丁度良い湯加減だが、彼女がいないと何事も半減すら通り越してつまらなくなってしまう。
風呂と睡眠は人間にとって一番リラックスできる場所だと言っている人は多いが、僕は彼女が居ればいい。
寧ろ、彼女がいないんじゃ疲れも取れない。
ああ、彼女がここにいれば…。
一緒に湯船に浸かって、心ゆくまで話をして…。
なんと心惹かれることか。
それができないのが、とても悲しくて仕方がない。
でも、僕は知っている。
また後でねなんて決まり文句を言ったって、彼女は変わらずそこにいるのだ。
一枚挟んだドアの向こう。
きっとずっとそこにいる。
ああ、可愛い。
一人じゃ寂しいんだろう。
僕に居てほしいんだろう。
でもどうか、許してほしい。
そんないじらしい彼女が可愛くて、かわいくて、いじめてしまいたくなるんだ。
ああ、意地悪と言ってくれて構わないよ。
でも、早く出るより、時間を掛けてから出た方が、寂しさが積もって、きっともっと僕を求めてくれる。
そう思うと、なんだかゾクゾクしてしまう。
なんて、そんなことを考えていると、いつの間にか時間が経っていたようで、あんなに曇っていた視界も晴れていた。
そろそろ良い頃ではないだろうか。もう出よう。
そう思って立ち上がるけれど、実のところ僕が限界なのだ。
彼女に罠を仕掛けようとして、逆に僕が罠に掛かっているのかもしれない。
――いや、それもまた、悪くない。
(ああ、愛しているから)
「さあ、寝ようか。もう夜も遅い」
ダブルサイズの敷き布団の上に二人で寝っ転がって、掛け布団をしっかりと掛ける。
「寒くはないかい?ああ、良かった。君は冷え性だからね。でも大丈夫。もし寒くても、僕が温めてあげるから」
彼女を抱き寄せ、頭を撫でる。
「おやすみ。また明日」
暫くすれば彼女は眠りにつく。
薄っすらと微笑んで、きっと良い夢を見れているのだろう。
僕も良い夢が見れそうだよ。
だって、やっと。
やっと、準備が整った。
もう君から離れなくていいんだ。
君が知ったらどう思うかな。
ああ、きっと、喜んでくれる。
(ああ…)
「…ああ、よく眠れたかい?おはよう。もう日が昇っているよ」
飽きることなく見つめていた。
その眉も瞼も瞳も鼻も唇も、全て愛おしい。
ああ、やっとだよ。
いつの間にか僕らの周りに乱雑に置かれている道具達。
怯えているのか、驚いているのか、彼女の笑顔が少し強張って見える。
「大丈夫だよ、痛くないから」
彼女の腕を掴んだ。
その腕に注射を打ち、同じ物を自分にも打つ。
不安そうに翳る目元を指先で優しく撫で、僕は彼女を暫く抱きしめていた。
次第に体の感覚が鈍ってきて、そろそろ頃合いかと動き出す。
「大丈夫、いたくないよ」
周りに置かれた道具達を使って、彼女の左目をくり抜いた。
くり抜いた目玉に口づけて、自分の左に置くと、次は右耳を切り落とした。
その右耳を自分の右に置いて、欠けた耳と、彼女の左の空洞を見つめる。
綺麗な黒曜石の代わりに、吸い込まれそうなほどの暗闇がそこにはあった。
「少し痛かったかな?ごめんね。でも、もう少しだよ。もう少しで、もう離れることはなくなるからね」
頭を撫でてあげれば、彼女はコテッと首を傾げた。
(僕の、)
「それじゃあ、次は僕の番だ。ああ、不安そうな顔をしないで。大丈夫、すぐに終わるよ。だから、見届けてくれると嬉しいな」
彼女は柔らかく笑った。
その笑みに後押しされて、僕は瞬きすらゆっくりに感じる時間の中で、自らの手を自分の耳元に持っていった。
右手で固定して、左手に持った“道具”を少しずつ進めていく。
僅かに感じる鈍い感覚に眉を顰め、何か冷たいものに触れたような感覚すらも無視して進める。
そうして完全に自分の右手で持った状態の僕の右耳を、彼女の右耳があった場所にくっつけていく。
いつの間にか布団が真っ赤に染まっていた。
「…ああ、ごめんね、服もあかくなっちゃった。そんな顔をしないで、いたかった?大丈夫、次でさいごだよ」
彼女の姿をジッと見て、柔らかく微笑む。
ゆっくりした時間の中で、感覚が鈍って、言葉すら上手く紡げない。
そんな中、左手を自分の目元に持っていくと、僕は上手く動かない左手を瞼に触れさせた。
その触覚すらももう感じない。
それを好機と捉え、僕はそのまま左手を下に移動させ、自分の目玉をくり抜こうとする。
視神経やらなんやらがぶちぶちと音を立てて千切れていっているような気がした。
けれど、それは飽くまで気がしただけで、自分の耳と目で確かめることはもうできない。
荒くなった息すらもゆっくりで、左手に持ったはずの何かが視界に入らない。
左手を右側に移動させ、視界に入る状態にして、僕は彼女の左の空洞に“それ”を入れた。
でも、少し穴が大きかったのかな?
なんだか不格好な気がした。
だがまあ、それも愛嬌だろう。
ああ、笑みが止まらない。収まらない。
鈍い感覚すらも、昂る感情に負けた。
ああ、ああ、これで、これで、やっと。
僕の気持ちを察してくれたのか、彼女が嬉しそうに笑っていた。
(可愛い――)
彼女は耳が聞こえない。
けれど、空気の動きで何を言っているのか理解しているのだろう。
彼女は本当にすごい。
彼女は目が見えない。
けれど、僕の位置は何故かわかるらしい。
これも愛だろうか。
彼女は本当にいじらしい。
彼女は喋らない。
喋れないのではなく、喋らないのだ。
だって、僕に笑いかけて、僕の唇を受け止める、それ以外の役目なんて必要ないから。
彼女は本当にかわいい。
でも、
僕の声を聞いてくれない。
僕の姿を見てはくれない。
そんなのは耐えられない。
だから、コツコツと準備してきたのだ。
僕の声が聞こえないのなら、僕の耳をあげればいい。
僕の姿が見えないのなら、僕の目をあげればいい。
けれど、両方あげちゃうと僕が彼女を捉えられなくなるかもしれない。
彼女の服の衣擦れの音も、髪が靡く時の微かな音もわからなくなるのは嫌だ。
彼女の綺麗な黒曜石や、漆黒の髪、真っ白な肌、紅く映える唇を見ることができなくなるのも嫌だ。
だったら、片方ずつあげればいい。
自分の目と耳をあげたら、彼女の目と耳を自分の目と耳にしてしまえば、二人で一つになる。
そうでしょ?ねえ――マイン。
(――お人形さん)
「ああ、なんだかねむくなってきたねぇ…うん?どうしたんだい、マイン。…ああ、だいじょうぶだよ、ちゃんとわすれずにやるから」
自分の声が辛うじて聞こえる。
彼女にもちゃんと聞こえているだろうか。
僕は力の入らない自分の手を叱咤して、マインの右耳を自分の右耳に付ける。
ああ、なんだか滑って、くっつきづらいなぁ。
面倒臭くなって、耳をグッと押しつけると、くっついたはいいが、なんだか鈍い感覚が押し寄せてきた。
気にせず左目を自らの目に入れようとすると、マインの目の方が少し大きいのか、上手くはまらない。
イライラしてきて、こちらもグッと無理やり入れてしまう。
「っ、は、ぁ…」
鈍い感覚が強くなって、息が乱れる。
満足そうに笑ったマインを抱き寄せて、一緒に真っ赤な布団に倒れこむ。
横になった途端眠気は増して、鈍い感覚も自己主張し始めた。
けれど、満足感や達成感、抱きしめているマインにその感覚が勝てるはずがない。
はは、と唇だけで笑う。
目の前が霞んで、瞼が重力に負けて落ちる。
何故か浮かんだマインとの出会いや、これまでマインと過ごしてきた日々。
ああ、幸せだった。そして今も、これからも、幸せだ。
「…お、ゃす…み……ぁ、ぃん」
笑んだままの彼女が、初めて自分から僕を抱きしめてくれた気がした。
(ずっと、一緒だよ…もう――離れない)
お読みいただけて光栄です…とか、そんな堅苦しいことは抜きにしても、最後まで目を通していただけたことがとても嬉しいです。
自分の想像で何が何なのかを考えたいという方は次頁の後日談を見ないことをお勧めします。
逆に、何がなんだかわからないよぉ~解説ないの~?という方は後日談へどうぞ。
胸糞悪りぃもん読んじまった…吐きそう…という方は、他の素敵な作品を読んでこの作品のことは忘れてしまってください。
それでは、読了有難うございました。
また、いつかどこかでノシ