ハピネス研究所謹製・縁結び地蔵
田上信二はじりじりと焼けるような日差しの中を歩いていた。足取りはふらふらと心ここにあらず、それでも一方向をさして歩く。貴重な休日に、なれないスーツを着、髪を整えて駅前に出てきたのにこのまま帰ったのでは二日は無駄な時間を過ごした後悔で仕事が手につかなくなるだろう。
駅前の小さなロータリーを渡り、喫茶店の脇を通り過ぎ、やがて二股に分かれた道で立ち止まった。小さな学生街は熱射にあぶられた吐瀉物やゴミの臭いが充満している。
田上の横をスーツ姿の男と部下と思しき若者が歩き去っていく。田上は勤めてそちらを見ないようにしながら深呼吸した。今日の自分はスーツを着ている。決して中年にもなって家族も金もない社会の落伍者に言えたりしない。自分にそう言い聞かせながら、ネクタイを直す。今日、人生を変えるのだ。日差しがますます強まったように感じた。
飲食店の密集する通りに入った。生ごみが腐ったような不快なにおいがますます強くなる。相変わらず不愉快な街だ。苦労知らずの学生が夜を徹して騒ぎ続けたのが目に浮かぶ。
やがて古ぼけたアパートの前に立つ。メゾン英とある。五階建てのビルディングである。すでにこの辺りにも高層ビルが建ち始めていたがそれでもまだ高い部類だ。30年前にはつやつやとしていたであろう外壁は今ではぬるりと下品に陽光を反射し、出入りする人とていない。田上は入り口の郵便受けを眺め、住人が全くいないわけではないらしいことを確認する。
昼さがりの住宅地には人影もまだらに、駅前からの客引きの絶叫だけが響いている。不意に近所の家の開け放たれた窓から笑い声が聞こえ、田上は驚いてアパートの階段を上り始めた。動機が激しくなり、指先が冷たくなる。表面はところどころ剥がれ落ち、ひび割れ錆びついた様は廃墟めいた雰囲気を醸している。今更ながら不安になってきた。ともすれば帰ろうかと悩む弱気に鞭を入れ、ひたすら登り続ける。田上は建物に人気が全くないのに気付いた。外界と隔絶されたかのようにビルの中は動くものがなく、生き物全てが死に絶えてしまったようだった。田上の足音だけがモルタルの壁に吸い込まれていく。目当ての部屋は4階にあった。
呼び鈴を鳴らす決意が萎えていく。田上は廊下の手すりにもたれて外を眺めた。青空の下は灰色の世界だった。田上に見下ろされているのも知らず、若い学生が手をつないで歩き去っていく。
むき出しの踊り場から外を眺めると線路の向こうに音大のキャンパスが見えた。小さなキャンパスをアパートや一軒家が取り囲み、そこだけ青銅色の屋根の群れが途切れ、大きな穴が開いているように見えた。
10分も眺めていただろうか。ようやく田上は外の景色に背を向け403号室のインターホンを押した。表札にはハピネス研究所とある。
「……はい」
くぐもった男の声が答えた。
「あの、初めまして。田上と申します。ハピネス研究所ってここですよね。チラシを見てきました」
「……開いてます。どうぞ」
田上はドアノブを引いた。言葉通り抵抗なく扉が開いた。涼しい風が室内からさあっと流れ出た。冷気に誘われるように室内に踏み込む。室内は空調が効いていて一時間も真夏日に晒されていた田上には寒いほどだった。かすかに他人の臭いがする。
室内は事務所用に分譲されたものらしくちゃんとオフィス然としている。入ってすぐにパーテションが置かれ、室内を見通せないようになっていた。しきりを超えると、部屋の中央に安っぽいテーブルが置いてあり、その両側に置かれたソファの片方に男が座っていた。男は田上に気付くと立ち上ってソファを指し示した。田上はおずおずとソファに腰かける。駅前を歩けばすぐに同じ顔つきを10人は見つけられそうなぼんやりとした顔だった。男は灰色の吊るし売りのスーツから黙って名刺を差し出した。真っ白の紙に無機質な明朝体で風丘とあった。風丘はそれっきり黙りこくって口を開かない。田上は咳払いした。
「恋人を紹介していただけるとか」
「それは違います」
男は能面のような口元を曲げて即座に否定した。
「当研究所では健康な男女がどのようにして愛を育むのかをモニタリングしています。その一環としてパートナーがいらっしゃらないお客様にはパートナー選定のお手伝いをしているのです」
「それです! それが望みです」
田上は勢い込んで言った。興奮のあまり薄い頬に血管が浮き出てくる。
「自慢じゃありませんが、これまで私はまじめな人生を送ってきました。小中高と一度も遅刻をしたことはなかったし休み明けには毎回宿題をちゃんと出すような子でした。万引きだってしたことはないし女性に声をかけるような軟派なこともしなかった、高校を出たらすぐに働きに出て、今の職場はもうすぐ20年になります」
田上は上目づかいに男の反応をうかがった。ところが男は微笑むばかりで何ら反応を示さない。風丘は黙ったまま、顎をしゃくった。
田上はカッとなった。お客様は神様とまでは言わないがそれにしても接客する気すら無いではないか。どうして自分がこんな扱いを受けなければならないのだ。やっぱりこんな商売をやっている連中は他人のことなどへと思っていないに違いない。考えてみれば何がハピネス研究所だ。他人の幸福をモニタリングしようなど、悪趣味にもほどがある。
田上は一言言ってやろうと顔を上げた。途端に風丘の冷たい視線にぶつかる。茶褐色の瞳に何ら感情がこもっていないのを田上は恐ろしく思った。風丘は手のひらを上に向けて先を促す。
「それなのにこの年まで私は女性と手をつないだことすらないんです。ほかの奴らがいい思いをしているときに指をくわえてみていることしかできなかった」
田上はほとんど泣き出さんばかりの顔で訴えた。この年まで女を知らずに来た。何故自分がこのような境遇を送らねばならないのか。田上にはそれがどうにも不憫なことに思えてならなかった。
風丘はゆっくりと口を開いた。
「当研究所はあなたのような方のためにあります」
風丘は席を立って壁際に積まれた段ボールをあさった。ひとしきりごそごそやった後、戻ってきて手に持ったものを机にことりと置いた。田上は机に置かれたものをまじまじと見つめた。
「なんです、これ」
「江古田キューピッドと言います。当研究所が開発したパートナー選択補助デバイスです」
「パートナー選択補助デバイス……」
「左様。これを使えばあなたに最適なパートナーを指し示してくれます」
その機械は一見、腕のついたこけしのようだった。顔の部分には大黒天のような福々しい笑顔が印字されており、腕が胴体の横に雑に取り付けられている。特異なのは腕が片方しかなく、そしてそれが地面と水平に何かを指差すように取り付けられていることだ。キューピッドというよりは地蔵のようだ。
風丘はそれの頭に手を置くと飲みこめない様子の田上に言った。
「これはあなたの助けになるかもしれないが、それがいいことだとは限らない。それでもよろしいですか?」
「と、言いますと」
「あなたがパートナーに満足するかどうかはあなた次第ということです。この世で最高のパートナーと結ばれても不満を抱えて生きている人々はおりますからな」
「もちろん、もちろんです。私はきっかけさえあればこんな人生を送る羽目になってなんかないんだ」
「そうですか。では……」
風丘は一枚の紙を取り出した。契約書だ。こまごまとした免責事項を一瞥した田上はペンを取り出すとサインして捺印した。風丘は手に取って眺めると二枚重ねになっていた下の紙を控えとして渡した。
「田上さん、それではこれはあなたのものだ。夜寝るときに好みの女性の特徴をありったけ記した紙をこの人形の中に入れて枕元に置いてください」
「そうすれば理想の女性に出会えますか!?」
「当製品は何もしなくても理想の女性をモノにできるというたぐいのものではありません。怪しい薬ではないのでね」
風丘はおかしそうにくつくつと笑う。
「このデバイスはあくまでもあなたがチャンスをつかむ手助けをするだけなのです。よろしいですか。あなたがこの人形を使うと近日中にある女性が現れます。あなたはその機会を逃してはいけません。いいですね。運命のしっぽをしっかと捕えるのです」
「ど、どのような形で現れるのでしょうか」
田上はほとんど身を乗り出さんばかりにして聞いた。頭の中ではすでに極上の美人と暮らす自分を思い浮かべている。田上はもう自分が何をしに来たのかさえ忘れていた。
「それはわかりません。しかし、近日中に何らかの形で機会が訪れます。その機を逃さずものにするのです」
「その機会が訪れていることは私にもわかるのですか?」
「さあ、それはどうでしょう。嗅覚を働かせるのです、田上さん」
風丘は体をソファに沈めて言った。それきり話は終わりだというように黙っている。田上は迷いながらもゆっくりと人形に手を伸ばした。体の内側からこみあげるような誘惑は抗いがたく、ひんやりとした触感を感じたときは思わずホッとした。田上はクレジットカードを風丘に渡す。風丘はそれを押し戻した。
「何度も言いますが、我々は結婚相談所じゃない。報酬をお支払いするのはこちらの方です。あなたの義務は一つ。3ヶ月ごとにここを訪れ、アンケートに答えて頂くだけで結構です」
田上にはこの話が怪しいのかどうかさえ間あげる余裕がなくなっていた。慌ただしく辞去を述べると、人形をひっつかみ、玄関に突進した。
ドアを開けると生ぬるい風が吹き寄せた。空は柔らかく青く、真綿のように緩やかに街に蓋をする。炙るような日差しがなぜかさっぱりして小気味よいように感じた。ドアの閉まる音が遠ざかる田上の背を追いかけ、虚空に消えた。
夜、田上は待ちきれぬ思いを抑えきれず早めに布団に潜った。人形の腹の中には一時間かけてびっしりと埋めた原稿用紙の切れはしが詰め込まれている。田上は寝つけぬ夜を過ごすことになった。暗い室内で人形の顔だけが微笑んでいた。
二週間後。すぐにでも前兆のあらわれるだろうと、それまで篭りがちであったことも忘れて外を歩き回り、目を皿のようにして徴を探したがその後何の音さたもなく、腹の中からぽつりぽつりとわきあがってくるような不安を感じるようになった。じぶんは騙されたのではないだろうか。いや、騙されただけならまだよい。結局自分は今の境遇から一生抜け出すことかなわないのではないだろうか。田上にはそのことが騙されることよりも恐ろしいのだった。これから一生こんなはずではなかった、あの時行動していればと後悔しながら暮らすのか。しかしあのビルに乗り込んで行く気にはなれなかった。いったいどの面提げて文句を言うのか。まさかお前が言うようにしたのに恋人ができなかったぞ、とでもいうのか。あの冷たい目を前にして自分の失敗を語ると考えただけで気分が落ち込みんで、早朝の街を体を引きずって通勤する日々が続いた。もう希望を捨てるべきだとわかっていた。
何事もないままひと月が経過した。待ち人を今か今かと待ち受けるような、心が浮き立つような気持は日が沈むごとに擦り減っていき、また日常が戻ってきた。田上は勤め先の工場で1日数時間を過ごすほかは外出もしなくなっていた。彼にとってもはや非日常は過ぎ去ったものとなり、起床してから疲れ果て、鬱屈した思いを抱えながら帰宅するまでが彼のすべてとなった。
そんなときであった。くすんだ彼の生活に一筋の光が指した。彼はフォークリフトで荷物を指定の場所から場所へ積み替える仕事をしていたが、ある日のこと、来客を告げるチャイムに仕事を一時中断することになった。彼の勤め先は小規模なローカル企業で、力仕事の男たちのほかは事務の女性が一人いるばかりの小所帯だ。
来客は宅配業者だった。たまたま人が出払っていたために彼が受け取りに出る。急いで軍手を脱ぎ、汗を飛ばして事務室に駆け込んだ田上は小柄な少年に迎えられた。配送会社の制服に身を包んだ彼は小さくお辞儀した。制服は薄汚れ、黴の乾いた匂いと汗の湿った匂いが混ざり合って部屋に漂うのがわかった。いやらしい臭いではなかった。
涼やかな目元の少年だった。田上はデスクをひとしきりがさごそやって印鑑をさがし出すと差し出された受領証にそれを押し付けた。あとにはくっきりと朱色のしるしが残った。
ありがとうございました、と少年は快活に身を翻す。田上は思わず呼び止めた。いつもならご苦労様ですと言って己も作業に戻るのに、自分でも怪訝に思うほどなめらかに言葉が出てきた。
怪訝な顔をする健康な若者の襟から健康な肌が覗く。肌は上気してほのかに色づき、そうすると途端に少年らしさが抜け、少年ではなく少女と呼ぶべきなのだとはっきりとわかった。田上が彼女の顔をまともに見ると少女はかるく眉を引き締めた。田上の口から誘蛾灯にふらふらと近づく羽虫のように言葉が滑り出た。
田上は幸せになった。スーツを着た企業人たちが事務所の横を通り過ぎるのを見てももはや気にも留めなくなっていた。自分がこの世で最も幸せな人間だとわかっていたから。
このところ毎朝起きるのが楽しくなった。朝起きるとまず携帯を確認する。両親と職場以外の連絡先が入っていなかったこれまででは考えられない習慣だ。汗ばんだ額と火照った頬を思い起こすと田上の心はいつも不安に揺れる。その不思議な心地よい不安は今まで没交渉で、他人に心をかき乱される事の少なかった田上を怖れさせた。
メールの着信通知を見る。その結果に一喜一憂する。たとえ待ち受け画面にメール通知が瞬いていなくても落胆が田上の心を打ちのめしてしまうことはなく、むしろそれ以上の幸福への原動力となった。
あの日出会った少女は咲子といった。田上と咲子は次第に仲を深めていった。咲子は適齢期の女性が嫌悪するような、田上のつまらない生真面目さを疎まなかった。それゆえ田上は生来の誠実さと優しさを損なうことなく、咲子の方もそれを受け入れた。ほどなくして、咲子と過ごす何度目かの夜、彼女が田上と同じように家庭の事情で夢を諦めたのだと知った。その時以来、田上は咲子に同志めいた感情を抱くようになった。田上は咲子を愛するようになった。
二人で過ごす時間は次第にふえてゆき、いつしか離れている時間の方が耐え難いものだと感じるようになっていた。田上は咲子と将来を共にすると決めた。咲子も異存はなかった。二人でそろって不動産屋に赴くのが休日の新たな過ごし方になり、毎週のように夜を共にした。
田上はすでに人形をどこにしまったかを思い出すができなくなっていた。
咲子との生活は田上の意識の上をするすると通り過ぎていき、気付けば結婚して一年が過ぎていた。幸せなのだと思う。同僚や数少ない友人は田上がどれほど幸運であるか、ことあるごとに語って聞かせる。その度に自分が幸福であること、もう二度と咲子のような女性と付き合うチャンスなど巡ってこないのだと、自分を納得させた。しかし、どうしても拭えない違和感が日が経つにつれ、澱のように心に溜まっていく。たとえるなら、ソックスの踵がぴったり合っていないような、そんなむずがゆい思いをどうにも解消できないでいた。
はじめは小さな違和感だった。結婚して新居を決めた後のこと、家具をどうするか話し合っていたときのことだった。田上は今まで使っていたもので当座の必要を満たし、必要となればおいおい揃えていけばいいと思っていた。しかし咲子はそうでなかったようだ。何軒も家電量販店をはしごして歩き回った挙句、結局田上の意見をほとんど聞かぬまま決めてしまった。田上が不平を言うと、それが耳に入らなかったように、ぷいと顔をそらして去ってしまう。結局新居は田上の匂いの全くない、ヨソヨソしい機械に埋め尽くされた。
こんなことが何度も続き、田上はほとほと呆れた。こんな強情な女だとは思わなかった。咲子は田上に何も決めさせてくれないのだ。その日着ていく下着の柄までも指定されたとき、田上の我慢は限界に達した。結婚して初めて田上は咲子に食って掛かった。すると咲子は毅然とした態度で言い放った。
「私が口出しするのはあなたのためよ。だってあなたってばセンスがまるでないんだもの」
田上は憮然として言った。
「そんなことはないだろう。大体君は僕の言うことを聞きもしないじゃないか」
「そんなことないわ。気付いてる? あなたの作業着とっても臭いのよ。あんな匂いを身にまとって平気な人にセンスなんかあるわけないでしょ」
田上はカッと頬が熱くなるのを感じた。咲子の表情からは軽蔑がありありと浮かんでいる。
およそ成人した男にとって依るべきものはその生業であろう。田上は高校を卒業してすぐに働きに出ていたが同じクラスの中で就職する奴なんていなかった。努めて考えないようにしていたが、作業着を着て街へ使いに出たときなどに、洒落た恰好で街を闊歩する若者を目にすると胸が詰まるような嫉妬がこみあげてくるのを感じずにはいられないのだ。それでも、大学で遊び、要領よく大手企業に滑り込んだ奴らよりも清らかに慎ましく生きているのだと言い聞かせていた。毎日の仕事を弛まずサボらず。
そうすることだけが自分が生きていることを証明できるのだ。そう信じている。
そのことを誰かに言ったことはない。それでも咲子ならわかってくれていると思っていた。彼女も望まぬ生活を強いられていたのだから。咲子の言葉は田上が裡に秘めていた、誰にも知られたくなった密やかな傷を刺し貫いた。その傷は月日によってぐずぐずに化膿して心の表面をひきつらせていたが、咲子の一突きは薄く乾いた表皮を割り開き鮮血をほとばしらせた。
田上は家を飛び出した。心臓は口からこぼれそうなほど早鐘を打っていた。もう一秒もここにいられなかった。めちゃくちゃに走り回って、気付けばあのマンションに向かっていた。
メゾン英はあの日と変わらず薄汚れていて、人を寄せ付けない威圧感があった。むき出しの階段を駆け上がってハピネス研究所の表札がかかった部屋のドアをノックもせずに勢いよく開いた。部屋の中では風丘が暗い室内にひとりソファに座っている。
心底ぞっとした。
「こんにちは、田上さん」
暗闇の中でこちらを見る風丘の視線を感じて得体の知れない男に向き合っている恐怖がふつふつとこみ上げてくる。その冷たい声にためらっていると、どうしました、と促される。意を決して足を踏み出す。ひやりとした風が頬を撫でた。室内は冷房が効きすぎているようだった。
田上は風丘の向かいに腰を下ろした。
「それで、どうなさったんですか、急に」
三度尋ねる風丘の声を聴いて田上は怒りがぶり返す。
「風丘さん、ひどいじゃないか。あんな不良品押し付けて」
「はて、そのようなことをした覚えはありませんが」
「パートナー選択補助デバイスのことですよ! あんたは最適の女性を見つけられると言ったのにちっともそんなことはないじゃないか!」
「ほう、ではパートナーにご不満がおありということですね。ぜひお話を詳しくお聞かせください」
風丘は突然身を乗り出して言った。内心風丘の勢いに驚きながらも田上は咲子のことを話した。
「つまり奥様がわがままだと」
「いえ、わがままだというんじゃないんです。そうではなく、咲子は私のことをバカにしているんですよ」
「多少の悪口は夫婦円満の秘訣ですよ、田上さん」
「そんなんじゃない! ……ああ、いえ、すいません。しかし、咲子のはそんなんじゃないんですよ。あいつは僕のことを端からバカにしてしまっているんだ。僕の人生なんてゴミのようだと思っているんです!」
「……」
「僕がどうやってここまで生きてきたと思っているんだ! あんたは私にぴったりの女性が現れると言ったのにこんなんじゃあんまりですよ!」
息を切らして訴える田上を見る風丘の目に軽蔑の色が浮かんだ。田上が欲しいのはパートナーなどではない。
「自分の妻さえ選べない人間に人生を選択することなどできません。あなたはどのような選択をしても結局今のような生活を送っていたでしょう」
田上が言い返そうとしたとき、人の気配がして振り返った。
「さ、咲子……」
咲子は手に人形を抱いていた。田上は人形がバレたのかと今更ながらバツの悪い思いで、咲子をまじまじと見た。
「咲子さん、その後お渡しした縁結び地蔵の方はいかがです」よく見ると、咲子の人形は田上のものとは違い、紅顔憤怒の表情を浮かべている。
「探したわよ」咲子はうっすらとほほ笑み、お腹に人形を押し付けた。そのお腹は少し膨らんでいた。