キスなんて、奪うもんだと思ってた
5月23日はキスの日!ということで、書いてみました記念小説。
いつにもましてストーリーわかりづらいです。
それでもよろしければどうぞ。
(タイトルは「確かに恋だった」様からお借りしました)
約束の時間に10分遅れて居酒屋につくと、先輩はもうジョッキの半分を飲み干していた。
「亘、おそい」
ざわついた店内でも、先輩のすきとおるような綺麗な声はよく響く。
その声音から察するに、ほろ酔いにもなっていない先輩は少々ご機嫌斜めの様子。
「すいませんってば。メールで散々謝ったじゃないですか」
カウンターの隣の席に腰掛けて、先輩をなだめる。
「それだってこんなところに女性一人放置とか、ひんしゅくものだよね」
「先輩が先にはじめてるって言ったんじゃないですか…」
本当にこの人は相変わらず横暴だ。
見た目だけならこのむさ苦しい居酒屋に場違いなくらいの可憐さなのに。
「兄ちゃん、注文は」
顔なじみの店主が頃合いを見計らって聞いてくる。
「ウーロン茶で。あとついでにたこわさもお願いします」
はい、まいど。
陽気な店主のいるこの店は先輩のお気に入りだ。
「亘ってホントに飲めないのね」
「そんなの今更じゃないですか。紗羅先輩も飲みすぎないでくださいね。また前みたいに酔いつぶれても知りませんよ」
「はいはい」
紗羅先輩はそう言ってまたビールを煽る。
二杯目突入もそう遠くない勢いだが、ほぼ素面だ。相変わらずこの人はお酒に強い。
「はい、ウーロン茶とたこわさ」
「ども」
ジョッキと小鉢を受け取ると、店主は俺に片眼をつぶって見せる。
『うまくやれよ』とも『ご愁傷様』とも取れるその表情。まったくこの店主には頭が上がらない。俺の心なんてお見通しらしい。
「亘、お疲れ」
「お疲れ様です」
ジョッキ同士が合わさる、ガラスの音がした。
『高校の時の部活の先輩なんです』
紗羅先輩をそんな風に紹介すると、ほとんどの人は怪訝な顔をして、次の瞬間こう問いかける。
『何部だったの?』と。
無理もない。
背がでかく、体つきもがっしりして日に焼けた俺と、小柄で真っ白な肌をした細身の先輩では、共通点が一つも見つからないからだ。
今でこそアウトドア派を自称する俺だが、高校時代は打って変わってインドア派の人間だった。体格だってそんなに良くなかった。鍛えだしたのは大学生になってからだ。それまではヒョロヒョロで、まるでもやしのようだった。
そんな俺が選んだ部活は『吹奏楽部』。
設備にほとんどお金をかけない県立高校で唯一、エアコン完備だった音楽室で一日中練習でき、しかも周りは女子ばかり。
まさにこの世の天国。夢のような部活だと思ったのだ。
『甘いっっ!』
しかし理想と現実は違うもので。
練習は毎日あるうえ、『楽器に悪い』という理由でクーラーなどめったに使えない。汗だくになって練習しても、女子は男子に優しくしてくれなかった。
女子は俺たちの予想をはるかに上回ってタフだった。
『おい亘っ!へばるなもう一回!!』
先輩はそんな女子たちの中でも群を抜いてタフでストイックだった。自分に、はもちろんだったけれど、他人に求めるものも高かった。
『高梨紗羅のいるフルートパートに志願するやつはドマゾ』とまで言われていた。
かくいう俺も、そのドマゾたちの一員だったわけだが。
「紗羅先輩。今日は何があったんですか、荒れすぎです」
「だってさぁ~、みーんな結婚してっちゃうんだよ?私をおいてみんな幸せになっていくんだよ?ヤケ酒したくもなるって」
そう言って、紗羅先輩は本日4杯目のジョッキを空にした。酒に強いとは言え、飲みすぎだ。目配せをすると、勝手知ったる店主は何も言わず水のグラスを出してくれる。
「そんなに結婚したいなら、相応の相手を探すべきです、って何度も言ってるじゃないですか。毎度毎度ダメ男ばっかりに引っかかって。少しは懲りましょうよ」
「うるさいな、ダメ男が好きな訳じゃないよ」
好きになる男がダメ男なだけ。
ぷいっ、と先輩はそっぽを向いた。
ストイックで完璧主義者、有言実行な彼女はかっこよくて俺のあこがれなのだが、恋愛に関してはつくづく趣味が悪い。
彼氏にはできても結婚相手にはできないような、すべてをノリと勢いだけで突っ走る頭の軽い男ばかりと付き合うのだ。
そのくせ周りの友達が結婚すると『結婚したい』とわめきだす。
…結婚したいほどの相手と付き合っていないのに。
「ほら、先輩終電行っちゃいましたよ」
「いい、亘んち泊まるから」
コクリコクリと船を漕ぎ出す先輩を揺さぶれば、呆れた答えが返ってきた。
深く息をつく。本当にこの困った人は。
「襲われても知りませんよ」
「犬は飼い主を襲わないさ、忠誠を尽くすものなんだろ?」
信頼されているというか、高をくくられているというべきか。
とりあえず俺はそのまま紗羅先輩を担いで店を出た。
『遠藤亘は高梨紗羅の忠犬』
その元ネタは高2のころのからかい文句だ。何のことはない。ただ単に俺が一番紗羅先輩に懐いていただけの話。
その懐き方が、まるで忠誠心の強い犬のようだと揶揄された。
卒業してずいぶん経った今も、こうして頻繁に呼び出され、家に泊めろと平然とした顔で言われる。それもこれも、おそらく先輩の中での俺の立ち位置が『犬』だからこそなんだろう。
「でも先輩、犬は噛みつくんだよ」
言ったところで、熟睡中の彼女には届かない。
いっそダメ男にでもなれば、先輩はなびいてくれるのだろうか。
先輩と付き合って、捨てていった彼らが心底うらやましかった。
「亘!起きろ、朝だぞ」
「紗羅先輩、お願いですから俺の上から降りてください」
先輩を連れて帰った翌朝、俺はソファの上で目覚めた。体のあちこちがバキバキいう。
対して、俺のベッドを占領していた紗羅先輩は極めて元気だ。
しかもソファに寝転がる俺の上にまたがって、こちらを覗き込んでいる。
なんのサービスなのか。これで彼女にその気がないのだからより一層のこと恨めしく感じる。
「せっかく泊ったんだし、今日は一緒にどこかへ出かけようよ」
男の部屋にいるのに、先輩は無防備だ。
パジャマ代わりのつもりなんだろうか、俺のTシャツをワンピースのように着ている。目の毒だ、やめてほしい。
きわどい格好のくせに、警戒心のかけらもなく俺に笑いかけてくる。いつになくそれに腹が立った。
仰向けに寝転がる俺にまたがる先輩に手を伸ばす。細い腰を両手で抱えて引き寄せれば、彼女はいとも簡単に俺の上に倒れこんだ。
先輩の体は。どこもかしこも柔らかい。
「亘、離せ。苦しい」
「…先輩がキスしてくれたら」
そんな奇跡はないとわかっていて、ついそんな言葉が口をついて出た。
きっと先輩は気づいていないはずだから。俺の恋心に。
ただ自覚させたかっただけで、本当にしたかったわけじゃなかった。
一瞬の沈黙。あきらめて手を放そうとしたそのタイミングで、
柔らかいものが、唇に触れた。
「さあ、離せ」
乱暴な口調とは裏腹に先輩の顔は真っ赤に染まって可愛くて。思わず笑顔がこぼれてしまった。
「何笑ってんだよ、とっとと離せ」
「もう少し、このままで」
約束が違う!とわめく彼女をなだめながら、どうやって攻め落とそうかととりとめなく考える。
とりあえず犬は犬らしく、飼い主の言うことを聞くこととしよう。
「ねえ紗羅先輩、どこに行きましょうか」
先輩にキスを奪われたのが悔しかったってことは、まだ内緒。




