10 恋人の羅針盤
宿屋の修理費と慰謝料はエルスが払っていて、特に自分たちの素性を明かすこともなかったので、父や母に私が町へ行ったことがバレることはなかった。
しかも暗くなる前に帰ることができたので、怒られたのは勝手に外に散歩に出たことだけだった。
「この辺りは治安のよい方だけれど、それでも貴方のような幼い子供が一人で出かけるのは危険だわ。出かけたい時は、たとえそれがただの散歩でも、家人に声をかけてからにしなさい」
母、アンネルは、優しく諭した。
「エルスもよ。お姉ちゃんが心配だったのはわかるけど、そういうときはちゃんと私に相談すること」
「……ごめんなちゃい」
エルスは私に抱きついたまま、今にも泣きだしそうにうつむいた。
そして上目づかいで母を見る。
「おねえちゃまがいなくて、こわかったの。
……今日は、おねえちゃまと一緒に寝ても……いい?」
ゲ!
「いいわよ。そうしなさい」
お母様即答。
この空気の中で、それを断る勇気は私にはなかった。
それから、着替える間すら離れることをよしとせず、私の部屋に着替えを持って来させて、メイドに着せ替えられた私達は、パジャマ姿で一緒のベッドに入った。
まあ私達は仲の良い姉弟なので、こういうことはそんなに珍しいことではない。
エルス……あんなにかわいかったのに。
いつものようにわたしに抱きついてくるエルスが、中味を知ると恐ろしい。
「おねえちゃま、どうしたの?」
「イエ、なんでもないデス。それより何か話があるのデハ?」
ところどころ声を裏返しながらも、慎重に言葉を選ぶ。
「おねえちゃま、どうしたの? もしかしてエッチなこと考えてる?」
ブンブンブン。私は蒼白で首を振った。
大学生まで成長した前世も含めて、私はまったくの処女だ。ぶっちゃけこのストーカーに告白されるまで告白自体されたことはなかったし、このストーカーと付き合っていた時も、なぜかいいところで邪魔が入ったりしたし、別れた後はそれどころじゃなくストーキングされてたし。
「だいじょうぶだよー。おねえちゃまはビッチだから、一度ヤッちゃうとすぐガパガパにしそうでしょ? だから僕もやめとこー、って思ってるんだぁ」
「そ、そうなんだ」
かわいいエルスの口調のまま、そういう下劣な言葉は言わないでほしいけど、とりあえず、そういう方向にいかないというのは素直に助かったと思おう。そもそも、この年齢でできるの? とかもあったわけだけど、赤ん坊も勃起するって話、どこかで聞いたことある気がするし、恐いもんね。
「殺すのもね、しばらくはしないつもりだから、安心して?」
「お、おう」
まさか言質をくれるとは思わなかったので、変な返事をしてしまう。
エルスはそれをクスクス笑って、
「僕ね、ここに転生するまで何度も自殺したんだ。殺しちゃったら次いつ会えるかわからないでしょ? だから、君が処女の間はまだ殺さない。安心した?」
カクカク。機械的に頷く。
処女限定ってあたりがリアルで信用できるけど、さらっと言われた『何度も自殺』が恐すぎる。
でも、追及したくない。
「それでね、今日おねえちゃまを見つけた方法なんだけど、朝チュウしたでしょ?」
「う、うん」
「あれでね、おねえちゃまの体液を摂取したんだぁ」
?
「へ?」
「『恋人の羅針盤』って魔法具があってね、それに恋人と自分の体液を仕込むと、恋人の居場所を知らせてくれるの。ろまんちっくでしょ?」
な、んだと?
「ちょっと待って。ということは朝メイドに連れられて行ったのは……」
「吸い上げたおねえちゃまの唾液が口の中にある間に、『恋人の羅針盤』をセットしなくちゃいけなかったからだよ。そうは言っても、おねえちゃまが逃げ出すのは予測がついたから、ポッポに足止めをお願いしてたんだけど、あんな邪魔が入ることまでは予測できなくて……ごめんね?」
謝る箇所が違うんでないかい。
でも、いろいろ繋がった。
「ひとつ確認、いい?」
「何?」
「どうして2才の子供がそんな物騒な物、持ってるのかなぁ」
「ああ、ポッポが人を襲っていた話はしたでしょ。僕に会う前に襲った相手に商人がいたから、いろんなものを持ってたんだ。『恋人の羅針盤』とか『炎玉』とか」
「炎玉?」
「宿屋で使ってたでしょ?」
おふう。あの爆発か。
ってゆうか、ポッポ、どこまで……。
「だからね、これからはおねえちゃまがどこにいても、すぐに駆け付けるよ」
できれば駆け付けないでいただきたい、という魂の叫びを、私はなんとか飲み込んだ。
炎玉は威力によって、火炎玉とか爆炎玉とか種類があります。二度目の爆破は火炎玉な感じで。