恋の駆け引き ROUND1
「しかしなぁ、ちょっともったいないと思うんよ」
「はぁ? 何が?」
「さっき文光が女子高生追い返してただろ?」
「ああ、追い返してたな。で?」
「あの時、あの彼女、許婚だっけ? 明らかに怒ってたじゃん? 嫉妬」
「そうか?」
「そう言われてみりゃぁ、確かに機嫌悪そうだったな」
「だろ? なんか付かず離れずって感じになってっけど、向こうも文光に気があると思う訳ですよ」
「で?」
「だからさ、今文光は押して押してって感じだから、彼女の方にも余裕がある訳で、文光が引いてみれば少しは先に進めんじゃねえのって話」
「じゃあ、嫉妬させろってメール送ってみっか」
文光が胸のポケットから携帯を出した。画面を見ると固まった。
「何、電話? 別に話して来ても構わないよ」
固まった文光をちらりと見て、陽菜がそう言った。文光は首を振る。
「いや」
たったそれだけのやり取りが終わって、また二人は歩き始めた。だが文光は悶々としていた。嫉妬させる。そうすれば仲が進展するという。だが嫉妬させるというのはどうすれば良い?
簡単には思いつかない。文光から見ると陽菜はとても飄々としていて、そう簡単に心が動かされる様には見えなかった。今までの印象で、陽菜が嫉妬している様を全く思い浮かべる事が出来ない。
どうすれば良い?
「三夜さん!」
不意打ちの声だった。答えの出ない思考と隣を歩く陽菜にだけ注意を向けていた。だから反応が遅れた。そしてまた声が聞こえた。
「三夜さん!」
はっとして顔を上げると、そこに三人の女性が居た。二人は知っている。文光が所属するサークルの後輩。それからその後輩が突然紹介してきた後輩の友人。もう一人は良く分からない。見た事の無い顔だった。
「ああ」
出会ったからと言って特にどうという事もなく、文光は無感動に応えた。だがそれに反して目の前の後輩は何故だかはしゃぎだした。
「きゃー! まさか先輩に会えるなんて思えませんでした! 偶然ですね! 今友達と買い物してるんですよ!」
最初の悲鳴で耳が痛くなった。だからその後の言葉は良く聞こえなかった。ようやく口を閉じたかと思ったら、今度はその隣が口を開いた。
「お久しぶりです! 憶えてます? 私、前に先輩と会った事あるんですけど! ほら、前一緒に食事した事がありましたよね?」
まだ耳が痛かったが何とか聞き取れた。憶えていたので頷いておいた。思い出せたから良かったものの、前に一緒に食事をした、だけではあまりにヒントが少ない気がする。本当に思い出させる気があるのか疑問に思った。食事の場面ではひたすら根掘り葉掘り個人的な事を質問され続けた。不快だった。
嫌な事を思い出して文光は顔を顰めたが、いつも通り乏しい表情は今回もさしたる変化が表れず、文光が不快な思いをしている事に気が付いた者はいなかった。
「ね? ね? 言った通りでしょ? めちゃめちゃカッコ良いでしょ?」
そんな言葉と共に、後輩の指が文光の顔に差し出された。文光にとっては正気を疑う行動だが、本人は何とも思っていないらしい。あけすけというか、自分勝手というか、良く言えば奔放な性格は羨ましくもある。
文光は先程友人から送られてきたメールを思い出した。嫉妬させるなんてどうすれば良いのか想像もつかないが、目の前に居る人間であれば至極あっさりとそれをこなしてしまうのだろうと思った。これもまた嫉妬だ。
例えば目の前の後輩に対して、恋愛的な行動を取ってみたらどうだろう。陽菜は嫉妬してくれるだろうか。無理だろう。理由は思い浮かばないが、何となくそんな事は無駄だと思った。それに恋愛的な行動とはどういった行動なのか。ふと思いついた言葉で具体的な像像を伴っていなかった。少し考えて、そちらは直ぐに思いついた。つまり陽菜に接する様にすれば良い。とはいえ、そんな事が出来る訳が無い。何故なら相手は陽菜でないのだから。
嫉妬させるなど、やはり自分には荷が重い。そう思うと、文光の心は僅かに沈んだ。改めて羨ましいと後輩を見た。
じっと見つめる視線があった。後輩の隣、さっきから一言も喋らないその女性がじっと見つめていた。驚いた様子だった。文光でなく、その隣に居る陽菜を見て目を見開いていた。文光も陽菜を見ると、陽菜もまた驚いた表情でその女性を見つめていた。
「先輩」
女性が陽菜に向かって呟いた。陽菜はその呟きを受けて、にやりと笑った。
「久しぶりだな、おい」
どうやら昔の先輩後輩の様だ。驚いた様子だったのは、二人の出会いがそれだけ久々だったのだろう。まさか自分を置いて二人で何処かへ行ってしまうという事は無いと思いたいが。文光は心配になって、陽菜の表情を窺いたかったが、もしもあからさまに邪魔くさそうな眼でこちらを見ていたらと考えると、どうしても見る事が出来なかった。
二人のやり取りで、ようやく文光の後輩とその友人は陽菜の存在に気付いた様だった。
「三夜さん、誰ですか? その人」
横の二人は折角久々の対面を果たしている様だし、今位は黙っていてあげれば良いだろうに。そんな事を思いながら、また今日何度目かになる陽菜の紹介をしようとして、
「陽菜さん。私の高校の時の先輩」
陽菜の後輩に阻まれた。
「先輩? 高校の?」
「そう。バスケ部の先輩」
「バスケ部の? へー」
じろじろと文光の後輩は陽菜を眺めまわした。傍から見ても不快な行為だったが、文光はそれよりも陽菜の過去を知る人物に興味があった。陽菜がバスケ部だったのは知っている。
「まあ、あたしは途中でバスケ止めたけどな」
「下手だったんですか?」
文光の後輩の容赦の無い言葉が飛んだ。陽菜は意に介した様子でなかったが、周りは違った。文光は怒りが膨れたのを感じたし、
「そんな事無い! 陽菜先輩は私なんかよりも誰よりもずっと上手かったんだから」
陽菜の後輩はその怒りを大声で発した。きっと過去の事を思い描いているに違いない。陽菜が持ち前の才能でもって部の中で頭一つ以上飛び抜けていた事は文光も知っていた。
「はあ? 次期日本代表って言われてるあんたより? 無くね?」
「日本代表なんて目じゃない! 陽菜先輩は誰よりも上手いの!」
陽菜の後輩が叫んだ。文光の後輩と友人が怖気づいて僅かに下がる。陽菜は呆れた様子で髪を掻き揚げた。陽菜の後輩は更に続けて、過去の出来事を語った。絶望的な状況から逆転した伝説の試合を、熱意をもって強弁している。その話も知っている。文光の元に届けられる陽菜の成長記に書かれていた。
知っている。文光は陽菜についての知識を陽菜の後輩と同じ位、有している事に優越感を感じていた。だが──
「ね、陽菜先輩」
「いやぁ、まあ、間違っちゃいないけど」
陽菜と後輩の眼が交差した。その間にどんな意志のやり取りが交わされたのか、文光には分からなかった。だが二人はそれだけで納得し合った様だった。文光の知らない陽菜の過去がその間を飛び交った。
そのほんの一瞬に文光は衝撃を受けた。その言語よりも遥かに雄弁な二人の過去の記憶を文光は知らない。知っているのは手紙で送られてくる表層の記録のみ。そこに感覚は一切無い。陽菜と後輩はその文光の知らない感覚を共有している。
二人はしばらく言葉を交わしていた。どうやら陽菜の後輩は世間的にも将来を有望視されているらしく、それを陽菜が励ましている。二人は笑顔で語り合っている。一方、文光の後輩とその友人は文光に向かって話しかけてきているのだが、文光はそれに答える余裕が無く。ほんの僅かな返答を返すにとどめていた。流石の文光の後輩も文光から気の良い返事を貰えていない事に気が付いて、不満気に友人に目配せをした。文光の後輩とその友人は頷き合って、名残惜しむ陽菜の後輩を連れて何処かへと去って行った。
その間中、文光は衝撃に固まっていた。自分の知っている情報は客観的な概要でしかない。そんな事は分かっていた。だから直接会う今日からはそれ以上に沢山の事を知る事が出来ると楽しみにしていたのだ。
だが一瞬交差した二人の視線の間を走った様に見えた感覚、その文光が持っているよりも遥かに膨大な情報を見てしまった為に、文光は固まった。既に自分よりも遥かに陽菜と通じている人がこの世の中には存在する。それも一人や二人ではない。さっきの後輩もそうだし、月歩という親友もそうだろう。陽菜の家族、友人、知人、沢山の人が自分よりも陽菜の事を知っている。とても羨ましかった。同時にとても情けなくなった。自分は何でこんなに何も知らないのだろう。これが嫉妬なのか。良く分からなかった。
「あら! 文光さん!」
その時声が聞こえた。考え事をしていた文光はまたもその声に気が付かなかったが、突然左腕に衝撃が走って、体が傾いでようやくその存在に気が付いた。
文光の腕に一人の女性がくっ付いていた。