花開く夜空
陽菜は息を吐いて、明るく照らされた街道を眺めた。ガス灯を模した灯りがずらりと並んで光の道を作っている。空にかかる闇に比べれば遥かに頼りない仄かな光が霧の様にぼんやりと漂って、誰も居ない道を寂しく彩っている。
足音がやけに大きく響く。西洋の街並みを模した家々からは物音一つ聞こえない。窓からは室内灯の光が漏れているのに、その家には誰も住んでいない。家は誰かが住んでいる姿を模している。道は沢山の人々が往来する為に作られている。けれど今は誰も居ない。人が賑わう事を前提に作られた空間に人が居ない。それが物寂しかった。彼方から微かに聞こえてくる陽気な音楽も寂しさを助長した。
西洋の街並みを模した一角を抜けるとアトラクションが待っている。煌めく光と軽快な音楽に彩られて、誰も居ないアトラクションが動いている。段々と上るジェットコースター。今か今かと落ちようとしている。ふと下に目を落とせば、受付の場所に居るスタッフがこちらを見つめていた。当然と言えば当然かもしれないが、園内を回す為の最低限のスタッフは残っている様だ。荒れた風の音が聞こえた。視界の端をコースターが横切って、思わず目がそれを追う。
「何か食べたい物はあるか?」
陽菜が風音を立てて行き交うコースターを見ていると、文光の声が聞こえた。
完全に一人の世界に入っていた事を反省しつつ、食べたい物ねぇと考える。周りを見回すとレストランは閉まっていた。どうやらスタッフはアトラクションを動かす役だけらしい。何故か軽食を売るキャンピングカーは開いていたが、夜位はちゃんとした物を食べたい。
「まだ、そんなにお腹空いていないからいいよ」
「そうか」
文光が陽菜に気付かれない様に指先で合図すると、一流シェフ達が残念な顔をしてこそこそと帰っていった。
「しかしあんたん家もすげえな。こんな遊園地を貸し切るなんて」
陽菜が自分の家を棚に上げて探りを入れると、文光が首を振った。
「いや、多分親父がセッティングすればもっとちゃんとしただろうし、豪勢にも出来た筈だ。俺一人の力じゃこんなものだ」
「あー、何? 遊園地を貸し切ったのはあんた一人の力って事?」
「まあ、お金を払っただけだが」
「金払っただけって、何でそんなに金を持ってんだよ。小遣い?」
「一応、会社をやってるから、その報酬で」
「会社?」
「ああ、何社か立ち上げから関わっている」
「へぇ」
自立もしていないお坊ちゃまかと思っていたが、そんな事は無かったらしい。ちょっとだけ見直して、文光の評価を改めた。
大きなメリーゴーラウンドの前に差し掛かった。夢見る様な音楽と共に馬と馬車がめくるめいている。懐かしさを抱けば吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚えた。かつて映画を見た時に抱いた感情、非現実から二度と抜け出せなくなる様な、そんな不安がくるくると回っていた。
「陽菜、こっちへ」
文光に促されて、ほっとした心地がした。めくるめく不安から眼を逸らすと、そこには小さなベンチがぽつりとあって、メリーゴーラウンドの回転する光に照らされて濃に淡にその身を静かに変じていた。
二人はベンチに腰を下ろした。目の前には聳え立つ様な光の巨城達が暗い闇を突き上げようと必死に光り上げている。軽妙な音楽が流れてくる。どちらも人の為に律儀にそうしている。だからこそ物悲しい。人の姿が見えないから。
陽菜は目の前の光を見つめながら、さて文光は何をしてくれるんだろうと考えた。てっきり誰も居ない遊園地で遊び倒すのだろうと思っていただけに、ベンチに座って休んでいる今は拍子抜けだ。何をしてくれるんだろうと足をぶらつかせたくなるのを抑えながら、文光の言葉を待った。
「なあ、陽菜」
「何?」
「俺は昔、周りがみんなつまらなく見えていた」
「ん?」
何か過去を語り始めたー。
困惑する陽菜などお構いなしに文光の話は続く。
これもまた文光のメモした教科書に載っている事だった。
暗い過去を話せ。
「なんでもつまらなく思えて、何もかもに興味を持てなくて、世の中の全てがどうでも良かった。許嫁も、陽菜には悪いが、嫌で嫌でしょうがなかった。それこそ陽菜と同じで家出をしようって考えた位に」
「今のお前と大分違うな」
今の文光は無表情ではあるけれども、感情は豊かに見える。許嫁も受け入れている様だ。何かきっかけでもあったのか。
「ああ、そうだな。あの時の俺は目の前しか見てなかったんだ。それなのに世界の全てを見た気になってた」
「あー、そういうのあるよ。恥ずかしいけど、あたしにも」
「陽菜はそれをどう解決した?」
「解決してないよ。今でも私はほんの少ししか見えてない。でもそのほんの少しの世界を、全力で生きているって感じかな」
「そうか」
「で、文光はどう解決したんだ? その言い方だろ、視野が広がったんだろ?」
「ほんの少し広がっただけかもしれない。でもその時までの俺にとってそれは途轍もなく大きな世界で、そしてこれまでもこれからも俺にとって何よりも素晴らしい世界だ」
「へー、どんな世界?」
何となく陽菜は鳥肌が立った。
「陽菜だ」
ぶっと陽菜は思わず吹き出してしまったが、文光は気にせずに後を続けた。
「実は昔陽菜を見た。陽菜が家出をして見つかった時にほんの少しだけだけど。でも今迄見た何よりも輝いていて、そして俺の中心になった」
陽菜は何も言えずに黙りこんだ。気恥ずかしさに声が出なかった。
「この気持ちはずっと膨れ続けてる、言葉にも出来ない位。もう言葉じゃ、この気持ちの全てを伝える事が出来ないから」
そこで文光はベンチの後ろから何かを取り出した。それは陽菜がベンチに座る前に少しだけ気になっていた物だった。一体何だろうと思っていると、文光はそれを膝の上に乗せて、中からバイオリンを取り出した。
「だから音楽で伝えようと思う」
うわー、自作曲まで作ってきやがった。
陽菜の心の中でのつっこみは当然文光には届かずに、文光は優雅な動作でバイオリンを肩に乗せた。
バイオリンがメロディーを紡いでいく。アップテンポの曲が沈み浮き上がり更に跳ねる。
文光の顔は真剣で、瞑った目の奥にどんな感情が込められているかは分からない。その隠れた思いは全て流れるメロディーに乗せられているのだろう。陽菜もまた目を閉じて、文光の生み出す音楽に集中した。
でも、遊園地の発する軽妙な音楽が邪魔をして良く聞こえない。ぐっと文光の手に力が込められた。音が力強く発される。だがジェットコースターが生み出した風音で掻き消えた。
明らかに失敗だろこれ。幾ら聞こうとしても環境音が邪魔をして上手く聞き取れない。なぜわざわざこんな場所を選んだのか、陽菜にはまるで分らなかった。
ちなみにこの場所を選んだのも教科書から得た知識だ。百万ドルの夜景が見たい。とはいえそれを見せるには遠出をしなければならない。同じく教科書の知識、最初は近場でという文句に則って、近くにある煌びやかな夜景を探した結果がここだった。
聞こえねえと少し苛立って、陽菜はこんな状況を作った文光を見た。見た瞬間に、怒りが消えた。眼を閉じて真剣な表情で必死に自分の気持ちを伝えようとしている。
曲を聞くよりその表情を見ていた方がよっぽど感情が伝わるなぁと思った。そう思ったから演奏が終わるまで、陽菜は文光の表情を眺めつづけた。
演奏を終えた文光が陽菜の反応を見ようとして横を見ると、陽菜がじっと自分の事を見つめていて思わず仰け反った。
「ど、どうだった、陽菜」
「え? あ、いや」
陽菜は何故か慌てた様子で髪に手櫛を当てて、何か曖昧な笑いをした。
まさか寝ていた訳ではないと思うが。そう思いたいが、完全に否定する証拠はない。もしかしたら俺の気持ちなど退屈なだけだったのだろうかと、僅かに落ち込みつつ、それでも諦めてはならないと、文光は夜空を指差した。
「もう一つ、陽菜を思って作った」
陽菜が空を見上げると、夜空に花が咲いた。
「……花火」
陽菜がぽつりとつぶやく間にも二発三発と花火が輝く。輝いては残滓を残して消える。残滓が消えようとすると、新しい花火が開く。次々と花火が上がり、夜空が輝いて、しばらくの間二人は輝く夜空を見続けた。
一際大きな花火が散って、夜空がまた暗く陰った。文光は恐る恐る隣の陽菜を見た。どんな顔をしてくれていれば良いのかは分からない。せめてつまらなさそうな顔はしていてもらいたくない。
陽菜は、笑っていた。始めは小さく口に手を当てて笑っていたが、段々と笑い声は大きくなって、終いには大笑いを始めた。
つまらなそうな顔ではないが、楽しんでくれたのとは少し違う気がする。どうしたのだろう。お腹を抱えて笑う陽菜が心配になった。
「どうした、陽菜」
それにも構わずに陽菜は笑い続け、文光がもう一度声を掛けようとした時に、ようやっと顔を上げた。
「文光」
「なんだ」
見つめられた事で文光の鼓動が跳ねたが、それを表に出さずに見つめ返した。
「面白い」
陽菜の言葉に、文光は何がだと心の中で呟いて、次の言葉を待った。
また陽菜が笑いだす。
「まさかここまでやるとは思わなかった。本当にさっきの曲も花火も自分で作ったのか?」
「ああ」
また笑う。
文光は何故笑われるのか分からずに困惑していた。
陽菜の笑いが響く。
まさか嫌われてしまったのかと思って、文光の背に冷や汗が伝った。
「悪い。つい、面白くて。なあ、今日一日一緒に居て、あたしはどうだった? 変な奴だし、嫌な奴だったろ? それでもあんたはあたしと結婚したいと思った?」
「俺の思いはずっと変わらない。今も昔も陽菜の事を愛している。これからもずっと一緒に居続けたい」
「何でそんなに……良く分からないんだよなぁ。あたしははっきり言って、夫なんかより月歩の方が大事だ。言った通り、結婚生活よりも王国の方が大事なんだけど、それでも良い?」
「構わない。言った通りだ。俺は陽菜の全てを受け入れる。陽菜の王国も陽菜の一部だ。否定なんかする訳が無い」
「あんた……もうちょっと考えて発言しないと、結婚生活が困るよ」
「本心を伝えるだけだ」
陽菜は一度息を吐いて、俯いてから、また笑った。
「おーけー! 気に入った!」
そう言って、陽菜の顔が文光へと近付いて、文光が固まった瞬間に唇が触れ合って、文光の頭が真っ白になっている間にまた離れていった。
「採用! 今日からあんたはうちの王国の騎士!」
にっこりと子供の様に笑って陽菜が言った。文光は尚も頭が真っ白で何の反応も出来ない。
「おーい」
陽菜が呼び掛けてみたが反応は無い。ホントに純真な奴だなぁとしばらく待っていたが、一向に文光は醒めない。試しに鼻を押してみると、頭が後ろに下がり、再び元の位置に戻って来た。それでも起きない。両頬を引っ張って話してみた。やはり覚めない。
まあいいかと思って、正気付かせる事を諦めた。地上の灯りの所為で星の見えない夜空を見上げて、陽菜は良く分からない感慨にふけった。
何か目に見える変化があった訳じゃない。けれども何となく心が、言葉には出来ないけれど、何か違っていた。付き合うなんて、結婚なんて、最初はただ一緒に住むという契約をするだけだと思っていた。それなのに今は良く分からないけれど違っていた。何が違うのかはやっぱり言葉に出来ないけれど。
心がぼんやりと温まって、暴れ出したい気持ちだった。
「陽菜」
「おお、起きた。さっきの話、聞いてた?」
「さっきの話?」
「そ、あんたは今日からうちの国の騎士になったから」
「分かった」
あっさりと文光は頷いた。
はたから見ればそれは如何にも気安く見えるけれど、陽菜にはその奥に確たる決心があったのだと分かった。
陽菜は笑う。
騎士か。多分他人が利いたら馬鹿にするだろう。きっと、あたし達の関係は浮ついているんだろう。大人の恋愛にははるかに遠い。子供同士の細やかな恋愛と大差ないに違いない。もしかしたらそれ以下かも。
陽菜は立ち上がって、文光に手を差し伸ばした。
でもそれで良い。あのメリーゴーランドみたいに夢見心地で回っていられるなら幸せだ。その為に努力しよう。いつまでも回り続けて、非現実に閉じ込もっていられるように。
文光と共に連れ立って、陽菜はアトラクションへと向かった。
「陽菜、何処へ?」
「折角来たんだから遊ばなきゃ損だろ?」
文光が頷いて、微かに笑った。
「それじゃあ、まず何に乗る? これからのデートプランは?」
「決まってない。陽菜が決めてくれ」
陽菜はにやりと笑うと、文光を思いっきり引っ張って、胸に宿った熱に任せて、転びそうになった文光と一緒に、煌びやかな灯りの中へ踊り込んだ。
「うおー! 坊ちゃまー!」
その後ろで吠える源次郎の声は二人に届かない。月歩だけがその叫びをもろに食らって、耳を塞いだ。
「あのー源次郎さん。落ち着いて」
「良かったですな、坊ちゃま! 坊ちゃまー!」
月歩の言葉にも耳を貸さず、源次郎がわめき続けた。
手におえないなぁと思っていると、遠くから黒服を着た男達が走り寄って来た。
「爺さん! あんた──」
「やったー! 坊ちゃまー! 坊ちゃまー!」
「駄目だ。狂っちまった」
飛び跳ねる源次郎は黒服達に抑え込まれて、連れられて行った。
残された月歩に礼人が尋ねた。
「あの様子だと文光様と陽菜様は上手くいったのでしょうか?」
「ええ、完璧に」
「そうですか」
礼人は一瞬破顔してから、すぐに表情を引き締めて陽菜に向いた。
「まだここに残るつもりですか?」
「いいえ、もう必要ないみたいですし」
「ではお送りいたしましょう」
「お願いします」
礼人について、月歩は遊園地を後にする。
もう私は必要ない。それはあくまで今日のデートについての事だったけれど、もしかしたらこれからずっとの事かも知れない。そんな予感がした。当たるかどうか分からない。当たって嬉しいのか、悲しいのかも分からない。分からないから、ずっとその予感が頭から離れなかった。
遊園地の外に出ると、友達が待っていた。
「よ、月歩。どうだった?」
「上手くいったみたい」
「ホントに?」
「どんな感じだった?」
「えーっと……それは陽菜に聞いて」
「意地悪―」
「教えてよー」
「ふーん、陽菜がねぇ。で、どうだった?」
「え? どうだったって?」
「いやー三人で話し合ってたんだけどさ、他人の恋愛に触発される事ってあるじゃん? 月歩はどう?」
「良い人紹介するよー。お客様のご要望通りの殿方をご紹介いたしますー」
「さっきも許婚君の友達とアドレス交換したから、近々合コンでもって感じだし」
「私は」
陽菜と文光を見て羨ましいと思った。恋愛がしたいと思った。思い出すのは小学生の時に出会った二度と会う事の出来ない男の子。その顔を思い浮かべると、何故か恋愛がしたいという気持ちが萎えた。でもすぐにまた恋愛の炎が灯って、けれど二度と会えない男の子の顔を思い浮かべると、また消える。
「私は別に良いよ」
気付くとそう答えていた。
尚も何か言っている友達を適当にあしらいながら、月歩は流れる夜景を見つめた。とても明るくて、あの男の子の居る農村とはまるで違う街並みを眺めて溜息を吐いた。