第一章−決意−【第六話】
「ねぇ、メディ。本当にクリニックには残らなくて良かったの?」
「先生が、あのように言ってくれたのもありますが……あそこに居たら、きっと……私はエクソダスをする事ができないので」
「でも、キミはメディカロイドで、その役目は人間への医療行為だろう? エクソダスをするよりも、あのクリニックに残ってた方がよっぽど役目を果たせるんじゃない?」
「……確かに、それは一理あるのかもしれませんが……。けれど……あそこに残る事が百の内、十を救えるとして、エクソダスは百の内、七十を救う事に繋がると思うんです。だから私は……エクソダスを選びます」
「───そうか。僕だったら、目先の事ばっか考えて、残る事を選んでいたかもしれないな」
「決断の理由は人それぞれで、そこに正解不正解はありません。だから、ソイルさんのその考えも間違いではないはずですよ」
「決断の理由に正解不正解はない……ね。覚えとくよ」
そうして僕らが商店街からの道のりを進んで40分。道中に、メディが重い荷物持ちを手伝ってくれるというなので、5分毎に荷物当番を交替しながらベジタリアンを目指した。
「来る時は短く感じたけど……帰りはなんだか長く感じるね」
「荷物が増えた分と商店街での出来事分の疲れもあるのでしょう。確かに、歩く速度が来た時よりも遅くなっていますね」
体感時間だけだと思っていたが、実際に遅くなっていたらしい。
「ですから、お荷物は私がお持ちしますよ?」
「良いってば。これまでは一人でやってきたんだ、キミの力を借りる程じゃない。それに、キミが兎や角言うから、荷物当番を5分毎に交替する事にしたんじゃないか」
「……そうですか。どうしても無理になったら、言ってくださいね」
「あぁ、そうするよ」
そうして、瞳孔に入る光が強まっていくのを感じた頃。ベジタリアンが目と鼻の先まで見えてきていたそこで、メディがチラチラとこちらへ視線を飛ばしていた事に気付いた。
「何さ? ケホッ!」
「いえ……たださっきよりも咳が出てきていて、荷物も重そうだったので、心配で」
「本当に大丈夫だから。日常茶飯事だって言ってるだろう?」
「ですが───?」
メディは急に立ち止まり、目をパチクリと開けたまま前方を見つめていた。
「ですが、何?」
「あの……ソイルさん、何か変です」
「変って、何が?」
メディは前方を見つめて固まったまま動かない。何かがあるのだろうか?
「何だよ。別に何も見えないよ。ベジタリアンの小屋とビニールハウスがあるぐらいで、何が変なのさ」
メディよりも少し前に出て、同じ方向をじっと見つめてみるが違和感と言うものは感じ取れない。振り返り、メディの様子を見ると……その赤い瞳孔が、まるでカメラのレンズの様に絞っては戻してを繰り返していた。
「一応聞きますが、ソイルさん。今の時間、バチェラさんが普段何をしているか知っていますか?」
「えぇと、作物の見回りと栽培だと思うけど……どうして?」
「私もそう聞いていました。……でも、もしもそうであるなら、バチェラさんの姿が見当たらないんです」
「だったら小屋に居るんだろう?」
「いえ。治療に使う透過機能があるのですが、それを用いて視ても屋内に人らしき影は存在してません」
「…………それ、本当?」
「はい」
嫌な予感が頭を過るが……大丈夫、きっと杞憂だ。さっきにメディと逸れた時もそうだった。
「大丈夫でしょ。神経質になりすぎだよ。ほら、行くよ」
「……だといいのですが」
そうして、小屋の玄関にたどり着き屋内を探すも、やはりメディの言うように、バチェラの姿はなかった。
静けさに多少の不安を覚えるも、それを無視して次の作業へ移った。
一先ずは、重い荷物の中身を整理する必要がある。
「メディ、ポリタンクを外の方にある倉庫の方に運んでくれる?」
「全て運びますか? それとも……」
「4つ、運んで欲しいな。そんでもってその後は、キッチンの方に食材を置いておいて。僕、見回りしてくるから」
「分かりました。気を付けてくださいね」
どこか、不安を捨てきれず外へと出た。足を動かすのが早くなっていたのは、その表れだったかもしれない。
昨日と同じルートでベジタリアン内を歩いていく。そこでふと、引っかかる事を思い出した。
「そう言えば……バチェラ、昨日の不審者対策、講じたんだろうか?」
すっかりと会話に流されていた気がするが、しっかりとバチェラは話を聞いていたか?
昨日の会話の流れを思い返す。
確か、『泥棒かしら?』なんて返していた気がする。となると、認知はしていた訳で、何かしらの対策は講じていそうなものだが。
「───ん?」
畑の側を通った時、地面に違和感を感じた。
その感覚へ従うように足元を見ると、まるで何かが通った跡、二本の幅広い凸凹とした線がかなり向こう、産業廃棄区の方向へと続いていた。
だがこの線、どこか見覚えのある跡だ。どこで見た?
「これ……は」
そういえば、下層に来てからは見た事も無かったので忘れていた。
「車……だよな?」
そして注意深く周囲を見渡すと、僕以外の複数の足跡がある事に気付いた。てっきり、昨日の僕の足跡とバチェラの足跡が混ざった物だと思ったが、そのつま先はバラバラな方向を向いていて、最終的に二本の跡に近付いていっていた。
この時、嫌な予感がなんら杞憂何かでは無く、本当に的中してしまったのだと確信した。下層で、私的に車を扱える下層人など、一体全体何処にいようか。
───つまるところ、これは上層から来た複数人がこの農園で何かをしていったのだ。
では、その『何か』とは何なのか……それを考える間も無く、僕は玄関の戸を強く開けて大声を出した。
「メディ! バチェラが、上層の奴らに誘拐されたかもしれない! 車の跡と、複数人の足跡が畑の側にあって…………それが本当に車の跡なら、割と間違いじゃない気がする……!」
「それは……! 急ぎましょう。どちらへ向かっていたか、跡から分かりますか?」
「産業廃棄区、僕がキミを拾ったところの方向だ」
「最低限の準備をしましょう。せめて、有事の際に有効な水や……悪あがき程度ですが、武器になりそうな物も」
「分かった!」
キッチンから包丁を取り出して、水筒に水を入れる。移動の際には手を空けて置きたいので、手提げバッグは持っていきたくないが…………確か、リビングの用具入れに、バチェラのリュックがあったはずだ。それに準備した物を入れて玄関を出る。
メディもすぐに準備を終えたようで、僕らは速歩きで出立する。
そうして、産業廃棄区への道のりにて───
「どうして、バチェラが上層の奴らに……。絶対に誘拐されたっていう証拠はないけれど……もしも誘拐じゃなくて、仮にバチェラから着いていった可能性があるにしても……あの、轍を残せるような奴らに、バチェラがノコノコと着いていくかと言ったらノーだろうし」
「…………まさか」
「───ケホッ。何か脅されたのかな? そもそも論、なんで上層の奴らがベジタリアンに来たんだ?」
「私の……せいかもしれません」
「それは…………そっか。確かに、それが一番あるか。キミ以外が目的であるなら、今日よりも前に来ていたはずだものね。───ただキミだけが落ちて来ただけのことなら、わざわざ下層には来なかったんだろうけど……もしかしたら、キミの腰にある禁書を狙ってるのか」
「恐らくは、そうかもしれません」
しかし、それならメディを直接に狙った方が早いだろうが、何故バチェラを?
……いや、他人を狙うからこそ意味があるのか。もしも奴らの狙いが禁書なのだとしたら、誰かを人質にとって、禁書を返してもらう条件を提示した方が禁書の返ってくる確率も上がる。
「待てよ。奴ら、禁書が狙いだとしたら……それを知った僕らはどうなるんだ」
「あれは恐らく、上層においても、並大抵の知識を持ってしても可読箇所が少ない代物ですから。読めなかったフリをしておけば、安全かと……」
「でも奴ら、僕らを死体扱いしてる。大丈夫かな」
「相手が人質を取るならば、私も質を取ります。───この禁書を」
背に腹は代えられない。ここで何度も学んだ事だ。
例えそれが、カノジョの大切な物だったとしても……僕は、僕の為に……バチェラの為に、カノジョが自分の大切な物を盾にするという選択を止める事ができなかった。
「……ソイルさん」
「何」
「私が、裏切り者である……スパイである事は考えないのですか」
「最初は思ったけど、キミは商店街でしっかりと人々を救ってた。だから、下層の人間に仇なすアンドロイドだとは思えない」
「そう、ですか。……ありがとうございます」
何故感謝されたのかは分からないが、メディは少しだけ微笑んでいた。これから上層の人間と出会うかもしれないと言うのに、気の抜けた表情だった。
アンドロイドは人受けを良いものとする為、その見た目を美しく調整されている。なので、表情の一つ一つにときめいてもおかしくないはずなのに。
───何故、カノジョの笑顔を見る度にこんなにも不快感を覚えるのだろう。まるで機械が人のフリをしているようなのが嫌なだけなのか……それとも、このアンドロイドの表情を、多少なりとも美しいと思えてしまった僕への自己嫌悪なのか。
…………頭を振って考えを捨てる。バチェラを救う事には関係のないことだ。
「ねぇ、メディ」
「はい、何でしょうか?」
「多分、相手は僕らを傷付けるのに躊躇いは無いと思う……なんたって僕らは、死体共だから」
「悲しい事ですが、その可能性もありますね」
「そして、もしも交渉に失敗した場合、バチェラを傷付ける事だって厭わないはずだ。そうなったら……僕はきっと、命を投げ出してでも彼女を救い出そうとしてしまう気がする。だから───」
そうだ。僕はこれまで、数え切れない程にバチェラの世話になってきた。恩を返すのなら今しかない。
でなければ、これまでのように恩返しのタイミングや、どう返せば良いかをまた見失う事になる。……こんな時に恩返しを思いつくなんて、僕はなんと愚かなのか。
それに、僕の命の終わり方なんて、とっくのとうに決まっているようなものだ。それを示すように、下層の人間がどのように死んで行くかを、僕はこれまでに何度も聞いてきて、そのどれもが似たような死に方をしていた。
そうして、同じ様に死に行くだけの最後を、大切な誰かの為に使い切れたという最後に出来たのなら、どれだけ誇らしく名誉ある事だろう。
「その時は、僕の心行くまでに行動させて欲しい」
「……はい」
メディは快諾してくれた───と思った。
「お断りします」
「…………え? さっき、『はい』って言わなかった?」
「違います。ただ間を空けて、『はい。お断りします』と言ったんです」
「……あんまり人を期待させて裏切らない方がいいよ。割とモヤッとくるんだけど」
「ソイルさんこそ、あんまり人を心配させるような事を言わない方が良いですよ」
「人じゃないでしょ、キミ」
「言葉の綾です。大事なのはそこじゃないです」
「いやまぁ……分かってるよ。だけどバチェラが死んだら、僕はどうやって生きていけばいいんだよ」
「まるで子供のような事を言うんですね。なら、残されたバチェラさんはどう生きていくんですか?」
「そんなの……僕が来る前の生活に戻るだけでしょ」
「言っておきますがソイルさん。世界は貴方が居るから在るわけじゃないんですよ。貴方が居なくたって時間は進むし、誰かは生きるし、誰かは死んでいくんです。だからそんな、進んでいく時間に生きていく人達を置き去りにするような、無責任な事言わないで下さい」
「……あぁ、そうだ、それはそうだ。けど、だけどな、キミにバチェラや僕の行く末を兎や角言われるのは納得行かないね……!」
自然と、言葉の後ろに行けば行く程に語気が強くなっていった。
「確かに私の、ソイルさんやバチェラさんと過ごした時間は短いです。でもだからと言って、恩人である貴方達に不幸になって欲しくはありません。逆に、幸せでいて───」
「うるさいなぁっ! それもアンドロイドとしての役目から言ってるんだろう!? 人間じゃないくせに、人間の幸不幸とか、生を語るなよ!」
メディの急ぐ足が立ち止まる。そうして、自分がイラついている事に気付いた。
…………何を言ってるんだろう、僕は。どうしてカッとしている。みっともない。
「───えぇ、そうですね……すみません。先を急ぎましょう」
「……あぁ」
自分に対する呆れが途轍もない。何故メディの言葉に、あんなに過剰反応してしまったのだろう。バカバカしい。
ふと、メディの顔を一瞥した。カノジョは俯いていて、その表情がよく掴めなかった。機械如きに……罪悪感を覚える必要などはない。
そこからは無言でただただ歩き続けた。二本の跡を辿って。
そしてひたすらに歩き続けて、1時間が経った頃。僕らは産業廃棄区のダルヴァザすらも越え、下層の生活圏からも離れたトタンの廃墟小屋へと訪れていた。
「……います、ソイルさん。確実にあの廃墟に」
「そうみたいだね」
その廃墟小屋の側には、この場に居ることを示すかのように分かりやすく四輪駆動車が置いてあり、中には誰も乗っていなかった。
隠れる所は周囲にあるガラクタとその車の影程度しか無かったので、僕らは錆びた洗濯機とテレビの裏へと隠れて、廃墟小屋を観察する。
屋根は若干傾いていて、少しの衝撃が加わっただけでも崩れそうだ。およそ窓と呼べる箇所は無く、戸は一つ。
「バチェラさんは正面戸から右奥、角の方に座らされています。拘束はされていないようです。その他、バチェラさん以外の人数は───3で、それぞれの姿勢から銃器を所持しているように見えます」
拘束をされていない事を不思議に思ったが、銃器を持っていて、それも3人居るのだ。恐らく余裕振っているのだろう。大層な慢心だ。
「てか、幾ら隠れてるとは言え、あっちにはバレていないの?」
「はい、バレてはいないようです。更に、大きな物音を出さない限りは今から気付かれる事もないと思います。今こうして、私が壁の向こうの人数や状態を把握できているのは、治療に使う透視システムに依るもので、恐らく彼らはファイトロイドですから、その機能はないはずです」
一瞬、人間の可能性も考慮したが……上層の人間が、下層に自ら降りてきたりなどはしないだろうし、シャングリラが人間を送ったとしたら問題になる。
そう考えると、メディの言う人影はファイトロイドなのだろう。
「問題は……話しが通じるか、だね。正直、面と向かって勝てる相手とは思えない」
病気も無く、罪が法によって裁かれる上層に於いての代表的な死亡例は、事故もしくは───多くの死体共の反乱とその鎮圧によるものばかりだった。
そうだ、上層でも下層人は死んでいるのだ。
そして、その鎮圧を務めるのがファイトロイドの役目。そんな奴らに面と向かって勝てるわけがない。
「メディ、僕が彼らと話してみる。元は言えば、僕だって上層の人間だったんだ。猶予の一つや二つぐらいは貰えるさ」
「では私は────」
「いざって時に、僕の合図で廃墟を崩して欲しい」
「でも、それは……」
「もしも争うことになった場合、一か八かでしか奴らに対応できる方法はない。大事なのは、いざって時の行動をすぐに起こせるかどうかだ。それに、キミなら廃墟にどう衝撃を加えれば、どう崩落させられるか分かるだろう?」
「確かに、可能ではありますが……心配です」
「…………自分の命を投げるのは本当の本当に最終手段にするから。気にしないで」
「信じますからね」
「あぁ」
そうしてメディは廃墟小屋の裏へと静かに移動していった。それを見て、僕も小屋の前へと立つ。
「知っている、情報を、吐き出しなさい」
「っるさいわね! 何も知らないって言ってるでしょ!?」
「その応答は、3回目です。答えなければ、攻撃を、再開します」
中からは、機械的に喋る男の声とバチェラの声が聞こえる。恐らくは尋問中なのだろう。
丁寧にも、戸を3回ノックしてから、ノブに優しく手をかけた。
「……失礼します」
メディの言った通り、中には3体のファイトロイドと隅であぐらをかくバチェラが居た。
「ソイル!?」
「侵入者を確認。対処し────」
驚くバチェラの次に、ファイトロイド3体が僕に銃口を向ける。そんな中、ファイトロイドの言葉を遮るように僕は言った。
「禁書の在り処にまつわる情報を知ってる。だからどうか、その銃を下ろして欲しい」
「……認可します」
その言葉と同時に、カレらは銃器を下ろした。意外とすんなりといけた事にホッとする。
「その情報を教える前に、その女を解放してやって欲しい。彼女は本当に何も知らないんだ」
「ちょっとアンタ! いきなり来てそんなの────」
あぐらをかいていたバチェラは、僕のその発言に驚いたのか、立ち上がっては僕へ駆け寄ろうとした。しかし、それをファイトロイドらが許す訳もなく、三体の内一体がバチェラへと銃口を向け、それにバチェラは動きを止めた。
「認可できません」
「それは何故だ? ……因みに言っておくが、禁書の場所を知っているは下層で僕だけだぞ。何が言いたいのか、分からないわけじゃないよな?」
「ねぇソイル。本当にやめなさい」
「……ごめん、バチェラ。何とかするから───信じてくれ」
「無理。アンタ、自分がどれだけ無謀で最低な事してるか分かってるの?」
「分かってる、分かってるけど。バチェラには真実を素直に話す事ができる? メディを……売ることができる? いいや、きっと今のように言ってる内は無理だよ。そして、それを言えないバチェラがこの状況を打破する事だってあり得ない」
その言葉にバチェラは目を見開いた。まるで、私の知っているソイルがそんな事を言うわけがないと疑うように。
だけど、バチェラがそれ以上僕に何かを言う事は無かった。ただただ、強く拳を握りしめて悔しそうな顔を浮かべていた。
「すまない、無駄話をした。話の続きを」
「情報を、聞き出す為の一環として、認可します。何故、この女を解放できないという理由には、お答え、できません」
「そうか。どうせ僕の話を聞いたら、どちらも殺すつもりだからだろう?」
「お答え、できません」
「分かった。ならば僕も、なおさら禁書の在り処を教えられない」
「…………ならば、お答え、します。ですから、その条件の、代わりに、貴方の情報を、提供してください」
「断る。女の解放を条件にしろ」
「……仕方が、ありません。認可します」
バチェラに向けられる銃口が下ろされ、ゆっくりとバチェラがこっちへと歩いてくる。
「女の方は、速やかに、ここを、ご退出ください」
「お断りよ。私はソイルと一緒にいる。この子が心配だもの」
「……ありがとう、バチェラ。でももう大丈夫だから。……だって────」
バチェラの手を掴む。そして壁の裏側へ大きく息を吸って───
「メディっ!」
声を出した。
同時に僕は扉へと走る。案の定、ファイトロイドは迷う事無く発砲してきた。一発目は空を切り、二発目は僕の頬を掠り……その弾丸らはトタンの壁に風穴を開けた。しかし、それ以上にトタンの壁に穴の開くことは無い。否、穴の開く壁すら、もはやそこに無かったのだ。
トタンの廃墟が音を建てて崩落していく。土煙と埃が思い切り巻き上がり、既の所で脱出に間に合った僕らは、頭を伏せて地面へと寝そべっていた。
「ケホッ! ケホッ!」
舞い上がった土煙とおびただしい埃の量に、咳が止まらなくなる。だが、そんな事はどうでもいい。まずはバチェラの無事を確認したい。
「ケホッ! 大丈夫……バチェラ?」
「大丈夫だけど、うぅ……頭痛ぁ」
心配になってバチェラの頭部を確認したが、出血はしていないようだった。
「良かったぁ……ケホッ! ケホッ!」
想像以上に上手くいったことに感動すらも覚え、身体を仰向ける。目に映る景色は、相も変わらず漆黒だった。が、上手く行ったことへの清々しさが、そんな暗さの中に光を見せた気がした。
「お二人とも、大丈夫ですか」
廃墟の方向からメディの声が聞こえて来て、その声は段々と近付いてきていた。
「私は平気だけど……ソイルが……」
「ケホッ!」
「少し待ってくださいね、ソイルさん。今、吸入器を出すので」
そうして僕の傍でしゃがんだメディは、以前と同じように腕を開閉させては吸入器を取り出した。
「では息を大きく吐いて」
「……ふぅぅ」
「では大きく息を吸ってください」
「……すぅー」
メディが僕への処置を進める傍ら、バチェラはメディにえらく感心していたようで、賛辞の数々を並べながらメディの側をうろついていた。
「では、10秒間数えますから、息を止めておいてくださいね」
コクリと頷き、メディがカウントダウンを開始した。
「10……9……8……7……6」
───その時だった。
『ダンッ!』『ダンッ!』『ダンッ!』
「っ!?」
三発に分けられた銃声が、崩れたはずの廃墟から静寂を殺して鳴り響いた。
「テテテ、テキセイカカンセンシャ、ヲヲヲ、センセンセセセンメツ」
「ケホッ……! ……なに?」
一瞬で状況を把握することができなかった。気付けば、メディは僕の傍を離れて廃墟へと走っている。
メディが走っていくその先を注視する。そこには千切れた上半身で這いつくばるファイトロイドが居た。まだ生きていたのか。
「よくもやってくれやがりましたねっ! ……こ……のっ!」
メディがメディカロイドらしからぬ踵落としを、壊れかけのファイトロイドへと決め込んだ。どうやら、そいつが行った先の射撃は本当に満身創痍の三撃だったらしく、メディのその攻撃へ反撃することもできずに、まるでプラスチックを砕くような破砕音を上げて首から上が粉々になった。
あの程度でバラバラになるとは、恐らくは比較的旧型のファイトロイドだったのだろう。
「……はぁ……はぁ」
メディカロイドも息を切らすものなのか……。
そう驚きを感じた時、後ろからも激しい息遣いが、それも絶え絶えのものが聞こえて来ることに気付く。
「…………ソイ……ル……」
その声はやけか細かった。だが、聞き覚えがある。
「なんかぁ……めっちゃ痛いんですけどぉ…………私、どうなってる……?」
ハッとして、最悪の想像が浮かび上がる。同時に、僕の呼吸までも乱れていく。それは、ケガをしたからとか、咳のせいだとか、そんな理由ではない。
「あぁ……そっかぁ、そうなっちゃったかぁ…………」
後ろから聞こえる今にも消えそうな声へ、すぐにでも駆け寄りたい。駆け寄りたいはずなのに。
──────嫌だ。嫌だ。嫌だ。
何故だか、目を向けたくない。
「ねぇ……少……しだけ、聞い…………てくれない……?……ソイル」
「メディ……メディ! 違うよな!? 早く戻って来てさ、バチェラをさ……!」
メディは息を切らしたまま、拳を強く握り、ただただその場に立ち尽くしている。よく見ると、カノジョの左前腕一部が欠けていてその腕が震えていた。
「ちょ……っと、アンタに……言いたいこと……あんの。こっち、見なさいよ」
「嫌だっ! 嫌だ嫌だ嫌だ! ……ケホッ!」
「わがまま言うなぁ…………さっ……きの威勢、どこいっ……たのよ」
「おいっ! メディッ!」
分かっているつもりなのに。とにかくバチェラに向き合いたくなくて、メディへ声を荒げて呼びかける。
手に付いた暖かな液体の感触を、感じなかったことにして。
「……ません」
カノジョが震わせていたのは体だけでは無かった。その声も、小さく、そして震えていた。
「すみません……! 私がしっかり確認しておけば……」
その通りだ。と、もしもバチェラの状態が普通であったのなら、感情に任せてそう言っていただろう。
「あぁ……もう……! 逃げるなぁっ……ばか!」
「だって───」
「だってじゃないっ!」
バチェラが大声を放つ。
きっと死に体で、声を出すだけでも死にそうなくらいに苦しいはずなのに。そこまでして僕を振り向かせたかったのだろう。何かを伝えたいのだろう。
バチェラは決死の覚悟だ。僕も……覚悟を決めて向かい合わなければならない。だがしかし、向き合ってしまえば僕は……。
息を呑み、恐る恐るバチェラへと振り返る。
「……っ!」
そこには右胸から右上、脇に近い部分を撃たれ、多量の血を流し倒れているバチェラが居た。
「やっと……見てくれた。ねぇ……ソイル」
「あ……あぁ、何?」
受け止めがたい現実が、無意識にも瞳に塩水を貯め始めた。その水で視界を歪ませようとするのは、やはりその現実を否定したがる人間の本能なのだろうか。
「アンタ……私が居なくなったら…………どうしたい?」
「どう……か、そうだなぁ。バチェラの農園を継ぐことにしようか」
「ふっ、うそつけ……。どうせ……何も考えてなくて、どうしたらいいか…………分かってないくせに」
そうだ。死に行くバチェラを安心させようと、今考えて吐いた言葉だ。
「だったらさ…………わたしがその生き方……決めたげる」
バチェラは手を伸ばして、僕の頬へと当てる。
「ただ全力で生きて…………自分のしたいことを………………して」
段々とバチェラの目の光が、頬に触れる力が無くなってきていた。
「あき……らめないで…………あとはぁ……なんだろ」
ついさっき、あんな一瞬の出来事で。
目の前で大切な人が消えてしまう。
僕の命を救ってくれた人が。
『アンタはここでたっぷりと療養して、それから私の手伝いをしながら暮らす。それでど?』
僕を一人ぼっちにさせなかった人が。
『私んとこがアンタの家だから。覚えておきなさいね』
僕を抱きしめてくれた人が。
『アンタに今死なれたら困るんだから!』
「そうだ……ゆめを持ちなさい……。…………ほら……少年よー大志だかなんとかー……っていうでしょ?」
「あぁ……」
駄目だ。堪えろ。崩れるな。
最後に安心させるんだ、僕。何も恩返しをできてないんだぞ。
「あんたが決めてくれた生き方を絶対に忘れないし、バチェラの事を絶対に、忘れずに生きていく。約束する」
「…………えへ。……えへへ。や……ったぁ」
初めて聞いた、そんな無邪気な言葉を最後に───彼女の腕がパタリと、瞼がそっと落ちた。
「絶対に忘れないから……約束するから…………するから……だから───」
あぁ……消えてしまった。彼女の、命の火が。
聞こえる事はない。伝わる事はない。届く事はない。
僕の全てが、もう、彼女に響く事はない。
「──────うぅぁ……あぁぁああああああっ!」
声にもならない叫びが、ただただ静寂に鳴り響く。
何が、「命を投げ出してでも彼女を救い出そうとしてしまう気がする」だ。
何が、「死に行くだけの最後を大切な誰かの為に使い切れたら」だ。
僕は何一つ、有言実行できていないじゃないか。
そんな後悔が、最後にバチェラを安心させるという役目の終わりに跳ね返ってきた。
「バチェラぁぁっ……!」
彼女の胸に飛び込んだ。まだ温かかった。それは溢れる僕の涙によるものか、それとも彼女を動かしていた血液によるものか、彼女の想いによるものか。
それを考えた所で彼女はもうこの世には居ない。それを実感して初めて、メディの言っていた事を理解できた。
『世界は貴方が居るから在るわけじゃないんですよ。貴方が居なくたって時間は進むし、誰かは生きるし、誰かは死んでいくんです。だからそんな、進む時間に生きていく人達を置き去りにするような、無責任な事言わないで下さい』
それは僕だけに言えた事ではない。バチェラにだって、生きる人間全てに言える事だ。
だが、バチェラは僕を置き去りにしていくような無責任な事を言って逝った訳では無かった。最後に僕の道を示してくれた。教えてくれた。
そして、本当に彼女の言った事が無責任であったかどうかを決めるのは……僕だ。僕の生き方だ。
「……ソイルさん」
───バチェラの胸へと泣き崩れて、どれくらいが経っただろうか。
メディの声が聞こえた。
今思い返せば、カノジョが瀕死になったバチェラへ医療行為を施さなかったのは、もう助からないという事を分かっていたからなのだろう。
そして、その最後が医療措置で終わるのでは無く、僕との時間になったのは、きっと意図的なものだった。
「ぐすっ……。ありがとう、メディ」
「…………はい」
「もう少しだけ……こうしていたい」
「私、幾らでも待ってますから……。もし良かったら、カレらが乗っていた車に来てください」
「……あぁ」
メディは素早い足取りでこの場を去っていった。
「バチェラ……ごめんね。そして───ありがとう」
恩を返しきれなかった。感謝を伝えられなかった。だが、そんな後悔をいくらしようと、バチェラが帰ってくる事はない。ならばせめて、バチェラが決めてくれた生き方を貫き通してやろうではないか。
僕は、人の死を簡単に受け入れられる程強い人間ではない。
「だから、アンタも連れて行くよ。ちゃんと」
お守りと言える程のものを、バチェラは身につけていなかった。故に、彼女の形見をお守り代わり持っていく事にする。
今背負っているリュック、中身の包丁。そして、想い。
形見と、お守りと言うにはあまりにも相応しく無い物かもしれないが、これがバチェラの物であるのなら、それは誰が何と言おうとバチェラの形見だ。
涙は未だ止まらない。だけど前を向く。
彼女に背を向けて、僕はメディの方へと歩いた。




