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そして僕らは楽園で出会った。  作者: 北上 柊助


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第一章−商店街−【第五話】

「ケホッ! ケホッ!」

 身体が突然跳ね上がる。途轍もない咳に襲われて目が覚めたのだ。

「……ゲホッ! ケホッ!」

 息をする事、身体を動かす事が辛い。これはやばいパターンのやつだ。そう思って、身体をベッドから起こしたのだが────

 …………ベッド?

 僕は確か、倉庫の床に寝ていて……。

 咳込みながら周囲を確認すると、そこは、メディに譲ったはずの客室だった。まさか、律儀にも僕が寝た隙を見計らって、場所を移し替えたと言うのだろうか。

 だとしたら助かるが……アンドロイドなんかに、僕の気遣いを無下にされた気がして納得ならない。

 そう思った矢先、扉が軋む音を立てて開く。

「あ、ソイルさん」

 そこにはやはり、この部屋を使っていたはずのアンドロイドが立っていた。

「容態が悪化したんですね。薬を投与するので、そこから動かないでください」

「な……ケホッ! ……んで!」

 咳に発言を邪魔されながらも、この部屋に僕を移した理由を問う。

「それは、ここに貴方を運んだ理由についてでしょうか? ───治療が済んだらお話しますね」

「ゲホッ! ゲホッ! ゲホッ!」

 咳がひどくなって、その場に立っているのも辛くなり、その場に膝をつく。胸が苦しい。全くもって慣れやしない、その苦痛を感じている時間は、いっそ死んで楽になりたくなる。

 ふと、肩に手が置かれる。その手はゆっくりと僕の姿勢を上げ、その場に固定させた。

「落ち着いて下さい、ゆっくりと、鼻から吸って、深呼吸をして……」

「すぅぅ───ケホッ! ケホ!」

 言われた通りにするものの、咳がそれの邪魔する。そんな僕の様子を見てメディは少し力み、その後何やら、カノジョの腕から何かの動く音がした。

「な……ケホッ……!」

 継ぎ目のないカノジョの腕は、どのような技術なのかは知らないが、その白肌を文字通りに『開閉』させた。

 その腕の中には、どうやら医薬品の数々が入っているようで、何本かの注射器から液体、錠剤やカプセル薬などもあった。

 そうして、カノジョはS字型の吸入器を取り出してはよく振り始める。

「では、息を吐いて下さい」

 カノジョはアンドロイドでもメディカロイド。その指示を信じ、努めながら咳を抑えつつ、息を吐き出す。

「大きく口を開けて、吸ってください」

「…………すぅ────」

 息を吸うと同時に、吸入器のボタンが押される。そして5秒が経ち……。

「私がゆっくりと10秒を数えます。その間、無理のないように息を止めてください」

 僕はコクリと頷き、カノジョは秒数を数え始める。

「───3……2……1……0。では、ゆっくりと鼻から息を吐いてください」

 指示に従い、息を吐き終わったところで、再び咳に襲われる。

「一旦、うがいをしてきましょう。短時間作用薬なので、効果は20分程で現れます。ですが、長期的に効果は保ちませんから、あくまでも気休め程度だと考えておいてくださいね」

「……あぁ」

 うがいをしにキッチンへと歩く。貴重な水だが、バチェラには症状が悪くなったら遠慮なく使うように言われていた。

 躊躇いはあったが、バチェラへ感謝をしながらうがいをした。

───効果は20分程度で現れるといっていたが、意外にも既に効き目を感じる。咳は少し出るものの、かなり落ち着いたし、呼吸は案の定できる。最新のメディカロイドには感心した。



 客室に戻る。

 そこには窓を開け、その縁に腰をかけるメディがいた。

 上層と違って月明かりも差さないその様相は、きっと少しの光さえあれば、小説や漫画なんかで見る『窓際に座る儚げなヒロイン』なんて呼んでも差し支えない様だった。

 しかし、それでもカノジョはアンドロイド。これが人間だったらどれだけドラマチックな状況だったろうか。

「さっきは助かったよ」

「いえ、役目を果たしただけです。それよりも、どうして私が貴方をこの部屋に運んだのかをお教えする約束でしたね」

「……あぁ、そうだった」

「単純な話です。ただ病人である貴方を最善な環境に置いた。それだけの」

 あくまで、メディカロイドとしての役割を果たした。そういうつもりなのだろう。

「僕は気を遣って部屋を譲ったのだけど……」

「ありがとうございます。しかし、私は倉庫でも構いませんでしたし。それに、病人に最善を施すのはメディカロイドの役目ですから。当然の事をしたまでです」

「───はぁ……」

「溜め息……ですか?」

「バチェラに知られたら叱られるなぁ」

「黙っておきますから、大丈夫ですよ。その代わり、明日まではゆっくりと安静にしていて下さいね」

「そう……ありがとう」

 そうして僕は、結局の所を客室で過ごす事となった。その間、メディは僕につきっきりだったが、また喘息症状が酷くなるのもゴメンだった。それを渋々と受け入れて、次の目覚めを待った。



 ────そして、朝。

 目を覚ますと、勉強机にもたれて眠るメディの姿があった。その様を見て、アンドロイドも睡眠を取るのか……と一驚する。

 窓からは薄っすらとダルヴァザからの微光が差し込んでおり、それを朝の到来だと確証にしてリビングへと向かった。

 恐らく、バチェラはまだ起きていない。メディと同じ部屋にいた事がバレようものなら、きっとお小言では済まないだろう。

 その為に早起きした事もあってか、よく寝られた気もしない。目を覚ます為にも顔を洗いたかったが、水を使う訳にもいかなかった。

「身体、動かしてくるか」

 玄関から外に出る。相も変わらず、見える先はビニールハウスで埋め尽くされていた。身体を伸ばして、ゆっくりと歩き始める。

 風は吹かず、百歩ずつに微かな光が強くなっていくのが分かる。上では既に、眩しい程の朝を迎えているのだろう。

 物憂げな気持ちで歩き続け、ベジタリアンを半周してから同じ道を戻った。

「おーい! ソイル!」

「あ、バチェラ」

 道中、リビングの窓からバチェラに呼びかけられた。きっと朝食の時間になって僕に声をかけたのだ。

「ご飯ー?」

「そうー!」

「分かった! すぐ行く!」

 大声で呼びかけ合う中、バチェラの後ろにメディがいた事に気付く。きっと、バチェラを手伝っているのだろう。

 たかが一晩を過ごしただけで、随分と溶け込んだものだ。そう感心をして、少し駆け足で小屋へと向かった。

「ただいまー」

「あら、朝から見回りに行ってくれてたのかしら?」

「あっと……うん、そんな感じ」

 本当はそんなつもりも無かったが……まぁ、実際に周りを見ながら歩いていたのだから、実質見回りだろう。

 リビングの席に着く……や否や、メディが正面に座り、僕の目を貫くような視線を送ってきた。

「ソイルさん。朝の運動は良い事ですが……晩の事を忘れた訳ではないですよね」

「え? あっ、うん。それが何さ?」

「私は貴方に、明日まではゆっくりと安静にしているようにと伝えました」

「してたじゃん。ちゃんと」

「すみません、言葉不足でした。『明日まで』なので……つまりは、『今日の23時59分まで』と言うことです」

「…………あぁ、そういうこと。僕が処置を受けた時間は、既に0時を回ってたって事ね……。会話でよくあるやつ……」

 上層の友人同士の会話においてはよくあった間違いだった。

「ま、まぁ。でも全然元気だし、気にしなくてもいいよ」

「いえ、どんな状況でも万が一に備える事は重要です。それに私は、バチェラさんに黙る代わりにと言いました。勘違いだったとは言え、朝食を終え次第、客室へと戻る事を────」

「そうそう! 二人にお願いがあったの!」

 メディの言葉にバチェラが割って入る。一瞬、晩の話しについてを聞かれていたのかと冷や汗が浮かんだ。

 しかし、実際の所はそうで無かったらしく……。

「水と食料、買い足しに行ってきて欲しいのよ」

「そ、そっか。良いよ、良いけど───僕一人じゃ駄目なの?」

「なになにー! デートだと勘違いしてるのかしら?」

「違うよ……。ただ、別段メディがいなくたってできてたことでしょ? なら、メディには他の事やらせてあげた方が……」

 違う。本当の所は、カノジョと外を出歩きたくないだけだ。何も信頼していない訳じゃない。ただ、夜の事を考えるに、カノジョは絶対に五月蝿く口を挟んでくる。

 この先考えると、気楽なのだ。一人の方が。

「バチェラさん。二人で行くことに許諾はできますが、彼を一人にしてしまう事には許諾できません。……できるのなら行くことさえも反対ですが」

「え、なに。あなた達、いつそんな関係まで行ってたのかしら」

「なわけないでしょ! 誰がアンドロイドなんかと……。てか、理由も聞かずにそう思い込めるって、意外と乙女脳なんだね、バチェラ」

「はぁ? ……アンタって、割と人の神経逆撫でる事言うわよね?」

「えっと……はい。すみません冗談です」

 さっきの冷や汗が一瞬にしてぶり返す。冗談で言ったつもりが、割とマズかった一言らしい。

 なんとか状況を塗り替えたかったその時、幸いにもメディが口を開こうとしていた。

「ソイルさんの喘息症状は深刻なものです。いつ倒れてもおかしくありません。なので、彼を一人で行かせるくらいならここで休んでもらうか……どうしても行くというなら私がいなければ許諾はできません」

「あー……そういうこと。なら二人で行くのが得策ね。メディだって、治安の悪い場所とは言え、早いうちに多少なりとも下層の事を知っておく必要があるでしょうし」

 きっとバチェラは、僕が晩に咳き込んでいた事を知ったら止めるのだろうが、メディはどうしてか晩の事を話そうとはしなかった。

「それも……そうですが。それよりも、私は彼の身体の方が心配です」

「分かった分かった。キミを連れて行けば、外出を許してくれるんでしょ? ならそれで良いよ」

 安静にしていろという事は、今日一日を何もできずに過ごすという事。なんだか今日をドブに捨てたみたいで気に食わない。

 ので、メディにお小言を言われながらでも、外を出歩いた方がマシだ。

「ソイルさんの決断ですから、否定はしませんが…………あくまでも約束があった事は忘れないでくださいね」

「はいはい、分かってます。そうと決まれば準備準備」

 適当な返事にメディは顔を歪ませるも、外の貯蓄庫に足を運ぶ僕の後ろへ、ピッタリとついてきていた。

 貯蓄庫で、売り出しに使われる野菜をバッグにまとめ、リビングに聞こえるよう声を発する。

「じゃあ行ってきますー!」

「行ってらっしゃいー」

 そうしてリビングから小さく聞こえた声を背にして、僕らは商店街へと足を向ける。

 商店街への道のりは、ベジタリアンから離れれば離れる程にその光を薄くしていった。これから先、商店街の向こうにある廃水廃棄区のダルヴァザまでは、ベジタリアンに差し込む光並みの陽光は拝めないだろう。


 

 歩き始めて10分。メディとは別段、話すことが無かったので、沈黙の時間が続いていた。そんな中、気になる事があったので、メディに聞いてみた。

「ねぇメディ。仮にエクソダスができたとして、その後はどうするのさ」

「エリュシオンを目指そうと考えていました」

 エリュシオン……禁書のタイトルにもなっていた、もう一つの楽園だったか。

「何処にあるかは分かるの?」

「分かりません。少なくとも、シャングリラよりも東にあるのは分かっていますが……それらは外に出てからの情報収集で確認します」

「てか、エリュシオンってもう一つの楽園なんだよね?」

「はい」

「もしもそうなら、そこもシャングリラのような地獄なのかな」

「それもきっと、行ってみなければ分からない事でしょうね。エリュシオン・マグナは600年前に書かれた書物なので……もしもエリュシオン・マグナを解読できたとしても今のエリュシオンがどのようになっているかは定かではないでしょうし」

 ここがそうならどこでだって同じであろう。根拠は無いが、これまでの生活経験から言える直感だった。故に、エクソダスをする事に多少の魅力は感じるものの、エリュシオン自体に魅力は感じなかった。

 しかし─────

「ただ言える事があります」

「何?」

「ソイルさんの処置を終えて、寝たの確認した後、解読の続きをしていたのですが……」

「うん」

「どうやら、エリュシオンは───人へ『不死』をもたらす技術があるようなんです」

「えっと……不死って……それ、夢物語じゃない? 現に、そんな物があったら、シャングリラが喉から手が出る程に欲しがりそうだけど」

「はい。……確かに、そんな技術があろうものならシャングリラが、外にあるエリュシオンにアプローチを取らないのは違和感です。それに、このエリュシオン・マグナに関しても、シャングリラは解読を終えている事を考えると……」

 エリュシオン・マグナが禁書として禁書庫に置かれていた時点で、解読は既に終わりきっていると考えられた。その上で、シャングリラが動かない事は不死(それ)があり得ない物だというのは証明されているような物だ。

「メディだって分かってるんじゃん。あ、でも、既にその技術を持っているとかあるのかな。……それはないか。だったらとっくに、完璧に病気を失くす事がモットーの上層は不死人で溢れてるだろうから……。そうすると、やっぱり夢物語なんだよ。不死なんて」

「……それでも、私にはそうは思えないんです。ソイルさんの挙げた根拠は確かに合点がいきますし。エリュシオンが不死に関する技術を有している事が夢物語である可能性が、シャングリラの状況からして確かなのも分かります。───そもそも、エリュシオンが空想の可能性だって……」

 メディは全て分かっていた。しかし、夢を夢として諦められないその姿勢は、どこか、かつての先輩を想起させる。

『きっと……百人中百人が笑顔である事は難しく、尚更、それをレンズに収める事は難しいだろうが……。私はそれを諦めたくないんだ』

 そう言う先輩の瞳は眩しかった。

 ……まるで、今のメディのように。

「でも、それは実際に見てみなければ分からないんです。私の目指す先は夢物語なのかもしれませんが……もしも本当に『不死』の技術があるのなら、上層の人も下層の人も、心身共に苦しむ事が無いシャングリラを目指せるかもしれません。これは、『夢想』では無く『検証』です。歴史を重ねた書物の真実を解き明かす『実証』です。だから私は……諦めたくはありません」

「……へぇ」

 驚いた。アンドロイドがこんな事を言い放つなど。

 確かに、シャングリラが外界に対する情報をシャットアウトしており、不死に関する情報も公にしていない以上、書物の内容は真実なのかもしれないし、虚構なのかもしれない。

 それがどっちなのかどうかを確かめに行くのは、なんら夢見ではなく検証と言えるだろう。そう言えば、中々に聞こえはいい。

 多少なりとも、不死の技術とやらに興味が湧いてきた。

 ────決して、メディが先輩と重なったとか、そうではない。

「ささやかだけど……応援するね。キミがエクソダスに成功して、エリュシオンに辿り着けるのを」

「……? さっきはまるで否定するかのような口振りだったのに、どうして応援してくれるんですか?」

「生憎だけど……僕は、諦めの悪いヤツの事を馬鹿にするほど冷酷な人間じゃない。諦めが悪いのは、ソイツが努力している最中か、しようとしているかのどっちかだからね。そんなヤツを否定はできないよ」

「……意外と、情に厚いところがあったんですね」

「あぁー……まぁね」

 『意外と』と言う所に違和感を覚えたが……これまでのメディに対する態度を考えると、そう言われるのは妥当だろう。

「おっ、そろそろだ」

 すれ違う人々が多くなっている事に気付き、目鼻の先を見た。



 あるいはトタンの継ぎ接ぎで、あるいはボロ臭い木材の数々を積み木のように重ねて。多くのサルベージャーや、拾い屋によって造られたその数多の露店には、下層の人々が群がっている。

「凄い人の量ですね」

「あぁ、なんたって今日は────『アレ』が出ているから」

「アレ?」

 下層の人々がひしめき合う通路は正しく、商店街の大目玉とも呼べる商品を並べる露店がある通路だった。当然、僕の狙いもその大目玉だ。

「言っておくけど、ここで迷子になんてなったら助けようもないからね。……もしもそうなった場合に合流する場所は商店街の入り口だよ。おーけー?」

「……はい」

 一応の警告を伝え、僕らは人波の中へと進んでいく。

「ダメダメ! そんなんじゃ交換できないよ!」

「頼む! 頼むから! こいつで交換してくれ!」

 そう言って小袋に入った多くのムカデを差し出していたのは、恐らく、下層でも貧しい生活を送っている者だった。

 食料としては多い方だったが、その露店の店主が受け取ろうとしなかったのはムカデがとにかく不味いからだろう。

 僕はバチェラの家で過ごしていて一度も食べたことはないが、バチェラ曰く最悪の味らしい。

「……あの! ソイルさん!」

「ん? 何!」

 雑踏の音に声が掻き消されぬよう、声を必死に大きくしてメディが呼びかける。

「何を交換するおつもりですか!」

「水だよ! 水! 農家には絶対必需品だから!」

 人々の中をかいくぐって、進んでいく。人々が集まったときに発せられる特有の臭いに、なんとか耐えながらも店主の下へと辿り着く。

「店主! これ、旬の野菜!」

 そうして僕は辿り着くや否や、ベジタリアンで採れた、多くの野菜が入った袋を差し出した。周りから多くの物品が差し出される中、店主は僕を見るなり目の色を変え、躊躇うことなく袋を取り上げた。

「ソイルぅ! 待ってたぞー!」

「こっちだっていつも世話になってます!」

 軽く言葉を交わした後、僕の手元に両手で持ち切るのがやっとなくらいの袋が渡される。中には幾つもポリタンクが入っており、相も変わらずとんでもない重さだ。

「メディ! 手伝ってー!」

 少しでも荷物を軽くしようとメディにお願いするも───

「……メディー!」

 ……返事がない。言った直後に迷子になったのだろうか。

 まぁいい。そうなった場合の待ち合わせの場所はあらかじめ決めてある。早めに決めておいて本当に良かった。

 袋を抱えて、商店街の入り口へと向かう。道中、来た時同様に人混みを押し退けて進んでいったが、荷物は重い。重さで揺れる袋をなるべく人にぶつけないよう、細心の注意を持って進む。

「メディ!」

 商店街の入り口。先の場所よりは閑散としていて、人の存在は把握しやすかった。

 ────が、そこにメディの姿は無い。

「い、いや。ま……まさか、ね?」

 嫌な予感がして、大事な事を思い出した。

 下層がいかに治安の悪い場所であるか、メディにとっては本来の目的であったそれを教えることを忘れていた。

 スリや万引き、そんなことは商店街(ここ)じゃ当たり前のことで、かつては強盗もあったと聞いた事がある。

 そして、誘拐や強姦など……盗み以外に関する危険だって発生することはざらにある。ので、この商店街に女性の数は少なく、いたとしても、その周囲に一般人へ扮した用心棒をつけていることもあるのだ。

 バチェラが僕を商店街へ行かせるのは用心棒を付ける手間が省けるのが理由だろう。

 買い物を早めに済まそうとして、そんな大事な事を教え損ねてしまったが……仮に万が一、もしもそのような事が起きた場合でも、アンドロイドなのだから自分の身は自分で守れるだろうと油断していた。

「や、やばいよなぁ……!」

 冷や汗が頬を伝う。

 今思い返してみれば、メディはメディカロイドだ。戦闘用のファイトロイドではない。幾ら相手が栄養失調気味な下層人だったとしても、それが男なら、メディカロイド程度は抑えられるかもしれない。

 更にメディは女性型かつ、外見が人と寸分違わぬ最新ロットのアンドロイドだ。人と間違われて誘拐されたとしても、なんらおかしくはない。

 改めて周囲を見渡す。……が、メディの姿は無い。

 探すにも、手に携えた大量のポリタンクが邪魔になるだろう。

「……はぁ! 僕の責任だしなぁ!」

 声になる程の嘆息を吐き、自分を呪う。早急に動かなくては。

 一先ず、手当たり次第に目に入った商店の店員に話しかける。

「あのぉ、すみません……。いきなりで申し訳ないんですけど」

「はい?」

 爽やかな風貌をした若い男の店員だった。

「この袋、預かっといてくれませんか!」

 テーブルにドスンと音を出して、荷物を差し出す。

 初めて話した店だったので、貴重な水を預けるということにおいて、なんら信用のできる根拠もなかったが、今はそうもいっていられない。

「え……えぇ?」

 当たり前のように店員は困惑していたが、焦っていた僕の様子から察してくれたのか、

「で、では……お預かりしておきますね」

 と渋々了承してくれた。

 見知らぬ通行人に預けるよりかは幾分かマシだろう。それに見た目も、悪いことをしそうな見た目ではなかった、信じたい。

「あ、あの! 戻ってくるんですよね!」

「はい! 確かに!」

 店員の困惑した質問に返事をしてまた、未だ人がひしめき合う通路へと戻る。

「メディ! メディー!」

 その呼びかけに返事は返ってこない。……それもそうだ。呼びかけですらも掻き消す雑踏の音だ。返事が聞こえてくる訳もない。

 どうする……。仮に誘拐犯だとしたら、路地裏なんかの人気が無いところなんかが誘拐した後に行く場所としてふさわしいのだろうか。

 だが、露店に溢れるこの商店街において、人目のつかない場所というのは存在するのか?

 ……商店街には来慣れているという自負があったが、どうやらそれは僕の思い過ごしだったらしい。

 成す術も無く、ただただ叫びながら歩き続ける。僕がメディと(はぐ)れてしまった事へ気付いた時間と、最後まで一緒に居た時間はそう離れているわけではない。

 仮に誘拐されていたにしても、ただ逸れただけにしても、そう遠くまでは行っていないはずだ。

 大声でメディの名を叫んだり……人混みの中からだが、路地裏と呼べそうな人気の無い所を見てみたり……行き交う人々に聞いてみたり……様々な手段を講じても、ただただ時間だけが過ぎていく。

 1秒、また1秒と時間が経つ毎に焦りが汗となって表れ、背中は既にびしょ濡れだった。

 そうして、メディと逸れた事に気付いてから15分。

「あの……! 銀髪のロングヘアで赤い目をした……身長が150センチくらいの女の子、見ませんでした?!」

 僕はとある商店の女性店員に聞いていた。場所にして、入り口から真反対。反対側の出口に差し掛かる手前だった。

「あぁ、見ましたよ、その子。下層の子にしては、割とキレイな恰好してて……人形かってくらいに可愛かったので、印象に残ってます」

「ほんとに!? ど、どこで!」

 彼女は向かいのお店、隙間風一つ入らなそうなくらいに、密閉されたトタン製の建物を指差した。

「男の人と一緒に、あの建物に入っていきましたけど───」

「どうも!」

 思案の間もなく、僕はその建物に突撃する。

「メディ!」

 僕の大声とほぼ同時、扉が強く開かれる。

「……あっ、ソイルさん」

 そこには、僕の声に驚いたのか目を丸くして、見知らぬ男と共にいたメディの姿があった。

「なにやってんだアンタっ!」

 周囲にあるボロいベッドを押し退ける勢いでメディの傍に居た男に近付いて行く。

「あの、だ───!?」

 問答無用で胸ぐらを掴み上げる。男は下層には珍しいマスクを着用しており、貧しい恰好の上から、ほんの少し汚れた白衣を羽織っていた。

「メディを攫って何するつもりだよ!」

「───ソイルさん。落ち着いてください」

 メディが後ろから僕の背中を軽く引っ張りながら言ったが、熱された頭は冷えることを知らなかった。

「落ち着いて……って! ここに来るまで焦ったんだぞ!」

「すみません、こんなに早く交換が終わると思わなくて。あんなに人が居たものですから」

「確かに商店街(ここ)の危険性を伝えていなかった僕にも問題はあるけど……! 勝手に動かれたらこっちが困る!」

 僕の怒りの矛先は、自然にメディの方へと向かっていた。そんな中、男が僕から顔を引きつって見ながら言う。

「と、とりあえず。ハヴァ―と君とですれ違いがあったのは分かったから……。この手を……離してくれないかなぁ」

「………………っ」

 ゆっくりと、無言で手を離す。

 ────どうやら僕は、何か勘違いをしているらしい。白衣の男とメディの冷静さと一旦周囲を見渡して、ようやく頭が冷えた。

「ここ……」

 周りには空きのベッドが一面に置いてあり、一つ一つのベッドを区切るようにカーテンレールが敷かれていた。中にはカーテンの閉まっているベッドもあり、そこに人が居る事も確かに分かった。

「うーん、まぁ……一応、病院ってことでいいのかな。厳密にはクリニックなんだけど。だから、お静かに頼むよ」

 そしてきっと、この男は医者なのだろう。薄汚れた白衣とマスクからは、下層における申し訳程度の衛生意識を感じる。

 そんでもって、メディが一体何をしていたのか。それのおおよそが見えてきた気がする。

「えっと、すみません。早とちりで……つい」

 取り敢えずは謝罪を優先した。人を助けるという善意を、僕は勘違いで踏みにじってしまった。

「まぁまぁ、気にしないでよ。差し詰め、ハヴァ―が君の下を勝手に離れて、そのままボクの医療措置を手伝ってくれていた、って感じだろう? ここはお世辞にも治安が良いなんて言えない場所だ。心配するのも分かるよ」

「別に心配だったわけじゃないですけど……誘拐されたなんて家主に伝えようものなら、きっとただじゃすまないでしょうから」

「あはは……そっか。でも、ハヴァ―のことは余り責めないであげて欲しいな。カノジョも、アンドロイドとしての責務を果たそうとしただけなんだから」

 この人はメディがメディカロイドだと言うことを知っていた。あの短時間にどういう経緯を経て出会ったのかは知らないが、医者とメディカロイドというあるべき組み合わせに、自分の事を打ち明けたのだろうか。

「いいえ、アスクレー先生。迷惑をお掛けしたのは事実ですから。すみませんでした、ソイルさん」

 メディはその小さな体躯を丸めるように、お辞儀までして謝罪した。

「……はぁ。商店街の治安の悪さを教えなかった僕も僕だ。お互い様ってことにしておこう」

 さっきまでの焦りと怒りが、恥ずかしさとなって引いていく。あんなに焦っていたのが馬鹿馬鹿しく感じる。

「うん、お互い仲直りした感じだね。ハヴァーにとっては驚きの、少年にとっては大変な事態だったと思うけど……これで万事解決かな?」

 アスクレーと呼ばれていたその医者の言葉に、僕らは顔を合わせて頷く。

「それで、解決した直後で申し訳ないんだけど、まだ少しだけハヴァーの力を借りてもいいかな。少年」

「……ソイルです。ソイル・ペルソン」

「ではソイル君。どうだろう?」

 メディが何をしていたのかが分かり、それが善良な行動であったのも理解した。もしもこの提案を拒み、それによって患者が死んでしまったとしたら、それは間接的に僕が殺めた命と言っても過言ではない。

 その命が、例え見知らぬ人の物であっても、そのような事実を聞いたのならば立ち直れる自信はない。よって、拒む理由もないだろう。

 それに、メディは僕の所有物という訳ではない。それを決めるのはカノジョだ。

「メディの好きなようにさせます。僕はメディの所有者ではありませんし、謂わば教育係みたいなものですから。それを決める権利もありません」

「そっか、客観的な判断を下せるのは良い事だね。ありがとう。ハヴァーも、それで良いかな?」

 アスクレー先生は当たり障りのないように僕を褒め、メディへの返事を仰いだ。

「はい。改めて……ソイルさん、感謝と謝罪を貴方に。ありがとうございます、そして、すみません」

「良いよ、人を治す事がキミの存在意義だしね。それと、僕の焦る姿から、ここがどれだけ危ない場所かも分かった思うし……バチェラに頼まれていた事もできた。後は好きにしなよ」

「ソイルさんは? どうするのですか?」

「キミを探すのに邪魔だったからって、見知らぬお店に交換した物を預けてきたんだ。それを回収しに行って、ついでに食料も買いに行く」

「分かりました。では、それが終わるまでは私はここにいますね」

「そうしてくれると助かる。……それじゃあね」

「はい、ソイルさん」

 クリニックで声を荒げてしまっていた事への恥ずかしさで、顔が熱かった。気まずいので早くここを抜け出したい。

 振り返る事も無く、僕はクリニックを後にした。



 ───掻いた汗によって濡れたシャツが身体に寒気を走らせる。さっきまでは刹那に感じた時間が、ただ落ち着いただけでこんなにも遅く感じる事に驚きを隠せない。

「はぁ」

 歩行速度が商店街へと来た時よりも、確実に遅くなっている気がする。そういえば……メディと出会ってからたった2日だと言うのに、死ぬ程焦った回数が2回……。1回目はカノジョを助けた時、2回目はついさっき。このペースでは明日も死ぬ程焦る事になって、それがほぼ毎日のように続いていくのでは……。

 いやいや。たかだか2日の経験で、どうして未来の見通しが出来ようものか。また早とちる所だった。

 頭を軽く振って、買い足しへと集中する事にした。

 水は交換したので、残りは食料を確保したいところ。いつもの流れでは、野菜と水を多分に交換後、その水の少しで食料と交換する。ので、先ずは水を預けた店員の下へと向かわなければ。

「す、すみません。先程荷物を預けた者なんですけどぉー……」

 いきなりお願いしてしまったことに罪悪感を感じながら、露店へと顔を出した。

「あ、お待ちしていましたよ」

「すみません。いきなりだったのに、対応してもらっちゃって」

「いえいえ、お客様もだいぶ焦っていたご様子でしたし、何かあったのだとは理解できましたよ」

 先の医者と言い、物分かりが良く友好的なその姿勢は、商店街(ここ)が治安の悪い場所では無いのではないかと錯覚させるのに十分だった。

 そして店員が机の上に袋を置く。確かにその袋は、僕の持っていた袋そのものだった。

「本当に……ありがとうございました」

 一礼をしてから、机の上の袋に手をかけようとしたその時、店員が苦笑しながら口を開いた。

「ず、随分と多量の水をお持ちなんですねー」

 その言葉にビクりと身体が跳ね上がる。まるでその一言は、「お礼としてポリタンクの一つぐらい置いて行け」と言わんばかりだった。

「え、えぇまぁ。そこそこに貯めて来たものを交換してきましたから」

「それはそれは……さぞ大変だったでしょうね」

 爽やかな風貌と、さっきの態度から誠実な店員だと思っていたが……彼の視線は袋から離れていない。

 所詮は治安の悪い地域に住まう人間なのだ。

 そう哀れもうと(すんで)の所で、感情はブレーキをかけた。治安が悪い以前に下層に住んでいるのだから、貧しい生活を強いられているのは当たり前で……加えて、こんな(レアもの)を持つ人間に貸しを作れたのだ、報酬をせがまないほうがおかしい。

 なんなら、直接的に要求してこないだけ、まだ良心的な方だろう。

 ───結果。お礼として、幾つかあるポリタンクの内一つ、その中身の半分を分けてあげた。随分と大きな損失に変わりないが……彼の笑顔と感謝があっただけ、無駄ではなかったと割り切る事ができた。

 助けてもらった僕が言えた口では無いが……弱肉強食、自己優先が当たり前の下層において、助けた見返りがある事に期待するのは愚の骨頂であると言えるだろう。

 貴重な物資の一部を失った事に気落ちするも、立ち止まってはいられない。食料品が交換されきってしまう前に、早く終わらせなくては。

 水売りのいた通路に戻る。さっきよりかは人は減っており、掻き分けながら進む程ではなかったが、それでも少ないと言える量ではなかった。

 そうして、水売りの商店を過ぎた地点。ここでは食料品を、主に茸類や虫類を取り扱っている。更に奥にはサルベージャーが取り扱う便利品類と、その他衣服類などが置かれてあるが、今日はそれらが目的ではないので少しの興味を抑えて無視をする。

「いらっしゃいー、ソイル君」

「こんにちは。あのケムシ、まだあります?」

「残念だけど、今日はもう蜘蛛しか残ってないね」

「蜘蛛……ですか」

 味が苦手な訳ではないが……いかんせん、虫類の中で最も見た目がキモい。最初は幼虫の類ですらキモいと思ったが、味に慣れてしまえば自然と嫌悪感も消えていた。だが、蜘蛛だけは無理だ。腹に色が付いているのは尚更。

「ソイル君、蜘蛛駄目なの? 俺は美味いと思うけどねぇー」

「いやぁ……その、見た目が」

「食えれば変わらないって! ほらほら、買うの? 買わないの?」

「うぅー……」

 だが、周囲の虫売店を見ても、棚に置かれているのは不味いと評判の虫だらけだ。背に腹は代えられないのは分かる。分かるが……悩む。

 しかし贅沢も言ってられないだろうし、僕は溜め息を吐きながら蜘蛛と、さっきのお礼に使った中身が半分だけのポリタンク、その更に半分を交換した。

「毎度ありー」

「どうもでした」

 商店を離れ、次は茸売店を訪ねる。正直、茸に関してはどれも同じに見えるので、あるものを適当に買う。過去にもそうしてきたが、バチェラから文句を言われたことはない。特に問題もないだろう。

 そうしてなんやかんや昼過ぎ、今日の買い足しが終了した。

「はぁ……」

 率直に言って疲れた。いつもならこんな疲労を覚える事など無かったのに。だが、買い足しが終わったからといって帰れる訳では無い。最後の仕事、メディを迎えに行かなければ。

 重たい荷物を何度も持ち直しながら、さっきのクリニックへと足を向ける。

 到着後、今度は静かに扉を開けた。

「失礼しまーす」

 中に入って目に飛び込んだ光景に、一瞬、動きを止めてしまった。そこには子供に抱きつかれていたメディと、その様子を穏やかに見るアスクレー先生が居た。なんだか、仲睦まじい雰囲気だ。

「おっ、ソイル君。買い足しは終了かい?」

「はい。なんとか終わりました」

「んん〜……お姉ちゃん……」

「え、えっと……」

 メディの腹部辺りに頬ずりをする女の子に、メディは多少困惑しているようだった。

「昨日までは元気が無かった子だったんだけどね。ハヴァーの処置を受けたら、この様子だ。随分と元気そうだろう?」

「……そうですね」

「ほらほら、君。ハヴァーお姉ちゃんはこれから帰るんだから、そろそろ離れないとねー」

「えぇ~、やだよー……」

 とても良く懐かれているではないか。

「はぁ……。メディ、キミはどうしたい?」

「……あっ、はい。帰らないといけない……のですが。どう言って帰れば……」

 確かに、僕がメディの立場ならば困惑する。だが、午後にはまた別な作業がある。早い内にはベジタリアンへ戻りたい。

「何、用事があるから帰るって言えば良いだけだよ。───それとも、ここで医療措置をしていた方がメディカロイドらしいんだし、先生が良いって言うなら、置いてもらうのもありじゃない?」

「それ……は────」

「あはは。メディカロイドがここに残ってくれるのは嬉しいけど、ハヴァーには、別に果たすべき役目もあるんだろう? だったら、そっちを果たしてきなよ。おかげで、手伝いが必要な仕事もなくなったしね」

「……はい、先生。お言葉に甘えさせていただきます」

 どこか名残惜しそうにしながら、メディは子供に目線を合わせる。

「ごめんなさい。私、別に救わなきゃいけない人がいるんです。本当はもっと貴女の側に居たいのですが……」

「うぅ……そうなんだ。お姉ちゃんは、私の他にも助けなきゃいけない人がいるんだもんね…………。うん、分かった」

 改めて、本当に人間に近い言動をするもので感心する。その名残惜しそうな態度にも、子供を悲しませまいと言葉を選ぶ姿にも。

 そして、言葉を受けた子供は、メディからアスクレー先生の下へと擦り寄って行く。

「お待たせしました。ソイルさん」

「待ってなんてないよ。僕はただ、僕の仕事をこなしてきただけだ」

「……はい」

「それじゃあ先生。今日は本当に、驚かせてしまってすみませんでした。また機会があれば、どこかで」

「私も、一人の人でも救う助力ができて良かったです。ありがとうございました」

「うん! こちらこそ、どうもね!───その機会が、ボクの治療で無いことを祈ってるよ」

「ばいばい! お姉ちゃん! また来てね!」

「はい、また」

 そうしてクリニックを後にして、そのまま真っ直ぐ商店街を抜けるまま、僕らの昼過ぎは終わりを告げた。

 予定よりも少し遅くなってしまったが、帰って昼餉を済まし、仕事に取りかかる時間はありそうで少し安心する。

 ───メディを迎えにクリニックへ入った時、カノジョは少女に抱きつかれていて、その表情は……とても嬉しそうに笑っていた。

 本当に、カノジョはエクソダスをすべきなのだろうか。僕には商店街でメディカロイドとしてアスクレー先生の補助をしていた方がよっぽど向いていると……そう思えた。

 ふと、カノジョの横顔を見る。

 その顔は───やはり、真っ直ぐ前を向いていた。

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