第一章−恩人−【モノローグ】
その日、僕は自分の死を覚悟した。
落ち行く身体、遠ざかる光、刹那に感じた痛み。その全てに。
その日、僕は未来へと絶望した。
手を伸ばしても届かぬ場所、死体共との生活、穢れた物品の数々。その全てに。
今にも思い出す。此処での始まりは、それはそれは苦悶の日々の連続だった。
忘れもしない─────僕はとある事故に巻き込まれ、第一産業区のダルヴァザから、農園へと落下してきた。
200メートルからの落下……僕が落ちたのが、ベジタリアンのダルヴァザでなければきっと死んでいたに違いない。
そう、幸運にも僕は、ダルヴァザへと落ちる際の吹き飛ばされ方と角度が丁度良く、ビニールハウスをクッションとするように落下し、助かったのだ。
目を覚ました時、非常に困惑した。見知らぬ天井、見知らぬベッド、見知らぬ部屋がそこにはあったからだ。
その直後、僕が使っていく事となるその部屋で、彼女と出会った。
「良かった……! 目を覚ましたのね」
ボッサボサの髪を気に留める事も無く、下着のみで現れたその女性こそ、バチェラだった。
「身体の調子はどうかしら? 貴方、ダルヴァザから落ちてきたのでしょう。それなりの怪我では済まないはずだろうけど……」
そう言われ、身体を動かしてみる。特にこれと言って問題は無かったが、動かす度にそこら中が痛く、ベッドから身体を起こそうにも全身に力が入らなかった。
「えっと……痛いし、思うように身体が動かないです」
「やっぱり、一ヶ月経っても治りきるわけじゃないわよねー」
最初は自分を看病してくれていた様子から、医者かとも思ったが……雑に固定された腕と足、包帯を途中で切らしたのか、患部一箇所一箇所の至る所に貼られた絆創膏。身体に施された処置は素人でも分かる程の荒療治だった。
故に、彼女が一般人なのだろうと察した。
「一ヶ月ですかぁ……」
「そ。アンタ、ここ一ヶ月間寝っぱなしだったんだから」
道理で全身に力が入らない訳だった。
そして安心したのも束の間、彼女の言い放った時間の衝撃が僕を襲った。
「一ヶ月!? …………あ、え、嘘ですよね。てか、ここどこです? 貴女誰です?」
ようやく頭が回ってきたようで、この状況が異常な事に気付いた。
「真っ先にお礼を言えるぐらいの教養はないのかしら、上層の人間って」
「え、あっ。……ありがとうございます」
そうしてその後は互いに自己紹介、状況の情報交換と今後について話し合った。
結果───
「アンタはここでたっぷりと療養して、それから私の手伝いをしながら暮らす。それでど?」
「…………それは」
それしかない事は分かっていたが、即納得ができた訳じゃなかった。
大切な人達が居た上層へと帰ることはできないし、あの死体共と共に生活するのだ、病気を患ってもおかしくはない。不安で不安で仕方がない。
しかし、それを理由にしてバチェラを突っぱねる程の勇気など、僕には無かった。
コクリと、納得のできない中で、口から「はい」とは言えず、ゆっくりと頷いた。
だって、抗いようのない現実なのを頭の中では理解できていたのだし。まぁ……現実を全て受け止め切れたわけでは訳ではなかったのだが。
「なんか、不服そうね」
「そ、そんなわけないじゃないですか……。あはは」
バチェラにはそれを見抜かれていたらしく、僕は何とも言えずに笑って誤魔化すことしかできなかった。
それからというもの、半年間は回復とリハビリに専念したのを覚えている。ご飯の度に、バチェラは部屋に足を運んでくれた。
当初は気色の悪い虫料理に度肝を抜かれて口にすら運べなかったが、バチェラが無理やりにでも食べさせようとするために、怪我が回復するまでには、それなりには食せるようになっていた。
そして、動けるようになって初めての手伝い。それは、ただ野菜類へ水をやるという単純なものだったが、バチェラは懇切丁寧に教授してくれた。その時に、ふと気になって聞いた事が今も脳裏に焼き付いている。
「どうしてバチェラは僕を助けてくれたの? ほっといたって肥料になるだけだし……バチェラにとってはメリットにもなったんじゃない?」
「そりゃあ、倒れてたアンタを見つけた時にもう死んでたら話は別よ。けど、息をしていたのに放っておいて、あとあと死んでたら、なんか夢見が悪いじゃない? だったら、しっかりと助けた上で死んでもらうか生きてもらうかしてもらったほうが、私はスッキリするから」
「……そっか」
死体共について、考え直した瞬間だった。
汚れに塗れ、悪質な病状を抱えて、奪い合いなんて日常茶飯事。
僕が上層で教わってきたコープスとは、そんなイメージだった。
……だが、蓋を開けてみればどうだ。確かに、未だ僕がそのようなコープスに出会っていないだけなのも事実だが、下層生まれ下層育ちという正真正銘のコープスであるバチェラがこうだ。皆が皆、心も身体も汚れた人間ではない。地位や暮らしが不平等な一方で、心は平等なのだ。
「じゃあ今度は私が質問するわ」
「え、何?」
「アンタ、上に帰りたいって、思わないの? ……私はここが故郷だから、上が楽園って呼ばれるくらいには幸せな環境なんだなー、行ってみたいなー、程度の感じだけど」
「僕は──」
大切な思い人、大切な友人、家族。色んな人が頭を過る。もしも、億が一の奇跡が起こって帰れたのだとしたら、皆は僕をどう扱うだろうか。
……今では申し訳なくて思い出したくもないが、僕らは日常生活の中で、当たり前のように下層の人間を馬鹿にしてきた。
時には下を見て落ち着くために、時には冗談に用いて。それが当たり前である上層でならば、僕に対する皆の扱いなど、想像に難くない。だからこそ、僕は──
「ここに残りたいし、帰りたい。どっちもかな」
「ふーん、どうして?」
「だって、帰れたとして皆に嫌厭されるのも怖いし……そうするような人達じゃないって、信じようとする僕もいて……。だから、決めきれない」
「優柔不断って言いたいけど、それもそうよねー。大事な人にそんなこと言われたら、逆に、下層に戻りたくなりそうだもの」
「優柔不断なのは否定しないよ。僕、物事をさっぱりと決めるの、苦手だし」
「あっはは! そうね! ────でも、もしもアンタが上層に帰って、辛い思いをしてここに帰ってきたら、私んとこがアンタの家だから。覚えておきなさいね」
「うん……ありがとう」
ここが第二の僕の家になった瞬間だった。嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
それから僕は、バチェラの手伝いに全力を尽くした。そして、更に半年が経った頃───下層に落ちて一年した頃だ。僕は喘息を発症した。
確かこの日は、バチェラに買い物を頼まれて小汚い商店が並ぶ、下層きっての商店街に足を運んだ日だったか。
道中で盗人に野菜を盗られかけたり、適正な数を提示したにも関わらず、もっと渡す数を増やさないと商品を渡せないとせがまれたり、散々な一日の最後に喘息による発作で死ぬかと思った。
その場から動くこともできず、会話すらできずに苦しみ悶える中で、バチェラが奮闘してくれていたのを思い返す。
「ばか! 死ぬな死ぬな死ぬな!」
「ケホッ! ケホッ! ……ケッホ!」
「ほら! お湯ならあるから! 飲めないか!?」
余りの苦しさに首を振った。
「じゃ、じゃあ……!」
次にバチェラは椅子を持ってきて僕を座らせる。楽な姿勢にしようとしてくれたのだ。
その成果が出たのか。20分もしたら段々と落ち着いてきて、お湯を飲めるようにもなってきた。
「良かったぁ……。やめてよね! もう……!」
「ご、ごめ───ケホッ!」
「確かに……助けてから、死ぬか生きるかしてもらった方がスッキリするとは言ったけど! アンタに今死なれたら困るんだから!」
「……ケホッ! うん……うん。ありがとう」
そう言ってバチェラは僕を抱きしめた。その日の最悪な出来事の数々に馳せた悔恨や怒りが、吹っ飛んでいった気がして……とても心地の良い温かさだった。
気付けば僕も、優しくバチェラを抱き返していた。暫くの間、温かな沈黙が続き、後にハッとしたバチェラにひっぱたかれたのは、当時の僕には理解しがたい行動だった。
無論、バチェラとの毎日は、こんなに嬉しい事や温かい事の連続では無かった。
以前のゴミ漁りのように、こき使われる事もあれば、大喧嘩を繰り広げた事だってある。その時の僕はというと……自分で言っておきながら、胸の痛くなるような事ばかりをバチェラにぶつけたり、家出をした事もあった。
今になれば懐かしい思い出の数々だが……それらはバチェラがいなければ得ることもなかった思い出達だ。だからこそ、そろそろバチェラに恩返しをしたいと思っている。しかし、本人はそれを嫌がっており……僕も、どうそれを返したら良いのか分からずにいる。そんな状態で毎日が過ぎて、既に二年。
─────どうして僕は焦っているのだろう。
下層にいる限り、遠からず、僕もバチェラも死ぬ事を理解しているから? でもそんな事、とっくのとうに分かっていたはずで。
焦燥感の理由が不明で、だからこそ、その焦燥感は勢いを増していく。
……今日はもうやめよう。こうやって、思い出に耽るのは。
そうしてまた、一日が終わっていく。




