第一章−農園−【第四話】
歩みを進めること、およそ10分が経過しただろうか。
何を話せば良いかが分からず、暫く無言の空間が続いたが自己紹介を忘れていたことに気付き、軽く自己紹介をする。
「そう言えば、自己紹介をしてなかった。僕はソイル、『ソイル・ペルソン』。年齢は17歳で、生まれは上層の第一産業区、趣味は───写真を撮ることなんだけど、下層に来てからはできてないって感じで…………えっと」
結局言葉に詰まってしまった。そういえば、まともに身内以外と話したのはいつ頃だったか……。
「では、ソイルさんとお呼びしますね」
「あ、うん」
ついさっき、奇妙なまでにアンドロイドらしくも無く、人の生について語っていたメディカロイドのその呼び方は、上層の病院に腐る程居たメディカロイドと同様の呼び方だった。
「ソイルさん、先程の咳はいつ頃からなんですか?」
早々飛んできた質問もメディカロイドらしかった。なんだかいきなりアンドロイドらしく淡々と喋るものだから、若干の気味悪さも覚える。
「ええと、僕がここに来て一年ぐらいしてからだから……二年くらい前だったかな」
「酷いときにはどの程度になりますか?」
「一番酷いときは呼吸できないぐらい咳き込むけど……別に、今までそうなったのは一桁回じゃないし、慣れたわけじゃないけれど、上層の治療を受けられなきゃこんなもんだとは理解してるよ」
「なら、安全な場所へ案内していただくお礼と、助けていただいたお礼と言うことで……農園へ到着次第、少しだけ診させていただけませんか?」
メディカロイド単機とは言え、その治療を受けられることの恩恵は大きい。
しかし……。
「エクソダスの準備中で荷物を置いてきちゃったんじゃないの? それに、少なくともさっき簡易的なケアを受けた時には、そんな道具を持っていないように見えたけど」
「本来の医療道具は、背部と腕部の『メディカルストレージ』に収納してありますから。それも、何時でも使えるような状態で」
「はぇ……。でもそれ、落下の衝撃でダメになったりしてないの?」
「はい、大丈夫です。ストレージ内の医療道具の為にも、メディカロイドの体は頑丈に作られています。ストレージが使えないメディカロイドは、機能していないのと同義なので」
そういえば、上層に居た頃。誰かがメディカロイドの事を『上級救急箱』と揶揄していた。よもや、このことだったのだろう。
「……ですが流石に、戦闘行為を許されているファイトロイド並みに頑丈とは言えませんけどね」
カノジョが自負するほどに頑丈なメディカロイドは、だがしかし、エアバッグ無しでは200メートルからの落下に耐えられていなかっただろう。故に、カノジョはお礼をしたがっているのだ。
もしくは、単純に助けてようとしてくれた、そもそもの気持ちへの感謝か……。
どちらにせよ、感謝の一言で終わらない辺り、本当にこの、メディとか言うアンドロイドは気味が悪い。
アンドロイドを人扱いしてはならないという法を定めたシャングリラが、このような人らしさに近い何かを持つアンドロイドを製造して、一体何を考えているというのだろうか。
「そういえば、答えを聞けていませんでしたね。どうでしょう、診させていただけますか?」
このメディカロイドがダルヴァザから突き落とされてきたのは、明らかにエクソダスをしようとしたのがバレたからで。
そんな、人間ですら滅多に思い付かないエクソダスを計画したアンドロイドの治療を受けても大丈夫だろうか?
それに、彼女は異様に人間らしさというか……気味の悪いものも兼ね備えている。これが狙って作られた物では無く、最新ロットゆえの『欠陥』であるとしたら。
先程のケアは、あくまでも簡易的な物であったから何も無かったのであって、さっきよりも本格的に近い医療行為を受けるのであれば、そこに『欠陥』がないとは否定しきれない。
「ソイルさん、聞いていますか?」
カノジョを、疑いの目と共に一瞥する。
やはり……改めて見ると、カノジョはとことん精巧に作られていた。
先に挙げた、継ぎ目や球体関節が無いのもそうであるし、端正な顔立ちに、ややじとりとした目元。美しい銀色のロングヘアと赤い瞳は───この娘に治療されるのなら良いか……という、妥協の気すら起こしてしまいそうだ。
しかし、それを抜きにしても、あの辛い喘息を治療一つで楽にできるのなら、ダメ元でもありだろうか……。
結局の所、僕が導き出した答えは────
「遠慮しておくよ。どうせ上層に戻れる訳でもないんだから。僕がもう、早い内に死ぬだけなのは目に見えてるしね」
「……怖く、ないんですか?」
「怖くないって言ったら嘘になるけど、それはここに暮らす皆が思ってる事だ。なら僕も、それなりに覚悟はしないと」
「……ですが」
「いいったらいいの。アンドロイドなら、二つ返事で納得してよ」
「───はい」
そんなこんな、続けて20分程度歩いただろうか。さっきよりも会話が続いたので、気まずい空気にはならずに済んだ。
目と鼻の先に、ダルヴァザから差す一本の光と無数のビニールハウス、そして畑などがあった。
そここそが僕らの目的地、ベジタリアン。
「ここが、農園ベジタリアン……。施設類は上と然程変わらないんですね」
「下層にいる大半の人が上層出身だから、その技術もそっちに寄ってるのかもね。さっ、あともうちょっとだ」
因みにここに光を差す穴は、さっきの産業廃棄区のダルヴァザではなく、第一産業区のダルヴァザだ。
ここには、上層で行われている農業から出た、数多の農業廃棄物が捨てられる。それらはサルベージャーにとって一切の価値を持たず、ここの廃棄物を持っていく者など誰一人居なかったのだが、バチェラの先代らはそこに目をつけたらしい。
誰も来ないのを良い事に、ダルヴァザ直下付近に農園を開設し、廃棄されるそれらを肥料としてその真下に農園を作ったのだ。結果、狙い通りにいったベジタリアンの経営は、今代のバチェラに引き継がれている訳だ。
「ここだよ」
そうして、農園の外れにある一階建ての木造小屋に入る。扉を開けて真っ先に目に入るのは、乱雑に置かれた肥料の数々だった。
「戻ったよー、バチェラ!」
メディを引き連れて小屋のリビングルームへ歩く。すると、ボサボサの髪を掻きながらキッチンのほうからバチェラが姿を現した。
「おかえりなさい、意外と早かったわね」
「うん、まぁね」
「そーんで、何持ってき────」
言葉を途中で途切らせたバチェラは、僕の後ろをおもむろに見つめては目を丸くしていた。
「わ、私。女の子を連れて来いとは言ってなかったわよね……ソイル。誘拐してきたのなら、すぐ戻してきなさい……! まだ間に合うわよ!」
「だだ、誰が誘拐なんてするもんか! 僕はそんな変質者気質な人間じゃない!」
「で、でも……現にそこにいるじゃない! 誘拐してきた子が!」
「だーから違うって! 全く……話を聞かないんだから。……メディ、自己紹介」
「……はい、ソイルさん」
メディは困惑するように応える。
「私は最新ロット型メディカロイド、『メディ・ハヴァー』です。ソイルさんにここが安全な場所と案内され、お邪魔しました。以後、お見知りおきを」
「あ、あぁ。よ、よろしく……」
その自己紹介を受けた途端、バチェラは肩で僕の首を軽く絞め、僕を部屋の隅へと連れて行く。
「ちょっ……痛い痛い……!」
「あんたバカなの? 確かに、役立つ物を持って来いとは言ったけど……! なんでよりにもよってアンドロイドなのよ! 上のスパイだったらどうするわけ! 誘拐じゃないだけマシだけど!」
そう小声で怒鳴りつけられた。
「多分大丈夫だから……! カノジョ、エクソダス目論んで、それでここに突き落とされたんだ。心配いらないよ」
絞める力が弱められ、バチェラは僕の顔をじっとりと睨み続ける。
「エクソダスを目論んで突き落とされた、ねぇ……まぁいいわ。信じるわよ?」
「う、うん。下手したら農園を手伝ってくれるかもだし!」
「…………大丈夫ですか? やっぱり、私が来たのは迷惑だったでしょうか」
「いいえ、大丈夫よ」
その言葉と同時に、バチェラは僕の首から腕を離す。ホッと、胸を撫で下ろす。今回のゴミ漁りはこれで済みそうだ。
ついでに、変な誤解も解けたようで何より何より。
「ただ……メディ。ここでの安全は保証したげるけど、その代わり、コイツと一緒に農園を手伝ってもらうわよ。それが、下層で最も安全な場所を自負できる農園オーナーからの条件」
「…………少しだけ考え───」
「何も、即決じゃなくたって良いから。答えは明日の朝で良いわよ」
「ありがとうございます、バチェラさん」
「アンドロイドとは言え、まずはゆっくり休みなさい。───ソイル、アンタは駄目よ?」
「……はい」
……何故だ。何故アンドロイドは休めて僕は休めないのだ。そんな文句を心の中で叫んだのも束の間、バチェラは僕に、カノジョを部屋へ連れて行けと顎をしゃくった。
「はいはい……ってか、どこに休ませるの? 僕はいつも通り客室だとして、バチェラもいつものリビングでしょ? だとしたら、空いてる部屋、倉庫か玄関しかないよ? 僕はアンドロイドを自分の部屋に置きたくないし、バチェラだって一人の方安心するでしょ?」
「なんでアンタが客室使えると思ってるのよ? アンタは倉庫よ、倉庫」
「はぁっ!? なにそのぞんざいな扱い、酷くない?!」
「当たり前よ。幾らその子がアンドロイドだからって、そんな態度取るアンタが悪いのよ。差別主義者はせっまい部屋に行った行ったー」
「だったらバチェラがリビングにメディを置くか、メディと客室に行けばいいじゃんか! それにさっき、よりにもよってアンドロイドーって、言ってたし!」
「それは、上層のスパイって事を警戒したの。それでアンタが、彼女がどんな理由で突き落とされたかを説明して、私はその理由でならスパイの心配はないって、アンタの説明で信用して判断したの。これで何かあったらアンタの責任なんだから。……あと、彼女だって女の子なのよ? プライベートな空間ぐらい欲しいじゃない」
「女の子ぉ……? 女性型アンドロイドの間違いだよ」
「…………私は部屋がお二方と同じでも構いませんが……それが嫌なら、私が倉庫をお借りします」
まるで、この場を丸く収める為かのようにメディは言った。相変わらず気味が悪いが……これがもしも人間の発言だと思うと、良心が痛まないわけはない。
「分かったよ! 倉庫で寝るよ! それでいんでしょ!」
「分かったなら結構。ほら、早く客室に案内してきなさい」
「はいはいぃ、了解ですよぉー!」
嫌味たっぷりで言い放つが、バチェラは気にも留めぬようにキッチン奥へと戻っていった。不意に漏れそうだった溜め息を堪え、本来は僕が寝泊まりしていた客室へと案内する。
「こっち」
「……ありがとうございます」
リビングルームとは反対側、玄関から入って左側の扉を開ける。
そこは普段僕が使っている部屋で、質素だが生活には困らない程度のインテリアで構成されていた。入って向かいの窓は日頃僕が丁寧に磨いているからピカピカで、左の壁沿いにあるボロボロの勉強机は、ここに来てからと言うものあまり使った記憶がない物だ。
そして、毎晩お世話になっている僕の相棒、壁の右沿いあるベッドは今にも飛び込みたいくらいに魔性のオーラを放っていた。
しかし、今日からこの部屋はこのアンドロイドが消えるまでの間の拠点となる。ベッドとは突然な別れになってしまって、悲しい思いをさせてしまうが……上に、このメディカロイドを乗せる事があっても、どうか僕の事は忘れないでいて欲しい。
「ほら、後は好きにしなよ」
「……いいんですか? 元はソイルさんの部屋なんですよね」
「家主の決定なんだから、逆らった方が怖いよ」
十分逆らいはしたが……。
「ソイルさんが良ければ、私は同じ部屋でも良いんですが……」
「言っただろう。アンドロイドを同じ部屋には置いておきたくない」
「……そう、ですか」
なんだその悲しい顔は。そんな顔をしたとしても、僕は人間扱いしないからな。
「それじゃあ、ごゆっくり。僕は野菜に水やりしに行かないと」
急ぐように客室を後にし、早足でビニールハウスへと向かった。きっと部屋を盗られた事に、やけになっていたのだろうが、それを脳で分かっていても、気持ちは落ち着くという事を知らなかった。
そうして僕が水やりに出て2時間後。ダルヴァザに注ぎ込まれる光が、その光量を段々と弱めていく時間帯。
「夕方になるなー。多分、17時は回ったはず」
そうなると、次に待っているのはバチェラが作る夕食だ。
いつも通りなら、木造小屋のリビング、そこにある窓から若干の光が漏れたら夕飯の合図だ。
いつでも小屋に戻れるよう、ジョウロを定位置へ戻し、そのビニールハウスに鍵を掛ける。ビニールハウスの鍵は出入り毎に施錠をしている為、恐らく、他ビニールハウスの鍵は掛け忘れていないはずだが……心配だから見に行く事にした。
まるで流れ作業のように、施錠を確認していく。その際に畑なども確認したが、バチェラが午前中に手入れを済ましていたのか、僕が手を加える必要はなさそうだった。
そして、およそ30分の時間をかけて、最後のビニールハウスの施錠確認を終える。
「ケホッ! ……ケホッ! ケホッ!───これで、よしっと……?」
ビニールハウスから目を離したその途端、二つ前に確認したビニールハウス、そこに人影が見えた気がした。
「……そこ! 誰かいますか!」
よほど遠すぎる距離ではなかったので、その場から動かずに呼びかける程度の声量で叫ぶ。すると、その人影は僕の声に反応したのかベジタリアンを後にするように、そそくさと闇の中へ消えていった。
泥棒だったのだろうか。
まぁなんにせよ、ビニールハウスを突き破ろうものなら警報装置が鳴り響くし、そうなる前に追い払えたのなら気に留める必要もないだろう。一応、バチェラには報告する事にしたが、その影を追いかけようとはしなかった。
「うん、そろそろ戻ろう」
木造小屋を眺める。リビングからは優しい光が漏れ出ていた。夕飯の合図だ。
小屋に向かって歩みを進める。僅かだが、それでも明るい輝きへの距離が縮まって行く。同時に、夕飯への期待が胸を高鳴らせた。
こんな気持ちになる度、いつも、学校から家へと帰っていた時の気持ちを思い出す。ようやく一日が終わり、自分の落ち着く場所へ帰ることができる安心感。
それが、上層でも下層でも、僕の生き甲斐と呼べる一つだった。
「ただいまー」
「ええ、お帰りなさい。野菜、どっか悪い所あった?」
リビングから声が聞こえてきた。言わずもがな、バチェラの声だ。
玄関からリビングへと移動する間に会話を続ける。
「別に。ただ、不審者居たよ。バチェラの言いつけ通り、追いかけなかったけどさ」
「不審者? 泥棒かしら」
「さぁね。でも、呼びかけたらすぐに逃げてったよ」
リビングへと顔を出す。───すると、その小さな机にバチェラとは別にメディも座っていた。
「げっ……なんでメディも」
「バチェラさんに食べられるのなら食べろと……勧められました」
「あぁ……そう。……ってか、メディカロイドに消化機能なんてあるの?」
少しの呆れが態度に出たが、それを誤魔化すように素朴な疑問を投げかける。
「厳密には消化機能ではありませんが……。それに近しい物なら存在します」
「へえ〜。凄いのね、最近のアンドロイドって。因みに、どんな仕組みなの?」
誤魔化す為とは言え、質問をした僕よりも興味津々に聞いたのはバチェラの方だった。
「まずアンドロイドは、そのメイン動力を、上層にあるシャングリラタワーから発せられる生命信号を受けて活動しています。それを補うサブ動力として、熱や運動……周囲から取り込んだあらゆるエネルギーを電力に変換する能力があるのですが、食事の場合はバイオマスエネルギーを電力に変換します。……基本的に、それらの仕組みはブラックボックスなので、これ以上詳細な仕組みは私にも分かりませんが……」
うん、何だかとっても凄い事が分かった。兎にも角にも、自分で聞いておいて何だが、この話しは理解した事にして流すとしよう。これ以上話されると、複雑化していく気がする。
「なんだか凄いのねー……。でもつまり、ご飯は食べられるって事よね?」
「はい、可能です」
「よし! じゃあ、ご飯にしよう! お腹減った!」
無理矢理話しを切って、夕飯へと誘導する。
「はいはい。出来てるから、座って待ってなさいよ」
「ありがとー」
上手くいった。これで小難しい話しを考えなくて済む。
一先ずは席に着く。その際、机の上のランタンをひっくり返そうになって一瞬ヒヤリとした。
「はい、どーぞ」
机の上に置かれたのは、蒸したジャガイモと、昆虫類とキノコの出汁で作ったほうれそうのおひたし、極めつけにはカミキリムシの幼虫焼き。
一見、一部を除いて最悪な見た目に見える食卓だが、それは、下層で本格的な暮らしを始めてから3日程で慣れてしまったくらいには美味だった。
上層の食卓と比べられないのは事実だが、今になっては、それも毎日の楽しみの一つだ。
「昆虫食が多いんですか?」
「えぇそうよ。意外と美味しいし……それに、取った虫の大半は農園を荒らす害虫だから。コスパがいいの」
まぁ、それを取ってきているのは僕なのだが。
「では、いただきます」
メディは何の躊躇いもなく、カミキリムシの幼虫焼きに齧りついた。その後も、ゆっくりと咀嚼して味を確かめているようだった。
「味わいもクリーミーで、タンパク質も十分に含有しています。健康食品にはうってつけかもしれませんね」
「そうなのよ。見た目だけで食べないなんて、勿体無いわよ」
バチェラの食事は一つ一つが美味であった。特にこのジャガイモ。やはり農園を経営しているだけあって、出てくる野菜は、どれもが新鮮で上層と同じ質の物ばかりだった。
「ところでメディ。貴女、どうしてエクソダスなんて目指してるのよ?」
「それは───それが、シャングリラの人達を救うきっかけになると思ったからです」
「へぇ~……。どうしてエクソダスが救う事に繋がるのよ?」
「それは……この本に書かれています」
メディが徐ろに取り出したのは、いつの間にか腰にかけていた、あの本だった。表紙はやけに古臭く、既に色は褪せてしまっている。
そして、閉じた状態からでも分かるページの破け具合。少なくとも博物館でしか見たことのないくらいにはボロボロだった。
素人の僕が、歴史的価値がありそうだと感じる程だ。
「それ、何の本なの? 落ちてきた時から、ずっと大事そうにしてたけど」
「これは……『エリュシオン・マグナ』という本です。シャングリラより外界の先、更にその先の先にあるという楽園『エリュシオン』と『シャングリラ』について、600年程前に書かれました」
「………ほ、ほぉ?」
「………は、はぁ」
バチェラと目を丸くして、互い見つめ合っていた。600年前の、それもシャングリラが否とする外界について書かれた本。
それはきっと、政府管轄の禁書庫にしか無い本であり、存在自体がタブーと言っても過言ではない代物だった。
道理でダルヴァザから落とされた訳だ。エクソダスに加えて、その理由に合点がいった。外界との接触を、法とスリガラスで分断するここで、外界について書かれた本を盗んだというのに、ダルヴァザから落とされただけで済んだのは幸運なくらいだろう。
「それ、どこから持ってきたの?」
「禁書庫です」
やっぱりそうだった。
「それ、ちょっと見せてもらっていいかしら?」
「はい」
バチェラが禁書をメディから受け取る。そうして、頭のページからスラスラとめくっていった。禁書とまで呼ばれる本だ、僕も興味がない訳じゃないので、それを覗き込む形で読む。
「そう言えば、下層生まれ下層育ちの私に字なんて読めないっか!」
自虐するようにバチェラはそう言った。そう、バチェラは下層人では珍しい、下層生まれ下層育ちの人間なのだ。
「じゃあ僕が読むよ」
バチェラから半ば強制的に本を取り上げ、ゆっくりと頭のページから読み進める。確かに一見、読み取れないような字ばかりだが……中には今のシャングリラ語に共通する字も存在した。
「えーっと、何々。『……の……は……した。……を……する…に…み…した……に……いとも……く………を…われ、こうして……にも……………の………で……を…る』」
本を机の上に置く。全くもって意味が分からん。可読部分だけでも、と読み上げたが、まるで虫に食われたかのような読みになってしまった。
「私も細部まで分かる訳ではありませんが。そのページには、まるで後悔のような……過去と今を憂うような……そんな事が書かれています。───それで、私がエクソダスを考えたきっかけになったのはこのページです」
メディがページを次々とめくっていく。そして、ページは巻末付近で止まった。
「このページ?」
「はい、バチェラさん」
「ふぅん……どれどれ。『シャングリラが……するには、…たな……に…する……を…てなければならない。きっと、…くも…くも…………………が……となるだろう。しかし、それは…して…ろしい…ではない。……とは…なのだ。…これば……のように…ぎ…り、されど、…きなものを…に…していく。そんな、……となる…らの…らに、…ら……が…き……として、……として、…にある…を私は…う』……ね」
さっきよりかは分かるところも多いが、それも申し訳程度だ。この文章の意図すらも掴めやしない。
「ここも全体の詳細が分かる訳ではないんですが……ここ。『シャングリラが進歩するには、新たな現実に対する恐怖を捨てなければならない』って、読めるんです。あくまでも『本』なので、大事な事は巻末にあると思って、集中的に解読したんですが」
流石はアンドロイド。その方法に関しては鋭いと思う。
「シャングリラは外界との接触を極度に嫌がっています。それはつまり、外界との接触こそが、この本にある『新たな現実に対する恐怖』に該当するのではないかと考えました」
「それじゃあ、『新たな現実に対する恐怖』を捨てれば、シャングリラは進歩できるってことかしら?」
「仮説ですが……はい。そう考えます」
「へぇ〜。───メディ、貴女凄いわね!」
「は、はい。ありがとうございます」
「………これは」
あまりにも夢物語だ。そう言おうとして、ギリギリの所で抑えてしまった。メディはともかく、バチェラが感嘆している。
……だかしかし、実際そうだろう。全てが全て、解読できていないにも関わらず決めつけて……それも600年も前の書物だ。果たして今の事を予測して書いたのだろうか。
それこそこのエリュシオン・マグナが、今の時代で指標にするべきものなんかじゃなく、当時では今でいう小説のような……謂わゆる創作物だった可能性だってある。
───アンドロイドは人間らしい夢を見るか。メディの稼働レポートがあるのだとしたら、そう題名付けてやりたい。
取り敢えず。ここは空気を読んで、適当に相槌を打ち、話題を合わせながら話すことにした。
「よくもまぁこんな古い文章解読しようなんて思うわよねー。私だったら、文字を見ただけで諦めちゃうわ」
「文字を読んだから下層に落とされたのに……バチェラも解読以前に読もうとしちゃだめでしょ」
「好奇心を持つことは良い事よ。危なっかしいことかもしれないけど、人としていっぱい勉強できるんだし」
「危なっかしいなら持たない方が…………ってか、なんでメディは禁書庫なんかに入ったわけ? ───まさか、好奇心だなんて人らしい理由じゃないよね?」
「…………私は、4日と31分前に製造されました。そうして起動して間もなく……禁書庫に行かなければいけない気がしたんです。───理由は自分でもはっきりしませんが」
「……へんなの。政府の管轄で作られるアンドロイドが、起動してすぐ、立入禁止エリアに足を踏み入れるように設定したってことか? そして結果はダルヴァザに放棄。なんか、政府のマッチポンプを見てる気分だ」
そう考えたら、バチェラが疑っていたように、メディが危うい存在な気がしてきたぞ。……でも、だとしたら禁書の話しを持ち出したりはしないか。
「───ソイル、アンタ本当に夢ないわね」
「……え? なんで貶されたの、僕」
「理由は分からないけど、そうしなきゃいけない。まるで人の心みたいで素敵じゃない。それも、それをアンドロイドが持つなんて」
なんか急にロマンチストになってないか。この家主。
でも、バチェラは生まれと育ちが下層なのだからアンドロイドの存在を知っていても、見たことがないのか。ならば初見に、それも一般的なアンドロイドよりも人間に近い見た目を持つメディを見て、感情移入をするのも仕方がないだろう。
「ごちそうさまです。とても美味でした、バチェラさん」
「はい、お粗末様」
「僕もごちそーさまー」
「はいはい」
メディと同タイミングで食べ終わる。すると、バチェラは食器を重ねて夕飯の続きを食す。
本当はもっと駄弁っていても良かったのだが、今日は何処かの誰かさんのせいで、倉庫で寝泊まりしなければならない。
決してキレイとは言えぬ倉庫を片付けに行く為にも、真っ先にその場を離れた。
「バチェラさん、お皿洗い、お手伝いします」
「いいのー! ありがとっ!」
後ろから団らんが続きそうな気配を感じたものの、僕が居てはバチェラも話したい事を話せないだろう。安心できる場所で、同じ性別の人間と話す。(メディはあくまでも『女性』では無く『女性型』だが。)それは、バチェラにとっても、嬉しい体験になるはずだ。
そうして、倉庫の目の前に立ち、ゆっくりと扉を開ける。
「ケホッ! ケホッ!」
ここは唯一、玄関以外に外と繋がる扉のある部屋だ。その為、実質的に外のような扱いをしており、室内は明らか埃っぽく、その辺の床には土のう袋が転がっていた。
溜め息を漏らし、勝手口を開放する。若干の寒さが部屋に流れ込んだ。風のないのが気持ち悪かったが、もう慣れっこだ。
まずは土のう袋を部屋の隅に追いやっていく。だが、一つは枕として使うため、部屋の中央に残しておく。
次は埃。箒を片手に取り、ムラのないように勝手口へ掃いていく。その際に、埃だけでなく虫の死骸などもしっかりと掃くようにする。下手をしたら、喘息に影響を与えかねないからだ。
本当は水を使って掃除をしたいのだが、下層において水は高価過ぎる。それでも、水は毎日の生活で使う。こんな一時的な倉庫の使用の為の掃除になんて使っていられないだろう。
そうして、一通りの掃除が終わった。あくまでも、前よりもマシ程度なので、胸を張って綺麗にできたとは言えない。
「よっ……こらせ」
土のう袋を枕にして硬い床に寝そべる。ようやく一日が終わる、そんな安心感に包まれながら、何も無い天井を淡々と見つめ続けた。
恐らく、時刻は19時を回っていた。まだ眠りにつくには早すぎるが、今日はもう、これといってやる事が無かったのも事実だった。貴重な水を無駄に使ってしまわない為にも、シャワーは一週間に一回で、今日はその日でもない。
やはり少し早かったが……目を閉じる事にした。早起きになってしまうことは自明だが、早起きは三文の徳とも言う。今寝てしまっても問題ないだろう。
ゆっくりと瞼を落とし、身体の力を抜いていく。また明日も、きっと何気ない日常に過ぎないのだろうが……メディの到来で多少なりとも騒がしくはなるだろう。それが僕にとって良いものとなるか、悪いものとなるか。いずれにせよ、プラスの方にはたらくと、そう願おう。




