第二章−二夜を越えて至る−【第二話】
僕よりも小さな体躯。グシャグシャにして長く伸ばした赤色の髪の毛。そして、明らかに僕よりも歳下で。極めつけに、シャングリラ語とは違う言語を扱う───
夜の静けさを掻っ切るように現れたその少女は、僕らが焚いた火に近寄っては、その胸を撫で下ろしていた。
「──────────?」
何やら、こちらへ向かって質問をしていたようだったが……僕らにはその言語が分からない。かといって、それをジェスチャーで伝えようにも、どう伝えればよいか。
迷っていると、メディが早速行動を起こしていた。
「私達には、その、言語が、分かりません」
先ずは自分に指を差し、次に少女へ指を差す。そして口元から手を握っては広げ、顔の前で手を広げながらその手を横へと振った。
僕には理解の出来るジェスチャーだった。それも、自分らの言葉とリンクするように、そのジェスチャーを文節毎に分けて行っている。
……しかし、僕がメディのジェスチャーを理解出来たのは、言葉を理解していたからであって、彼女にそのジェスチャーの意味は伝わっているだろうか?
「────。─────」
何かしら、言葉を区切ったようにも思えたが……こちらの意図を理解したのか、その少女は深く頷いていた。
その後もメディと彼女がコミュニケーションを取っていたのだが、僕は一切としてついていけなかった。なので、取り敢えずはメディが翻訳機としての機能を果たしてくれる事を祈りながら、川の流れに黄昏れるとした。
しかし、どうして一体このような場所に人間が居たのだろうか。
と言うのも、ここに来るまでの間に人間の過ごしていた形跡と言うものは存在していなかったように思える。仮に人間が過ごしていたとしても、シャングリラとの交友が無かった事も鑑みるに、そこまで大きな文明でもなかったのか……。
だが、もしもそうだったのだとしたら、自然の中に溶け込んで生活している文明と考えてもなんら違和感は無く、形跡に気付くことができなかったのも自明だろう。
気になる事はまだ二つもある。
もう一つ、何故、明らか僕よりも幼い年齢であろう彼女が、こんな真夜中に一人で居るのか。僕が親ならば、彼女のような年齢の少女を……いや、親でなくとも、夜中を歩かせる真似はしない。
二つ目は、どうして僕らを警戒したりしなかったのだろうという事だ。
しかし、これに関しては案外と頷けることもあった。それは、やはり彼女が何かしらのコミュニティの中で生活していると仮定できたからだ。加えて、僕らは現在、下着姿で行動していた。そして、彼女の衣服も下着と呼んでも差し支えないぐらいには露出しており、パット見、彼女にとっては僕らも同じような生活をしている者に見えたのだろう。
───しかし、このような森の中の森で、人間が生活していた事に、少しだけ安堵する。ついさっき想像した、シャングリラこそが最後の人類であったという妄想が、妄想のままで済んだのだから。
「ソイルさん」
メディに呼びかけられて我に返り、いつものようにメディらの方へ振り返ろうとした。その瞬間、忘れることにしたはずであった、カノジョの下着姿を思い出す。咄嗟に振り返ろうした身体へ急ブレーキをかけ、そのまま川の方を向いて応答した。
「なに?」
「彼女が自己紹介をしたいようです。同時に、私とソイルさんの事も聞きたいそうですよ」
「言葉、翻訳できそうなの?」
「まだ難しいところですが、相手が言っていることの意図は掴めるようになってきました。こちらからも、言葉付きジェスチャーで意思疎通は取れますし。……しかし、例え言葉が通じなくとも、名前ぐらいならば呼び合えますよ。どうしますか?」
「……分かった、やってみよう」
そうして、目のやり場に困りながらも少女へと顔を向ける。
「─────、オディギア。オディギア──!」
「えーっと……オディギア?」
繰り返し発されていた言葉を、指を差しながら少女へ返した。すると、満面の笑みで彼女は頷く。どうやら正解らしい。
「では、次に私が」
続いてメディが自己紹介を始める。その際に、ジェスチャーはしっかりと忘れていなかった。
「メディ・ハヴァー、それが私の名前です。繰り返しますが、メディ・ハヴァーです」
「メディ! メディ・ハヴァー!」
少女は嬉しそうにメディの名前を呼ぶ。次は僕の番だ。
「ソイル、ソイル・ペルソン。ソイルって呼んで」
分かりやすいように、名前の部分を3連呼した……のだが。
「シール?」
「違っ……ソイル!」
「そ、ソール?」
「だから……! ソ・イ・ル!」
「う……うぅ……」
僕の発音が悪かったのか、彼女は何度も僕に聞き返した。伝わりやすいようにと、声を大きくして話したのだが……彼女はそれに怯えてしまった。
「ソイルさん……」
メディの視線が冷たい。オディギアが勘違いをして怯えていることは分かっているのだろうが、僕のあまりの不器用さに引いてるのを感じる。
「オディギアさん、彼の名前は、『ソイル』と言います」
僕を指差しながら、メディが補足を入れる。それに、オディギアはハッと目を見開いて、頷いた。
「そ、ソイル! ソイル!」
「はい、そうです」
メディが頷いてオディギアの頭を撫でる。これは僕が悪かったのか……。
ホッとしたり、喜んだり、怖がったり。彼女の一挙手一投足は完全に人間のそれで、やはり外には人間がいるのだという強い確証になった。
そんなこんな、自己紹介を終えてメディとオディギアはコミュニケーションに戻ったのだが……とっくに僕の身体は限界を迎えていた。
無意識にさっきの地点で横になっては、ちょっとの目を閉じた隙に、僕の意識は深い闇へと落ちていった。
───そして、朝。
チュンチュンと、ギーギーと、チュチュチュチュと。鳥達が囀り、川のせせらぎは依然として変わらずに鳴り響いていた。更に、清々しい程の陽光は、それらの音を奏でる為のエネルギーとなっているようだ。
そんな環境の音と陽光に目を覚ますと。
「うわぁっ!??」
昨晩、オディギアと名乗った少女が僕の真ん前で眠っていた。これへ驚かないはずが無く、僕は飛び上がっては岩の上から転がり落ちた。
「あっ、おはようございます。ソイルさん。見張りは現在も継続中ですよ」
「おはよう……じゃなくて! ここ、こ、これ! どういう事?!」
メディは既に上着を着ていて、焚き火を消していた。
「昨日、私とオディギアさんが話している間にソイルさんが眠ってしまって。彼女が眠そうになった時、丁度良い寝床を探していたら、彼女が自然とそこに行ってしまいました」
「止めなかったのか……? 男である僕と、少女とはいえ女の子である彼女を共に寝かせるのを……」
歯をギリギリと立てながら、僕はメディへと拳を握っていた。
「ソイルさんはそういう事をする人では無いと分かっていますし、彼女も自分で選んだ場所だったので、良かったのかなと」
「……良い訳あるかぁぁっ!」
起きたばかりで声を荒げたくもないと言うのに、そんな気も通り越して怒声を上げ、覚めぬ頭でメディへと振りかかろうとした素振りをしたその時、後ろから声が聞こえた。
「……ソイル? メディ? おはよう……」
僕らの名前を呼ぶ声と、末尾の良く分からない言葉。しかし、状況的にその末尾の言葉が『おはよう』という言葉であるのは察する事ができた。
咄嗟に拳をしまい、オディギアの方を見る。
「あ、あぁ……お、おはよー」
昨夜みたいに怖がらせないよう、冷静になって言葉を返す。
それにオディギアは、目を擦りながら「おはよう」と返した。
「ソイル、─────────!」
「…………なんて言ってるの?」
「恐らくは、『ソイル、昨日は良く寝てたね!』ではないですか?」
「もう分かるの……?!」
「はい、概ねは。ソイルさんが寝た後の彼女とのコミュニケーションは、意外と長引きましたから」
メディの翻訳が果たして本当に正しいものかは分からなかったが、今はそれ以外に信じられるものもない。
「ま、まぁね。オディギアちゃんが、横で寝てくれたからかなー……って、あは、あはは……」
不自由なコミュニケーションに何と返せば良いか分からず、子供が喜びそうな事を言ったつもりだった。
だが、オディギアはまんざらでもなく顔を紅くして、「えへへ」と照れている。
「……ソイルさん」
「違う。子供が喜びそうな事を言ったつもりなんだ、決して、口説こうだなんて思ってない」
しかし、ここである事に気付いた。
「……ん? てか彼女、僕らの言葉を理解しているのか?」
「そうみたいですよ。私も概ねを理解できると言いましたが、彼女程ではありません」
「早すぎない? 僕らの言語を覚えるの」
「彼女、子供のように見えますが……その知能は恐らく『天才』と呼ばれても良い領域だと思います」
アンドロイドであるメディにそう言わしめるのだ。彼女の知能が相当なものであると分かる。
だがしかし、それなら幾分かコミュニケーションは楽になる。彼女の頭が良い事に感謝せねば。
「取り敢えず、上着を取ってくるよ。僕も着たい」
「そう言うと思って、既に持ってきていましたよ」
メディは小さな岩の上に畳んで僕の服を置いていた。
「あ、助かる」
そうして衣服を着ると、昨日までのベタつきが嘘のように、肌がすっぽりと衣服を通った事に感嘆する。
「ところで───」
オディギアに目を向ける。相変わらず、露出の多い布切れは目のやり場を困らせるもので、ついさっき着たばかりだったが、僕の上着を一枚、彼女に着せてやった。
「オディギアちゃんはこれからどうするんだ? ていうか、どこから来たんだ?」
「どうやら、ここら一帯の集落から家出してきたようで……。でもって、その集落には掟があって、詳しくは話せないらしいです」
「家出……か」
決して悪い事ではないとは思う。結局、音を上げて帰ったとしても家族の有難みが分かるだけだし、そのまま家出し続けて生き抜ければ、自分の生活の糧になる。
だがそれは、あくまでも家出した当人の視点だ。彼女の家族や、その周囲の人間はそれを認めてくれるだろうか。
「────────────!」
またオディギアが何かを話している。
「私も二人の旅に連れて行って! ……だそうですが、どうしましょうか?」
「うーん……即決は……できないよなぁ……」
第三者として、できるのなら彼女を集落へ送り返してやるのが最善だろうが、きっと彼女はそれを望みはせず反発する事だろう。
そうして少しの思案の末、ある事を思いつく。
「それじゃあ、今日から3日間。それまでの間でなら同行しても良い事にしよう。その間で、彼女が自分のコミュニティに戻りたくなったのなら、僕らが責任を持って彼女を送り届けて……そうならなかった場合は彼女が自分で道を選んだって事で、またどうするかを決める。これでどう?」
「もしも彼女が、私達と同行する事を継続したいと言ったらどうしますか?」
「幼い子には無情だけど、それは3日間の旅で決める。僕らも旅は始まったばかりで、装備どころか物資にも困ってるし……正直に言うけど、そんな中で人が一人増えるだけでもハードだ」
「…………そう、ですね。伝えます」
メディはジェスチャーを上手く織り交ぜながら、会話を進める。僕はそれを見守りながら、荷造りを始めた。
「うん!」
彼女はすんなりと頷いて、まるで太陽のように笑った。悩む事も無く納得したその様に、メディの言の葉が上手く伝わったのか不安になる。
「それなら決まりだ。早速だけど、出発しようか」
リュックを背負って正面の川を向く。
オディギアはなに一つとして荷物を持っていなかったため、本当に家出をする気があるのか不安になったが、掟とやらで集落の物も持ち出せなかったのだろう。そう信じたい。
こうして僕らは、新たな仲間を、期限付きではあるが、迎え入れて旅を再開した。
水浴びで身体のベタつきは何とかなったし、水筒の水と、その予備も補充できた。残る問題は食料や、装備など山積みだが……それでも気分は大きく心機一転できた。この調子のまま、進んでいければ最高だろうと、改めて胸を昂らせたのだった。
───そうして、時間にしてお昼頃。ジリジリと鳴く虫共が五月蝿くなってきた。
「あぁ……暑いぃ……」
川側から離れた事で、風は全くとして涼しくもなく……木々が更に鬱蒼としてきた事で風の通り道も少なくなっていた。
「メディ〜、ソイル〜、──……────ー」
「なんて……?」
「『メディ〜、ソイル〜、セミ……うるさいねー』だそうです」
「セミ……って、このうっとうしく鳴く虫達の名前?」
「うん!」
「こいつら、セミって言うのかー。……まるで、暑さとそれへのイライラを加速させるスピーカーみたい奴らだよね」
「……はえ?」
少し難しい例えだったかもしれない。それも、シャングリラ語初心者のオディギアにとっては。
「ソイルさんは、セミをうるさい虫だと言っているんですよ、オディギアさん」
「あー! うんうん! その通りだよね!」
恐らくそんな意味合いでオディギアが返した直後、鬱蒼とした森の先に眩しく光が差していたのが見えた気がした。決して見間違いなどではない。
そして、そこが何やら開けた空間であるのは、直感で理解できた。
その先に一体どんな風景が広がっているのか。僕は胸をとてつもない程に躍らせながら、その森を抜けた。
「お、おぉ……」
「ここは……!」
「メディとソイル、驚いてる?」
───色んな意味で、驚かない訳がない光景だった。
寂れ、朽ち果ててしまっているビル群の数々。最も目立つビルの頂点は、巨大な手でごっそりと持っていかれたかのように削られており、足元には頂点部位であっただろう部分が見るも無惨に転がっていた。
しかし、ボロボロな数多のビルの傷を埋めるように、巨大な植物らが根を張っている。自然の包帯という例えが相応しいだろうか。
街の外れには崩壊した住宅街が広がっており、そこに沿うように引かれているヒビ割れた道路には、捨てられた車が哀愁を漂わせて佇んでいた。
……覚えた第一印象は、『物悲しい』だった。
ビルや車、道路や住宅街など、その作りはシャングリラ上層の物と酷似している。もしかしたら、細かな部分は違うのかもしれないが、僕は専門家ではないのでパット見では同じだった。
そして、その作りの似ていた事が偶然にせよ必然にせよ、僕らと同じように発展した文明の行き着いた先が、このような廃都市に……。
どうして、こんな結末を迎えたのかは分からないが、ここに住んでいた人間もまたシャングリラに住んでいた人間と同じようならば……消え行く最中に何を思っていたのだろう。
そんな事に思い耽っていると、オディギアに腕を引かれた。
「ソイル! ──────!」
「『ソイル! 行ってみよう!』だそうですが……」
メディは足元から廃都市へ目線を流す。
そうして、目先の光景ばかりに気を取られていて、自分達の立っていた場所を見ていなかった事に気付く。
……僕らが立っていたのは、下るように斜めった幹線道路に接する崖の上だった。
「直線距離で移動するなら、この下った幹線道路を進まなきゃいけないけど……かなり劣化しているようだし、崩落してもおかしくないね」
「迂回をして他に下れる場所を探すにしても、私達の立つ高地はずいぶんと遠くまで続いていて、少なくともそこから下れそうな場所は無さそうですし……。かといって、ソイルさんの言う通り、幹線道路から下るのも危険そうですし……今回は廃都市自体を迂回するのもありですね」
改めて周囲を見渡すと、まるで、廃都市地帯だけが地盤沈下したかのような地形だった。もしやそれも、この都市が廃都と化した事に関係しているのだろうか。
「ソイルー! メディ! 私行きたいよ!」
オディギアが僕の腕を引っ張っては、廃都市地帯へ指を差す。そんな突然のわがままに困惑したものの、メディがなだめるようにオディギアを撫でた。
「もしも家出をし続けるつもりなら、危険な事に自ら関わろうとするのは良い事とは言えませんよ、オディギアさん」
「でも、でも……。ソイルやメディに───物がある──────?」
「ごめん、肝心な所が分からなかった」
「私やソイルさんに必要な物があるかもだそうですが……確かに、それも一理あるかもしれません。しかしです……」
オディギアの行きたがる理由が何かは分からないが、僕も百分の百、行きたくない訳では無い。なんなら、好奇心に身を任せてしまえば、躊躇無く幹線道路を下ってしまっているだろう。
だが、未知の土地での最優先事項は安全だ。仮にそんな最優先事項を押し通してでも行ったとして、目の前に広がる廃都市で得られるメリットが未知数過ぎて、恐怖が勝る。
「一理あっても、怖いんもんは怖いんだ。駄目ったら駄目」
「しかし、ソイルさん。廃都市地帯へ下りるのは、強ち間違いではない気がしてきました」
「……ふぅん。理由を聞こうか」
合理的に思考するのがお得意のアンドロイドが、先に言っていた事を曲げて言ったのだ。きっと何か強い根拠があるはずだ。
「住宅街までは見えませんでしたが、直近のビル中に冷蔵庫らしき物が見えました。もしもここがシャングリラと同様の生活様式かつ、それが本当に冷蔵庫であるのなら、電気は通っていないはずなので、冷蔵はできていないでしょうが、長期保存された食べ物があるかもしれません」
確かに、僕にとって食料品が無いのは致命的な問題だった。まだ幾分か昆虫食やその他ストックがあるとは言え、それもいずれは底をつく。そう考えると、何かしらの食べ物が獲得できる事は大きい。
しかし、この廃都市は何年前にこんな惨状を迎えた?
建物やそれを取り巻く植物を鑑みて、おおよそ百年以上は経過しているように見える。そんな年数を重ねて尚、口にしても安全な食料なんてあるものだろうか。
「もう!」
思考していた、その時だった。オディギアが痺れを切らしたかのように、声を上げて地面を強く踏んだ。
「ん?」
最初は何故急に、そんな行動を取ったのか理解できなかったが、間もなくしてその理由は判明した。
「あ、おい!」
「オディギアさん!」
彼女は崩落の恐怖を知らないように、走るようにして幹線道路を下っていく。
そして僕らが追いかけるために幹線道路へ踏み込もうとして、それを躊躇うそんな間にも、オディギアは加速をつけて下りていった。
「……よっ、と! 大丈夫だよー、ソイル! メディ!」
幹線道路を下った先で、オディギアは手を振ったが……僕とメディは顔を合わせてから、同時に肩を下げたのだった。




