第二章−一夜を越えて出会う−【第一話】
ジリジリと、ミンミンと、聞き慣れない生物の声が、さながら下層商店街の喧騒のように騒がしかった。
外界へ出て最初は、コイツらの音にワクワクしたものだが……今となっては、景色が変わる事も無い鬱蒼とした雑木林を歩く上で煩わしくてしょうがなかった。
おまけに、とんでもなく暑苦しい。コイツらの音を聞いていると、その暑苦しさが更にヒートアップしていくようだ。
「つ……疲れたぁ……し、暑い……」
「確かに、足場の悪い場所ばかりを歩いて来たので疲れるでしょうね」
「羨ましいよ、疲れ知らずで」
「いえ、私だって足に負荷は感じていますよ、簡単に息切れをしないだけで」
「それも羨ましい」
「……なら、少しだけ休憩しましょうか」
「あぁ、そうしよう」
近くにあった、大きめな木の根に腰掛け一息をつく。
……正直、舐めていたかもしれない。
────本日はシャングリラを出て二日目。
あの日、僕らが走らせた車は見事なまでにガラスを突き破り、外の世界への扉を開いてくれた。その当初は、ありとあらゆる天然物に、その陽光にさえも高揚感を覚えながら、外へと飛び出したのだが……。
実際に歩いて広がる景色は、鬱蒼とした森や林ばかり。しばらく歩けば、人が一人でも住む、休みやすい場所の一つや二つ程度あると思っていたのに……そんな場所など存在するどころか、気配すらも無かった。
シャングリラよりも外の世界を記したエリュシオン・マグナがある以上、外界には幾らかの人間が居てもおかしくは無いと思っていたのに。
……もしや、世界は既に崩壊していて、シャングリラに閉じこもった人間こそが最後の人類だったのでは……? もしもそうなら、ここは人類が崩壊した理由とやらが蔓延る危険な世界なのでは……!
なんて、妄想が思い浮かぶ程には人間の気配が無い。
「車が使えればなぁ……」
「仕方ありませんよ。あれは、ガラスを突き破ってすぐ、壊れちゃいましたから」
人がいないのならばせめて、例え人間が居なくとも安全と言える所へ歩けるような足が欲しい。そんな願望を叶えてくれる車はスリガラスを突き破るまま、停まることを知らず、木に衝突した事でお亡くなりになってしまった。
加えて、移動を苦しめる要因として明らかに大きかったのは、やはり装備だろう。
上層生活から今まで愛用していたこのシューズ。靴底は既に、磨り減るに磨り減りすぎて、歩く度に足を疲れが襲う。
上着だってそうだ。ボロボロの上着は吸水性の『き』の字すら失っており、こんな暑さの中を歩いて、当然汗をかかぬ事など無く、身体はムレてベタついて最悪だ。
「もう大丈夫ですか?」
メディが禁書を読みながら僕に聞いた。少しの休憩にも解読をするなんて、熱心な事だ。
「あぁ、大丈夫」
木の根から腰を上げて、東を目指す。幸い、方角は太陽の方向から推察できた。尚、推察はメディがやった。
目指す先がはっきりとしている事だけは、唯一疲れを吹き飛ばせる希望だった。
引き続き歩いていって、変わらぬ風景が流れていく。
「見つかるといいなー、休める所」
「そうですね。昨日は幸い、巨木に洞があったお陰で何とかなりましたが……今日もそう上手く行くとは思えませんし」
「もしも見つからなかったらどうするか……。夜の森を歩き回るのは怖いから、休憩無しに歩き続ける訳にも行かないし。てか、体力が保たないだろうし」
「最悪の場合は木の根や岩場なんかに寝るしかないですね」
「最悪の寝心地だろうなぁ……」
「それでも、休める時に休んでおく事は大切ですよ。見張りに関しては、解読を進めるついでに私がやっておきますし」
「まぁ、見張りをしてくれるのなら……文句も言えないな」
「はい」
寝なくても良い身体と言うのは便利な物だ。そう羨望した時、一昨日の事を思い出した。
「あれ……でもメディ、一昨日の朝は勉強机で寝てたよね。睡眠が不必要な訳じゃないの?」
「はい、不必要という訳ではありません」
「それじゃあ、見張りなんてやってもいいの?」
「まだ大丈夫です」
カノジョは『まだ』の部分を強調するように言った。
「まだ……って事は、いつかは必要なんだ」
「そうですね。長時間の活動後は、スリープモードでメモリの整理をしなければいけませんから。今はまだ、その必要がないというだけです。……まぁ、睡眠は必要と言えど、人間よりかは寝なくても良いと考えて頂ければ」
「本当に凄いもんだね、アンドロイドは」
そう歩きながら話していると、どこからか川のせせらぎが聞こえてきた気がした。
「この音……川がある……?」
「その、ようですね。行ってみましょうか」
その音を目指し、僕らは森を中を進んでいき───
「み……水……!」
少し開けた空間に出た。
目の前と対岸には、木の一本も生えていない砂利の絨毯が敷かれており、間を流れるように幅の小さな川が流れている。水に風が冷やされているからか、少しだけ涼しくも感じる。
「先ほど休憩したばかりですが……水の補充も併せて、長い休憩にしましょうか」
「あぁ! 賛成だ!」
すっからかんになりかけていた水筒の水を満たし、上着を洗い、欲を言えば水浴びだってできるだろう。最高にテンションが上がった。
「そうだなー、先ずはー……」
上着を洗うべきだろう。とにかく気持ちが悪い。
「上着を洗いたいから、干すのに丁度良い木なんかを見つけて来ようかな。って言っても、対岸にも後ろにも木はあるし、見つけるのにさほど苦労はしないだろうけど」
「長い単独行動にならないのなら良いと思いますよ。私は火起こしの準備をして、川の水を煮沸しておきます」
そういえば、旅の始まりにメディはこう言っていたか。
『川水の直飲みだけは気を付けてくださいね。今ある医薬品じゃ、対応しきれない病気に感染する可能性がありますから』
その為の煮沸なのだろう。水浴びの際にも、誤飲しないよう留意しなければ。
「分かった。じゃあ、煮沸の方はよろしくね」
「はい」
メディに煮沸を任せ、なるべく川の側にある木で良い物を見つけに行く。先ずは上流方面からだ。
そうしてそれは、意外にもあっさりと見つかった。それも枝と枝とを、別な木同士であるのに繋げていた珍しい見た目の木だ。
「どうせ一着しかないし、この木で十分だな」
そう頷いて、メディの下へと戻る。
「……っ」
メディが必死に、小枝を太い枝へと回転させながら擦り付けては火を起こそうとしていた。古典的な方法だが、着火剤もない僕らにはこれしかない。
「丁度良い木、見つけて来たから───って」
「……んーっ!」
幾ら回転させてもメディは火を起こせない。アンドロイドにも出来ぬ事があるのだと、なんだか嬉しくなる。
……決してできていない様を嘲笑っているとかでは無く、純粋に、完璧でない不完全さがアンドロイドにもある事が嬉しいのだ。
もしもカノジョの全てが完璧であれば、この旅における僕の存在意義がない。
いや……正直、今のところないケド……。
しかし、これからあるはずだ……と、そう信じたい。
「代わろうか?」
「……遠慮しておきます」
「えっ、なんで?」
声のトーンを低くして言ったカノジョは、こちらを悔しそうな目で、若干睨みつけた。
「ソイルさんは水浴びをしてきて下さい。後ついでに洗濯も」
「それはもちろんやるけど……別に水浴びの順番が逆だっていいじゃない。その間に僕が火起こしするから」
「認可できません」
「だからなんで……」
何故そう意固地になる。それもアンドロイドが。
「というか、ソイルさんは私に、お手伝いのアンドロイドという認識で接しているんですよね」
「お手伝い……かどうかはまずとして、そうだね。キミに対してはアンドロイドとして接してるよ」
ただアンドロイドという括りだけで接してきていた。でもまぁ、できることは多いのだから、お手伝いといえばお手伝いか。それに、メディカロイドの役割的にもサポートと言うのは相応しい。
「なら、正確性が必要かつ、時間のかかる作業はアンドロイドにやらせておくのが合理的ではないですか?」
「───さては悔しいんだろ?」
「いえ、別に」
素っ気なく、声のトーンを落とすどころか僅かにあった抑揚さえも失くしてメディはそう言う。
何故アンドロイドが悔しそうな様を見せるのか…………いや、よくよく考えれば、最新ロットのアンドロイドとやらは人に限りなく近い状態に作られていたのだったか。
そうなると、こういうカノジョの不完全さは、有るべくして設計されていて……。
尚更、人に近く作られているのに気持ち悪さを覚える。
つまりは、不完全さがある事で人間の存在意義と言うものを失わせないようにしているのだろう。そして、そういった不完全さを実装していると言う事は、僕がこのように仕事の出来るアンドロイドがいる事に自分の存在意義を問い正しているような状況を、最新ロットを作る上では織り込み済みだったということか。
僕は開発者ではないから、カノジョのようなアンドロイドが作られた意図など知る訳もないが。もしもそうなら、技術的には素晴らしいのだろう。しかし、僕からしたら開発者も気色が悪い。
アンドロイドはアンドロイドとして、ただサポートマシンであれば良いのだ。余計な愛着など、却って邪魔になるだけだろう。
余計な思案をした。とにかく、カノジョに火起こしをさせるよりも僕のやった方が早い。
それに今、丁度良い理由を思い付いた。
「正確さが必要だとか、合理的云々とか言ってたけど、キミは左腕を損傷してるんだぞ? それにほら、現に左腕が震えてるだろ?」
「それ……は」
「僕の為に受けたキズって言っても過言じゃないんだ。ここは大人しく、僕にやらせてくれよ」
「別に……ソイルさんの為に負った損傷ではありませんよ。だから、その理由は通りません」
「それじゃあ震えた左腕で正確な作業ができるのか? それが合理的なのか? ……あと、キミがキズを負わなきゃ僕が弾を受けていたのかもしれないし、バチェラと最後のお別れができないまま終わってたかもしれないんだから、僕の為に負ったキズだ」
「…………はい。腑に落ちませんが、分かりました」
メディは大人しく頭を縦に振った。……どうして、たかが火起こしで問答せにゃならんのだ。
「くれぐれも左腕のメディカルストレージだっけ? を水没させないようにね」
「左腕のストレージ内の薬品は移動させましたし、耐水性もあるのでご心配なく」
「なら良いけど」
そうしてメディは上流の方へと歩いていき、僕は火起こしを30分程度で成功させた。
その合間、メディが帰ってくる事は無かった。別段、心配だった訳ではないが、上流方面をチラ見すると、確かに白肌の人影があった。
───二度見はしなかった。決して。
そして、結局の所。僕らの休憩は夜まで続いた。
川水の煮沸に使える物がステンレス製の水筒しか無かったのだが、予備の小型ポリタンクに入れる分を含めると……汲んでは煮沸しポリタンクに入れ、というその作業を鍋よりも小さな水筒で行うには、あまりにも時間が必要だった。
しかし、服を乾かすにも時間は必要だったので、丁度良いと言えば丁度良かったのだが。
「そういえば……全然考えてなかった」
一着しかない上着を乾かすと言う事は、上着を着られない時間を下着で過ごすと言う事。そしてそれは、僕もメディも例外ではない。
「プライバシー保護の為にも私はソイルさんを見ませんし。私がソイルさんに見られる事には、全然抵抗はありませんから、顔を上げても結構ですよ。私が抵抗を持つのは、電気ぐらいです」
「…………えっと」
そうして意味の分からんジョークをかまされる僕は、焚き火を挟んでメディに背くようにして座っていた。
「あの、笑って下さい。恥を忍んだアンドロイドジョークのつもりだったんですけど」
「そこに恥を忍ぶぐらいなら、下着を見られる事に恥を忍べよ」
「私はアンドロイドで、メディカロイドですよ? 人間の劣情を発散させるセクサロイドでもないので、並大抵の人が興奮する体付きではないと思います。そこに、どうして一体、恥をかくんですか?」
確かにメディの体付きは幼気だ。そこに興奮するかと言われたらそうでもないが……。幾ら、幼気かつアンドロイドとは言え、女性の体付きを、更に下着姿を見る事などできる訳ないだろうが。
「それはキミからのベクトルだろう……。こっちは常識持ってやってんだから、下着なんて見れる訳ないだろう」
「つまり、ソイルさんは私を人間扱いしているという事ですか?」
「どうしてそうなる……。あんましつけあがるなよー、アンドロイド」
「冷たい事を言いますね。流石にそれは、鉄の心臓を持つ私も傷付きます」
「…………はぁ、それもアンドロイドジョークか?」
「いえ、違いますよ? どこからそう思ったんです?」
「なんだ違うのか。……なんか、僕が読み過ぎたみたいじゃん。本人がダジャレのつもりで言ってない言葉をダジャレと捉えてしまったみたいな」
「私の主要部品はブラックボックスですから、私でも理解していません」
「急にマジで返すな。話の緩急下手くそか」
「……はい。これこそがアンドロイドジョーク」
抑揚のない声で言われるそれは、全くジョークに対する熱意を感じなかった。メディの方を見ていないから分からないが、絶対真顔で言っている。笑わせる気無いだろう。
「……やかましいなぁ。アンドロイドジョーク禁止」
「それは認可できません、絶対に」
熱意の無いクセに、謎のこだわりを感じる。本人は気に入っているのだろうか……。
そんな話しをしていたら、下着姿を見る見ないという話をしていたのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
…………もういい、明日もかなり歩くだろうし、寝よう。
「もう寝る。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
そうして、寝やすそうな小さな岩の上で横になり、瞼を落とす。
案の定身体は痛いが、致し方ない。
目を閉じる事で、気にしていなかった感覚が先鋭化する。
涼しい風、岩肌の冷たさ、川のせせらぎ、虫達の囁やく音、焚き火の弾ける音。痛みを除いて、それらは存外に心地が良かった。
暑さに衣服がベタついていて、訳も分からずジージーと鳴く虫と鳥の交響曲が響く昼よりもずっとマシだった。
心地の良い中で、段々と意識が沈みかけていく。岩の上でも案外と寝られるものだ……。と自分に感心する。
そして───
「ソイルさん……!」
眠りにつく既の所で、メディが僕の名前を呼んだ。その様子は何やら焦っているようだった。
同時に、ゆっくりとメディの足跡がこちらへ近付いてきていた。
「何かいた?」
只事ではないと、僕も身体を起こし、メディの見る先へと視線を向ける。その際、メディの姿を視界に収めないように注意していたのだが……それでも一瞬、メディの下着姿が見えた事は忘れておこう。
「はい、何かが……動いて、近付いてきています」
僕にはパッと見でよく分からなかったが、確かに、土を踏み、草を掻き分ける音が僕らの歩いてきた道の方からする。
息を呑み、その正体を探ろうとするも暗くてよく見えない。メディには見えているのだろうかと、カノジョの様子を伺おうとするも……カノジョは下着姿だ。ここは一声かけるだけとする。
「見える?」
「微かには……。獣でないのは確かなんですが……」
獣ではないとなると、何が考えられるだろう。
虫───いや、草を掻き分けて進む音を出すくらいの巨大な虫など居てたまるものか。
そう思案している内にも段々と件の音は大きくなっていく。
「メディ、上流側へ行こう。衣服を取って、早急に此処から離れた方がいい」
「……いえ、あれは───」
メディが驚くようにそう言うと、とうとう音の正体が草の中を飛び出してきた。
「────!」
「んなっ……?!」
「まさか……」
何を話していたのかは分からなかったが、飛び出してきた『ソレ』は確かに言語を発しながら飛び出してきた。
そしてソレは僕らに襲いかかる事はまず無く、僕らはソレと暫くの間見つめ合った。
「ひ……人っ!?」
「の、ようです」
「────!?」
僕とその人間の驚く声に虫達は合唱を中断し、川のせせらぎだけがこの場を支配したのだった。




