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『――拝啓、貴国国王陛下。


先の大戦において、陛下の御命をこの手で救ったこと、ご記憶であろうか。


その折、陛下は仰せになった。

「娘を娶らせよう」と。


しかるに、エレオノーラ王女殿下は隣国の王子と婚約されたと聞く。

貴国と我が国の盟約は、かくも軽きものであったか。


よって要求する。

エレオノーラ王女殿下を、我が妻として差し出されたし。


さもなくば――』




「――さもなくば、貴国との同盟は破棄するものとお考えいただきたい」


読み上げた声がわずかに震えた。

 


「父上、これは――」


「今朝早馬で届けられた」


「娘を娶らせる約束、とはどういうことでしょうか?」


玉座に座る痩せた男をじっと見据える。

かつては凛とした逞しい王であったが、今は王冠の重さにさえ耐えきれぬ風情だ。


「言っておらなんだが、本陣に攻め込まれたことがあってな。その折にレーヴェンハルト将軍の軍に助けられた」


「それでわたくしを娶らせると約束されたのですか?」


「いや、エレオノーラとは言っていない。娘が二人おるからどちらかを、と」


「約束したのですね?」


「だが将軍はまるで乗り気ではなかった。だからこちらもすっかり忘れておったのだ」



ルートヴィヒ・フォン・レーヴェンハルト公爵。


エレオノーラもその名前は知っている。


知略に優れた同盟国の将軍。現王の弟。



「レーヴェンハルト将軍がおられなければ、完全な負け戦だったと聞いております」


まっすぐに見上げた先で、王が不快げに顔を顰めた。


「おなごのくせに可愛げのない、口を慎め。そのような調子だから、フリードリヒ王子にも相手にされぬのだ」


エレオノーラの頬が、さっと朱に染まる。

それを小気味良さげに眺め、王は続けた。


「同盟国など属国と変わらぬ。おおかた我が国と隣国の結束が強まるのを恐れてのくだらぬ嫌がらせだろう。そなたには一応知らせたが、案ずることはない」


(嫌がらせ――そうかもしれない。でも、属国とは……)



「……よく言えたものだ」


思わず声が落ちた。



「エレオノーラよ、何か申したか?」


「いえ、賢明なご判断。しかと胸に刻みました」




 雲ひとつない青空の下、正午の鐘が鳴る。

城門前の大通りでは両国の国旗を手に、大勢の人々がひしめき合っていた。


和平条約締結の報は、すでに民の耳にも届いている。

昨日までの敵を迎える不満より、長く苦しかった日々の終わりが人々を沸き立たせていた。

 

だが、条約の内容までは知られていない。


明日、条約批准書の交換を以て公表されるのだ。


(その時、民はどう思うだろう? 父や夫、息子が死んだその代償を――)


 

「遅いな」


王が玉座の前で、短く呟いた。


指先がわずかに苛立っている。


「予定通りです。使節団は正午の鐘に合わせて市街地に入ったと伝令が来たばかりではありませんか」


答えながら視線を城門へと向けた。


頭の中でもう一度手順を確認する。

 

 旗の配置、騎士団の隊列、楽団の位置。

 出迎えの言葉も、順序も、問題ない。



やがて、遠くから喇叭(ラッパ)の音が響いた。


「出迎えます」


エレオノーラは階下へと向かった。

 


城門が開かれる。


宰相率いる随行の一団が、先陣を切って騎馬で入城した。


楽隊が荘厳なメロディを奏でる中、騎士団が整列し、剣を高く掲げる。

 

使節団の先頭で、大きな旗が風を孕んだ。


赤地に金糸の鷹――隣国王家の紋章が、はっきりと目に映る。


続いて豪奢な馬車が城門をくぐると、エレオノーラたちの前でピタリと止まった。


若い侍従が軽やかに馬車を降り、扉を大きく開く。



「エレオノーラ姫。お久しぶりです」



やわらかな金色の巻毛に縁取られた端正な顔が、完璧な笑顔を浮かべている。



「フリードリヒ王子、お久しぶりでございます。遠路、ようこそお越しくださいました」


両手を腹部の前で重ね、わずかに上半身を傾ける。

きっちりと結い上げた髪の上で、長い薄衣のヴェールが微かに動いた。

 

何が気に入らないのか。

フリードリヒのエメラルドの瞳が皮肉げに細められる様子に、エレオノーラの胸がざわり、と音を立てた。


「っ……お会いできる日を、指折り数えておりました」


片頬を引き攣らせながら慌てて付け加えるエレオノーラに、

 

「私も一日千秋の思いでしたよ、愛しの婚約者殿」


フリードリヒが腰を屈め、頬に軽く口付けた。

離れる瞬間、耳元で彼の声が囁く。


「演技をするなら、もっと態度で示してみせたらどうです、お姫様?」


差し出された手に掌を重ね、エレオノーラはそっと俯いた。


(茶番だ)


フリードリヒを仰ぎ見る。


「お言葉、嬉しく存じます。わたくしも同じ思いですわ」

 

その頬が淡く染まった訳は、エレオノーラと――そしておそらく、フリードリヒだけが知っている。


すぐに表情を消したエレオノーラを見て、フリードリヒが小さく笑った。

 

 

それが合図であるかのように、宰相が静かに進み出る。

 

「それでは、謁見の間にご案内致します」



中庭から薄暗い城内へ。

迷路のような石造りの廊下と狭い階段を進むと、謁見の間へとたどり着く。

 

目の前の巨大な扉を、大の男が4人ががりで開いた。


部屋には冷たい石の床が広がり、四方の壁には大きなタペストリーが飾られている。

 

一段高い位置に据えられた玉座の傍らには、淡い金髪をハーフアップにまとめ、鴇色(ときいろ)の軽やかなドレスを纏うアンナマリーがいた。



(......なぜここに)


一瞬目を疑った。


公式の謁見に第二王女が出るなど、聞いたことがない。

 

誇らしげにアンナマリーと視線を交わす王には、そんな常識さえ、もう通用しないのだろう。



(いつものことね)


エレオノーラは表情を変えず、使節団を案内した。



玉座の前で王子が一歩進み、優雅に一礼する。


朗々と長い称号と家名を名乗った後、


「本日は、和平条約批准のため参上いたしました」


ひときわ高く告げられた言葉に、居並ぶ重鎮たちが居住まいを正した。


王が形式的な言葉を返す。


「長旅、ご苦労であった。今宵はゆるりと休まれよ」



王の言葉に礼を返すため、王子は一瞬顔を上げ――固まった。


他国の王子と言えど、王の顔を正面から見据えるなど、非礼である。


如才ないフリードリヒとは思えない。


エレオノーラはそっと、王子の横顔を盗み見た。



(……え?)



フリードリヒの皮肉めいたナルシストの面影は鳴りをひそめ、ただ何かを一心に見つめている。



視線の先には――



(……アンナマリー)


心臓が嫌な音を立てた。


王子の熱心な視線に気づいたのか、アンナマリーは頬を染め、曖昧な微笑を浮かべている。



エレオノーラは静かに目を伏せた。


(ああ……そうか)


無力感と共に、どこかで納得する自分がいる。


それなら――もう無駄な努力は必要ないのかもしれない。



***

 


その夜。

誰も近づかぬ森の奥、蔦に覆われた古い離宮にて。


一頭の獣が、薔薇の咲き乱れる庭園を歩いていた。


(同盟国だと?――卑小な王め)


「誰もが忌避するこの姿より、貴様らの心根の方が、はるかに卑しく(おぞま)しい」


獣は流麗な言葉を紡いだ。


しかし。


辺りに響いたのは獣の唸り声だけ――。


獣はそれに気づかない。


月だけが、静かに見ていた。

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