魔界教皇
ノエルは咽び泣いた。
大釜の紫の光が、二人を照らしている。
平和を望んだ代償だった。 純粋な思いが呼んだ不幸だった。
私という、共に歩いた嘘つき人間が、アイデンティティを失う。
恐怖、悲しみ、損失。
それを涙という形でしか表現しえない。
それがこの兎人族の少女の限界だったのだろう。
「響子さん! それ使ったら、響子さんじゃなくなっちゃいますよ!!」
私の顔が熱くなった。
目を通るように赤い線が浮き出て、私の身体の特徴の一部として確定した。
「我は既に響子ではない。我は魔界教皇、ゲダツ・ササーガである」
「そんな、もう……」
ノエルががくりとヒザを曲げ、私の白衣にすがりついた。
大釜の光が沈んでいく。
私の研究室は薄暗く、寂しい廃墟の様相を取り戻していった。
「案ずるな、我は自我を失ってはいない。ただ、人間じゃなくなっただけだ」
ノエルは涙でクシャクシャになった顔をあげた。
「どういう、事です?」
「デッキーの目的は、暴力と人間以外の殲滅だ。それが人間の平和だと確信している」
「はい、だから響子さんが人間じゃなくなったら、殺されるんじゃ……」
私はしゃがんで、ノエルに目線を合わせた。
「私が人間のままなら、確かに助かるだろう。だがこの勝負はノエル、既にお前の命が賭られている」
「はい、でも私が生み出したんだし、響子さんに助かって欲しくて……」
「安全圏からふんぞり返って見てろと言うのか? それはギャンブルでは無いだろう。私は土俵に立った。それだけの事だ」
ノエルの涙が、止まった。
「響子さん……」
「響子ではない、私は既に教皇、ゲダツ・ササーガが確定した」
私はノエルの肩を持ち、一緒に立ち上がった。
「魔界を統治しようというのに、魔物が絶滅させられたら、支配する相手がいないではないか」
「それって……」
「私は魔界をまとめ上げて、デッキーを止める。これがきっと、最後の命がけのギャンブルになるだろう。ササーガ魔軍対デッキー、魔界全土を巻き込む総力戦を行う。お前はこの賭け、乗るか、降りるのか?」
ノエルの身体と瞳が、プルプルと震えだした。
私はノエルのこの反応を知っている。
恐怖からの震えではない。表の生か、裏の死か。
投げられたコインの結果に、興奮している時の震えだ。
私はそれを見て肩を離し、笑って声をかけた。
「ククク、聞くまでも無かったな。このマゾヒストが」
「滾りますねーっ! ギャンブルのお時間ですね!!」
そこに灰になって吹き飛ばされたジェンヌが復活して戻ってきた。
「あーあー!! 私はねぇ、おかしいと思ったんですよ!!」
拳を握り力を込めている。
「あんなビキニアーマー未満の格好で出てきて、味方のワケないってね! 分かってたんですよ!!」
……何度死んでも変わらんな、コイツは。
私が反応しないでいると、ノエルが私を見上げて聞いた。
「そういえば教皇様ぁ、その顔の模様、本物の魔神になったって事なんですよね?」
私は熱を帯びる顔の線をなぞった。
「そうだな、種族として魔神になった」
「じゃあ、すごい能力とか手に入れたんですか!? デッキーに対抗できるような!!」
私は自分の手の平を見つめた。
「ノエルよ、魔神とは一体どういう種族だ?」
「え? 分からないですけど、魔界の全魔力を生み出したほどの、強大な種族なんじゃ!?」
「ちがうな、魔神とは、アトラの生成時に作られた造語。アトラが神として崇める者。それだけだ」
「じゃあ、神のような創造能力があるとかですか……!?」
「それも違う。魔神とは称号だ。私の身体はな、何の強化も受けていないのだ」
私は拳を握り、ノエルを見つめた。
ノエルはアゴに指を当てて首をかしげる。
「え、じゃあ、顔に線入っただけじゃないですか!?」
「その通りだ。私は弱いまま。だから副作用がこの顔の線だけで済んでいる」
そこにジェンヌが口を挟んだ。
「おお、もしかしてそれは、脱色の生成が出来るということか!? 私もこの青い肌を肌色に戻し、絶世の美貌を手に入れなくては……!!」
「それも違う。私が名前に入れた『ゲダツ』とは『解脱』、欲望の輪廻から己を開放するという意味を持つ言葉だ」
私は窓の外の荒廃した街に目を細めた。
「私は魔界の統治を行う。この魔界の為にな。その為に欲望を捨てる覚悟を持った。持つべきだと、思った」
大釜を見つめた。
「大きな欲望を叶えようとすると、付随して大きな災厄がついて来る。大釜は恐らく、そういう装置だ」
ジェンヌが自身のビキニアーマーをガシャリと叩いた。
「なるほど、だからこそ、ビキニアーマーを着せる為に使う。それが一番平和的な利用方法だと言うことかも知れないな!?」
……結論、そうだったのかもしれない。
自分のビキニアーマーを見て歯を噛んだが、何も言い返せなかった。
「一旦、城に戻ろうか。ノエル、私にはゾンビは倒せん。荒廃都市の入り口まで距離はあるが、お前だけが頼りだ」
ノエルはウサギのメイスを拾い上げて構えた。
「任せてくださいっ!!」
一階まで降りると、アトラが研究棟の入り口にうずくまっていた。
魚の部分はバックリと切られ、トウジの部分はぐったりとしていて意識が無い。
しかし、女性部分が肩を揺らした。
「響子……教皇様、人間の……漣ササーガ」
「アトラ、生きているのか!」
私は駆け寄った。
それに反応するように、女性部分は私に対してヨダレを垂らし始めた。
「食らう、く、人間……」
私はその求めるような手を、そっと握った。
「アトラよ、我は真なる魔神となった。既に人間ではない」
アトラはその手を千切れんばかりの握力で握り返してきたが、すぐにフッと緩めた。
「まじ、マジン様、は……神」
「そうだ、我こそがお前の神だ。しかし、まだ死ぬなよ、お前には合わせたい者がいる」
アトラはそれを聞いて微笑み、気を失った。
街中からゾンビが湧きだしてきている。
「まずいな、戻ろうと思ったがアトラを助けなくては……」
「私が戦いますよ!!」
ノエルは私の前に出て杖を構えた。
「それでは城に帰れない。消耗戦になったら、ゾンビ相手に勝ち目はない」
すると、私の横をジェンヌが駆け出し、トウジの部分に手を置いた。
「ゾンビ共よ!! ここにビキニアーマーを着れない者がいる! しかも私を殴った者だ!! やっておしまい!!」
ノエルがジェンヌに対して怒鳴り上げた。
「な、裏切る気か、お前……!!」
「私は最初から、ビキニアーマーを着る者の味方だ! 男と下半身の無いものに興味はない!!」
ゾンビ達はジェンヌの号令と共に、強烈な走りを見せた。
「速いですよ、ゾンビを操れるんですよコイツ……!!」
ノエルが素早くジャンプして、アトラの前に踊り出た。
「フハハハ、バニーちゃん、無駄ですよ! ゾンビは無限湧き、終わりなき攻撃の波ですからねー!!」
そう言ってジェンヌはアトラから一気に離れて逃げ出した。
その瞬間、ゾンビは全員ジェンヌへと向かって方向転換。
突進して、押し倒し、叩きつけるように殴り始めた。
「うぉお、うらみ、うらみ!」「ぐぉお、きさま、きさま!」
次々と飛び掛かり、ジェンヌの上で山積みになるゾンビたち。
その山の中でジェンヌは叫んでいた。
「うぎゃぁああ!! こいつら、やはり私を殺す気か……!!」
ゾンビは一人もノエルに向かわない。
ノエルは杖を構えたまま、唖然としていた。
「なんか、めっちゃ恨まれてないです?」
そして山積みのゾンビの下から液体が零れ出てくると、その液体の先でジェンヌの蘇生が始まった。
「ササーガさん、ちょっと助けてくれませんか、このパターン入ると一年くらい抜けれないんですよね」
山になったゾンビはジェンヌの蘇生位置に崩れ落ち、再び殴り始めた。
「ぎゃあああ! 食うな! 食うな、貴様ら―!!」
「ばかが、くうか」「けがら、わしい」「うらみ、つらみ」
ゾンビたちはジェンヌ以外に興味を示さなかった。
私はノエルの元へと駆け寄り、蘇生しだすジェンヌに告げた。
「無理だな、今は魔力が足りない。応援を連れて来よう」
蘇生途中のジェンヌは苦しい声を出した。
「早めに、お願いしますよ、ビキニアーマーに、してあげた借り、しっかり、返してくださいね」
……その借りを押し付けるなら、マイナスポイントだから助けないが。
再び殺されるジェンヌを横目に、私はアトラにそっと耳打ちをした。
「すまない、すぐに助けを呼んでくる。持ちこたえてくれ……」
ノエルも無言で頷いた。
私とノエルは都市の出口へと向かって駆けだした。
私たちは、十区の魔軍本部、神輿城へと帰還した。
城に帰ってすぐ、コボルトの長のマツリから、魔力塵の噴火が起きたという報告を受けた。
それに関してはダムを作り、魔力塵の溜め池を作れと言う指示で即座に対処した。
私はケイルに救出部隊の編成を要請。
ケイルはバビットの管理職と共に、即座に部隊編成に向かった。
その間、私は個人的にシェリーの元へと向かい、アトラがトウジの転生であると教えた。
アトラを助けに行くのに協力してくれと要請すると、泣きながら即時快諾。
救出部隊とシェリーと共にアトラを無事に回収し、アトラは治療へと向かった。
シェリーは自分とトウジの関係を覚えていなかった。
しかし、アトラの治療について行き、トウジ部分をしきりに励ましていた。
アトラ回収時に同時に大釜を回収した。
神輿城のディグラスの小屋の奥、アトラの巣の最深部に設置。
装置の全ての真相を知るのは、私とノエルだけ。
ディグラスは神輿城の小屋を常に脱出しようと暴れていたが、私が魔神になった事で眠るように停止した。
それが皮肉にも魔界に人間が本当に一人もいないと言う証明になった。
ただし生物が近寄った場合、即座に捕食し、また眠りにつく。
大釜の番人としてはこの上ない存在となるだろう。
ジェンヌは連れ帰り、城の中を好きに歩かせている。
頻繁に女性魔物にセクハラしては殺され、復活を繰り返している。
ビキニアーマー帝国を作るには、ビキニアーマー法を作る時間が必要と説明してある。(作らないけど)
ナガンには邪眼族との戦闘の事を伝えた。
同胞を殺した。と伝えたが、挑んできて殺されたならば、それは戦士の掟だと無干渉だった。
DE-K11の存在は伝えていない。
DE-K11(デッキー)は邪眼族を追って行ったが、その後の消息は掴めていない。
邪眼族の集落について調査の者を派遣している。
恐らくは邪眼族が真っ先に襲われるだろう。
深夜——
畳の特別会議室で、ジェイレルに出来事を全て報告をした。
ジェイレルは、ちゃぶ台に肘をつき、アゴをいじりながら腕を組んだ。
「ん-、それ、邪眼族、滅ぶんじゃないですかね?」
「私もそう思っている。むしろ魔界の存続が危うい。龍神族の協力を得て、抑える事は出来ないだろうか」
ノエルがちゃぶ台に手をついて口を挟む。
「えっ!? 神龍族と組むんですか? やっつけるんじゃなくて!?」
私はビキニアーマーに白衣で正座していた。
「私のプランでは、邪眼族に五区から十区の戦力を加算し、龍神族に挑む予定だった」
ちゃぶ台の上の魔界の地図の、荒廃都市から邪眼族の逃走ルートをなぞった。
「しかし今のデッキーが狙うのは三つ目の邪眼族だ。今から交渉しても遅い可能性が高い」
私はジェイレルを見つめた。
「神龍族と話がしたい。出来れば一人、友好的なやつだ」
「うーん、みんな傲慢で自分勝手すけどねえ、ナコ・アドラなら、少しは会話できるかも知れないですけど」
「ナコ・アドラ、どんな奴だ?」
「龍神族は基本、やれ、死ね。しか言わないんですけどね。ナコは会話してくれるって感じかな」
ジェイレルは両頬に手を置いた。
「ただ『可愛い』って思われたら終わり。遊びに連れ去られ、帰れません」
……想像以上にやべぇな龍神族。マジでなんでジェイレル出入りしてて無事なんだ。
「分かった、じゃあナコで良い、引き合わせ出来るか?」
「面白い子いるけど、見てみる? って紹介しか出来ないけど、良い?」
「それで構わん」
抑揚なく告げる私を心配するように、ノエルが覗き込んだ。
「本当に、それで行くんですか?」
私は魔界の地図を前に包むように腕を広げた。
「当然だ、我は魔界教皇・ゲダツ・ササーガ」
DE-K11を止める作戦。
この作戦でどれだけの魔物が犠牲になるだろうか。
魔界の平和、誰が望んでいるのだろうか。
だが守る欲も、生き延びる欲も、全ては大釜に捧げた。
ただ成すべき事を成すために、私は動き出す。
私は、この身に邪悪を宿す。
「我は魔神。この世界の全てを騙し切り、詐欺で魔界を支配する」
なんの効果も無い、顔に入った赤い紋章が、私の笑みにぐにゃりと歪んだ。




