或る旗本の休日
晩夏の日差しが小栗家の武家屋敷に差し込む。
奉公を始めたばかりの下女・おかちは、台所の前で小さな身を一層縮こませながら箒を握っていた。戸の向こうから爆ぜるような音がする度に手に力が籠もる。
おかちは深く息を吸い込み、扉を開け放った。
「何奴ですかっ!」
そこではあばた面の男がそれぞれ串に刺した二尾の鮎を焼いていた。男はおかちを見て寸の間目を丸くしたが、すぐに柔和な笑みを浮かべた。
「おかちじゃないか、剣呑な顔をしてどうしたんだ?」
男は当屋敷の主、小栗忠順であった。
「つ、付け火かと思いまして」
おかちは顔を赤らめると箒を後ろ手に持った。
「それはすまなかった。ちょいと腹が減ってな」
「お殿様自らなさらずとも」
「手前で焼くのも良いものさ。ほら、良い具合だ」
小栗はまだらに焦げ目がついた鮎を火から上げた。
「器をお出しします」
「いや、結構」
小栗は鮎の串をおかちに手渡すと、おかちと目線を合わせるように屈んだ。
「こうして食うのが一等旨い」
小栗は串の両端を摘むように持ち、鮎の胃の腑のあたりを齧って見せた。見様見真似で鮎を齧るおかちであったが、
「熱ゅっ」
と口から湯気を逃がす。
小栗は堪えきれぬ様子でカラカラと笑った。