沙羅と昼とお弁当
夜、自宅に戻った霧は、玄関で靴を脱ぐや否やそのままリビングのソファに倒れ込んだ。全身から疲労感を漂わせ、目を閉じたまま呟く。
「あー疲れた…」
キッチンで包丁を動かしていた姉・かすみが、その言葉に反応してクスリと笑う。手を止めてエプロンを外しながら、霧の方に歩み寄る。
「また何かやらかしたんでしょ?」
かすみはソファに寝転ぶ霧を見下ろし、腕を組んでニヤリと笑った。霧は目を閉じたまま片手を軽く挙げて応じる。
「やらかしてないよ。ただ生きているだけで疲れる学園なんだよ、あそこは」
かすみはキッチンからマグカップを持ってきて、霧の横に腰を下ろした。
「疲れるのはあんたが妙な目標持っているせいでしょ。もう諦めたら?」
「諦める?姉貴、それ本気で言ってるのか?俺の人生の最大目標だぞ。それを簡単に諦めろなんて、冷たすぎない?」
「いやいや、そもそもその『目標』が間違ってるって話よ」
かすみはマグカップを手に溜息をついた。
「ヒモになるって何よ。そんな不毛な夢を掲げてるの、あんたくらいだよ」
霧はむっくりと起き上がり、拳を握って熱く語り始めた。
「違うんだよ、姉ちゃん。ヒモになるってのは、ただ楽したいってだけじゃない。信頼関係を築き、相手に安心感を与え、必要不可欠な存在になる――これは立派な社会スキルなんだ!」
かすみはその言葉に思わず吹き出しそうになりながら、マグカップをテーブルに置いた。
「それただの詭弁でしょ。で、今日はその『スキル』を磨くためにどんな努力をしたわけ?」
「いや~、今日はね……金持ちのお嬢様と花壇の手入れを一緒にしたんだよ!相手の話を引き出して、自然と好感度を稼ぐという完璧な流れ。俺、けっこう頑張ったと思うんだけど?」
霧は得意げに胸を張った。
「それってさ、相手からしたらただの雑用要員じゃない?」
かすみは半笑いで言い放つ。霧は一瞬言葉に詰まるが、すぐに肩をすくめて返す。
「雑用でもなんでも、接点を作るのが大事なんだよ。最初の一歩を侮ると、大きな夢も叶わないってわけさ」
かすみは呆れたように頭を振りながらも、どこか楽しそうな笑顔を浮かべていた。
「あんたがそこまで言うなら、まぁ見守るくらいはするけど。でも、ちゃんと現実も見なさいよ?」
「了解、姉貴!」
霧はふざけた敬礼をしてから、机に向かい教科書を開いた。
「まずは成績落とさないようにしないとな。この学園で生き残るには、勉強もちゃんとしなきゃいけないし」
かすみはそんな霧の背中を見つめながら、心の中で苦笑いを浮かべた。
(本当にバカみたいな夢だけど……なんだかんだで努力してるし、いっか)
霧はノートを開きながら、心の中で拳を握る。
(ヒモになる道はまだ遠いけど、絶対叶えてみせる……!)
昼休み、霧は教室で友人たちと騒がしく話をしていたが、ふと視線の端に映った沙羅の姿に気づいた。いつも瑠璃と一緒にいる彼女が、今日は一人でお弁当を手に席を立っている。
(あれ、白鷺一人?珍しいな……)
なんとなく目で追ってしまう。沙羅はそのまま教室の外に出ていくが、その表情はどこか落ち着いた様子だった。
「なあ、桐崎。購買行かね?」
友人の声が耳に飛び込むが、霧は軽く手を振って断った。
「悪い、今日は腹痛いからパス。先行ってくれ」
友人たちが出て行った後、霧は少し考えた末、自分の弁当を持って席を立った。
(今のタイミングしかないよな。せっかく白鷺が一人なら、話しかけやすいし。)