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白鷺沙羅と鳳条瑠璃 2

 翌日、霧は廊下を歩きながら、昨日のムカつく出来事を記憶の片隅に追いやるように目の前の目標に意識を集中させていた。目標――白鷺沙羅。その名前を思い出すだけで、霧の心にはささやかな期待が膨らむ。


(昨日の感じだと、あの子は俺にまだ好意的だ。ここで一歩踏み込んで距離を縮めれば――楽しい学園生活の扉が開くってわけだ。)

 花壇のそばで黙々と作業をしている沙羅を見つけ、霧は自然体を装って近づいていった。


「おーまたやってるんだな。そんなに毎日やるものなのか?」

 声をかけると、沙羅が顔を上げ、柔らかな笑顔を見せた。

「あ、桐崎君!ほんとに来てくれたんだ」

「昨日言ったろ?手伝えることがあったらやるってさ」

「ふふ、でも本当に来るとは思わなかったよ」

 沙羅はスコップを手に持ちながら軽く首をかしげる。霧は、手をポケットに突っ込んだまま肩をすくめた。

「だって約束したし。そういうの守るタイプだからさ」

「へぇ~、意外だね。桐崎君って、もっと適当な人かと思ってた」

「それどういう意味?」

 沙羅がくすっと笑い、スコップを差し出してきた。

「じゃあ、試しにこれ使って花植えてみてよ。意外と難しいからね」

「いいよ、どんとこい」

 そう言いながら、霧は意気込んで土を掘り始めた。だが、思った以上に深く掘りすぎてしまったらしく、やや不恰好な穴ができあがる。


「えっと、これくらいでいいのか?」

 沙羅が覗き込んで、一瞬真顔になった後、吹き出した。

「ちょっと!そこまで掘る必要ないよ!何を植えるつもりなの?」

「いや、根っこが広がるようにと思って……いや、これ完全にやりすぎたな」

 霧が慌てて手直しし始めると、沙羅はお腹を抱えて笑った。

 そのまま二人は、ああでもないこうでもないと花壇を手入れしながら、話を弾ませた。沙羅は霧の話を楽しそうに聞き、さらに質問を重ねてくる。


「そういえば、桐崎君って普段どんなことしてるの?」

「んー、普通に寝て食べて遊んでるだけだけど」

「それ、ただの生活じゃん!」

 沙羅はまた笑い、霧もなんだかんだで心地よい時間を過ごしていた。内心でニヤリとしながらスコップを置いた瞬間、霧はふと背筋がゾワリとする感覚を覚えた。どこからか冷たい視線を感じる。


 遠くからじっと二人を見つめる影。それは昨日廊下でぶつかった鳳条瑠璃だった。彼女は何かを見定めるように鋭い目を細めている。


(なんだあいつ……なんかこっちを見ている気がするけど、気のせいだよな?)



 沙羅との花壇作業を終えた霧は、妙な充実感を胸に抱えながら歩いていた。沙羅の笑顔、気取らない会話、そして確実に縮まった距離感――すべてが霧の計画通りだ。


(これだよ、この調子でいけば順調そのものだな。もう少ししたら――)


 しかし、その幸福感は次の瞬間、冷たい声によって打ち砕かれた。


「沙羅、関わる人は選んだ方がいいわよ」


 霧は足を止めた。目の前に立っていたのは鳳条瑠璃。彼女は沙羅に向かって微動だにしない視線を向けている。だが、その言葉の矛先が明らかに自分を指していることに気づいた霧は、内心で怒りの声を上げた。


(いきなり何なんだよ、この女……!しかも本人の目の前で言うことか?)


「えっと、それって俺のことかな?まあ、確かに俺みたいな一般人はこの学園じゃ珍しいかもしれないけどさ。

 霧は冷静さを保ちつつ、軽く笑ってみせた。ここで感情的になったら負けだ。自分が目指すのは平和で楽しい学園生活。無駄に敵を作るのは効率が悪い。


 瑠璃は霧をじっと見下ろしながら、冷たく言い放つ。

「一般人の自覚があるなら、なおさら沙羅と関わらないでほしいわ。あなたがどれだけ普通の人間でも、彼女にとってプラスになるとは思えないもの」

 霧の口元が引きつりそうになるのを、咄嗟に深呼吸で抑えた。内心ではムカつきが爆発しそうだが、表面上は飄々とした態度を崩さない。


 瑠璃の辛辣な言葉に、沙羅が慌てて割って入ろうとする。

「瑠璃ちゃん、そんな言い方は酷いよ!桐崎君だって悪い人じゃないよ」

「白鷺、いいんだよ。俺、こういうの慣れてるからさ」

 霧はにっこりと笑いながら手をひらひらと振る。その余裕のある態度に、瑠璃の目がさらに冷たく鋭くなった。


「慣れてる、ですって?」

 瑠璃が眉をひそめる。

「うん。だって、俺みたいな金持ちでも何でもない“普通の人間”が、こういう学園にいるだけで目立つのは仕方ないだろ?」

 霧はあくまで柔らかい口調で、だが確実に瑠璃の刺すような言葉をかわす。


「けどさ、鳳条さん」

 霧は少しだけ真顔になり、瑠璃を真っ直ぐに見た。

「それだけで関わる価値がないって決めつけるのはどうなんだろうね?」

 瑠璃は霧の言葉に一瞬だけ目を細める。その視線には冷たさがあるが、どこか霧の言葉にひっかかるものを感じているようにも見えた。しかし、彼女の態度が揺らぐことはなかった。


「関わる価値がないかどうかなんて、沙羅には判断できないわ。彼女は優しすぎるから、誰にでも同じように接してしまう。だからこそ、私が言わなきゃいけないのよ」

 瑠璃の声は相変わらず冷徹で、まるで一分の隙も許さない裁判官のようだった。


 霧はそんな態度に呆れつつも、あくまで飄々とした表情を崩さない。こういう相手には感情でぶつかるのは無駄だ。冷静に、軽やかに。

「なるほど。要するに、白鷺が心配だってことだよね」

「瑠璃ちゃん、桐崎君はいい人だよ」

「ほら、瑠璃さん。沙羅さんがそう言ってくれるんだから、俺も少しは信用してもらえると嬉しいんだけど」

 瑠璃はその言葉に微動だにせず、冷たい視線で霧をじっと見据える。


「沙羅がそう思うのは、彼女の優しさよ。でも、私にはあなたがこの学園にふさわしいとは思えない。それだけの話」

 瑠璃の冷徹な一言に、霧は一瞬言葉を詰まらせそうになったが、すぐに軽く肩をすくめて返す。


「ふさわしいかどうかは、これから俺が証明していくしかないね。でもさ、それって俺が白鷺と話しちゃいけない理由にはならないよな?」

 瑠璃の目がさらに鋭くなるが、言い返すことはしない。代わりに、沙羅をちらりと見やり、短くため息をついた。


「沙羅、私は忠告したわ。後悔するようなことがあれば、それはあなた自身の責任よ」

 そう冷たく言い放つと、瑠璃は踵を返して去っていった。霧はその背中を見送りながら、小さく肩をすくめる。


「ったく、すごい迫力だな。あの人、きっと会社の役員とかになったら部下を震え上がらせるタイプだよ」

 霧の冗談めかした言葉に、沙羅が困ったような顔をしながらもクスリと笑う。

「ごめんね、桐崎君。瑠璃ちゃん、少し厳しいところがあるから」

 霧は沙羅の「厳しい」という表現に、軽く首を振った。

「いや、白鷺が謝ることじゃないけど…あれは『少し厳しい』ってレベルじゃないよ」


 沙羅は申し訳なさそうに肩をすくめた。

「あはは、だよね。でも、桐崎君もすごいよね。あんな風に冷たく言われても、全然怒らないんだもん」


 霧は苦笑いを浮かべながら、沙羅を横目で見た。

「いやいや、怒らないっていうより、怒ったら負けるって分かってるだけだよ。ほら、ああいうタイプの人って、一回感情でぶつかると倍返しどころか三倍返しされそうじゃん?」


 沙羅はその言葉に小さく吹き出した。

「確かに、瑠璃ちゃんって論破するの得意だもんね。でも、桐崎君は本当に余裕があるね。私ならあんな風に言われたら泣いちゃうかも」

 霧は肩をすくめて笑った。

「泣くよりも笑って流すくらいが丁度いいんだよ。こっちが平然としてれば、そのうち言われることもなくなるし」


 沙羅は感心したように「なるほどね」と頷きながら霧を見た。

「桐崎君って、そういうところすごいよね。冷静だし、なんか大人っぽいというか……」


「いやいや、ただの生きる知恵だよ」

霧は手をひらひらと振りながら、わざとらしく深刻な顔を作る。

「だってさ、ここで感情的になったら、俺の計画が全部パーになるだろ?」

沙羅は首を傾げた。

「計画?」

「いや、なんでもない。忘れてくれ」霧はすぐに笑いに変えたが、内心では(言い過ぎたか?)と軽く焦った。


しかし、沙羅は追及する様子もなく、ふっと優しい笑顔を見せた。

「でも、桐崎君と話してると楽しいよ。何でもポジティブに考えられるのって、すごくいいなって思う」

 その言葉に霧は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに得意げな笑みを浮かべた。

「それは褒めすぎだよ。俺、単に適当にやってるだけだからさ」

「そんなことないよ。本当にそう思うもん」と沙羅が真っ直ぐに言うものだから、霧は少しばかり照れてしまった。


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