交錯する想い
それから数日が過ぎたが、霧の頭の中は妙にざわついていた。何をしていても、気づけば鳳条瑠璃の顔が浮かんでくる。あの冷たい視線や刺さるような言葉、そして、あの踊り場でふと見せた寂しげな横顔が、まるで頭に刻み込まれたかのように離れない。
(あんなキツい奴、全然好きじゃないのにな……)
机に突っ伏しながら、霧は深い溜息を吐いた。思考の中で否定すればするほど、逆に鳳条の影が濃くなる気がする。
(あの時の話が原因か?あんな重たい話されたからだよな、きっと。それ以外ないもんな)
必死に頭の中から追い出そうとするが、それでもふとした瞬間に鳳条の声が耳元で蘇った。
『私には選択肢がないの』
(……知らねえよ!俺にはどうにもできないんだから!)
霧は思わず頭を抱えた。そもそも、鳳条の家庭のことなんて、彼女自身ですら解決できていないのだ。関係ない自分にどうしろと言うのか。考えたところで無駄だ。そう、無駄なのだ。
「……考えない!」
そう口に出して、力強く宣言してみる。しかし、その直後には、また彼女の顔が浮かんでくるのだから、始末に負えない。
(キツいし、性格悪いし、そもそも嫌いなのに……なんであいつのこと、こんなに気にしてるんだ?俺……本当にどうかしてる)
そうして霧は、再び堂々巡りの思考にハマり込んでいった。
一方、瑠璃もまた、自室の静けさの中で考え込んでいた。机に広げた問題集の内容があまり頭に入ってこない。手元のペンを弄りながら、彼女はふと窓の外に目を向けた。
(……私は、どうしてあんな話を桐崎君なんかにしてしまったんだろう。)
胸の奥がじわじわと疼くような後悔が広がる。彼のあの軽いノリと、どこか人を舐めたような態度が浮かんでは消える。いつもなら腹を立てて突き放すだけで済むのに、なぜか今回は、そうもいかない。
(失敗だ。完全に失敗だった)
瑠璃はペンを机に放り投げ、小さく息を吐き出した。あんな軽口を叩く相手に、自分の事情なんて話すべきじゃなかったのだ。彼の口が軽いとは思っていないが、それでも、心の奥底を知られるのは、どこか落ち着かない。
(……でも)
そう思った瞬間、瑠璃は視線をペンに落としたまま、そっと眉を寄せた。後悔だけで済ませられるなら、こんなに考え込んでいるはずがない。むしろ、あの時、ぽつりと話した瞬間に感じた妙な解放感が頭を離れない。
(少しだけ……楽になった気がする)
それが、彼女自身認めたくない本音だった。誰にも打ち明けないようにしていた、家族からのプレッシャー。それを口にした瞬間、肩の荷が少しだけ軽くなったように感じたのだ。
(だけど……彼に話してよかったなんて思うのは間違いだ)
瑠璃は首を横に振り、そんな思考を打ち消そうとする。桐崎霧なんて、どうでもいい相手だ。あの場限りの気の迷いだと思えばいい。それ以上でも、それ以下でもないはずだ。
(……なのに、どうして私は桐崎君のことを思い出してしまうの?)
瑠璃は自分に問いかけるように目を伏せたが、その答えはまだ見つからなかった。
翌朝、霧が廊下を歩いていると、ふと前方で鳳条瑠璃と目が合った。その瞬間、彼女の表情が一瞬だけ硬くなり、すぐにそっけない態度を装うのが分かった。
「おはよう」と霧は軽く手を挙げて挨拶する。
瑠璃はちらりと霧を一瞥すると、そっけなく「おはよう、桐崎君」と返した。その声と表情はいつもと比べて思いのほか柔らかく、霧は少し驚いた。
「あれ、今日はなんか優しいね」
「……別にそんなことないわ。いつも通りよ」
瑠璃はそう返すと目を逸らして歩き出す。だが、わずかに早足になった瑠璃の姿はどこかぎこちない。
(なんだろう、あの感じ。いつもより刺々しくないっていうか……)
霧は首を傾げつつも、どこか腑に落ちない感覚を抱えたまま歩き出した。けれど、すぐに肩をすくめて思考を打ち切る。所詮は自分の気のせいだろうとあっさり結論付けることで、自分を納得させた。
鳳条瑠璃は廊下の角を曲がった瞬間、ふっと肩の力を抜いた。その顔には柔らかな微笑みが浮かんでいる。彼女自身も気づいていないのか、あるいは気づかないふりをしているのか。その表情は、普段の冷たい仮面とはかけ離れた年相応の少女らしい一瞬の素顔だった。
鳳条瑠璃の冷たい目線や辛辣な言葉が頭をよぎるたび、霧は首を振ってその影を振り払った。あの苦手な女のことで時間を浪費するなんて、まったくもって無意味だ。大事なのは、そんなことではない。そう、自分にはもっと重要な目標がある。
ヒモ計画。これを成功させるためには、まだ諦めきれずにいる白鷺沙羅との関係をどうにか進展させなければならない。霧は胸の奥で新たな決意を固めた。優しくて誰にでも分け隔てなく接する沙羅。彼女にとって、ただの「いい友達」から「特別な存在」へとステップアップする道筋を考えるのが先決だ。
とはいえ、瑠璃の言葉やあのどこか挑発的な態度が完全に霧の頭から消えることはなく、心のどこかでその影がしつこく付きまとっていた。だが霧は、それを深く考えることを意識的に避け、視線を前へ向けた。道はまだ閉ざされてはいないのだと信じながら。
沙羅が優しいのは「誰にでも」であり、それが自分に向けられた特別なものではないことなど、霧はとうの昔に理解していた。
彼女が見せる微笑みも、優しい声も、特別だと思いたかったのに、ふとした瞬間に浮かぶ「あ、俺だけじゃないんだな」という現実に、何度も引き戻される。その度に、胸の奥がじわりと痛むのを感じながら、霧はいつものように笑ってみせるしかなかった。
彼女がクラスメイトと談笑する姿を目にするたび、霧は無意識に目をそらしていた。それが嫉妬だと認めるのは簡単だった。だが、その先にある「じゃあどうすればいい?」という問いの答えが見つからない。見つけられないからこそ、堂々巡りが続く。
霧は深くため息をつきながら頭を掻いた。
(……いや、考えすぎてもしょうがない。俺には俺のやり方があるはずだろ)
そんな風に自分を奮い立たせようとするが、沙羅が隣の席の男子にも同じ微笑みを向けるのを見て、またその勢いがしぼんでいく。
どうすれば沙羅との関係を進展させられるのか――霧は考えすぎて、頭が沸騰寸前だった。問題は、自分がどれだけ努力しても、沙羅にとって自分は「ただの友達」の域を超えられないということだ。そんな現実をどう突破するか分からず、ついには袋小路に迷い込んでしまった。
(こういうときは……姉ちゃんに相談してみるか。またバカにしてくるんだろうけど、背に腹は代えられない)
霧の脳内に浮かんだのは、ガールズバーで働く姉・かすみの顔だった。接客業で培った経験から、自分よりは恋愛に詳しいだろう。
普段は適当に話を流す姉だが、女性の視点で何かしらのヒントをくれるのではないかと淡い期待を抱いていた。かすみの毒舌交じりの軽いアドバイスでも、迷路の出口を少しだけ照らしてくれるかもしれない──そんな気がしていた。




