第7話 消えた帽子を捜したい
その日は風が強く、教室から見える曇天の空は、今にも雨が降りそうな気配を醸し出していた。
といっても既に授業は滞りなく終了し、俺は今日も部活に行く真凛と幸平を見送る。
教室には他にも数名の生徒が残っていた。その中にはウイカもいて、クラスメイトと何やら話している。最近は友達も増えたようで良かった良かった。
「って、また親目線に……。なんで俺があいつの交友関係を心配せにゃならんのだ」
自身のついた嘘にすっかり呑み込まれている。まるで本当の親戚かのように彼女を心配している自分に呆れつつも、結局彼女の様子を見守る。
ウイカが転校してきてから既に一週間以上。
彼女の属する組織とやらは何も言ってこないし、監視に進展があるようには思えない。
こちらとしてもスペルフィールドとかいう謎空間にいきなり迷い込むのは御免なので、原因を突き止めてくれるならむしろ早く教えて欲しいのだが……。
以前忠告してからウイカは魔法を使わないようにしているし、目立った騒動も起きていない。お世話係の俺がいなくてもクラスに馴染めているなら、もう無理に引っ付いていなくても問題ないんじゃないか。
そんなことを考えていたら、ウイカがトコトコ近づいてきた。
「どうした?」
「ユミさんの帽子を見つけたい」
「なんだそれ」
ウイカが指をさす。先ほどまで彼女と一緒に話していたグループだが、よく見ると一人が両手で顔を伏せて肩を揺らしていた。泣いているようだ。
名前はたしか……村瀬さんだったか。下の名前はユミというのか、知らなかった。
しかし、帽子を見つける? 盗まれたのか?
「授業が終わってから、教室に突風が吹いた」
真凛や幸平と話していたのであまり気にしていなかったが、たしかにさっき強い風が流れていった気がする。
しかしそれと帽子に何の関係があるんだろう。
「帰り支度をしていたユミさんの帽子が、風に飛ばされた」
「ああ。なるほど」
うちの高校は、この地球温暖化環境において前時代的考え方を持っている。教室にエアコンはついているが、七月に入るまで運転禁止だというのだ。
そんな理不尽ルールに怒った小柳先生によってどこかから勝手に持ち出されてきた扇風機が、懸命に教室の空気を循環しているが、正直焼け石に水だ。
なので基本的に教室の窓は開いている。多少天気が悪くとも、雨が降らない限りは涼しさを保つために仕方ない処置だった。
そんな窓から、突風が駆け抜けた。村瀬さんの帽子はそこから外に飛び出したのだろう。
事情は見えたが、飛んでいったとなると探すのはかなり難しい。
声をかけてきたということは俺も捜索隊に加わって欲しいということだろう。別に放課後の予定は無いので頭数に入れられるのは構わないが、一人増えたところで難易度は変わらないように思える。
「捜すにしても、なにか策があるのか?」
「ん。……こっち」
ウイカが俺の手を引いて教室を出る。他の人には聞かれたくない提案なのだろうか。
廊下に出ると、人影はすでに少なかった。小声で話す分にはここで充分そうだが、ウイカは少し言いづらそうな様子で視線を泳がせる。
「なんだ?」
「あの……怒らない?」
不安げな表情で俺を上目遣いにみるウイカ。なんで他人の持ち物を捜してあげようという善意を俺が怒るんだ?
疑問符をぶら下げて彼女の次なる言葉を待つ。随分と間を取ってから、ばつが悪そうにしつつようやく口を開いた。
「魔法を使いたい」
言われて合点がいった。
たしかに、学校で魔法を使うなと約束させたのは自分だ。
ウイカは失せ物探しに使える魔法の心当たりがあるが、俺との約束を律儀に守るべきか考えていたのだ。
け、健気なやつ……!
「使えば場所が分かるのか?」
「あまり遠くだと無理。それに、大体の方角が絞れるだけ」
「じゃあ、近くにあって向きが分かったら、村瀬さんたちと協力して付近を捜索することにするか」
「いい?」
「もちろん」
魔法を使わないようにという約束は、彼女にとってそれほど絶対だったのか。念押しして聞かれると、なんだか凄い縛りを科していたようで申し訳なくなる。
人助けになるなら問題ない。方針は決まった。
ウイカは頷くと、早速目を閉じて何かを念じている。本当に道具は必要としないんだな、と今更ながら彼女の魔法を再認識した。
しばしの沈黙。彼女が帽子の位置を捉えるのを待つ。
数秒。静寂が緊張感を高める中、不意にウイカが目を開いてパッと首を動かした。
「見つかったのか?」
「うん。まだ近くにある」
「やったな! じゃあ村瀬さんたちと一緒に捜しに行こう」
〇 〇 〇
村瀬ユミと彼女の友人たち、計四名。それに俺とウイカを合わせて六人で校舎の外に出た。
近くの中庭まで歩いてきたところで、俺が全員に聞こえるようわざとらしく話す。
「帽子を見た人が言ってたのは、この辺?」
目撃者がいたので場所が分かったんだ、という言い分。突然場所が分かる理由なんてそれぐらいしか思い浮かばなかった。
我ながら下手くそな大根芝居だが、ウイカはすぐに意図を察してくれたようで、今も帽子の気配を頭の中で追いながら頷く。
「この辺……だって言ってた」
こちらも、何の抑揚もない棒読み演技だった。だが後ろをついてくる一同が気にする素振りはない。セーフ。
先ほどまで教室にいたのだから、目撃者の情報を握っている時点で色々とおかしいのだが。村瀬さん自身が動揺しているのでそこを突っ込まれることはなかった。
しばらく歩いたところで、村瀬さんは気落ちした表情で話し始める。
「ウイカちゃん、ありがとう。でも、ウイカちゃんも皆も巻き込んじゃって悪いよ。後は私一人で捜すから」
心細さが顔に出ているが、迷惑を掛けたくないという気持ちも分かる。
実際、俺が当人でもそう言うだろう。思わず泣いてしまうぐらい大切な物のようだが、そうは言ってもたかが帽子。捜索に友達を付き合わせるのは気が引ける行為だ。
いつも暇をしている俺は特に何も感じていないし、彼女の友人たちも仲良しグループのようで、誰も嫌な顔一つせず付いてきた。本当に気にしなくていい。
むしろ、ウイカはかなりやる気に満ちている。
「私も捜す。絶対見つける」
表情はいつもどおり殆ど変わらないが、その口調はやけに力強い。
禁止だと言った魔法を駆使してまで見つけてあげようというのだから、これをやる気と言わずして何と言うのか。ウイカがこんなに友達想いだったとは。
村瀬さんはそんなウイカの姿を見ながら、またほろりと涙を流す。かなり涙脆いらしい。
「ありがとう、ウイカちゃん……!」
そういえば、俺はその帽子とやらがどんなものか知らない。
思い出すだけで悲しいかもしれないが、こればかりは村瀬さんに聞いておく必要がある。
「村瀬さん、帽子ってとんなやつ?」
「えっと。つばの広いハット。色はベージュで、黒のリボンがぐるっと巻いてあるの。あとは、白い首紐がついてる」
ふむ。見た目は普通のハットのようだ。
とても大切にしていることが伝わってくるので、彼女にとってどういう代物なのか深く詮索したくなったが、これはただの好奇心だ。今の見た目情報さえあれば見つけるには充分だし、余計な首は突っ込まないでおく。
やる気を出して捜し始めたウイカに倣って、俺も近辺を見回す。
ウイカの魔法があるのだから、位置情報はバッチリだろう。全員で分担して、中庭の大捜索は幕を開けた。