第3話 変わる日常
翌日。
忘れた方がいいと思いつつも、昨日の出来事が頭の中をぐるぐる巡って、俺はロクに寝ることもできないまま登校した。
眠い。そのまま自分の席で伏していると、いつもの面々が声を掛けてくる。
「おはよ、イサト。まーたしょぼくれてるわね」
「寝不足かい? あんまり無茶しちゃ駄目だよ」
二人の声に顔をあげる。真凛はムスッとした顔で俺を見下げており、幸平は言葉どおり俺を心配しているであろう表情をしていた。対照的な反応だ。
「ちょっと、昨日は色々あって……」
「色々って?」
幸平が聞き返してくれたので答えようとしたが、やはり説明できない。
いやあ、昨日巨大な怪物に襲われて、魔法少女に助けられたんだー……なんて言い出したら、流石に頭のおかしいヤツだと思われるだろう。いくら親しくしているといっても、ドン引きされたくはない。
そうでなくても、昨日の出来事はあの魔法少女に口止めされている。再会することもない少女との約束を律儀に守る必要もないだろうが、逆にいえば積極的に約束を破る理由もない。
とりあえず誤魔化しておこう。
「色々は、色々だ」
「何よそれ」
真凛が怪訝そうな顔を向けてくるが、これ以上答えようがないので俺は押し黙る。
沈黙をどう捉えたかは不明だが、真凛と幸平はそこから深掘りせず、後は他愛もない世間話が続いた。言いたくないことは詳しく聞かない、という判断を即座にしてくれるコミュニケーション能力の高さも、この二人が人間関係で上手くやれている証拠なのだろう。
そうして無為な時間を楽しんでいると、やがて予鈴が鳴り響き、それぞれ席に戻っていく。
程なくして、担任の小柳美沙先生が教室に入ってきた。
「うぃーっす。おあよーざーます」
小柳先生はいつも気だるそうな喋り方をする女性の先生だ。覇気のなさというか緩い雰囲気にシンパシーを感じて、嫌いじゃない。
身長は結構高い。長い髪を後ろ手に結んでおり、それがまるで尻尾のように伸びている。タイトなスーツ姿も相まってスラッとしたスタイルはモデルさながらだが、その無気力さから腰が曲がっており、まるでやる気を感じないのが特徴的だ。
いつもならそんな小柳先生が無気力に事務連絡を伝えて、流れるようにホームルームが始まるところだが、この日は普段と違う話題を持ち出してきた。
「今日は、新しいクラスの仲間を紹介しまーす。どぞー」
新しい、仲間?
つまるところ転校生ということだろうか。六月も半ば、期末テストが明ければ夏休みに入るというこの時期に、二学期を待たずして?
不自然なタイミングの転校生にクラス全体がざわざわしていると、扉を開いて一人の少女が入ってきた。
長いブロンドの髪と白い肌。キリッとした目元が特徴的な小さい顔は、無機質だが意志の強そうな表情をしている。身長は小柄で、同じ学校の夏服を着ていてもなお、年下に見間違えそうだ。
――いや、そんな馬鹿な。
「はーい。ウイカさんでーす。挨拶よろしくー」
「ウイカ・ドリン・ヴァリアンテです。父はイギリス人ですが、母は日本人で日本語も話せます。不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」
事前に用意していたと思わしき挨拶を粛々と述べ、ペコリとお辞儀をするウイカさん。どこからともなく拍手が響く。
しかし、こちらは心中穏やかではなかった。
昨日の今日でまさかの再会を果たしたことに気が動転し、俺は無意識のうちに席から立ち上がる。突然の起立に、クラス全員の視線が向いた。
知らない振りをして何事もなく過ごすこともできたはずだが、今の俺はそんな損得を考える余裕はない。思わず彼女に問いかける。
「な、なんで……!?」
同級生から放たれる疑問の目。特に真凛や幸平の訝しげな視線が目に入って、俺はやらかしたことに気がついた。
ウイカさんも、少しだけ表情が動く。昨日口止めされていたのだから、余計なことは言うなという合図かもしれない。
小柳先生は深く考えず、のんびりした口調で伝える。
「なに? 荒城、知り合いー? そりゃいいや。荒城の隣に席つけよーぜ。困ったことがあったら、教えたげてねー」
「え!? あ、いやその……!」
――いや、そんな馬鹿な。
頭の中で同じことを繰り返してしまった。
知り合いと言ったって、俺は彼女のことを何も知らない。なんでこんなことになってしまったのか理解が追いつかない。昨日から、彼女が絡む事案に対してはこの感覚が常にまとわりつく。
しかし、隙を見せたが最後。小柳先生の指名によって、俺はなんとなく転校生のお世話係になってしまったようだ。
一番後列に位置している俺の席。その隣に、新たに運び込まれた机と椅子が自然と配置される。
「よっこらしょ、と。こういう時、なーんで漫画だと転校生の席って最初から余ってんだろーね。そんなわけないっつーの」
「いや知りませんけど! そうじゃなくて!」
「仲良くすんだぞー」
聞く耳持たず。小柳先生はふらーっと力の抜けた足取りで教卓に戻っていく。
謎の美少女転校生ことウイカさんは用意された席に座り、至極当たり前のように挨拶してきた。
「よろしく、荒城くん」
俺はさぞ引きつった笑顔をしていただろう。それでも何とか体裁を整えるべく、クラスの新しい仲間へ朗らかに返事をした。
「よ、よろしく。ウイカさん……」
「? ウイカでいい」
いきなり呼び捨てはハードル高いなあ。
そう思っていたら、俺たちの会話を聞いていた女子が小さく黄色い声をあげた。
傍から見れば、美少女転校生と何故か知り合いの男が、呼び捨てを要求されている状況だ。会話はよく聞こえなくとも、何やら親密な仲に見えていることだろう。
これ、クラス全体に関係を誤解されているに違いない。平穏で平均的な俺の学園生活が脅かされようとしている。
兎にも角にも、こうして俺はもう二度と会わないと思っていた魔法少女――ウイカ・ドリン・ヴァリアンテと再び相まみえてしまった。しかも、学校の同じクラスで。
何故転校してきたのか。何が目的なのか。聞きたいことは山ほどあったが、教室の中では大っぴらに聞ける状況じゃない。
俺は授業が始まるのに合わせて何とか心を落ち着け、冷静に振る舞おうと努力する。
その後、授業中に何度か彼女の質問に答えたりしたものの、あくまで勉強に関する話のみで淡々と時間は過ぎていった。
合間の休み時間に話しかけようと思ったが、物珍しい転校生には人が殺到しており、俺は話しかけるタイミングを逃す。
「前の学校はどんなところだったの?」
「お父さんイギリス人って言ってたけど、英語喋れる?」
「すっごい美人だけど、彼氏とかいるの?」
前はイギリスの学校だった。英語の他にドイツ語や中国語などいくつか話せる。彼氏はよく分からない。
機械的と言ってもいい問答が繰り返されている。
彼氏の話ではクラスメイトから俺に視線が向けられているのを感じたが、無視。
ヤキモキしている間に二限が終わり、三限が終わり、四限が終わったところで、俺はようやく隙を見つけて立ち上がった。
「えっと……ウイカ。お昼、一緒にどうかな」
俺の誘い方のせいか、またしてもクラスの一部から歓声が沸く。違う、というのも面倒に感じて一旦スルー。
ウイカも俺に対して話があったようで、こくりと頷く。
「そう言ってくれると思ってた」
なんだその含みのある言い方は。誤解を煽るな。