第2話 今日のことは口外禁止
ベンチに二人並んで腰掛ける。
住宅街にある小さな公園。夕方頃になれば小学生たちもすっかりいなくなり、都会の中に取り残されたかのような静けさが辺りを包んでいた。
俺は右隣に座る少女、ウイカ・ドリン・ヴァリアンテに目をやる。
改めて見てみると、かなりの美人だ。無表情で何を考えているのか読めないが、それも含めてミステリアスな魅力を醸し出している。モデルやアイドルだと言われても信じてしまうかもしれない。
様子をじっと観察していると、彼女もこちらを覗き返してきた。真剣でまっすぐな視線にたじろぐ。
「あ、あの! 改めて聞くけど、ウイカさんって魔法が使えるの? さっきのあれって、」
緊張を気取られないよう何とか質問を投げかけてみる。
だが、彼女は俺の言葉を遮るように首を左右に振ると、無感情な目つきを少しだけ鋭くした。
「質問するのはこっち。どうやってフィールドに入ったの?」
「フィールド?」
先ほどもそんなことを言っていた気がするが、さっぱり心当たりがない。
今日もいつもどおりの近道を使って、家に向かって進んでいただけだ。
何か一つでも普段と違う行動を起こしただろうか。考えてみるも、思い当たる節はない。
「変なことはなかった、と思うけど」
彼女はしばらくジッとこちらを見ていたが、俺の言葉に嘘はないと判断してくれたのか、静かに説明を始めた。
「さっき獣魔が暴れていたのはスペルフィールド。この世界を模した、全く別の空間」
「……はい?」
獣魔。スペルフィールド。別の空間。
彼女は端的に表現したつもりなんだろうが、あまりに突飛で謎すぎる説明にますます混乱する。
ポカンとする俺の表情を一瞥し、彼女は補足的に言葉を続けた。
「スペルフィールドは、獣魔の棲む世界と私たちの世界の狭間にある。玄関口のような場所」
それだけ言って満足したように、彼女は口を閉じる。
必要な説明は果たしたということだろうか。流石になんにも分からないのだが。
様子を見つつ、今度はこちらから問いかける。
「玄関……ってことは、あの化け物が、あの別の空間から出てくることもあるのか?」
「そう」
そう、と言われてもなあ。
言葉どおり受け取るならば、先ほどまで怪物がいた場所は、現実世界に似ているが別の空間だったらしい。だから俺以外に人がいなかったのだとすれば筋は通る。理解はできないが。
その上で、あの化け物たちは空間を越えて本当に現れるかもしれないという。
獣たちが街を闊歩する様など、恐ろしくて考えたくもない。
そもそもあれは何だ? ネッシーやビッグフットのような未確認生物の類か? でも確か、ネッシーは検証を重ねて作り物だと結論づけられていたような気がする。仮に実在していたとしても、やっぱり現実感がない話だ。
再び彼女が口を開く。
「フィールドに獣魔が現れた段階で、私たちはそれを検知できる。だから、こっちに出てくる前に処理するの」
「私たち……。ウイカさんの他にも戦ってる人がいるの?」
「獣魔討伐部隊“アザラク・ガードナー”」
名前を聞いた時もそう言っていた気がする。
知らないキーワードが出てくるたびに聞き返したくなるが、ウイカさんはまたしても先んじて注釈を入れてくれた。
「アザラク・ガードナーは、獣魔を食い止めるために作られた魔法使いの組織。私は戦闘員の一人」
やっぱり説明は淡々としていて、補足されても内容を咀嚼仕切れない。
いったん整理。
目の前にいる、同い年か年下ぐらいの小柄な少女――ウイカ・ドリン・ヴァリアンテは、魔法使いである。
スペルフィールドという狭間の世界に現れる、獣魔という化け物を討伐する組織“アザラク・ガードナー”に所属している。
ウイカさん以外にも魔法使いは存在し、彼女らは組織の戦闘員。箒で空を飛んだり、炎の魔法で獣魔を焼き尽くしたりできる。
これが、得られた情報を信じた場合に分かる、内容のすべてだ。
……まるで御伽話である。
「夢でも見てんのかな、俺」
冷静に考えるように努めたものの、何一つ理解できない。溜息混じりに肩を落とした。
ガックリしている俺の様子を気にすることもなく、今度は彼女が疑問を口にする。
「あなたのことも教えて」
言われて顔をあげる。と、思ったより近い位置に彼女の姿があった。ただ質問するだけなのにそんなに顔を寄せなくても。
驚いて、俺は体を少し遠ざける。先ほど覗き込まれた時もそうだったが、彼女は話しかける時に接近する癖があるらしい。
「俺のこと――って言われてもなあ。別に、普通の高校生だと思うけど」
出会って数十分ぐらいの見知らぬ人物に自己紹介するのを一瞬躊躇ったが、相手は命を救ってくれた恩人だ。言っていることはよく分からないが、自己紹介ぐらいはしてもいい。
頭を掻きつつ、俺は簡単にプロフィールを説明する。
荒城勇人。一五歳。公立香文高校の普通科一年生。勉強も運動も中間ぐらいの成績で、部活やアルバイトは特にしていない。
クラスで特別目立つわけではないが、友人はそれなりにいる。至って順風満帆。
父はサラリーマンで、母は専業主婦。三歳下の妹がいる。
「そんなところかな。至って普通だよ」
「それが、普通の高校生?」
彼女は小首をかしげて問いかけてくる。
どういう意味だろう。普通の定義を解かれているのだとしたら難しい話だが、我ながら平均的で慎ましい経歴だという自負はある。
「まあ、そうかな。日本で統計を取ったらこんな経歴が真ん中になる気がする。いや統計とか取ったことないけど」
「そう。……普通」
彼女は普通という言葉を噛みしめて、何故かそこで俯いてしまう。
意外な反応に、俺はおかしなことを言ってしまったかと思って焦った。
しかし、彼女はすぐ変化の薄い無機質な顔を上げると、ベンチから立ち上がってこちらに振り返った。
「君のことは分かった。今日はおしまい」
彼女はスカートのお尻側をパタパタはたいて汚れをとる動きをすると、ベンチに置いていた自身の巾着袋をひょいと摘まむ。
どうやら説明と質問は終わりらしい。聞きたいことはまだまだあるのだが、何を聞いても理解できる気がしないので、俺も諦めて立ち上がる。
最後に、と言ってからウイカさんは警告してきた。
「一応言っておくけれど。今言ったこと、見たことは口外禁止。私たちは秘密裏に行動している。あなたはフィールドに入った特例だから説明しただけ」
「こんな話、誰にも言わないよ。言っても信じてもらえないだろうし」
そもそも、他人に今日の出来事を話そうとしたところで、上手く内容をまとめる自信がない。
俺の返事に満足したのか、彼女は頷く。そしてそのままゆっくり歩き出した。
遠ざかるその背中をしばらくボーッと見つめた後、俺も自転車に跨り彼女とは反対方向へ漕ぎ出す。
「うーん、やっぱワケ分かんないな」
魔法少女を名乗る美少女との出逢いと、謎の化け物との戦い。あまりにも現実離れしている。
たしかに俺は、あの場で炎魔法の熱を感じたし、獣魔が踏み込むたびに震える地面の感覚を実感として刻んでいる。だが、それらも含めて悪い夢だったのではないかと思えるほどに、何もかも非現実的だ。
何にせよ、もう彼女と会うこともないだろう。誰に説明するわけでもないのだから、今日の出来事は綺麗さっぱり忘れてしまった方が精神上良いのかもしれない。