プロローグ 当たり前の日々
たとえば。
今の自分は仮初めの姿で、本当は凄い力を隠し持っているとか。
実は特殊な血筋で、ある日それが判明して日常が一変するだとか。
そういう、突然何かが起こる瞬間を、俺は待っているのかもしれない。
「中二病ねー」
俺の席を囲む少女・安原真凛が、呆れたような声で病名を診断した。
端的すぎる結論に抗議しようとすると、彼女の隣で話を聞いていた少年・佐武幸平が先に真凛を窘める。
「こらこら。そんな言い方したらイサトが可哀想だよ」
「そうは言うけど、よくある話じゃん。あれでしょ? 突然学校に押し入ってきた殺人犯相手に、ずぶの素人が大立ち回りする妄想みたいな」
「あのなあ! 俺のはそういう……。いや、おんなじか」
真凛のたとえ話に返す言葉もなく、俺――荒城勇人は机に突っ伏した。
実際、これは思春期特有の煮え切らない感情というだけなのかもしれない。
何者でもない自分を受け入れることができなくて、本当は特別な存在ではないかと考えてしまう。自分だけが悩みや壁にぶち当たって、置いていかれるような感覚になる。
この感情に折り合いをつけながら大人になっていくのだと、分かっている。分かってはいるのだが……。
「なんというか、こうー。……やりたいことが見つからなくて、モヤモヤする感じ?」
「そう言われると分からなくもないけど」
今度は一転して、俺の言葉に同意する真凛。
とはいえ、真凛はやりたいことが出来ている側の人間だ。中学から陸上部を続けていて、今年は高校一年生ながら既に県大会の選手に選ばれている。勉強は並程度だが、別に赤点を取ったりはしない。小学生の頃から付き合いがあるが、なんでも卒なくこなす優等生という印象だ。
それに、噂はかねがね聞いているが、真凛はモテる。男女問わず。ショートカットの男勝りな雰囲気で、社交性があって愛想も良い。
人気者。陽キャ。眩しい。
あと、陸上競技に向かないため本人は嫌がってるが……立派なモノを持っているのも、男子人気が高い理由だろう。
「……イサト、視線」
「あ。すまん、つい」
「つい、じゃないわよ! ここで言い訳しないところはイサトの長所だと思うけど、見てたことをバカ正直に言うかフツー!?」
素直に認めたのだから、もう少し穏便に済ませてほしい。
小学校から男友達のような感覚で接してきた相手だし、今更意識や下心がどうという話もないだろう。もちろん魅力的な女性だというのは否定しないが……。
ムスッとする真凛。横で聞いていた幸平が優しく仲裁する。
「まあまあ。イサトだって悪気があるわけじゃないんだし」
「だから余計駄目なんでしょ! 長い付き合いの女友達を、まじまじと見てさ!」
「それはそうかもしれないけれど」
真凛に押されて、たじたじになる幸平。
幸平も、俺から見れば人生を謳歌している存在の一人だ。元々は気弱な性格だったが、大柄な体格を活かして高校から柔道部に入り、この短い期間で頭角を現し始めている。
とにかく優しい力持ち。嫌いなヤツを探す方が難しい、気の良い男。
あくまで平均的な学力を持つ真凛と違い、幸平は勉強もかなり優秀だ。学業と運動の二物を与えられているとは、神は全然公平じゃない。幸平なのに。
二人とも優秀な人物だ。その上で、嫌味がない。本当に良い友達だ。
「……俺が自分の無力さを自覚するのは、お前たちのせいな気もするぞ」
つい卑屈な比較をしてしまう対象が近くにいることに、俺はぼやいた。
そんな言葉を呆れた顔で聞き流しつつ、真凛が問いかけてくる。
「イサトもなんか部活やれば? バイトとかでもいいけど。やりたいことないの?」
「だから、そのやりたいことが見つからないからモヤモヤしてるんだって」
二人は自分のやりたいことを見つけている。これから大学生や社会人になった時に続けているかは分からないが、少なくとも今の高校生活を充実させることに成功している。
俺は――何がしたいんだろう。
勉強も運動もそこまで得意じゃない。テストの点数はいつも平均点にほど近く、スポーツはできる組とできない組の真ん中ぐらいに位置している。クラスで特に仲がいいのは目の前の二人ぐらい。他のクラスメイトとも別に険悪ではないが、決して人気者ではない。
自分で自分を鑑みて、何の特徴もない存在だと感じる。
「イサトも、何かきっかけがあればどっぷりハマりそうだけどね。案外凝り性だったりするし」
幸平がそう俺を評した。自分が凝り性だとは知らなかったが。
「いっそ、異世界とかに転生して人生やり直した方が楽しく過ごせそうだ」
「バーカ。アニメの見すぎ」
真凛がジトっとした目でこちらを見ている。妄言から抜け出せない俺を小馬鹿にした表情で。
高校生活はまだまだ始まったばかり。本当に焦る時が来たら自ずと道が開けるのかもしれないと、結局結論を先延ばしにしてしまう。
そんな俺の様子を見限って、真凛は自身の鞄を肩に引っかけた。
「あたしはこれから部活だから、もう行くわ」
「あ、じゃあ僕もそろそろ行こうかな。イサト、また明日」
「おう。二人とも頑張れよ」
いつもどおり二人を見送る。放課後の談笑は終わりを告げ、予定のない俺だけが先に帰路へつく。
怠惰で何もない日常。多分これからもそのままの毎日で、なんとなく過ごしていくうちに進路を決めたりして自分を見定めることになるのだろう。他のみんなと同じように、なんとなく。
特別な力になんて目覚めない。平凡で一般的な家庭の血筋だ。
だから、俺の日常は何も変わらない。
――そう、今日までは思っていた。