早くも異世界生活に馴染む
次の日の朝。
慣れないベッドでも熟睡できる特技を持つ私は、布団の中で自然と目を覚まし、グッと伸びをした。
鬱蒼とした森の中だけど朝日が僅かに部屋の小窓から差し込んでくる。
目が覚めたら現実に戻ってないかな? って思ったけど、年期の入った見慣れない板張りの天井が真っ先に視界に入ってすぐに諦めた。
今日も異世界生活続行である。
「おはようございまーす」
寝室を出てダイニングに足を踏み入れると暖炉の前に大きな白い塊があった。
薄いシーツを全身に巻き付けたアドルフである。
「こんな所で寝てたんですか? 体、痛くなっちゃいますよ」
「……誰のせいだと」
まるで私のせいだと言わんばかりにシーツから顔を出して睨んでくる。寝起きの機嫌が悪いタイプなのだなと大人の余裕を持ってニコリと笑顔で受け流したら、苦虫を噛み潰したような顔をされた。
「朝ごはん作りますけど、いかがですか?」
「作れるのか?」
「もちろんです」
自信満々に頷いておく。
普段の朝食は市販の菓子パンやお湯で溶かすスープを飲むくらいだし昼夜もほとんど外食生活だったけど、やれば出来ると自分を信じている。
アドルフは欠伸をしながら起き上がり、首と肩をゴキっと鳴らした。
「材料と道具はここにあるものを自由に使っていい。やってみろ」
指差されたキッチンの横の棚には、野菜や燻製肉などが入っていた。編みカゴの中には茶色の卵のようなものまである。
「この国の主食はなんですか?」
「主食? パンだな」
「パンはどこですか?」
「ない」
ないのかよ。主食がないってどういうことだ。
じゃあ、これはアレだな。とりあえず卵を使ってベーコンエッグ的なやつだな。あと、スープみたいな何か。
材料から作れそうなメニューを思い浮かべて鍋とフライパンを手に取る。
「油はありますか?」
隣に立ったアドルフが棚の小瓶を手に取り、油をフライパンに注いでくれる。よし。
「火はどうやってつけますか?」
アドルフが両手に持った黒い火打石っぽいものを合わせて打ちつけ、小さな竈門のような場所で火を起こした。おお、すごい。
私はフライパンをそこに置く。じっと見る。
油がパチパチしてきた。
「アドルフは卵いくつ食べる?」
「いつもは、ふたつだな」
「じゃあ私もふたつ。だから4つください」
編みカゴからアドルフが卵を四つ取り出して、手際よく片手で割ってフライパンに落としていく。卵の黄身は異世界でも黄色だ。身がふっくらとしていて新鮮そう。
パチパチッと油が跳ねた。あ、ベーコン焼くの忘れた。まあ今日はもういいか。
「なにか味付けをしたいんだけど」
「卵にはコレとコレだな」
「それお願いします」
「おう」
日本で言うところの塩胡椒だろうか。
フリフリと良い塩梅で振りかけられた。意外と器用なアドルフの長く骨張った指は繊細な良い仕事をする。
暫く蓋をして置くといい、とアドルフが言うので言われた通りに蓋をのせてしばし待つ。
「そうだ、待ってる間にお湯を沸かそう!」
時間は有効に使わなくちゃ! と鍋をアドルフに渡すと水を入れて別の窯で湯を沸かし始めてくれた。
「それでスープ作る」
「わかった」
アドルフがザクザクと手際よく野菜を切って、よくわからない調味料と一緒に鍋に放り込むのを温かく見守る。
そうしているうちに卵が良い感じに焼けたので、皿に移した。
「アドルフ、火はこのままでいい?」
「いいわけあるか、消せ……まてまて、水をかけるな!」
水道の蛇口から手で水を掬って掛けようとしただけなのに焦ったように止められた。
アドルフは竈門の灰を火元に掛けたあと、壺のようなものを被せて消していた。なんそれ。
そうこうしてるうちに、スープもぐつぐつと煮えてきた。
おたまでお椀によそうと、食欲をそそる良い香りがフワリと鼻口を掠める。緑と黄色の野菜が目にも色鮮やかだ。
「できた!」
簡単なのにテーブルに並べてみるとそれなりの朝食に見えるから不思議。
アドルフと向かいあって座り、早速いただきますをした。温かいうちに食べないとね!
「さあ、どうぞ! アドルフの口に合うと良いんだけど」
「……よく考えたら作ったのは俺だな」
「勝手がわからなくてちょっと手伝ってもらっただけじゃん」
「お前は火をぼんやり見てただけだろ」
いいえ、皿に出来上がった料理を移しましたけど?
小舅のように文句を言うアドルフを無視して、パクリと目玉焼きを口に入れる。油で揚げ焼きのようにしたから白身の周りがカリカリしてて美味しい。
スープも頂く。シンプルな塩味だけど謎の深みがある! おいしい!
「これでパンがあれば最高なのにー」
「……」
「アドルフはパン焼けないの?」
「……俺に焼けって言ってんのか?」
ギロリと睨まれて肩をすくめる。
「そんなこと言ってないよ。私、作り方知らないから知ってたら教えてほしいって思っただけ」
ネガティブはよくないよ、と言い含めれば、アドルフは何か言いたげにしながらも黙々と朝食を食べ進めた。
仕事に行く、というアドルフを見送って私は家事をすることにする。
まだ靴がないので外には出れない。家の中を綺麗にしよう! と思ったけど、この家、古い割に中は綺麗だ。窓枠に指を滑らせても埃が付かない。こまめに掃除されているのが見受けられます。
家主の性格がとても出ていますね。四角い部屋を丸く掃く私とはとことん合わなそうだけれど、共同生活はお互いの価値観の擦り合わせなのだ。居候としては家主に合わせていかなければならない。
ひとまず雑巾で掃除しながら家の中を隅々まで探検しよう。家を知れば家主が知れるってなもんよ!
ちなみにトイレは水洗で、お風呂も風呂桶はないけどシャワーがあった。これらは日本人としてものすごくホッとしたし、思わずガッツポーズが出たくらいだ。
薄暗い寝室の窓は開けて空気を入れ替える。木々に囲まれているからか風はほとんど入ってこないし、森の奥の方は真っ暗闇で昨日の化け物犬を思い出すと身震いしてしまう。
サクサクっと掃除して早めに閉めよう。
仮の住処、と言っていただけに物の少ない殺風景な部屋だ。机の上には数冊の本が立て掛けてある。
どうやら私はこの世界の文字も読めるようなのでペラペラと捲ってみるけれど、小難しい言葉が羅列していてすぐに表紙を閉じた。読めることと理解することは別なのだ。
机に備え付けの引き出しは鍵がかかっているようで開けられないし、寝室のベッドの下は昨日の夜にチェック済みだが特にお約束のエロ本とかはなかった。ガッカリだ。
早々に面白みのない部屋を出た。
仕方がないので、掃除を切り上げて洗濯をすることにする。シャワーブースで自分の着ていたパジャマとベッドシーツを桶に入れて石鹸らしき物を泡立ててジャブジャブする。これがなかなかに力仕事。こんなところで洗濯機の有り難みを感じるなんて。
パソコンの前に終日座って、動くとしても取引先回りで頭を下げるだけだった私は体力仕事に慣れてないのだ。
「はあ、疲れる……っ。がんばれ、私!」
働かざるもの食うべからず!
汗を拭う顔の横をシャボン玉がふわふわと飛んで、弾けて消えた。