シャバに出る
事前に用意された丈の長いローブのフードを深く被り、鏡の前に立って姿を確認すると性別も年齢も不詳なすごい陰気な魔法使いみたいだった。
アドルフだけが「似合うな」と満足気に頷くけど、女子に対してこれが似合うって相当な悪口だからな?
ジロリと睨んで。でも、怒ったりしない。
何故私がこんな格好をしているかというと、本日とうとう街へ行くことになったからなのだ!
案の定、BL本を買ってこれなかったアドルフは「アレはダメだ! お前にはまだ早い!」と買えなかったことを棚上げして説教してきた。いい大人が逆ギレである。
どうやらこの世界にもBLというジャンルは存在していて、割と多岐にわたるカップリングの書籍が出ていたようだ。
しかもその全てが性描写ありの成人向けで、表紙からしてアドルフが手に取ることさえ躊躇するほどの激しい肌色の絡みが描かれているらしい。
なにそれ…是非読みたい! 読みたすぎる!
本気で欲しくなった私は「何が早いだ! こっちはもう立派なアラサーだぞ! 18禁上等!」と声を上げて反論するも堅物アドルフは「他の本にしろ」と言ってきかない。
仕方がないので、違う本のように攻めと受けのバリエーションだけを変えてリクエストし続けること数回。人外、ガチムチ受け、ヤンデレなどなど、おそらくアドルフが初めて出会うであろう言葉を並べて、アドルフは首を捻りながらも根が真面目なばかりに几帳面にメモを取りその度に本屋で自爆。
五回目の時に「お前いい加減にしろよ…っ」と鬼の形相で凄まれたので「ごめんなさい」と素直に謝って再び攻めと受けのバリエーションだけを変えてリクエストしてやった。
私がアドルフの立場なら二回目の時点で「もう買ってあげない!」とそっぽを向いてしまうだろう。
けれど彼は口の悪さからは想像出来ないほどのお人好しであり、一度私の好みの本を買ってきてやると言った手前撤回できない意地っ張りなところもある。
十回目に届こうとする頃、アドルフが死んだ魚の目をして帰宅した。もちろんその手に本らしき物は持っていない。
私のしつこさにとうとう心が折れたのか、はたまたキレ疲れたのか。アドルフの周りで「本は? 本は?」と纏わりつく私を睨む力もなく、ものすごく疲れた顔をして街行きを承諾したのだった。
街に出るまでには、そこから更に時間がかかった。
アドルフは旅支度として私に陰気な魔法使いローブと熱や傷に強い革手袋、魔獣除けの匂い袋と護身用の短剣など、とにかくたくさん入念に準備してくれた。
本音を言えばもう少し可愛い格好で街に行きたかったけど、怖い顔をしてほんとにしつこいくらいに吟味していたので余計なことは言わずに口を噤む。彼の気が変わってしまったら大変だ。
そうして今朝、ようやく出発を迎えたのだ。
「いいか、絶対に俺の指示に従え。勝手に離れるな、走り出すな、はしゃぐ…」
「はーい!」
「最後まで聞け」
フライング気味に意気揚々と手を上げて了解した私にアドルフは嫌そうな顔をする。
だって仕方ないじゃん。保護されてから初めて家の外に出るんだからテンション上がるよね!
正確にはアドルフに内緒でちょいちょい庭には出ていたけれど、やっぱりシャバの空気は美味しい気がして思いっきり息を吸い込んだ。
「はあ〜、自由だ〜!!」
「おい、だからはしゃぐな」
口煩いアドルフの注意を受けながら家の庭から森の中に一歩足を踏み出す。
途端に、昼間なのに薄暗く澱んだ雰囲気に包まれた。温度も幾分か下がった様にひんやりとし、周りは鬱蒼とした背の高い草木に視界を遮られ閉塞感がある。
晴れ晴れと弾んでいた心に不安の色が差し込んでくる。
小さく身震いして全く整備されていない獣道を迷うことなく進む前方のアドルフの背中に急いで引っついた。
だって、なんだか今にもあの茂みから犬もどきの魔獣が飛び出してきそうで。
服を掴まれて歩き辛いだろうに、アドルフはチラリと私を見ただけで何も言わずに好きにさせてくれた。
「ねえ、あとどのくらい掛かる?」
「まだ歩き始めたばかりだろうが」
「もう三時間くらい歩いてる気がする……」
「気のせいだ」
黙々と足を動かすアドルフに引き離されないように、こっちは必死に早足……むしろ若干走っている。
おいおい、ちょっとは足の長さ考えろや。なんなの? 撒こうとしてんの?
「ねえ、ちょっと早くない!?」
「お前が遅いんだ。このペースじゃ日帰りは出来ないぞ」
「まじで? これより早いペースって最早ダッシュなんだけど」
予想以上の街の遠さに愕然とする。
腰に下げた魔獣避けのおかげかアドルフの顔が怖いおかげか知らんけど、一番恐れていた魔獣にはここまで出くわすことなく歩いてこれた。
けれど、情けないことに今は自分のスタミナの問題で辿り着けるかわからなくなっている。
まるで持久走だ。普段の運動不足もたたって息が上がる。地面も凹凸だらけだから余計に負担がかかるのかもしれない。
「ぎゃっ」
隆起していた木の根に足を引っ掛けてしまい、カエルが潰れた様な声を漏らして地面に膝をついた。
転んでも厚手のローブとしっかりとした手袋で痛みはないが、乱れた呼吸が整わずすぐに立ち上がることができない。
暫く地面に手をついていると、前を行くアドルフがピタリと足を止めた。
「大丈夫か?」
「だ…っ、大丈夫に、見える?」
私は肩で息をしながら、汗ひとつかいていない涼しげな顔をした男を見上げた。
アドルフは目線を合わせるように私の目の前にしゃがみ込み、緩く首を傾げる。
「ウタ。街へ行くのを諦めるのなら今すぐお前を抱えて引き返してやるが、どうする?」
悪魔の囁きだった。
ああ、なるほど。そうくるか。
アドルフはわざと私に歩調を合わせなかったんだ。弱音を吐いて諦めるのを待っている。
目の前の獣道の先は真っ暗で見えないし、息が苦しいし、汗は止まらないし、足も重い。
……心が折れそう。
でも、その手には乗らないんだから。
「このくらい、全然平気ですが?」
「……」
すくっと立ち上がり、膝に付いた土埃を払う。
正直息はぜぇぜぇと上がったままだけど、呼吸が出来るということは生きている証拠なのだ! 生きてさえいればなんとかなる!
自分を奮い立たせて、アドルフを追い越すように先に歩き出した。
「まったく……強情な奴だな」
アドルフはため息を落とすと、また私の前を、今度は少し速度を落として歩き始めた。




