6話 #桃の花弁 百年前の今
ジャリッと、瓦礫を踏みしめる音がする。
ーー来るな。来るな。来るな。来るな。
心の中で何度ももそう唱える。
熱さや痛みは、この緊張の中では完全に麻痺した。
頭の中でバレるな!と強く警告が繰り返される。
ドキドキと心臓が激しく主張する。
その心臓の鼓動すら、俺の中ではバレる要因の一つと頭の中で暴れ回った。
バレたらどうする?耐える…うん、そうだな。
この世界にも、治安維持隊はいるはずだ……なら、駆けつけたそいつらを操る。
そしてそのどさくさに乗じて逃げる。
あの能力は不確定要素が強い。あんなことがあった後ってのもそうだけど、まだ全然試してねぇんだよな。
だからあんまり頼りたくはないんだが……仕方ない。
出来なかったらその時に考えよう。
それしか、ない。
そもそも乱数が絡みまくる戦闘はゲームだろうがなんだろうが苦手なんだよ!
死ぬ未来しか見え……な……
ガラガラと後ろの壁が崩れ、そこから腕が生えた。
その音に反応し、首を少しズラすものの……それすらも読んでいたのだろう。
そしてその腕は、確実に……俺の左肩を掴んでいた。
防弾チョッキのある腹部を避け…確実に、戦力を削りにくる。
ギリギリと、確実に俺の左肩の骨を握りつぶしていく。
痛い痛いやばいやばい痛い痛い痛い痛い痛い!!
頭がパンクしそうなほどの鋭い痛みが身体に走った。
が、必死で俺は頭を回す。
痛みでまとまらない思考を必死でかき集める。
ここで思考を放棄すれば、確実に死ぬからだ。
――考えろ考えろ考えろ考えろ!
バレた。バレた。なんで?手がかりが?何をもってして?いや、ああそうかそうかそうかそうか、
能力、か。
そうだろ?そうじゃなきゃ、隠れてる場所が分かっても俺の左肩を確実に掴むなんて芸当できる訳がない。
――マズイマズイマズイマズイマズイマズイ。
そんな感知能力を持っていたら、俺は…逃げ切れない。
ふっと、諦めのような思考が脳に走る。
その瞬間、俺は…俺の身体は宙に浮いた。
彼は、俺の肩を握りつぶし、そしてそのまま持ち上げた。
視界の端から拳が迫ってくるのが見えた。
このままこうしていれば、確実に殺られる。
そして、全てがスローに見えた。
けれど、諦念の入った今の俺の思考は、生き残ろうと足掻くことはなかった。
だから、これは無意識だ。無意識に、俺は
ーー笑った。
奴は衝動的に俺を投げた。
後々気付いたが、この時奴は俺の能力を警戒してたんだと思う。
そりゃ、絶対絶命の場面で笑ったら警戒するよな。
しかし、そんなことにも気付かずに今の俺は痛みに堪えながら、必死で受け身を取った。
身体はもう結構なボロボロ。今動くことを諦めたら、瞬きした後には俺は殺されているだろう。
諦める?死ぬのか?このまま。異世界に来てすぐに。こんなすぐに死ぬのか?
――嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
――死にたくない!死にたくない!死にたくない!
そうだよ、俺は死にたくないんだ。だったら……、
諦めている時間なんてねぇだろ、バカが。
目の前にあいつの顔が映る。
追撃をしに来た…あいつの顔が。
そして、俺は思わず持っていた十徳ナイフを突き出した。
そしてそれは偶々彼の腕に突き刺さった。
人を刺すのって難しいんだぜ?
筋肉やら骨やらに遮られると、上手く刺さらない。
それが刺さった。
その痛みのおかげか、彼は少し距離を取る。
俺は追撃を免れた。
ああ、幸運だ。幸運だ。幸運だ。だからこそ、
俺は、嫌な予感しかしなかった。
この隙に俺は体制を立て直す。
脳にドバドバとアドレナリンが走り、痛みはあんまり感じなかった。
そして俺はじっと彼を見ると……ああ、うん。見なければ良かった。
彼は腕からそのナイフを抜き、そして…その傷痕が蠢いた。
小さな刺し傷……それがグチュグチュと再生していく。
ほんと、理不尽だと思う。お前の能力なんなんだよ。
彼は、自身の傷を再生した。
傷口が治る。血が消える。
そして、彼は飛び出し、俺に再び拳を打ちにくる。
避ける。しかし砕かれた右腕に気が取られた。
その隙を彼が見逃す筈もなく……彼は、俺の腹に再び拳を打ち込む。
あ、やばい。思わずそう感じた。
その勢いのまま、彼は俺を上へと突き上げる。
正直、防弾チョッキを着てなかったら確実に死んでた。
でも着ていたから……生きることはできた。
俺は天井を破り、2階に打ち上げられた。
息が……出来なかった。肺が圧迫され、息が出来なかった。
……息ができない…なんて、昔はよくあったことだ。
大丈夫、いける。
俺はその状態で立ち上がり、そして頭を落ち着ける。
……そしてようやくそこで、呼吸ができた。
すぅ、はぁ。すぅ、はぁ。と呼吸を繰り返す。
ようやく、頭の血が巡る。
そして耳から、音が入って来た。
コツ、コツという音が、耳から入って来た。
階段から上がって来ている……彼の足音だ。
どうする?どうする?こっからどうする?どうすれば生き残れる?
チラリと、俺は窓の外を見た。
すると……目に入る。
駆けつけた治安維持隊であろう人たちの姿と、こちらに手を振る神城の姿。
そして、神城のその手には、例の腕輪が握られている。
俺はその姿ににっと笑った。
そして、窓を開け、俺は大声で叫んだ。
顔は見られないように、わざとらしく腕を振って、
「早く助けてー!殺される!」
と。
焦った様子で治安維持隊であろう皆様はこの建物下へと駆けつける。
さて、とりあえずは、これでいいか。
彼らが来て、そこからは俺の舌戦勝負。
そして最後に、華麗に窓から脱出…神城と合流し、あの腕輪に触れる。
あの腕輪をつければ、俺は彼の感知能力から逃げられるし……追いかけられることはない。
……改めて聞くが、あの腕輪が偽物ってこともないよな。
ないであってくれよ!?頼むよ!?
さて、脱出の手筈は整った。
後は、俺は彼らが来るまで待つのみ。
不確定要素だらけの作戦だけど、残念ながら今の俺にはこの作戦くらいしか思いつかなかった。
さて、あとは……とりあえず、今の俺の状態でも見直すか。
俺の今の状況……服、ぼろぼろ。体、ぼろぼろ。
血が至る所からポタポタと流れていってる。
俺は気付いた。
……あれ?この出血なんとかしないと普通に場所バレるくね?血痕で。
失血死にゃ程遠いけど、でも普通に出血はヤバい。
あー……どうしよう。
ん?っていうか靴が片方ねぇ。
いや、まあ十中八九さっき打ち上げられた時に脱げたんだろう。
ナイフ、スマホがもうないから、後は、
・マッチ ・サイコロ ・ボールペン
・メモ帳 ・ハンカチ ・包帯
そして彼女の能力。
うん、キツいなぁ。どうしよ。これ逃げ切れるか?
そんなことを考えている間に、彼は刻一刻と迫っている。
ドクンドクンと心臓が激しく鳴る。
とりあえず、俺は…彼らが来るまで耐えろ。
それだけを目標に、動け。
そして彼は、目の前の扉から入って来た。
そして、全力で拳を振りかぶって殴りかかって来た。
彼の居た地面は崩れ落ちる。
マジかマジかマジかマジか。
…まさかここまで判断が早いとは思わなかった。
治安維持隊が来たらマズイ。
さっきの言葉を聞いて、早急に俺を仕留める方向にシフトしたんだろう。
うん、マズイ。これは、マズイ。
そして、彼は全力で、俺の胸に拳をぶち込んだ。
喉や頭は、避けられると思ったんだろう。
彼の拳は一直線で胸に拳が当たる。
ベコリと防弾チョッキが凹む。
ゴハッと俺は血反吐を吐いた。
窓を横目に、壁にぶつかる。
床が軋む。……ていうか、床がもう崩壊を始めている。
二階建て…うん、二階の床は予想以上に脆かったみたいだ。
ドササササァっと奥から手前に床が崩壊していく。
ピシピシィっと床全体にヒビが入る。
すぐに、俺の足元も崩壊するだろう。
あ、でも……これは、良い。
頭にここから逃げるアイデアが駆け巡った。
それは、作戦というには稚拙で…不確定要素だらけのものだけど、でも……俺はそれに頼るしかなかった。
俺は、ゼェハァと息を荒くし、血を吐きながらも力を振り絞る。
そして、彼を蹴った。何の捻りもない、蹴り。
簡単に彼は避ける……が、それでいい。
無理矢理にでも、彼と距離を広げたかった。
正直、今すぐにでも窓の外に逃げたい。
そこから腕輪に触って逃げたい。
でも、ここで逃げてはいけない。
ここで逃げたら……足がつく。
――耐えろ。耐えろ。耐えろ。耐えろ。
俺はそう頭に唱え続けた。
そして、彼の足元は崩れた。
少しでも遠くに彼をやったおかげで、俺よりも先に彼は落ちる。
彼との距離が離れる……となると、遠距離攻撃しか彼は出来なくなるということ。
――さあ、来い。
彼は炎を放った。
火が、炎が、目の前に現れる。……ああ、これを、
――これを待っていたんだよ。
俺はその炎をモロに受ける。
皮膚が焼ける。溶ける。はちゃめちゃに痛い。
ぼろぼろの状態で更にこれを受けるとか、正気の沙汰じゃねぇ。
でも、これで、出血は止まったッ!
その勢いのまま…俺は、パリンッと窓ガラスを割り、窓の外へと落ちていく。
同時に、ガラガラとこの建物は崩れていった。
ガラガラ、ガラガラ、ガラガラと。
床が崩れ、壁が崩れれば当然……屋根も崩れる。
――あー、だから戦闘は嫌いなんだよ。
左目の前に、木の欠片が落ちて来た。
そして、刺さる。うん、刺さった。
そしてそのまま落ちて、落ちて、落ちて……俺は、神城に拾われた。
緊張の糸が切れたのか、どっと痛み、疲れ等を感じ出す。
そしてそこで、俺は…満足に呼吸が出来ないことに気づいた。
俺の頭は痛みと疲れと、彼の打撃によって満足に出来ない呼吸のせいで、酷く混濁していた。
そんな頭の中で、俺は腕輪に触れる。彼に追いかけられない為に。一心不乱に掴んだ。
ポタリと、水滴が身体の上に落ちる。
神城は泣いていた。顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
そして、俺は運ばれた。ポロポロと涙を溢す神城に抱えられながら、俺は運ばれた。
――そして、その光景を見る人が、一人。
瓦礫の山の中、彼はゆっくりと立ち上がる。
パラパラと木屑が落ちて、身体に負った傷は少しずつ再生していく。
ざわざわと騒がしい声が聞こえてくる。
周りには何人もの人達が、彼を囲っている。
そしてその人だかりの中でチラリと、視界に入った。
誰かに運ばれていく百歳の姿が、視界に入った。
にっと笑って、彼は体勢を整えた。
彼を殺す為の体勢を。
しかし、彼が足を動かすことはなかった。
「いや、いいか」
そう言葉を漏らして、彼はそこにそのまま佇んだ。
――そして、その光景を見る人が、一人。
そいつは、誰の目にも留まらない。
この時代で一度を除いて、今まで認識されることはなかった。
そいつを唯一認識した人間による呼称は…"リリ"。
…………………
………
…
「ハァ、ハァ」
息を切らして、神城は俺を背負って歩いていく。
心臓の鼓動が、背負われている俺にはしっかりと感じられた。
痛かった。物凄く痛かった。苦しかった。疲れた。
でも、そんなことを溢すようなことはしなかった。
否、満足に…声を出すことが出来なかったのだろう。
空はすっかり暗くなって、でも彼はそんな中でも人目のつかないように動いていく。
――がたーん、ごとーん、がたーん、ごとーん。
そんなことが頭に流れながら、俺は運ばれた。
そして暫くして、着いた。
宿 "白鳩の籠"。その裏口からこっそりと、俺は運ばれた。
そしてそろーり、そろーりと部屋へと運びこばれる。
ガタン、と。俺は床に下ろされる。
コヒュー、コヒューと俺は呼吸を続ける。
肺をやられた。苦しい。苦しい。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……!
でも、不思議と頭は冷静だった。
俺はゆっくりと目を開ける。
そこには、涙をポロポロと流す神城の姿が見える。
――ああ、俺は…死ぬのか。
そう俺は悟った。
神城は涙を堪えて、俺の手を握って会話をする。
「なぁ、異世界だし回復魔法とか、回復薬とかあるよな?探したらなんとかなるかな?」
「あ、そーだ。それともお前の能力とか使ったらなんとかどうにかならないかな?ねぇ、どうだろ?」
俺は答えようとして……でも、上手いこと言葉が出なかった。
まあ、そりゃあそうか。満足に呼吸も出来ないのに話せる訳がない。
そんなことに、今更気づいた。
「いよいよ終わったなぁ」なんてことを思いながら、ぼけーっと天井を眺める。
異世界…一日も居ないで異世界生活終了って早すぎない?
結局白兎にお礼も言えないで、死ぬのかぁ。
あー、ちくしょう。
――死にたくねぇなぁ。
そんなことを思いながら、空を眺めていると……目の前に白い鳩が現れた。
足には、紙が結ばれていた。
伝書鳩…?どこから?
窓は……と、チラリと見ると、依然として閉まっている。
どうやってここに……?と疑問に思っていると、サッと神城は紙を足から外して、それを読んだ。
「……え?」
ポツリと、彼はそう言葉を漏らす。
どうしたんだろう。と疑問に思うと、神城は手紙を読み出した。
「ここは異世界。私たちは異世界にいる。そして……」
「百歳君、君は…百年前の異世界にいる」
………?????
俺の心臓が止まるより先に、俺の思考は止まった。
さーて、いよいよここまで来ましたかぁ。
皆さん、気付いてますか?この作品についていたタグ。
ダブル主人公というタグを。
あ、皆さん今「これからダレていくなぁ」なんて思ったんじゃありません!?
因みに私ちょっと思ってます。結構怖いです。
ということで、是非とも次の投稿をそわそわしながらお待ちください。私はそれ以上にそわそわして待っています。