多忙な日々(エリナ編2)
お茶を一口含み、少し落ち着く。
「それで、なんでこんなことを? 今まで私たちが森に入るとき、何も言わなかったわよね。わざわざ、こんな書類を仕立てて意味があるの?」
「お、おう……。笑われるかもしれんが……。エリナ、お前とは古い仲だ。正直に話す」
「……お前?」
私は笑わず、ただその一言を強調する。
(エリナは「お前」と呼ばれるのを極端に嫌う。それが原因で、貴族を一つ潰したという噂もある。)
「す、すまん! ……エリナは神のお告げとか、そういうのを昔からバカにしてただろ?」
「ええ、そりゃそうよ。大抵がインチキだし、本当に聞こえたとしても、自分の都合の良いように捻じ曲げて解釈するもの。……でも、全部が全部そうとは限らないわ。相手次第よ」
「今回はな、告げてきた者の素性から背景まで、うちの機関が全力で洗った。組織の影も、私的な利得の匂いも、一切なしだった」
テノーラの言うことは信頼できる。私にも、それを裏づける根拠がある。
「……まあ、疑ってはいないわ。その『ご神託』、多分本物よ。正確には“神”じゃなくて“精霊”だと思うけど」
「なんだ、ずいぶん確信してるじゃないか」
「実はね――」
私は、ユリアスがツチグサレの消滅に向かった経緯を説明する。もっとも“精霊の導き”とは周囲には伏せ、“独自調査の結果”ということにしてある。
「…………」
「ちょっと、聞いてるの!?」
「すまん。……お茶、おかわりをもらってもいいか?」
テノーラはお茶を飲み、深く息を吐いた。
「どうしたのよ?」
「……理解が追いつかなくてな。つまり、ユリアス君が向かったのは精霊からの依頼ってことか?」
「そう言ったじゃない」
「ええっ!? 精霊に会ったのか!? ユリアス、羨ましい!!」
気持ちはわかる。私だって、ちょっと会ってみたい。
「まったくね。水の妖精にも気に入られてるし、ヤトノリュウとも手合わせしたらしいわよ」
「え? え? ヤトノリュウって七竜神の!? ……エリナ、気付けに効く薬はないか? すまん、一つくれ……」
――五分後。
「すまん。……もう大丈夫だ。つまり、その“ご神託”は精霊・レーテーのもの、ということだな?」
「おそらくね。褒美のつもりかもしれないし、あるいは“管理しなさい”という義務かもしれないけど」
「そ、そうか……。じゃあこれ、どうしよう?」
テノーラは、ひらひらと一枚の書類を持ち上げた。
「そのままでいいわ。あなたやイブの立場もあるしね。そんなの要らないけど、サインくらいはしてあげる。顔は立ててあげる」
「助かる。忝い」
「ただし――今後、森やこの件にちょっかいを出してくる者は、容赦なく潰すから。その跡形もなく、ね」
「わ、分かった。……だからこその予防線として、もう一つ用意してきた」
もう一枚の書類を、彼が掲げる。
「なるほどね……」
そこに記されていたのは、ユリアスの子爵昇爵に関する文書だった。
「甘いわね。この国に子爵なんて千人はいるわ。そんな肩書き、ユリアスには似合わない。昇爵するなら“伯爵”よ。それ以下はいらない」
「……そうだな。確かに、それくらいが妥当だ」
あら? もっと渋ると思ったのに、意外とすんなり?
「ただし、伯爵家となると、付き従う下級貴族も必要だな。無用な軋轢を避けるためにも」
「ええ、そうね」
私が頷くと、テノーラがなぜかニヤリと笑った。
「エリナはユリアス君の名代を務めることも多いよな?」
「ええ、まあ、人手が足りないから……って、ちょっと待って!?」
⸻
ああ……私まで爵位を持つことになってしまった。確かに、ユリアス家としての体面には必要だけど。
テノーラ、イブ……覚えておきなさいよ!
こうなったら、伯爵として任命できる爵位を、数人に押し付け――じゃなかった、授けるしかないわね。
伯爵家になると、非世襲の爵位、つまり「士爵」「騎士爵」を任命できる。これは領地持ちではないが、名誉としても他領でも通用する称号だ。
まず、イードは士爵。防衛部隊長だし、もともと持っていた爵位だしね。
ルドやラトレルも士爵で良いわ。
問題はガディアナ。彼女はムネアカアントラー一族を率いている。力量的にも一段上……伯爵では任命できないのよね。困ったわ。
また一つ、考えることが増えた。
⸻
そして「ブカスの森」の件。
ユリアスの意向で、ムワット石の採れる辺りの開拓計画は立っている。けれど、森全体の管理となると話は別だ。
広さだけで言えば、王国よりずっと広い。幅二十キロ、長さは百キロ以上(正確な計測はしていない)の広大な森。そのほんの一部でさえ、充分すぎるほどの規模だ。
まずはムワット石の採掘地周辺の整備から手をつけましょう。あとは、みんなが戻ってきてからね。
――ああ、もう。忙しすぎる!