新領土
カシェの泉から戻った僕は、エリナ姉さんにこってり絞られた。
泉で起きたことはまた後で報告することにして、まずは丸投げしていた領地の話を片付けないといけない。
姉さんは僕がいない間に、領内のいろいろな計画の原案を作ってくれていた。さすが姉さん、やっぱり優秀だと思う。
その原案をもとに、パドレオン領の組織を決めた。
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首席執政官:パドレオン・エリナ
次席執政官:パドレニア・サリナ
次席執政官:パドレニア・アンフィ
領軍総指揮官:パドキャスル・マーベラ
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こんなところだろう。
執務机に置かれた地図の端が、窓から差し込む陽射しでかすかにきらりと光っている。
ルドフランたちにも何か役を担ってもらうつもりだけど、それはまた後で決めればいい。当面は体裁を整えるだけでも十分だ。
「次はゼル村とシロコ村のことね。村長は今まで通りでいいと思うわ」
「うん。村の中のことは、僕らには分からないもんね」
姉さんがさらりと髪をかき上げる仕草をしながら、軽く目を伏せた。
村長はそのまま続投することにした。
「税はどうする? 今まで地区長に納めてた額より安くしてあげると、民意は上がるわよ」
それについては、僕も少し考えがあった。
「当面、税は取らないことにしようと思うんだ」
「はあ!? それは流石に賛成できないわよ。領主は領民を守るの。その対価が税なのよ。村を含めて……」
姉さんが声を荒げるとき、瞳がわずかに細くなる。
「分かってるってば。まあ、ちょっと聞いてよ」
僕は考えを説明した。
姉さんの言う通り、僕はゼル村もシロコ村も守らなきゃいけない。特にゼル村には、またリザードマンが襲ってくるかもしれない。それがいつになるかも分からない。
「だからさ。村を守るために、両方の村に何人か守兵を置きたいんだ。その生活費や兵舎の維持費を出してもらう。それを“税”ってことにするのはどう?」
姉さんは腕を組んだまま天井を見上げ、しばらく黙っていたけれど、最終的には頷いてくれた。
「言っとくけど、甘いわよ」
とは言われたけど。
早速、守兵の人選を……と思ったら、姉さんに止められた。
「武兵のトップにするマーベラに任せなさい」
確かに組織を作るなら、そのほうがいい。
僕はマーベラを呼び寄せた。彼女はすぐに姿勢を正し、金の装飾がついたマントの裾を揺らしながら、目を真っ直ぐこちらに向けて「承知しました」と答えてくれた。
「それでさ。ゼル村のチーズや、シロコ村の魔小麦粉ってすごく質がいいじゃない? でも、僕の領内じゃ売る場所がないよね。お店がないし」
「そうね。シムオールと隣りだから困らないっちゃ困らないけど」
「でもさ、ずっと先のこと考えると、それじゃダメだと思うんだ」
「とは言っても、どうするの? いずれ地区長の管轄を分譲させるつもりだったのよ。それまで待つつもりだったんだけど?」
「また姉さんは強行手段に出ようとしてるな! ダメダメ!」
姉さんを説得して、僕は街を作ることに決めた。
場所はアイーダ草原だ。
窓の外に広がる草原は、風が吹くたびに銀色に波打ち、草の先端で光がきらめいている。
都市の外の草原は、基本的に誰の所有でもない。魔石や薬草が採れる場所ではあるけど、魔物が出れば責任を問われるし、管理が大変で手を出す者はいなかった。
でも、僕には今の領地がアイーダ草原に隣接しているという強みがある。そこから街を広げていくことにした。
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…ひと月後…
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パドレオン領はすっかり活気に満ちていた。
陽射しを浴びた草原の空気が、少しずつ土の匂いに変わっている。風に混じって、削り出された石の粉塵や木材の香りが漂ってきた。
「ノハ! そっちはどうだ?」
「おう、ゲン! 順調だ! お前の方は?」
「こっちもだ!」
コロン族やドワーフたちが、所領になる範囲に石畳を敷いている。地面をむき出しのままにすると、魔雑草がすぐ蔓延ってしまうからだ。
整地作業は予定より進んでいて、僕の敷地と隣り合わせに、すでに500メートル四方が仕上がっていた。ちょうど僕の敷地と同じくらいの広さだ。
いくつかの建物もすでに建っている。魔物の襲来を見張る塔や、街づくりに関わる人たちの食事処などだ。およそ500人ほどが、それぞれの仕事をこなしていた。
「ユリアス君。マンマルポーション売ってよ」
声をかけてきたのは、魔術師のチョコレッタだった。
ターコストブルーのローブを翻して近づいてくる。青は僕の家のイメージカラーなので、親しい人達が好む色だ。
彼女は背丈も伸びて、可愛らしいから美しい女性に変わってきた。言動とかはあんまり変わらないみたいだけどね。
「チョコレッタ! 『男爵』とお呼びなさい! 今は立場が違うのですよ!」
サリナが眉をきゅっと寄せ、ピシッとたしなめる。僕の隣には、いつもサリナかアンフィが付き添っている。
「まあまあ。正式な場ならともかく、こういうときはいいよ。チョコレッタは昔からの馴染みじゃないか」
「ううむ。ユリアス様がおっしゃるなら黙認いたしますが……」
僕以上に、ファミリーのみんなの方が、僕が貴族になったことを誇りに思ってくれているらしい。
「ああ、話はしてあるから、姉さんのところへ行って」
「ありがとう! 昨日からブルーボアトルが多いのよ」
肩をくるくる回しながら「疲れるのよ」と言って去っていった。ブルーボアトルは、グレーボアトルの上位種でDランクだ。
チョコレッタは今、ユリアスギルド所属だ。ギルドは独立して、テイマー、魔術師、薬師、採掘師の複合ギルドになった。
魔術師たちとマーベラたちは、新しい敷地の警護や周囲の魔物の駆除にあたっている。チョコレッタは今やCランクの魔術師部門リーダーだ。とはいえ、他のメンバーは彼女が連れてきたDランクの女子が1人だけ。シムオールの魔術師ギルドからも何人か応援に来てくれている。
採掘師部門のトップはツキシロ。各地で石材を集めて奔走している。ルドフランはブカスの森から建材を調達してくれている。
新たにファミリーに加わったガディアナたちは、水路作りで力を発揮していた。街の中心には「水の宝玉」の力で小さな泉を作ることができたので、そこから水路を巡らせているのだ。水面が陽を反射し、青く揺れているのがとても綺麗だ。
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…3か月後…
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街はようやく体裁が整った。名前は、商業を中心に発展させたいという意味を込めて「コルメイス」とした。パドレオン領・コルメイス街だ。
街に名前をつけたとき、「統制」スキルが2つ上がって、今はLv.5になった。
中心街にはさまざまな店が立ち並び、軒先にはカラフルな布や看板が揺れ、行き交う人々の活気があふれている。子どもたちの笑い声や、屋台の呼び声が絶え間なく耳に入ってきた。
我ながら良い街になったと思う。
ただ、この街で不安なのは、やはり魔物からの守りだ。
僕は研究所の幼馴染であるペン・ショー研究員の妻、マトリの手を借りることにした。マトリはエルフで、彼女の故郷「エルフの里」は、魔物がうようよする森の奥にあるらしい。里は魔物から感知されないよう隠匿されている。僕はマトリの知り合いのエルフたちにも協力を頼んで、種族独特の「隠匿の術」を使ってもらうことにした。
「やっぱり、ゼル村のチーズは美味いよな。俺は3塊買ってくよ」
「こっちも1塊ちょうだい!」
ゼル村のチーズも、シロコ村産の魔小麦粉も評判になり、シムオールやほかの都市から買い付けに人がやって来る。今はシムオールの市場には、それらの製品は並んでいない。コルメイスでしか買えないのだ。
「大した賑わいね。ユリアスには恐れ入ったわ」
エリナ姉さんが、目元を少し細めてにこにこと笑いながら言う。
「なんとかね。でも、そのせいで僕の財布はすっからかんだよ」
公共投資にはお金がかかる。僕はようやく貯まった私財を、街のために全部使い切ってしまった。
「そうね。商人から売上税を納めてもらうから、何とかやりくりしましょう」
僕は「ほかの都市より税が高くならないように」と姉さんにしっかりお願いしておいた。
「財務官を置きましょう。アンフィのところの“ビュウロン”がいいわ。私もギルドの計算を頼んだりしているのよ」
ビュウロンはアンフィの息子だ。ラトレルが長男で、ビュウロンが次男らしい。
「そうだったの? じゃあ、そうしてよ」
人事は基本、姉さんに丸投げだ。
「ところで、ユリアス。どこまで街を広げるつもりなの?」
「できるだけ……って言いたいところだけど、とりあえずは今の倍くらいかな。お金がかかるから、今のスピードでは無理だけど」
「そうね。まあ、ゆっくり進めましょう」
今も街は、少しずつ東側へと広がっていっている。草原を渡る風が、まだ見ぬ未来の街の気配を運んでくる気がした。