アンフィと森での話
このところ連日、僕とアンフィはブカスの森へ通っている。アンフィの魔物素材(標本)集めを手伝うのと、ギルドの素材収集が目的だが、実はもう一つ大事な目的がある。
最近ではアイーダ草原も、僕が覚えた俊足スキルで駆け抜けられるから、森まで行くのにさほど時間はかからない。森の中も何度も通ううちに道を覚え、もともと獣道だったところが、僕たちが何度も踏みしめたことで細いが歩きやすい道になりつつあった。
アンフィはいつも地図を片手に、魔物や魔植物のデータをこまめに書き込んでいる。その地図は正確なだけでなく、情報が豊富でとても役立つものだ。
「さあ、ユリアス様。着きましたよ」
アンフィは大きな魔大木にタッタッと身軽に登ると、蔦を伝って赤い実を二つ摘み取って降りてきた。
その赤い実こそ、僕たちのもう一つの目的――『ミミリン』という魔物がつける偽実だ。
「今日はスキルを上げたいですわ」
「そうだね」
僕たちは実を一つずつ食べた。
【魔力探索 Lv.6】
目の前にスキルアップの表示が出る。
「ユリアス様! 私も上がりました! Lv.4です」
ミミリンの実を食べると『魔力探索』のスキルが上がる。この5日間で、僕は2レベル、アンフィは3レベルも上げた。アンフィはとても嬉しそうだ。
アンフィは僕と二人きりのときは、サリナが一緒のときより少しくだけた感じになる。それがきっと彼女の素の姿なのだろう。
「ねえ、アンフィ。この偽実のこと、地図に描かないの?」
「描きません。だってこの実のことは、私とユリアス様だけの秘密ですもの。スキルアップの効果も、もちろん内緒ですわ」
アンフィは楽しそうに笑っている。そういえば、こうして二人きりの時間を持つのは初めてかもしれない。素のアンフィを見られて僕も楽しいし、たまにはこういう時間も悪くない。
この森は魔物も多いし、街と比べると魔素も圧倒的に濃い。だけど、用心さえすればレベル上げやスキルアップにはもってこいの場所だと思う。なのに、なぜ誰も来ないのだろうか。
「私もエリナさんに聞いたことがありますよ」
昔はやはり、レベル上げの場として多くのテイマーや魔術師たちが訪れていたらしい。ところが高位の者たちがいなくなり、代わりに多種多様な魔物が増えて、いつの間にか誰も寄り付かなくなったのだという。
「マーベラのように地力のある魔物も少なくありませんし、何よりユリアス様は『探索持ち』ですから。『探索持ち』は数十人に1人くらいしかおりません
私もこの森でずっと警戒を続けていたおかげで、『気配減少』のスキルを習得できました。油断はできない森です」
「そうなんだね。素材は豊富に手に入るし、僕は好きな森なんだけどな」
「ユリアス様くらいですよ。そんなことをおっしゃるのは。ふふふふ」
「まあ、他の人が来ないなら、その分僕らの独占って感じでいいじゃない?」
僕らは笑い合いながらも、周囲への警戒は怠らない。スキルを発動させたままだ。アンフィの『気配減少』スキルは、いつの間にか『気配消去』にグレードアップしていたそうだ。
そんなとき、ふと枝の上のほうで何かが動いた気がした。
「あれ? なんか枝が動いたような?」
「えっ? どの辺りですか?」
「この辺りなんだけど、気のせいか」
そう思って、何気なく枝に手を伸ばしたら、何かを掴んでいた。
「うわっ!? うわ、うわっ! 何かいた!」
掴んだのは、全身が鮮やかな緑色をしていて、枝の色に溶け込むように体色を変えている生き物だった。
「ああーっ! 『ナナカワリ』です! とても珍しい魔物なんですよ」
アンフィが瞳を輝かせて声を上げる。
「珍しいの?」
「はい。カメレオンタイプの魔獣で、周囲に完全に同化してしまうんです。魔力すら探知されないほど隠れるので、出会えること自体がとても少ないんですわ」
「へえ……そんなにすごいんだ」
「おとなしい個体ならこのまま観察できますけど、あまり長く掴んでいると逃げちゃいますわ。でも……本当は、持ち帰りたいんですの」
アンフィが少し遠慮がちに僕を見上げる。
「持ち帰る?」
「はい。標本にしたいのと、それに……『変化玉』を手に入れるには魔石が必要ですし。生息地は限られてますけど、いる場所にはそれなりにいると聞きますの。だから、数を取り尽くすようなことをしなければ、大丈夫かと思うんです」
アンフィが真剣に言うのを見て、僕は頷いた。
「そっか。それならいいよ。アンフィが必要だと思うなら、捕まえよう」
アンフィの顔がぱっと明るくなった。
「ありがとうございます、ユリアス様!」
それから僕たちは、慎重に周囲を探した。アンフィの『気配消去』のスキルも活かしながら枝を観察して回ると、ナナカワリは思いのほかたくさん見つかった。
僕らは1体を標本として手に入れて、3つの魔石を確保した。
「これで『変化玉』が3つ分、確保できましたわ!」
アンフィは目を輝かせて笑う。
「すごいな、アンフィ。魔石って、変化玉になると実在の動物にしか変われないんだっけ?」
「ええ。空想上の生き物は無理ですの。変化させるには、しっかりと形や特徴を思い描けないとだめですしね」
「なるほど……それにしても、すごい魔石だな」
僕はアンフィが誇らしげに抱える容器と、手のひらに乗せた小さな魔石を見つめた。魔素が濃いこの森では、こういう未知の発見がまだまだありそうだと思うと、胸が高鳴った。
「ユリアス様はやっぱり、こういう発見に縁がありますわ」
アンフィが笑いながら僕を見る。その笑顔がまた、少しサリナがいるときとは違う、素の表情に思えた。
そんな和やかな空気の中で、アンフィがふいに声を潜めた。
「あのう。ユリアス様
私、いえ私だけではなくお母様も最近、身体に変調をきたしております」
唐突に言い出した。
「ええ? 大丈夫なの?」
「はい。頭を触っていただけますか?」
訳が分からぬまま、撫でるように触ってみる。特に何もない。ただ滑らかな髪だな、と思った。
「特に何も感じないけれど、何かあるの?」
「そうなのです。何もないのです。私たちに触角が消えました
……おそらく、おそらくですが、私たちは人型ではなくて、身体的に人間になったのだと思います」
うん? どういうことだ?
……あっ!?
「そ、それって、アンフィは人間になったってこと?」
アンフィがこくりと頷いた。
「えっ!? やったじゃない! 今までも僕たちは家族だったけれども、もう正真正銘の家族になれるね!」
「あ、あのー。喜んでいただいてるので?」
「当たり前じゃないか! 嬉しい、嬉しいよ! おめでとうアンフィ」
僕が満面の笑みでそう言うと、アンフィは少しだけ笑ったものの、すぐにまた俯いた。
「……でも、ユリアス様」
小さな声が森の空気に溶ける。
「もし本当に、人間になったのなら……わたしたちはもう、ユリアス様にとって“魔物”ではないのですよね」
アンフィは目を伏せ、吐息を呑むように言葉を続けた。
「それなら……わたしたちは、ユリアス様にとって不要な存在になってしまうのではないかって……それが怖いんです」
その瞳に、光るものがたまり始めていた。
僕はすぐに頭を振った。
「アンフィ、そんなことあるわけないよ」
僕はアンフィの肩をそっと抱いた。
「魔物とか人間とか、そんなことはどうでもいい。アンフィはアンフィだ。僕にとって、大事な家族で、かけがえのない存在だよ」
言いながら、自分の胸の奥の、微かに残っていた種族の隔たりがすうっと溶けていくのを感じた。たしかに僕は、どこかで彼女たちを“魔物”だと意識していたのかもしれない。でも、そんなものはもう本当にどうでもよかった。
「むしろ僕は嬉しいんだ。誰にも人間じゃないなんて言わせない。これからは、もっと堂々と一緒にいられる。アンフィが人間になったからって、僕の気持ちは少しも変わらないよ」
アンフィは瞳を大きく開き、じっと僕を見つめた。
「……本当に、そう思ってくださいますか?」
「ああ、本当だよ」
その瞬間、アンフィの瞳から涙がこぼれた。
「よかった……本当に、よかった……」
アンフィは僕の胸に飛び込むように抱きつき、声を押し殺すように泣きじゃくった。
僕はアンフィをそっと抱き返しながら、心の中で強く思った。魔物でも人間でも、僕にとってアンフィは家族だ――そのことだけは、絶対に変わらないのだ、と。
屋敷へ戻った僕は、すぐにエリナ姉さんへ報告した。話を聞いた姉さんは目を見開き、「医者を呼ぶわ」と言うや否や手を打った。
検査の結果、驚くべきことが判明した。サリナもアンフィも、そしてマーベラまでもが、完全に人間の身体になっていたのだ。僕はますます彼女たちを誇らしく思った。
【今話の初登場の魔物】
《ナナカワリ》
カメレオンタイプの魔物,Dクラス.
周囲に同化し魔力も探知出来ずに隠れる.
魔石は『変化玉』となる.生息地の限られる希少な魔物.