セキガンの話
パドティアを寝かしつけるために部屋を出てもらい、僕たちは任務の話を再開した。僕の報告はあっさり終わり、話題はアンフィとマーベラに移る。
「目的地までは人が歩けば一日以上。でも、私たちなら走って二時間くらいでした」
「それで、マーベラが元の姿に戻って、私が背に乗って向かったんです」
「え? マーベラって元の姿に戻れないんじゃなかったの?」
騙されていた? 僕は内心ざわついた。
「おいアンフィ!“戻った”んじゃなくて“変化”したの! へ・ん・げっ!」
マーベラがムキになって反論する。
「……本当かどうか分かりませんけれど、そういうことにしておきましょう。続きを話しますね」
アンフィがあっさりまとめ、マーベラは何か言いたげだったが、アンフィの鋭い視線に黙り込んだ。
「まあ、マーベラは体力自慢なだけあって、本当に速かったですよ。私が《女王の支配》のスキルの身体強化を使っても、あそこまで速くは走れません」
「すごいな、マーベラ。それで?」
僕は先を促した。
「ゼル村に到着したのはちょうど昼頃。依頼主の村長宅を訪ねたんですけれど――」
そこでアンフィは視線をマーベラに送った。マーベラはバツの悪そうな顔で頭をかく。
「『お前が村長か?依頼主だな。説明しろ!』って、挨拶もなしにいきなり言うんですよ」
「はあ!?」
僕たちは思わず頭を抱えた。
「で、相手は? 怒った?」
「いえ、人格者だったのでしょう。怒りもせず、丁寧に説明してくれました」
「「「ふぅ……」」」
とにかく任務はこなせたようで、僕たちは安堵した。
「それで、すぐにシープキラーと戦ったの?」
「いいえ! その前にこいつが『腹減った!休むとこないか』って言いやがった」
「アンフィ! 言葉遣い!」
「も、申し訳ありません、お母様……」
「いいから、話を続けてちょうだい」
食事や寝床の確保は任務の契約に明記するべきで、今回は含まれていない。にもかかわらずその態度は、恫喝にも聞こえた。
「さすがの村長も顔色を変えて、『では依頼の件は結構です。お引き取りを』と。言葉は丁寧でしたが、ご立腹でした」
「ちょっと待って! アンフィ。依頼は、ちゃんと達成したんでしょ?」
「大丈夫だ! アタシが倒した!」
「なにが大丈夫よ! 謝るこっちの身にもなってよ!」
「アンフィ! 言葉!」
「す、すみません……マーベラと一緒にいたせいか、染まってしまったようです……」
「もう、じれったい! 続きをお願い」
アンフィは謝罪し、マーベラにも悪意がなかったと説明。食事を求めたのではなく空腹を訴えただけで、「休むところ」というのは場所の案内を求めたに過ぎなかったと弁明し、マーベラ自身も謝罪して一件落着となったらしい。
「ふぅ……子どもたちだけでなく、マーベラの教育も必要ね」
「ア、アタシもそう思う……」
マーベラはしょげ返っていた。
「でも、マーベラの元気でまっすぐなところはいいところだよ。今後もアンフィと組んで学んでいくといい」
「仕方ありませんね。私が面倒を見ましょう」
アンフィの表情に苦味はなく、むしろ頼もしさがにじんでいた。
「で、討伐自体は簡単に終わったんですの?」
「時間はかかりませんでしたが、かなり激しい戦いでした」
「じいさんのくせに強かったよ。特に前脚の一撃がヤバい!」
マーベラは興奮気味に語る。
どちらもスピードを武器にした戦いで、アンフィにも追えないほどだったという。
「アタシが肩口に仕掛けたら、スッと避けて『ぼっ』って腕を突き出してくるんだよ!」
マーベラは身振り手振りで熱弁する。
「でも、さすがに年だからね。少し動きが鈍った。チャンスだと思って右手を全力で振り下ろしたんだ」
「それで?」
「転げるようにかわされてさ、アタシが覆いかぶさったところに下から――また『ぼっ!』って、両手で突かれたんだよ。あれ、諸手突きっていうの? 避けきれずに脚をやられたよ」
「そ、諸手突き……? 脚を?」
「うん。両手の突きがまともに入ってね。脚にズドンって来た。 力も重さもあって、一瞬動けなかったな」
「で、どうやって勝ったの?」
「ん? それで終わり」
「は?」
「マーベラ、説明が抜けてますわ。そのシープキラー、転げた拍子に放置されていた農具に身体を貫かれたのです」
「うん。あれがなかったら、アタシもやばかったな」
「いえ、相手も『貴女の勝ちだ』と仰っていました」
「そうかなあ……」
「私はヒールをかけようとしたのですが、『プライドを傷つけるな』と断られました」
「うん……その気持ち、分かるわ」
「でも、私は『癒し』だけかけました。もちろん事前に断ってから」
《治癒》と《癒し》は違う。《癒し》には治療効果はないが、心を安らげ、精神を穏やかにする力がある。
シープキラーは礼を述べ、「死ぬ前にこれまでの話をさせてくれ」と語り始めたという。
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彼は若くして群れのリーダーとなり、抗争と生存競争の中を生き延びてきた。しかし、ある日、人間に家畜狩りの濡れ衣を着せられ、「魔物狩り」にあった。そのとき息子が殺され、復讐に駆られて村を襲ったのだという。
それでも心のどこかに迷いを抱えながら過ごしていたが、最近になって若いリーダーに群れを追われた――。
「哀れなもんだろ? 最初は濡れ衣だったのに、最後は本当に家畜狩りに落ちてしまった」
そう語ったときの彼に、怒りも悲しみもなかったという。
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「お前は気高い。真っ直ぐな気持ちを忘れるな。そしてお前は優しい。その優しさには芯がある。……二人とも、そのまま生きよ」
そう言って、彼は静かに逝った。
アンフィが鞄から大きな魔石と一本の牙を取り出し、そっと机に置いた。
「私、この牙をもらってもいいかしら?」
誰も反対しなかった。
「じいさんだったけど、片目じゃなかったらアタシ負けてたな……」
「……その“諸手突き”、すごかったんだね」
「うん。あれ、ちょっと練習してみようかな。『セキガンの諸手突き』って名前つけてさ。アタシの技にしよっと!」
武勇伝を聞くつもりだったのに、妙にしんみりしてしまった。
「あのね。そのシープキラー、片目だったの?」
「ええ」「そうだよ」
マーベラとアンフィが同時に答えると、エリナ姉さんが「ちょっと待ってて」と言って部屋を出ていった。
戻ってきたとき、彼女は古い紙の束を手にしていた。
「これ、未達成の依頼。しかも、20年も前のものよ」
ぱらぱらと捲り、やがて一枚を引き抜いた。
「……あった! これよ!」
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【シープキラー討伐依頼:討伐個体名『セキガン』】
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「……あっ、これ……」
マーベラが倒したのは、かつて指名討伐されながら生き延びた“ネームドモンスター”だったのだ。