東部の火種
「先程と同じく、これは女王陛下がお決めになったことです。そのつもりでお聞きください」
コゾウさんが牽制するように、きっぱりと言い放った。
その声に促され、イブさんが静かに立ち上がる。
「カラブレット王国東方担当相に、パドレオン・ユリアス伯爵を任ずる。――伯爵、前へ」
言葉には一切の飾りもなく、鋭く響いた。
その瞬間、会場がざわめきに包まれる。
事前にイブさんから聞かされていたとおり、この任命を知っていたのはごく一部の者にすぎなかったのだ。
イブさんは会議室の後方、一段高く設けられた壇上へと進み、全員を見渡した。
逃げ場はない――そう悟った僕は、観念しておずおずと前に進み出て、壇下で跪いた。
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女王陛下から銀版に刻まれた「東方担当相」のプレートを受け取り、形式的な儀式は終わった。僕は安堵しながら席へ戻る。
「さて――パドレオン卿が任命されたわけですが……」
会場に向けて言葉が放たれる。
「皆さまのお顔を拝見すると、どうにも納得されていない方もおられるようですね?」
言われてみれば、ミゲル侯爵やその周囲の者たちは渋い顔を隠そうともしない。女王陛下の前ではさすがにあからさまではないが、不満は誰の目にも明らかだった。
「形だけの人事では意味がありません。後に禍根とならぬよう、今ここで意見を述べていただいて結構です。ただ……女王陛下がおられては、さすがに口にしづらいでしょう」
恭しく一礼し、告げられる。
「恐れながら、陛下には一旦お下がり願えませんでしょうか」
……えっ!? 抑え役の陛下が出ていっちゃうの!?
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女王陛下が退室されると、会場のどこかから「ほう」と安堵の溜息が漏れた。……分かる、その気持ち。
真っ先に声を上げるのはミゲル侯爵だろうと思っていたが、彼は渋面を浮かべつつも沈黙を守っている。代わりに、彼の視線を受けた隣席の人物がおずおずと口を開いた。
「パドレオン卿はお若い。私は決して、女王陛下のお決めになられたことに異を唱えるわけではございません。それをお忘れなきようお願いしたうえで……僭越ながら意見を述べさせていただきます」
――心象を損なうのを恐れているのだろう。だが、ミゲル侯爵の影が背後にちらつく。どう考えても彼に促されての発言だ。
「担当相がパドレオン卿であるのは結構。しかし、我が国東部には土地ごとに多様な事情がございます。それらをきちんと汲んでいただけるのでしょうか?」
――えっと……マチカルンド子爵だ。
「個別の事情を汲めと?」
思いもよらぬ声が場を打った。テッテラ公爵だ。いつもの好々爺然とした柔らかい調子ではなく、まるで詰問するかのような響き。
「い、いや……あの……」
マチカルンド子爵は狼狽し、言葉を濁す。普段の穏やかな姿に慣れていると忘れそうになるが、テッテラさんはれっきとした公爵――王国屈指の大貴族なのだ。
そこで、さらにパワード侯爵が立ち上がり、マチカルンド子爵を補うように口を開いた。
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「例えばですな。我が領は水資源が豊富で質も良いと自負しております。ですが近年は汚染が進み、特に南部では以前とは趣が変わってきているのです」
「うむ……それで?」
テッテラ公爵が先を促す。
「パドレオン卿領内の水質は素晴らしい。それに排水の清浄さは驚くべきもの。独自の技術があるのでしょうな」
――そんなものはない。ただ「水の宝玉」の力だ。
「もし我らが一致団結して豊かさを求めるならば、その技術を伝授していただけるのか?」
「随分と個別な話だな……まあいい。ユリアス、担当相としてどう考える?」(テノーラ)
「はい。東部全体を見据えるなら、水路などの施設整備には協力できると思います。それによって農作物の収穫量も変わるでしょう。協力はいたします」
「ふむ……ありがたいことですな。ただ、もう一点よろしいか」
――なんだろう。少し嫌な予感がする。
「パドレオン卿は伯爵位。それが此度、東方担当相に任じられた。……身分が、合っておらぬ」
場がぴりりと緊張し、ざわめきが広がる。
すかさず、ミゲル侯爵が口を開いた。
「そ、そうでございますな。女王陛下のお決めになられた役目とはいえ、パドレオン卿は伯爵。公爵方が後見につくのであれば、本来は次位の侯爵から選ばれるべきでございましょう」
やはり、彼は反対のようだ。さらに言葉を重ねる。
「卿に実績があるのは認めます。我らの旗頭として反意はございません。だが、実務を担うべき者は別にいるはず。……そうでございましょう? パワード侯爵」
――やはり二人は反対か。正直、僕も望んだことじゃない。出来るなら誰かに代わってほしいくらいだ。
しかし……。
「愚かな……」
パワード侯爵が低く呟いた。
「……格の話だ。パドレオン卿の身分が合っておらぬ」
その言葉に、ミゲル侯爵は勢いづく。
「そうでございましょうとも! 卿はあくまで伯爵。やはり我ら侯爵こそが――」
声を張り上げる彼の周囲では、何人かが同意するようにうなずいていた。