パワード侯爵
カラブレット王国東南に領を持つパワード・ケント侯爵。その側近目線の話。
私はパワード・ケント侯爵の側近である。
本日は侯爵に随行し、コルメイスの地を訪れていた。王国東部に領地を持つすべての貴族に召集がかかり、会合が開かれるのだ。
その会場は、パドレオン伯爵の屋敷だという。
私たちは定刻より早く到着し、巷で評判のこの新興都市の様子を、侯爵とともに視察することにした。
噂に違わず、なかなか見事な街である。
「ケント様、いかがでしょうか?」
私は侯爵に感想を尋ねる。
「……ふん、水が綺麗だな」
その返答に、思わず面食らった。
たしかに水路の水は澄んでいる。しかし、目を向けるべきはそこではない。
整然とした街並み。店先に並ぶ多種多様な特産品。他所では数も少なく品質も劣る魔石が、ここでは豊富かつ高品質に揃っている。
それに何より、この街はかの「アイーダ草原」に築かれた、極めて特異な新興都市だ。
――だというのに、このお方は、ただ「水が綺麗だ」とだけおっしゃった。
やはり、ケント様はパドレオン卿を認めておられないのだ。
この街も、そしてその主も。すべてを値しないと判断されている。
それ以外に、これほどまでに冷ややかな視線の理由があるだろうか。
聞けば、今回の会合を機に、東部を取りまとめる役にパドレオン卿が任じられるという。
公爵家の諸侯は後見という立場に退き、実務の多くをその卿に委ねるとのこと。
であれば、序列から言っても、我が主パワード・ケント侯こそがその任にふさわしいはずだ。
それを押しのけて、若輩の伯爵家が台頭しようというのか。滑稽というほかない。
「失礼します。パワード侯爵でいらっしゃいますか?」
突然、後方から声がかかった。
「……うむ」
ケント様が短く頷かれる。
「私、パドレオン伯爵家臣のソレステッド・ルドフランと申します。
主より、パワード侯爵をご案内申し上げよとの命を受け、参上いたしました」
軍装は整っており、若いながらも気品を感じさせる立ち居振る舞い。先ほどから周囲を見張っていた衛兵の一人か。
「ふんっ。そうか。……よしなに、ルドフラン殿」
ケント様は相変わらずの調子で、簡潔に応じられる。
やはり――ケント様はパドレオン卿を快く思っておられないのだ。
この街も、この若造も、そしてパドレオン卿その人も。
あのお方の沈黙は、はっきりと否を示している。
まったく、あのような若輩が東部を束ねるなど、道理が通らぬにもほどがある。
「すぐに会場にまいられますか?」
「うん?」
「ほかにご見聞なさりたい場所があれば、御案内差し上げますが」
「そうか。……ならば、闘技場があると聞いた。そこは見られるか?」
「闘技場――ああ、訓練場のことですね。もちろん可能です。ご案内いたします」
ケント様はどちらかといえば小柄な体格だが、武におかれては非凡な技量をお持ちの方だ。おそらく訓練場という言葉に、自然と関心が向かれたのだろう。
「何人か訓練をしているかと存じますが、いかがなさいますか? 施設だけをご覧になるのでしたら、止めさせますが――」
「いや。訓練とやら、見せてもらおう。……ふっ」
ケント様が、笑った……?
ほんのわずかに口元が綻んだだけだが、それは確かに笑みだった。
常に無表情といっても差し支えないこのお方の、まさかの変化。
私は、思わずまばたきしてしまった。
私たちは、訓練場とやらへ案内された。
「ふんっ。……大きいな」
その言葉に、案内役のルドフランがわずかに肩を強張らせたのを、私は見逃さなかった。
ケント様の言葉は簡潔で、口数も少ない。だが、それを「冷たい」と取る者が多いのも仕方のないことだろう。
事実、これまでどれほどの者が、その無言に怯えたことか。今回も例外ではない。ケント様は、この街の価値など端から認めていないのだ。
「そうですね。私も、思っていたより遥かに広くて、少々驚きました」
中へ足を踏み入れた、その瞬間。
「……っ!?」
ケント様が腰の剣に手をかけ、即座に身構えられた。
視線の先――白いクマのような魔物が、人に飛びかかろうとしているではないか!
私は思わず、ケント様の前へ一歩躍り出た。
万が一のことがあってはならない。このお方の剣技をもってすれば、返り討ちにできようが、それでも咄嗟に体が動いた。
「ご安心ください。……訓練です」
ルドフランが落ち着いた声で言った。
――訓練、だと?
あれが? 魔物相手に……?
「そうか」
ケント様は静かに頷き、剣から手を離された。
「この地は、魔物との接触が避けられません。ゆえに、こうした実戦形式の訓練を日常的に行っております」
「なるほどな……。大変なことだ」
訓練場では、対人同士の手合わせも行われている。
さらに、魔術師が火球を放っているのも目を引いた。しかも、あれは無詠唱――!?
それを、ケント様は黙して眺めておられた。
「ふんっ。ここはもう結構だ」
「左様ですか。他には?」
「うむ。図書館があると聞く。拝見できるか?」
――図書館? なぜそのような場所に……。お考えは私には分からない。
「図書館は、パドレオン・エリナ子爵の私設ですので、お伺いせねばなりませんが、公開されているものですので大丈夫でしょう。御案内いたします」
私設図書館? ますます見る価値があるのか疑わしい。
「頼む」
こうして、図書館へと向かったのだが……。