フォーレス コンドライト視線(1)
私はユーラシドリ・コンドライト。伯爵位を持っていたが、少し前に返上し、今はドリアンドル様とともにパドレオン伯爵の世話になっている。
そのパドレオン伯爵のご養子、クロム嬢に同行して、西方のパドレニア・クロム領へ向かっているところだ。
クロム嬢の優しさから拾われた猫人の少女がいる。この娘がなかなか面白い。天性のものなのだろう、記憶力がとても良いのだ。
「フォーレスよ」
「はい、コンドライト様」
「これから向かうところなのだがな。ある程度、覚えておきなさい」
私は、西方へ向かうことや領の名前、向こうでクロム嬢の代行をしている者の名などを、話して聞かせた。「覚えておきなさい」とは言ったものの、期待はしていない。ただの暇つぶしに話をしただけだった。
私の話も、所詮は暇つぶしだ。だから、たまにユリアス殿の話になったり、クロム嬢の話になったりもするのだが、その内容をこの娘はよく覚える。いや、「よく」というより、完璧に覚えるのだ。
私たちが話をしていると、クロム嬢も暇なのだろう。
「なんの話ですか?」
と加わってきた。馬車の外を眺めても、ずっと銀世界が続いていて、すぐに飽きるからな。
「フォーレスに、これから向かうクロム嬢の領について話をしていたのですよ。予備知識としてね」
「そういうことでしたら、私もお話いたしましょう」
クロム嬢はそう言うと、少し背筋を伸ばしながら話し始めた。
「私の領は、正式には『パドレニア=クロムレイラ領』といいます。もともとは父のデンネンカルロ子爵が管理していた銀山の一つを分けてもらったのですけれど……正直、素直に渡してくれたわけではありませんでした」
「どうしてですか?」と、フォーレスが首をかしげる。
「父は、私が領主になることを心の底では認めていないのです。銀山の人夫に手の者を紛れ込ませて採掘の邪魔をしたり、夜陰に紛れて盗賊を装わせて村を襲わせたり、領民が父の領で買い物をするときに特別な税をかけたり……色々な嫌がらせがありました」
「そんな……ひどいです」
「ええ。でも、今は落ち着きました。ユリアス様が後援者として私の領に来てくださったのです。伯爵様が視察にいらしただけで、父も手を引かざるを得なかったようですし、領境に木塀を作って見張りも強化しましたから」
クロム嬢は、ふっと笑みを浮かべた。
「でも、銀山があるのに、銀貨は作れないんですか?」
「そうなの。銀貨を作る許可は父しか持っていないのです。だから、最初は産業の柱がなくて困っていました。けれど、イスカンダリィ公爵が察してくださり、銀細工師を派遣してくださったのです。それで領内に銀細工を作る街ができました。『シルビー街』という名前で、シルビィユ様の御名を頂いています」
「シルビー街……素敵なお名前です。それで、どんなものを作るんですか?」
「貴族向けのカトラリーや調度品だけでなく、一般向けの宝飾品も作られています。ユリアス様たちが宣伝してくださって、他領からも買い付けに来る商人が増えました。半年で本当に色々変わったんですよ」
クロム嬢は嬉しそうに微笑む。
「でも、領は荒野ばかりだって聞きました」
「ええ。私の領はもともと荒野が多くて、水が少ないのが悩みでした。でも、ユリアス様が水の妖精マイムさんと一緒に池を作ってくださって、水源が確保できたのです。そのおかげで田畑も広げられるようになりそうですし、魔素やミネラルの多い水で土も良くなると言われています」
「ユリアス様って……すごいお方なんですね」
フォーレスが目を輝かせながら言うと、クロム嬢は一瞬、ぽかんとした顔をした。けれどすぐに、ふわりと微笑み、ほんのり頬を赤らめた。
「はい。ユリアス様は……すごいお方です」
クロム嬢の横顔を見て、私は思わず小さく笑みをこぼした。
あの無垢で真面目なクロム嬢が、誰かの話をするときにあんな表情をするとは思わなかった。
──やはり、ユリアス殿というお方は、改めて恐ろしいほどの人物だと感じる。
「おかげで移住してくる人も増えてきました。もうすぐ領民が千人に届きそうなんですよ。シルビィユ様も銀山の管理官として残ってくださっていますし、屋敷も新しく建てられています。働き口も増えましたし、領民のみんなも少しずつ笑顔が戻ってきています」
クロム嬢は話を終えると、フォーレスを見つめ、柔らかく微笑んだ。
「フォーレスも、ぜひ領のことを覚えておいてくださいね。あなたが将来、役に立つことがあるかもしれませんから」
「はいっ!覚えます!」
猫人の少女は、大きな目をきらきらさせながら力強く頷いた。
もっとも、既にすべて覚えてしまっているだろう。確かめてみることにした。
「代行を務めている者、名はなんといったかな?」
「バヌラさんです」
やはりだ。会話の中でさほど重くもない者の名まで、しっかりと覚えている。
隣領の名や産業のことなど、次々に聞いてみるが、すべて即答で返ってくる。
これにはクロム嬢も「あら、よく覚えましたね」と感心しきりだ。
この少女の才能……これから、クロム嬢の力になるような予感がする。
話が一段落して途切れると、フォーレスが耳をピクピクさせて、ぶつぶつと小さく呟きながら小首を傾げている。
「どうかしたか?」
「いえ……なんでもございません」
人の話を聞く時や会話が進むときは、明るく表情豊かに接してくるが、それ以外では大人しく、自信なさげな子だな。
「フォーレス。なにか不安があるのですか? あるのならば、お話してくださいな」
やはり、クロム嬢も気になるのか。そう促すと、フォーレスが「はい……」とおずおずと小さな声で話しはじめた。
「あのう、クロム様はどうしてお帰りになるのか、ちょっと気になりました」
「あら? 自分の領に帰るのが不自然ですか?」
「あ、いえ……。こ、この雪の多い時に大変だなぁと……。クロム様はご研究とかでお忙しいのに、ご領地に帰られるなんて……大丈夫なのかなぁって……」
フォーレスは耳を伏せるように動かし、視線を下げた。
うん? この子は冷静に状況を分析したのか?
与えられた情報だけで、不便なこの時期に、わざわざ帰る必要はないのではと考えたのだろう。
もっとも、フォーレスには先般クロム領が侵攻され、その後片付けや予防のための帰還であるとは話していない。
やはり、只者ではない記憶力と、頭の回転の速さだな。
この子に、侵攻された件を話してもよいかもしれない。
しかし、私の独断で話してよいものかどうかはわからぬ。
クロム嬢に、一度聞いてみるべきだろう。
「クロム嬢。馬車を止めて、しばし休まぬか? ちと腰を伸ばしたい」
本当は、クロム嬢と二人で話をしておきたいからだ。
馬車から降りて、「うーん」と体を伸ばす。そして、クロム嬢に耳打ちした。
「クロム嬢、ちょっと」
クロム嬢も聡い娘だ。すぐに察してくれる。小さく頷く。
「気持ちいいですね。フォーレス、ゲンさんやノハさんは建物を建てるのが上手なんですよ。お話、聞いてごらんなさい」
さり気なく、フォーレスを遠ざけるのだ。
私たちは雪の上を少し歩き、大きな木の下に落ち着いた。
「それでお話とは?」
「うむ、フォーレスをどう思う?」
「……そうですね。頭が良いですわ。覚えることが得意ですよね」
やはり、クロム嬢も感じていたか。
「ああ、彼女を今後どうするのだ?」
「と、いいますと?」
「彼女は使える……いや、言い方が俗っぽいか。彼女は役に立つ。しっかりと物事を教えれば、嬢の役に立つと思うのだが?」
そう言うと、クロム嬢はしばし考えていた。
「そうですね。本人の意思も尊重したいですけれど、これも縁ですから。
仰ることは、彼女を私の『家臣』としてということでよろしいですか?」
私は頷く。クロム嬢はにこりと笑った。
「まずは『候補』としますね」
「それでよろしかろう。
それで、彼女は記憶力だけではなく、分析力とでも言おうか……そういうものも長けているようですな。先日の侵攻された件も、ある程度話してみるのはどうか?」
「そうですか。コンドライトさんが仰るのなら、そうしましょう」
ということで、話をしてみることにした。