学園からぞろぞろと
チョコレッタがナデージダへ向かったのは、ちょうど5日前のことだった。
そして今日、彼女はぞろぞろと大勢を引き連れて戻ってきた。
ナデージダ学園では、一昨日、野外実習を終え、第1期の初年度課程が無事に終了した。これから学生たちは、2ヶ月間の休みに入る。
全校生徒はおよそ500人。そのうち100人ほどは寮に残るそうだ。教員や職員は30人あまりいて、そのうち半数が学園に残り、15人ほどが学生たちと同様に休暇に入るという。
今日は、その教職員のうち10人あまりが、学園長であるサリナへの挨拶と報告のために、僕の屋敷を訪れていた。
場所は、パドレオン邸の大会議室。
壁には家の紋章が掲げられ、厚手のカーテン越しに午後の陽が差し込む。長い会議用テーブルの上には涼しげな水差しと書類の束が並び、室内には魔力冷却の心地よい風が巡っている。
出席しているのは、僕と屋敷の幹部たち、そしていつもの――テッテラ、テノーラ、コゾウ。
この三人がいるのは、もうすっかり当たり前になっていて、誰も特に気にしなくなっていた。
正面に立ったのは、学園長代理のコルーラ。
ナデージダの徽章を胸につけた制服姿で、いつもより少し緊張した面持ちだ。
「学園長。先日の野外実習に際しまして、貴重な人員をご派遣いただき、ありがとうございました」
深く頭を下げての丁寧な挨拶。ところがその言葉を受けたサリナは――
「…………」
返事をしない。
「あの……サリナ様、コルーラ様がお礼を述べておられます」
控えていた秘書のアルセが、そっと耳打ちする。
その声にサリナがふっと目を上げ、上品に微笑んで口を開いた。
「まぁ……申し訳ございませんわ。あまり“学園長”とお呼びいただくことがございませんもので、つい気づかずにおりましたの」
落ち着いた声に、控えめな笑み。
場の空気がふっとやわらぎ、あちこちから小さな安堵の笑みがこぼれる。
たしかに、僕もサリナのことを“学園長”と呼んでいる場面を、あまり見たことがない。
けれど彼女は、名ばかりではなく、学園の長としてしっかりと責任を果たしている。
そしてコルーラにとってサリナは、厳格で誇り高い叔母のような存在だ。なんたってコルーラは、ガディアナの娘だからね。
そう思えば、このやりとりも自然なものに思える。
「それで……なんのお話でしたかしら?」
「はっ、いえ、失礼いたしました。チョコレッタ様やヤルカード様、その他の方々を引率のためにお貸しいただいたお礼を、申し上げたく……」
「いいえ、お気になさらなくてよろしいのです。旦那様の学園でございますから、私どもが動くのは当然のことでございますわ」
静かで穏やかな口調でそう言って、サリナは優しくうなずいた。
旦那様――つまり僕――と呼ばれると、なんだかくすぐったい気持ちになる。
それから、会議は本題に入っていった。
収支報告、設備の点検、教育内容の総括など……。
でも、そういう難しい話は、僕はあまり聞いていない。というのも、普段から言われているのだ。
「そういうのは、あなたが考えなくても大丈夫よ」――と、姉さんから特に。
だから今日も、僕は周りに任せておとなしくしている。みんながちゃんと聞いてくれているから、それでいい。
僕が本当に気になっているのは、別のことだ。
ナデージダ学園が生まれるきっかけになった、ゼル村とシロコ村の子供たち。
あの子たちが、ちゃんと不自由なく勉強できたか――それがずっと気がかりだった。
報告がひととおり落ち着いたところで、僕はそっと口を開いた。
「ゼル村とシロコ村の子たち、勉強にはちゃんとついてこられていましたか?」
コルーラはすぐにうなずいた。
「はい。私どもも特に留意して見守っておりましたが、何も問題はございませんでした。むしろ、村の子供たちは皆、とても優秀でございます」
「そうですか……それは、本当に嬉しいです。気にかけてくださって、ありがとうございます」
僕は、ただ素直にそう言った。
けれど、その直後、会議室の空気が、ほんの少しだけ変わったように感じた。
(……ん? 今の、何か変だったかな)
気のせいかもしれない。
でも、ちらりと視線を上げると、数人の教職員がわずかに言葉を呑むような表情をしていたし、領の幹部の顔は険しくなった?
そのとき――視線の端に、エリナ姉さんが立ち上がる気配が映った。無言のまま僕のほうを見て、ほんの少しだけ首を傾ける。
(……あ。呼ばれてる)
「ちょっと失礼」
僕はそう言って、立ち上がり、会議室を出た。
エリナ姉さんは先に隣の控え室へと入っていて、僕が扉を閉めたタイミングで、くるりとこちらを振り向いた。
「ユリアス。いつも言っているわよね。貴族、それも伯爵くらいになると、簡単に頭は下げないの。
あなたが軽く見られるし、軽く見た者を、うちの者たちが許すと思う?」
僕の周りの人たちは、僕が馬鹿にされるのはもちろん、軽く見られるのも嫌う。
僕のことを思ってくれているのは嬉しいけれど、ちょっと極端だな……とも思う。
「分かったよ。じゃあ、どうすればいい?」
「『分かった。これからも留意を』――それだけで十分よ。コルーラなら、それで察してくれるから」
そう言われて、僕はうなずいた。
そして、再び会議室へと戻った。
キャラクター紹介
コルーラ……ヴァーノ・コルーラ。ムネアカアントラー族。ガディアナの娘(対外的には遠縁)。